杜松の赤裸々白書

日々、考えてることなんかを文章にしていきます。コメント、TB大歓迎です。

当たり前

2005-11-29 01:15:37 | 日記
小さい頃に食べ残しををすると母親によく言われた言葉がある。
みんなも言われたことあるでしょうけどね。

「世界には食べたくても食べられない人もいる。だから残さず食べなさい。」


「じゃあ、世界の食べられない人とやらに持っていって。」
と言ってよく叱られましたが(´・ω・`)


この間の記事で「大切なものはなくなってから気付く」ってことを書きました。
それはその事実が差し迫っていないから気付かないってことを書いたんだけど今日の「あいのり」を見てなんで差し迫るまで気付かないんだろう、考えないんだろうってことを改めて気付かされた。

今日の「あいのり」の番組最後の方であいのり学校ってのがエチオピアに建てられたって話があった。
その子供たちの数人が学校が建ったことについての感想、意見なんかを述べてた。

「屋根がついていて嬉しい。」
「コンクリートで建てられているので嬉しい。」

上の子供たちの言葉を聞いてオレは「当たり前のことじゃん。」って思った。


そう、


その「もの」は当たり前だから、当たり前に存在するものだから、失うまで気付かない。


毎日食べてる食事も、毎日通っている学校も、毎日接する家族、友達も、毎日使っているものたちも。



その時ね、寂しいけどこう思ってしまった。
この前の記事で身の周りのものとか人ってのを大事にしたいって書いたけど。。。
無理かもしんないって。
単純に大事にすることはできる。。。
でも、それでいいんだろうか。。。
だって、今さらこんなことに気付いたかもって言ってんですよ。。。


オレが今好き嫌いなく食事を食べられるようになったのは昔母親に言われた言葉がきっかけじゃない。
オレが16年間、学校に通ったのは母親に「学校に行きたくてもいけない人もいるのよ。」って言われたからじゃない。
オレが家の手伝いをやるのは母親を労わりたいっていう思いからじゃない。。。
そう感じてやることもあるけど。。。


今までオレは大切な「もの」を失って変わった人間を何人も見た。


その人達は実際に「それ」を経験したから。
その時になって気づくのは遅いかもしんないけどやっぱりそれに直面しないと気付けないと思うんです。
そりゃできることはやればいいと思うんですけどなんか虚しいんですよね。
「もしも~だったら。」っていう状況がリアルに想像できないんですもの。
そのためにやってる行為ではあるんだけどリアルに自分に差し迫ってこない。
やってることの意味は理解できてんだけども。。。

人間って失って失って成長していく生き物なんだろうか。
失って失って何もなくなって。。。
いにゃ、失って得るものもある。というか多い。

んー愚かだ。。。



時々、絵載せてますけどあれ、大半が記事とは関係ないものなので悪しからず(笑)
その日、その日で書きたいもん書いてるって感じですので。


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2 コメント

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Unknown (ヤナギ)
2005-11-29 03:51:50
へぇー。絵、うまいやん!なんか個性的な感じでおもしろいな。

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Unknown (杜松)
2005-12-01 18:54:25
マウスなので結構、時間かかっちゃってます(汗)
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