Being on the Road ~僕たちは旅の中で生きている~

日常の中にも旅があり、旅の中にも日常がある。僕たちは、いつも旅の途上。

人民中国の残像/山西省長治市街

2021-10-21 21:46:40 | 旅行

2001年の記録

 

ベルリンの壁崩壊(1989年)、ソ連崩壊(1991年)で、東西冷戦時代が終結すると世界的な軍縮が始まり、兵器の需要は激減した。中国の兵器製造企業は、民生品製造に転換することを迫られた。機械式立体駐車場の技術供与と製造委託の仕事で、国営ミサイル製造企業のある山西省長治市を訪問したときの記録。

 

 

関西空港から北京空港に飛び、北京で1泊したあと、翌日15時北京南站発の夜行列車に乗り、明け方に山西省長治站に到着した。復路も長治站から夕方発の夜行列車に乗り、北京南站に翌日昼前到着。往路と同様、北京で1泊、翌朝北京空港から大連経由で関西空港に帰国した。

 

 

2001年当時は、旅行日数に関わらず中国入国にはビザが必要だった。急遽決まった出張だったので、大阪の旅行代理店に書留でパスポートを送り、ビザを関西空港で受け取った記憶がある。

栃木出発日は、「試作機1号機は完成しているが、2号機はメッキ前になる。」と聞かされた。それが関西空港搭乗時になると「1号機がメッキ前、2号機は溶接前。」、北京に着くと「1号機が溶接前、2号機は鋼板の切断工程」、長治の工場に着くと、「1号機が鋼板の切断工程、2号機の材料は入荷していない。」といった中国工場あるあるの洗礼を浴びた。

その後、僕の仕事の多くは、中国国営国有企業との合作や合資である。まさに長~いおつきあいの始まりとなった。

 

 

訪問先の企業は、民生品製造へ転換、と言っても、依然ミサイルも製造していた。あたりまえのことだが、ミサイル製造ラインの見学などできない。僅か50メートル先の工場棟に移動するのもクルマ移動、国家機密が横たわっているということか。

第1回の工程会議で、「世界のどこかで戦争、内戦が始まれば、ミサイル製造を優先するので、契約期日は守れない」とくぎを刺された。「試作機の契約期日は、絶対に守る」とも言われたが、「ほんとかよ」と心のどこかで思った。しかし、彼らは契約期日をきっちり守った、連日徹夜の突貫作業に大増員で、やり遂げてしまったのである。中国ミサイル工場、恐るべし!

「絶対に守る」と言ったのは、副総経理(副社長)だったので、守れなかったら副総経理の面子が潰れる。「きっと大丈夫だよ」と中国取引の先人が、教えてくれた。

彼らと何度か会議をしたが、必ず出席するが、何も発言しない人がいた。「あの人は?」と不思議に思って聞くと、件の先人が、「共産党の書記じゃないかな!」と。機密や国家、党に不利益になる発言をしていないかをチェックしているらしい。

 

 

山西省は、日本では知名度が低い省の1つだ。

小麦粉を水で練った生地の塊を頭の上に乗せ、くの字型に曲がった特殊な包丁で、生地を細長く削ぎ落として茹でる刀削麺(Dāoxiāomiàn)発祥地である。

 

それ以外では、中国有数の石炭の産地である。なぜだか、鉱物資源の産地は、貧しいところが多く、鉱業の性格のためか、持てる者と持たざる者の格差が大きい。中国の大富豪の1人の女性は、山西省で荷台から道路に落ちた石炭の拾って売る商売から身を起こしたとか。

 

 

 

 

中国の辺境に行くと、今でもロバは動力源であると同時に大切な食材でもある。中国のロバ肉は、 「上有龍肉 下有驢肉」(天上には龍の肉が有り、下界にはロバの肉が有る)と言われるほどのご馳走である。部位によっても違うのだろうが、今までにあちこちでご馳走になったが、脂っ気がなくパサパサしていて、そんなに美味しいとは思わない、というのが、正直な感想。

日本では、馬肉は食べてもロバ肉は食べない。ところが、中国では、馬肉は食べない。(よほど貧しい人は別だろうが) 4本足のものは、机と椅子以外食べると揶揄される中国の人が、馬肉を食べないのは不思議だ。「なぜ、食べないのか?」と聞くと、「硬くて不味い」と。いやいや、馬刺は絶品だと思うのは僕だけか。

 

 

【メモ】

2年近く中国に行っていない身で、偉そうなことを書くことに後ろめたさがあるが、日本での報道から見聞きする中国政府の挙動、どうにも不穏な予感だ。富裕の象徴の不動産業やIT業を締め上げ、報道や芸能に統制をかけるさまを文化大革命の再来と評する人もいる。僕はリアルな文化大革命を知らないが、あの頃の中国は、国土がデカイだけの貧しい共産主義国だった。しかし、今の中国は違う、あまりにも世界への影響が大きい。僕の予感が杞憂に終わることを祈る。

 

 

旅は続く