第一生命労働組合OB会ホームページ

*こちら、第一労組OB会事務局です!
…OB会の活動・意見・要望・地区便り・趣味等を紹介してまいります…

<アメリカンフットボールとの出会い>   OB会名誉顧問 安藤信和

2012年02月20日 | 日記

                                                       

 1934年(昭和9年)アメリカンフットボールが日本に紹介されて今年で78年になります。戦前は約11年位で、残り67年間が戦後ということのなりますが、数少ない戦前のOBの1人として当時の思い出を書いてみたいと思います。

 私がアメリカンフットボール部(戦前は米式蹴球部)に入部した動機ですが(昭和12年立教大学予科入学)、中学時代(府立六中)は体操部にいたので、立教大学にも当然体操部があると思っていました。ところが残念ながら体操部がなかったのです。当時立教大学は全校で1500名ほどの学生しかおらず、しかも六大学に所属している為、運動部は他の大学と同じ程度あるので、1年に入学すると各部が部員の獲得に大あらわな有様で、どの部にも入ってない学生がいると、上級生が入部の勧誘に来る。 ところがたまたまバレー部のキャプテンが私の中学の先輩とやらで当然入部を勧めにきました。キャプテンは学部の3年生で「どう君、バレー部に入らないか、私は君の中学の先輩だから面倒を見るよ」と言われましたが、バレー部に入る気はない、しかし、何かの部に入ってないと断ることが出来ないので、たまたま私の兄と中学で同級生であったという人がアメリカンフットボール部の上級生で、「うちの部に来ないか?」といわれましたが当時私はアメリカンフットボールなんて全く知りませんでしたので、どんなスポーツかを見に練習グランドに誘われました。なんだか解らないけれど大変勇ましいスポーツなので、バレー部に入るよりはましだと考えてその場でアメリカンフットボール部に入部しました。

ところが入部してみるとコーチしてくれる先輩は二世が多く、日本語より英語のほうが達者なのでなかなか理解できずに苦労したものです。また、試合となるとなにせ立教は部員数が少ないのでフル出場でひどい時にはゲーム中に捻挫してハーフタイムにバンテージで固定したのですが自分の靴が履けず、片足だけ一回り大きい他の部員の靴を借りて出場した事もあり、ゲームが終わってみたら足首は内出血で紫色にはれていた次第でした。また、当時の防具は大変にお粗末で皮の下にフエルトが張ってあるのですが汗がびっしょり、乾くまもなく翌日練習でまた汗が付く、そんなことの繰り返しでショルダーもヒップも臭いことこの上なかった。現在の防具は素晴らしく、特にスパイクは立派になったと思います。当時我々はスパイクには大変泣かされたものです。クリーツは皮を積み重ねて靴の底に釘で打ちつけただけなので、ゲームの途中で取れてしまって大変困ることがしばしばありました。

 その後、私は軍隊に招集され軍役3年、そして、シベリアに抑留されて4年間を過ごし昭和24年に帰国いたしました。その厳しい抑留生活の間、フットボールをやって身体を鍛えていたお陰で病気もせず元気でこられたと思い、フットボールに感謝、昭和29年より審判部に入り頑張ってきました。今後も益々発展してゆくアメリカンフットボールのために生ある限り微力を尽くして行きたいと思います。                         安藤信和

※事務局より: 安藤氏は平成16年アメリカンフットボール功労者として「日本アメリカンフットボール協会殿堂入り」をされています。

                                             

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酒(日本酒)の美味しい季節になりました

2011年11月05日 | 日記

いよいよ秋も深まり山々の紅葉も色鮮やかになりました。この季節になると酒飲み(酒好き)の私たちには特に応えられません。この季節はやはり日本酒です。そして海の幸山の幸など、酒の肴も特に美味しくなります。青梅沿線の酒蔵を歩きますと軒先に真新しい緑の杉玉が下がり、新酒ができたことを知らせてくれます。店先には芳醇な冷やおろし、しぼりたて・・・等々の地酒が並び試飲のつもりが豆腐を肴に本飲みになります。これからは秋祭りや秋の同窓会、街中の店では忘年会予約の幟が目につき、ますます酒の出番となります。そしてお正月がきます。ヤボな説教ではありませんがお互いに飲みすぎに注意!(自分に言い聞かせています)。いつもの元気で楽しく飲みたいものです。そこで、ある書物で次の記事を見つけましたのでご紹介します。 

