Being on the Road ~僕たちは旅の中で生きている~

日常の中にも旅があり、旅の中にも日常がある。僕たちは、いつも旅の途上。

Go to West ! 第3回 / ブハラ

2021-02-07 15:13:46 | 旅行

2019年の記録

ミナレット(光塔)に日輪が重なった。

 

タシケントからブハラまでは、飛行機だと1時間ちょっと。オン・タイムで、あっさりと移動できた。抜けるような紺碧の空が広がり、日中は気温も上昇するが、湿度が低く、暑苦しさを感じない。

 

サマルカンドの世界遺産は、比較的有名だが、サマルカンド以外にもヒヴァ、ブハラ、シャフリサブスに世界遺産がある。はっきり言って、ウズベキスタンは、天然資源(金と石油、天然ガス)と綿花ぐらいしか輸出できるものがない。(あとは“人”で、ロシアほかへのいわゆる出稼ぎ) そこで、世界遺産を資源として、インバウンドに力を入れるといった発想は、悪くないと思う。(個人的には、宗教施設が観光地化されることを手放しで喜ぶ気持ちにはなれないが・・・・・) 2018年2月から日本国籍所持者は、ノービザで入国できるようになったのも、インバウンドに期待するためだ。

 

ウズベキスタンは、日本より2割弱の広い。日本のように海で隔てられた島嶼部はないので、コンパクトにまとまっているものの、首都のタシケントは、国の東端に位置している。ブハラへの移動で、さらに西に進んだことになる。

 

大抵の街が旧市街と新市街に別れていて、歴史的建造物やその土地らしい生活を垣間見ることができるのは旧市街で、ブハラも例外ではなく、旧市街は、概ね2キロ圏内に密集しているので、のんびり散歩するのには、ちょうど良い。

 

日中は、結構な炎天下と乾燥の中を歩くことになるので、チャイハナで休憩&水分補給をするとともに適度にお金を落とすことも必要だと思う。

お茶と甘い砂糖菓子、カラーン・モスクを見おろせるチャイハナにて。

 

イスチロハット公園の中にあるイスマイール・サーマーニ廟は、観光客も少なく、静かに観光できる。真っ四角の変哲もない霊廟だが、内外壁、天井の幾何学模様には、魅かれるものがある。

 

お婆ちゃんと孫なのか?撮影に快く応じてくれた。

 

アルク城(歴代ブハラ・ハーン=王の居城)は、ブハラの有名観光地で、観光用の輪タクが客待ちしていて、「如何にも観光名所です」といった風情だ。入場が有料なのは、あたりまえとして、スマホ以外のカメラ持ち込みは別料金。その類の支払を渋る人がいるけど、それは違うと思う。歴史的建造物を維持するには、カネも必要な訳で、そのカネを負担できる人が、負担するのは、義務で、それをその国の税金(国民)で、何とかしろ!というのは、筋違いだと思う。観光に携わる以外の国民にとって、どれほどの益を生んでいるのか?という話だ。偉そうに書いているが、かつての僕は、渋っていた張本人、加齢とともに、ちょっとは成長したって訳だ。

 

スペイン人の観光客夫婦とカメラ談義に花が咲いてしまい、結構な時間を費やしてしまった。今考えると、何語でどう会話していたのか、まったく思い出せないのだが、ちゃんと話は通じた。もちろん、彼らもニコンユーザーだったので、「僕が使っているD610(出発数日前にニコンに貰った・・・笑)を指して、俺も使っていたけど、重くて、重くて・・・・。今使っているZ7(ミラーレス)は、軽くて、いいぞ!」といった他愛もない内容なのだが。

アルク城に限らずウズベキスタンの建造物では、木材が意外に使われている。砂漠や草原で、木材というのは、ちょっと驚き。それだけの財を投じたということだろうか。

 

ウズベキスタンに限らず途上国に行くと、目的不明ながら日がな一日ベンチに座りニコニコしているおじさん達がいる。

 

昼飯に入ったレストラン、ウズベク語もラテン表記になると、南欧の小洒落たレストラン風に見えてしまうのは、僕だけか?

 

カラーン・モスクとカラーン・ミナレット(大きな・光塔)、ミル・アラブ・メンドレセ(神学校)は、向かいあっている。

旧ソ連時代のカラーン・モスクは、倉庫として使われていた。もし、この国が、もう少し豊かだったらモスクは解体され、使いやすい倉庫が建設されていたのではないかと想像すると、不幸中の幸いと考えるべきなのかもしれない。

カラーン・モスクに繋がっているカラーン・ミナレットは、町中が崩壊した大地震、壊滅のチンギス・ハーン来襲をも越えて存続するブハラの象徴。

 

ミル・アラブ・メンドレセは、ソ連時代も奇跡的に神学校を継続していた。しかし、倉庫になった目の前のモスクを神学生たちは、どんな想いで見たのだろうか?(一番下の写真は、ミル・アラブ・メンドレセから見たカラーン・モスク)

 

ウズベキスタン人は人懐こい、首から一眼レフを下げた外国人を見つけると、「撮って、撮って」と声を掛けてきた。ミル・アラブ・メンドレセ前で。

 

 

旅は続く