Being on the Road ~僕たちは旅の中で生きている~

日常の中にも旅があり、旅の中にも日常がある。僕たちは、いつも旅の途上。

美麗的日本和我 (美しい日本と僕)/千葉県 第2回

2021-10-11 22:00:00 | 旅行

2021年の記録

 

緊急事態宣言が解除になり、自身の“散策欲求”に従い千葉県を散策した時の記録。

 

 

大原~上総中野(いすみ鉄道)~五井(小湊鉄道)と、房総半島を横断する予定で出発したものの、昨年の台風の影響で、小湊鉄道の一部区間はバス代行のため、列車本数が極端に少なく横断を断念し、いすみ鉄道の終着駅・上総中野から引き返してきた。

 

 

いちかわ西洋館倶楽部は、1926年(大正15年)竣工の木造3階建築の渡辺家個人宅である。

明治、大正の名大工「大亀」が図面無しで建てた和洋折衷の西洋館。2階は書院造りの和室が中心となっている。

現在は、3代目オーナーの渡辺俊司氏の古い建物をただ保存するだけでは意味がないとの意向からギャラリー&コンサートホールとして使われている。

 

 

大原港にある夷隅東部漁業協同組合直営の「いさばや」で、昼食に「たこ飯御前」を頂く、何ヶ月ぶりの外食だろうか? たこ飯には、これでもか、というほどたくさんのタコが入っている。地魚の刺身も身に弾力があって美味しい。デザートは、なぜだか抹茶わらび餅。(税込1,700円)

 

寒流(親潮)と暖流(黒潮)の交じり合ういすみ沖の豊かな漁場「器械根」で獲れる大原港の「伊勢海美」(伊勢海老)は、水揚げ量日本一と言われる。

一方、「マダコ」は、その「伊勢海美」を餌に育っていると言われ、伝統的なタコつぼ漁により1匹ずつ捕獲するため、傷つかず活きの良いタコが水揚げされ、明石のタコと並ぶ日本の二大タコと称される。

 

 

日本基督教団上総大原教会は、外壁を南京下見板張りとし,玄関上部に塔を戴く軽やかな外観の教会礼拝堂として1931年(昭和6年)竣工。しかし、昭和30年代の火災で焼失し,現在の形となった。

 

 

いすみ鉄道は、1988年(昭和63年)にJR東日本旅客鉄道木原線の廃止に伴い第三セクターとして開業している。僕は木原線時代に何度か乗車している。現在のJR外房線が、まだJNR(日本国有鉄道)房総東線と呼ばれていた頃の気動車(ディゼルカー)を彷彿させる塗装色の車両が走る。大原から上総中野まで片道約1時間、房総半島の山間部を走る気動車に乗っていると、汽車(鉄道)に乗ることが一大イベントだった頃を思い出した。欲を言うと、冷房の利いた綺麗な車内は、あの時代の排ガスと汗臭い車内とは異質だった。

 

 

日本福音ルーテル市川教会は、1955年(昭和30年)竣工のウィリアム・メレル・ヴォーリズ晩年の作品の木造教会堂である。切妻の瓦型鉄板葺屋根をもつ単廊式の南北棟の礼拝堂と、東面南に建つ4階建鐘楼からなり、白い外壁、正面と鐘楼上部に丸窓、身廊側面に半円アーチ窓を開ける。2008年登録有形文化財(建造物)に登録された。

 

 

【メモ】

10月7日の夕刻、ワラビスタンでは、震度5強の地震があった。目の回るほどの横揺れを感じたものの停電もなかった。(軽量鉄骨造ライオン宮殿の2階にて)

翌日のJR京浜東北線は徐行運転、運よく入場規制前の駅構内に入れたので、比較的空いている下りに1駅乗ってターミナル駅から上り電車に乗った。(ターミナル駅以外では、ほとんど上り電車から下車する乗客はなく、満員で到着した電車には、誰一人乗れない。よって乗車待ちの列は、進むことなく駅の外まで延びる。) コロナを忘れざるを得ない3密の1時間だった。

 

地震の防災訓練として東京から栃木の自宅までの徒歩行軍を計画していた矢先の10月10日、蕨市内のJR変電所火災で、京浜東北線、宇都宮線、高崎線が、約7時間運休した。宇都宮線に乗車中の僕は茨城県古河市であし止めにあった。しばらく待って復旧の見込みがないと思い、JR古河駅から約2キロ離れた東武鉄道新古河駅まで歩き、東武鉄道を2度乗り継ぎ大宮まで行く。大宮に着いた頃、埼京線が運転再開となり、8日に続き3密の満員電車に乗って戸田まで行き、約2キロ歩きワラビスタンのライオン宮殿に無事到着となった。

JR古河駅(茨城県古河市本町)から東武鉄道新古河駅(埼玉県加須市古河)へは、渡良瀬川三国橋を渡る。

 

 

旅は続く