*仮名手本忠臣蔵 ・ 大星由良之介の「酒飲み五戒」より  ①喧嘩口論の事 ②下に置くべからず ③おさえ申間敷事、但し相手によるべし ④したむべからず ⑤すけ申間敷事、但し女中にくるしからず とあります。私なりに要約してみました。  ①酒を飲んで喧嘩口論してはならぬ ②盃を下に置いたままにしてはならぬ ③他人に無理強いしてはならぬ、但し酒飲み(酒好き)相手であればその限りdrはない ④酒をこぼしてはならぬ ⑤他人の分まで飲むような意地汚い飲み方をしてはならぬ、但し酒の飲めない女性の代わりに飲むのはよろしい   お互いにこの戒めを肝に銘じ、お酒は楽しく飲みましょう。                         嶺川 武志 

                         

 

 

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「仕分けの響き」

2011年10月21日 | 日記

私は仕分けという言葉に異常反応します。その理由は私が小学校に入学したばかりで体験した疎開生活に起因していると考えます。

 太平洋戦争末期の昭和19年B29による東京大空襲が激しくなり、毎日ラジオから敵機来襲のサイレンが鳴り響いていました。こんな状況でしたから世間の親たちは大切な我が子を守る為に、学校からの学童疎開やら、地方の友人や知人を頼り子供たちにより安全な地に避難させました。この際、親が行ったのは我が子の苦渋の仕分けでした。戦前の家族制度は男を中心に考えたものでしたから優先順位は男から、つまり長男を一番にこの世に残す作戦でした。以下の順位もほぼこの制度に順じて決められたのではないでしょうか。長男の私は祖母と埼玉県の高麗村(現JR八高線)へ疎開、姉は鳥取県の淀江の寺へ、末の弟は空襲で死ぬ時は母親と一緒と母の手元に残されました。当時の親は3人の子供をバラバラにすることで家族を守るという切羽詰った仕分けをしたのだと思います。親としては子供たちを残す為に命がけの仕分けを余儀なくされた時代だったのでしょう。

他にも国家による国民の仕分けが存在したと思います。それは大正・昭和の不況期に行われた、ブラジル・ハワイ等への海外移民です。輝かしい新天地がスローガンでしたが、船出した後に待ち受けていたのは大変な苦労の連続でした。こんな事から「仕分け」の言葉を口にする人には好感が持てないのです。                 三橋 鴻

 

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柊のつぶやき

2011年04月07日 | 日記
    省庁機能の分散化

 未曾有の大災害が国民生活に暗い影を投げかけている。
電力の供給基盤が想定外の大きな被害を受けたのだ。首都圏の電力不足が特に夏場を迎えるに当たり、電力使用制限令などの適用などを視野に入れながら問題化しているが、関係筋は良い知恵を出して、この困難な局面を打開してもらいたいものである。
たとえば、政府の機能を分散化させることで、電力消費のバランスを少しでも良い方向へ導くとかの。
 1990年、衆参両院は国会決議として新首都建設の構想を採択した。
 東京一極集中の弊害を打破し、地方都市の活性化を図ろうというのがその狙いであったが、いつの間にかその機運は衰退し、首相官邸、外務省庁舎は建て替えられ、議員会館や議員宿舎までが新築されてしまった。
 お隣の韓国ではソウルからテジョンへ政府の一部機能を移して久しいが、問題が生じたとは聞いていない。
 政治家たちの二枚舌というのか、無節操というのか、彼らを選んできた国民が鈍感なのか、国会等移転調査会がうち出してきた答申を含めこの問題は引き出しの奥にしまいこまれたまま埃りをかぶっている。国土交通省に設けられていた「首都機能移転企画課」はこの夏から廃止となる動きのようだ。
 自然災害からのリスク分散、特に東京の過密状態解消、首都圏の減量化、地方都市の活性化などを旗印に超党派的な賛成多数で決議された案件が簡単に葬り去られようとしているのだ。
 いま、このような流れの中で当初計画の完全実施が困難なことは百も承知であるが、視点を変えて、政府の一部の機能を地方へ移すことで、電力不足に少しでも、役立つような構想がもてないかといいたいのである。
 さらに、東北地方の復興にはこれからも、長い時間と忍耐が求められるが、政府機関の移転先を東北地方に定めることで、雇用の促進をはじめとして復興の先駆け的な役割が果たせるのではなかろうか。
 役所が動けば、当然人が動く。人が動けば、流れが変わる。
 文部科学省や厚生労働省や環境省や農水省がどうしても東京にいなくてはならないという理由があるのだろうか。とりあえずの仮住まいを前提とすれば、三ヶ月もあれば、引越しなどは簡単に出来よう。
 盛夏の七~八月を迎える前に早急な決断をすれば、少しは焦眉の急から逃れられるように思うのであるが。
 石原現東京都知事は国会議員時代、首都の移転に賛成していたが、知事に変身すると理念も変身したようで、首都移転には強硬な反対派の一人として論陣を張っていたのが極めて印象深い。さて、首都圏の否日本の危機に対して、政府機能の一部を地方へ分散する構想についてはどうお考えでしょうかね。 
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柊のつぶやき

