私は仕分けという言葉に異常反応します。その理由は私が小学校に入学したばかりで体験した疎開生活に起因していると考えます。
太平洋戦争末期の昭和19年B29による東京大空襲が激しくなり、毎日ラジオから敵機来襲のサイレンが鳴り響いていました。こんな状況でしたから世間の親たちは大切な我が子を守る為に、学校からの学童疎開やら、地方の友人や知人を頼り子供たちにより安全な地に避難させました。この際、親が行ったのは我が子の苦渋の仕分けでした。戦前の家族制度は男を中心に考えたものでしたから優先順位は男から、つまり長男を一番にこの世に残す作戦でした。以下の順位もほぼこの制度に順じて決められたのではないでしょうか。長男の私は祖母と埼玉県の高麗村(現JR八高線)へ疎開、姉は鳥取県の淀江の寺へ、末の弟は空襲で死ぬ時は母親と一緒と母の手元に残されました。当時の親は3人の子供をバラバラにすることで家族を守るという切羽詰った仕分けをしたのだと思います。親としては子供たちを残す為に命がけの仕分けを余儀なくされた時代だったのでしょう。
他にも国家による国民の仕分けが存在したと思います。それは大正・昭和の不況期に行われた、ブラジル・ハワイ等への海外移民です。輝かしい新天地がスローガンでしたが、船出した後に待ち受けていたのは大変な苦労の連続でした。こんな事から「仕分け」の言葉を口にする人には好感が持てないのです。 三橋 鴻