3月11日🌥️-11~8度。
お仕事🚚
昨日よりも暖かい一日。
何事もなく、無事任務完了❗️
ありがたいなぁ…。
ラジオからは、東日本大震災の話題。
あれから11年か…。
「なんとか防げなかったのか。」
「現場の責任は。」
「肉親を亡くし立ち直れない。」
「みんな忘れていくのはおかしい。」
「歌や躍りで盛り上げよう。」
いろんな人達が震災を語り、記憶を風化させないようにと大きな声をあげる。
毎年思い出すのは、二回に渡り復興支援に出向いたこと。
現地の様子が予想をはるかに上回り、声も出なかったこと。
そんな中でも冷静沈着に、明るく振る舞う被災者の姿。
自衛隊車からの水の配給に、整然と並ぶ人達の姿に涙が溢れたこと。
神戸市では、先に震災に見舞われ、復興した経験から様々なデータに基づいた災害マニュアルが作られていた。
震災直後の混乱時は先ず救命、救助等に警察や自衛隊、医療関係者等の専門部隊が必要なので国の判断に任せる。
少し時間を置いて、現地の状況を見極めた上で地元に伺い、要請があれば先遣隊を派遣する。
私は5月初旬に瓦礫の撤去、清掃作業者として派遣された。
2回目は確か7月から8月にかけて、名取市からの要請で事務作業員として派遣され、罹災証明書の発行、被害審査係員の業務に着いた。
阪神・淡路大震災の時、直後にボランティアが押し寄せ、混乱している状況の中、彼らの対処にも追われ、とても困った経験からこのように現地の状況を見極めた上で行動することになっていた。
トリアージや、エコノミークラス症候群の対応等、阪神・淡路大震災からの教訓を、後の災害に活かせたことはとても大きいと思う。
自身、阪神・淡路大震災、熊本地震では阿蘇で二度も大きな地震に遭遇し、母を亡くした経験者やから言えることがある。
生死は運やと思う。津波はわからんけど。
悲しみは忘れたい。
自然災害は誰のせいでもなく、仕方ないと思いたい。
そして経験は残したい。
助けられる命を救うために。
死んだ母は戻らないけど、母の残したものは確かに私に受け継がれ、今後に活きるし、神戸の震災マニュアルはその後の災害に活用されてる。
忘れること、繋いでいくこと…。
大きな声で騒ぎ立てるよりも、今日は静かに過ごしたいなぁ。