2011年04月05日 | 日記
未曾有と想定外

未曾有だとか想定外の大災害とか、このところ「未曾有」と「想定外」などの表現が決まり文句のように用いられている。
しかし、これまでに日本を襲った巨大津波の波跡を振り返れば、1703年の元禄大地震は20メートル、石垣島に歴然と爪痕が刻まれている1771年に起きた八重山大地震では18メートル、1854年に南紀和歌山を中心に起きた安政南海地震では15メートルなどと、過去、日本列島には数々の大津波の被害が残されているのだ。
多くの有識者やマスメディアはこのたびの東日本大地震を想定外の自然災害と位置づけようとしているが果たしてそのような割り切り方が許されるものなのか。
失われた多くの尊い人命、営々と築きあげられてきた産業や生活の基盤が一瞬の内に失われ、被災された人々は塗炭の苦しみと絶望に追いやられてしまったが、加えて、原子力発電所の事故がその苦しみに追い討ちをかけるような事態が惹起した。
40年以上も前に建設された東京電力の福島原子力第一発電所が津波の影響でそれこそ未曾有の事故として取り上げられ、筆舌にはたとえようにないほど国民生活に多大な影響を及ぼし始めているが、さらに近隣諸国への影響が懸念されている。
この事故を想定外とするにはあまりにも、無責任であろう。
津波対策はもとより、根本的な老朽化対策の不手際が招いたまさに人災なのである。
原子力政策に対して、真摯な取り組みをしてこなかった政府当局、電力会社の怠慢が招いたまさに人災なのである。
このような環境下にありながら自衛隊、警察、消防、ボランテイア、外国の特にアメリカの海兵隊、などの献身的な救援活動のあれこれが、あるいは実業界、スポーツ界、芸能界などの著名人たちの多岐にわたるかってない支援活動のあれこれがマスメディアを通じて私たちに届けられ、気持ちだけの義捐金を送らせていただいき、貧者の一灯をともすのが精一杯の私の気持ちを豊にしてくれるのであるが、なぜか眼に見えてこないのが政治家たちの動きである。
原子力利用についての展望の甘さに気づかなかった政治判断の責任からも、この際、政党助成金を返上して、復興支援資金に繰り入れるとか、国会議員を半減したり、地方議員の大幅削減で、浮いたその歳費を復興支援の資金に繰り入れることで、政治家としての貢献を世に問えば、その存在感が少しは浮き彫りになってくるように思えるのであるが。
ちなみに、国民一人当たり、250円の政党助成金は年間320億円、削減した国会議員や地方議員の歳費を合わせれば、年間数百億円単位の基金が生まれ、有効に被災地や被災された人たちのために活用されると思うのであるが。国会議員や地方議会の議員が減っても不便を感じる人はあまりいないはずである。

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東北関東大地震に関する会員情報

2011年03月16日 | 日記
第一労組OB会員の皆様
東北関東大地震に於ける第一労組OB会員の被害状況が心配されましたが、本日3月16日現在、会員の中で津波による被害や安否不明などの被災状況はありません。
万一のことを心配いたしましたが、皆様無事であるとのことで安心致しました。
しかし、周辺地区の被災状況は報道で見るとおり深刻さを増すばかりです。被災された多くの人々の安全と安心が1日でも早く訪れるようにお祈り申し上げます。
                  第一生命労働組合OB会 事務局
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東北関東大地震について

2011年03月14日 | 日記
この度の「東北関東大地震」の被害状況はメディアで報道されている通り、東北地方を中心に各地で悲惨な状況が続いております。
報道画面を見るにつけ大地震による大津波の被害は想像を絶するもので、まさに地獄絵図を見るようで見ているだけで身体が震える様な恐怖を感じます。
ましてや未曾有の被害にあわれた被災者の皆様は、いかばかりの思い出あるか考えると言葉もありません。
東北地方には私達第一労組の仲間もたくさん居られます。1人でも多くの仲間の皆さんが無事であってほしいと願わずには居られません。

本震災により被災された皆様の安全をお祈りするとともに、安否不明の方々の早期発見救出、また、負傷された方々の回復を衷心より願っております。

                     第一生命労働組合OB会 役員一同
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OB会事務局からのお知らせです!

2011年02月03日 | 日記
会員の皆様  お元気ですか!

