昨日の夜は、辛いのと先が見えないのとで、大泣きしてしまいました。
寝てるしかない吐き気、怠さ、この先これが続く不安。
加えて主治医がいつまで経っても「仕事に戻れます。」と言わないこと。
年内にちょっと戻って、プロジェクトの最後に参加しようと思っていたのも、この様子じゃ無理。
仕事先の会いたい人にも会えない。
私の基本的なスタンスとして「長く生きるより、よく生きること。」というのがあります。
父が「手術が終わったら旅行に行けますよ。」と言われて手術したのに、一度も歩くことなく、四ヵ月後に亡くなったこと。
手術しなければ、旅行に行けて、病院に縛りつけられることなく、良い人生を送れたのではないかと、今でも思います。
だから、私はいざ「最後」というときに、無治療を選択したいと思っています。私の中では、管につながれて、動けずに最期を迎えるというのは、絶対あってはならないことなのです。
動物の死に方の方が、幸せなのではないかと思うことがあります。
毎日ただ日々を送り、自然治癒力がなくなった時に、その生を終えるのです。
動物には安楽死が認められ、人間には認められない。時折、人生の最期を辛くしているのは、医療ではないかと思うのです。
藤岡さんにしても、透析を一日毎に行い、辛かったのではないかと思います。
何より家に帰って犬と過ごしたかったのではないかと。
治す為の医療は受けます。でも、延命の為の医療なんてごめんです。延命して仕事ができるとか、テニスに行けるとかならいいけど、病院から出られずに、ひたすらこの肉体にむちうつのに、意味なんて感じません。
今は治すことを考える。
良く分かるのですが、「希望」を与える医療でないと。
昨日、大食いの彼らを見ていて「自分が食べなくても彼らが食べてくれる」と頼もしくなりました。
寝てるしかない吐き気、怠さ、この先これが続く不安。
加えて主治医がいつまで経っても「仕事に戻れます。」と言わないこと。
年内にちょっと戻って、プロジェクトの最後に参加しようと思っていたのも、この様子じゃ無理。
仕事先の会いたい人にも会えない。
私の基本的なスタンスとして「長く生きるより、よく生きること。」というのがあります。
父が「手術が終わったら旅行に行けますよ。」と言われて手術したのに、一度も歩くことなく、四ヵ月後に亡くなったこと。
手術しなければ、旅行に行けて、病院に縛りつけられることなく、良い人生を送れたのではないかと、今でも思います。
だから、私はいざ「最後」というときに、無治療を選択したいと思っています。私の中では、管につながれて、動けずに最期を迎えるというのは、絶対あってはならないことなのです。
動物の死に方の方が、幸せなのではないかと思うことがあります。
毎日ただ日々を送り、自然治癒力がなくなった時に、その生を終えるのです。
動物には安楽死が認められ、人間には認められない。時折、人生の最期を辛くしているのは、医療ではないかと思うのです。
藤岡さんにしても、透析を一日毎に行い、辛かったのではないかと思います。
何より家に帰って犬と過ごしたかったのではないかと。
治す為の医療は受けます。でも、延命の為の医療なんてごめんです。延命して仕事ができるとか、テニスに行けるとかならいいけど、病院から出られずに、ひたすらこの肉体にむちうつのに、意味なんて感じません。
今は治すことを考える。
良く分かるのですが、「希望」を与える医療でないと。
昨日、大食いの彼らを見ていて「自分が食べなくても彼らが食べてくれる」と頼もしくなりました。
トポテシン(TmT)(TmT)(TmT)
思い出すだけで、元気が奪われそうです・・・
大腸癌で今年の2月から5月まではトポテシンの投与を受けてました、私には劇的に効いた薬だったのですが、あの副作用には辟易です(泣)吐き気に不安に・・・あの時の自分、今のねこたさんを抱きしめてあげたいです。副作用のおかげでと言うか、死んだらこれをやらなくても良いのか、と思ったら死ぬ事がちっとも怖くなくなってしまいました。(恐るべしトポテシン)
以前、特別養護老人ホームで働いていたので人間の自然な死には何度か立ち会っていましたし、祖母が末期癌になった時も自宅で見送ったので、死=静かで安らかなもの と言うイメージがあります。ですから私にとって病院で色んな機械に繋がれて最後の時を迎える事は恐怖です。祖母のように死の直前まで会話し、家族に手を握られ最後を迎えられたらと思うと、ちょっとわくわくしたりしてしまいます。自分の死について考えるのは、ちっとも暗いことではなくて前向きな事ですよね??(段々、世間と感覚がずれてきている自覚があるので、ちょっと不安)
本当に寝るしか逃げ道の無い副作用ですが、1日、1日少しずつ回復することを信じています。目が覚めるごとに良くなっていますように。遠くから祈る事しか出来ませんが、まずは吐き気よ去れ~
今、思うともの凄い事を考えていたと反省するばかりです
治療中は焦る事ばかり&主治医の言葉が信じられな苦なる時もあると思いますが、必ず寛解する時が来るのでゆっくり治療なさって下さいね
主治医の何気ない言葉、こっちが読みすぎなのかもしれないけど、気になりますよね。かなり慎重派の主治医みたいだし。
「4月には仕事に戻れる可能性ありますよね?」って聞けば、「ありますっ」って答えてくれないかな?聞きたい答えが返ってくるように、質問の仕方工夫してみるとか。副作用が抜けたら、作戦考えようっ!
私、死は今の肉体を脱いで旅立つ儀式のようなものだと思ってるんですよ。旅立ちなんだから前向きですよね。
静かに死にたいですよね。いつ来るか分からないけど、死に方ぐらい選びたい。よりよく生きることはよりよく死ぬことだと思います。
私も同じこと思ってます。
病院で知り合った人も、最後にほとんど効かない延命の為の抗がん剤…副作用の辛さはもう嫌だと拒否しました。
家族は嫌だというかもしれないけど、管をつながれて辛い思いして、全てをお世話してもらって長く生きるよりは、充実した時間を過ごして死にたいと思います。
目標がない治療って、辛いですもんね。
薬で動ける体が動けなくなるのはいやだー。((;>_<;)ビェェン)
臨死体験とか聞いてると、一様に気持ちいいっていうし。もちろん、死ぬまでは一生懸命生きます。
私が嫌なのは延命治療です。しかも意味のない病院に縛り付けられるもの。
毎日笑って過ごしたいです。