立春を迎え、厳しかった寒さも少し和らぎ日中は春の日差しを感じる様になりました。私邸のベランダから見える梅はもう8分ほど咲いています。いよいよ春も間近です。
OB会員の皆様は風邪など召しては居られませんでしょうか?
インフルエンザ等まだまだ流行しているようですね、お身体は十分にご自愛下さい。

 OB会もこれから1年で一番忙しい時期を迎えます。春の息吹とともにOB会も活動を始めます。3月には「春の日帰りバス旅行」を実施いたします。現在参加者を募集中ですが、日帰りバス旅行の関係上、関東地区、東海地区、東北南部地区を中心にご案内を致しております。
もちろんその他の地区の会員さんも参加いただけます。
     
     参加希望者は事務局長大槻までご連絡下さい 
        TEL:090-7716-4599
           03-3372-7559 まで

            <ご案内>
 
「まるごと横浜」異国情緒あふれる港町横浜へ、横浜はグルメの地でもあります昼食は中華街の老舗「重慶飯店別館」で、みなとみらい地区の散策、横浜港クルージングと盛りだくさんです。

      日  時:平成23年3月8日(火) 

     集合場所:東京駅八重洲口 鍛冶橋駐車場 9時20分集合
     解散場所:東京駅丸の内南口       18時00分解散予定

     会  費:1人 9,000円(バス代・昼食代・乗船代を含む)
         (但し、バスの為、参加定員40名とします)先着順
          会費は電信振込みでお願い致します。
          振込先口座などは上記にご連絡下さい。

     申込締切:平成23年2月21日(月)
    

尚、第一労組OB会「創立30周年記念総会」のご案内は2月10日に発送予定です。
  

     

     
   
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ごあいさつ。

2011年01月11日 | 日記
みなさま。


おはようございます。

前に、横浜支社に在籍しておりました、磯野一得と申します。

今年から、また、お仲間に入れて頂きたく、宜しくお願いいたします。

5月の総会には、参加予定ですので、再会を楽しみにしています。

現在は、ライフワークとして、体操と整体のやり方を経費のみの、価格で、ご案内しております。

関節等に不快症状のあるかたは、機能低下のレベルであれば、

もとの状態に、かいふくすることが、可能です。

再会の節に、お尋ねくだされば、ご案内申しあげます。


2011-01-11。 磯野 一得。
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柊のつぶやき

2011年01月04日 | 日記
ニューギニア・インパチェンス

野菜作りには少し情熱?を傾けていたが、引越しをしたため畑仕事の真似事も諦めざるを得ず、仕方がないといえばそうなのであるが、最近は鉢物の草花で退屈を紛らわすことを覚えた。
ふとした思いつきで手に入れた植木鉢がもらい物も含めていつの間にか十指を優に超えている。
サンセベリア、紫紺野ボタン、シンビジュウム、ベンジャミナ、ハートかずら、アラビアン・コーヒー、インパチェンス、プルメリア、モンステラ、カトレア、パキラ、アンスリューム、ソングオブインディアン、源平かずら、デンドロビューム、シンビジュウム、薔薇、胡蝶欄、シクラメン、ポインセチアなどなどであるが、神戸の妹から貰った冬場でも葉の落ちない沖縄の朝顔やベランダにおいた柊などの植木鉢を加えると相当な種類に及ぶのである。
そんなことで、これらの一貫性のない寄せ集めの草花が広くもない居間のアチコチを占拠し、さながら、にわかごしらえのミニ植物園のような雰囲気を醸し出してくれるのである。
草花の専門誌によればインパチェンスには四季咲きのアフリカ系とニューギニア系の二種類があるそうで、わけも分からず、すでに花の盛りを過ぎたニューギニア・インパチェンスを一鉢百円玉三個で手に入れていたのであるが、水のやり方がまずかったのか、害虫の影響なのか様子がおかしく元気がなくなったため、駄目になったかと玄関脇の外へ出しておいた。
ところが、家内がどうもつぼみの様な感じがするふくらみがあるというので、リビングへ連れ戻すと、やがて茎の先の小さな塊が膨らみ始め12月の半ば過ぎになって深紅の花びらを開いてくれたのである。
花びらはそんなに大きくもないのであるが深紅色の鮮やかな色合いには目を奪われそうで大変満足している。
つぼみから花びらが開くのに相当時間がかかり、ほころび始めてから三日以上もかかってやっと5弁の花びらがすべて揃うのである。元日には三つ目の花がほころび、私の満足度はご満悦の度合いをますます高めてくれるのである。何しろ時期はずれのニューギニア・インパチェンスの花が新年に楽しめたのであるから。
時期はずれといえば盛りを過ぎた紫紺野ボタンが12月の中ばごろまで、紫色のあでやかな彩を楽しませてくれたが、インパチェンスや野ボタンは水を欠かすことの出来ない種類で、油断が禁物。
年寄りの横着さには欄のたぐいやパキラやサンセベリアのような観葉植物で水遣りの頻度が少ないほうが楽チンなのであるが、旅行の計画がほとんど立てられない状況にもあり、当分はこのような環境を楽しもうと考えている。
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