先日の植物園散歩で見かけたリス、木の上のその可愛い姿を見ながら浮かんだのは童謡「揺籃のうた」で、詩の二番目「揺籃のつなを 木ネズミが揺するよ~」からの連想です。
北原白秋の詩に草川信が曲を付けたものが有名で、日本の歌百選にも選ばれており、またこの詩に中山晋平が書いた別の曲もあるそうです。素敵な詩ですからね。
愛されて多くの人が歌っていますが、これは児童合唱団の素直な歌声が一番かな?大人が歌うと邪心が混ざって聞こえるので(ただの私の偏見)。
なので歌の無い楽器での演奏も好き、演奏に合わせ心の中で詩を口ずさむのが好きで…って、邪心まみれの俗物のお前が言うか!というのは置いておいて。
私が好きなのは昔ラジオから流れてきたチェット・アトキンのギター演奏。数年前にこの曲が入った「日本の詩(うた)」が再発売されたのは嬉しいです。※本来は「揺籃のうた」が正しいようですが、このアルバムでは「ゆりかごの唄」と表記されているので、ブログタイトルはそれに添って標記しました。
チェット・アトキンスのギターと言うと、馬の歩行になぞらえてギャロッピング・ギターと呼ばれますが、低音弦をミュートさせサム・ピックで弾むようなリズムを出し、高音弦は指でメロディやコードを弾くという独特の奏法。
それがこの曲にぴったりと合っていて、とても赤ちゃんに優しい演奏というイメージで。
このアルバムのライナーで彼は「1965年、私はスキーター・デイヴィス、ザ・ブラウンズ、ハンク・ロックリンと共に日本を旅行し楽しい時を過ごした」とあります。「ポップ&カントリー・フェスティバル」の時ですね?
NHKテレビの歌番組にも出演し、その時スキーター・ディヴィスの「この世の果てまで」を初めて聴き、感動したのは65年の事だったか、と記憶が甦りましたが。
ライナーの続きに「残念だったのは日本の伝統的なメロディを勉強する時間が無かった事だが、RCA関係者のお陰でこれらの曲を研究し、録音することが出来ました」とあるので、これはアメリカに帰ってからの録音と言う事ですね。
今はどうかわかりませんが、ながらく日本の音楽市場規模はアメリカに次いで世界2位なので、当時は海外のミュージシャンが日本のマーケットに向け、日本の曲を演奏したり日本語の歌詞でレコードを出したりという事は結構あり、その流れの録音でしょうね。
それが今や80年代シティポップスを求めようと外国から人が訪れ、中古レコード店巡りをしているなんて話もあり、ネットの拡がりに支えられてか?時代は変わりましたが。
歌詞には揺籃の上でビワの実が揺れるよ、などの歌詞が出てきますが、日本でも木に吊るすタイプの籃籠があったのかは知りませんが、親はもとより周りのリスなどが見守っている、空想の世界とは言え、愛情にあふれた情景が浮かんで来ます。
私は農作業をする母親の側で、祖父が作ってくれた嬰児籠(エジコ)で育てられました。 北海道では訛って「いずこ」とか、「ゆずこ」とか呼んでいましたが、床に置くタイプです。母にとって初めての子供、祖父にとっても初孫。きっと大事にされたのでは無いかと…。
あまり関心のなかった唱歌とか抒情歌など、故郷や亡き父母の事につながる歌にふれ、そんな事を思い出す時間。歳を重ねたノスタルジーと言うべきか、歳相応に落ち着いてきた自分の時間と言うべきなのか…
この曲、以前はチェット・アトキンス自身の演奏が聞けたのですが、今は削除されていて残念。その代わり海外の若者のカバー演奏が見つかり、素敵な演奏でしたの紹介しておきます。よくぞこの曲を見つけ出してとこの若者に感謝、そして将来に幸多かれと。
Chet Atkins ''Yurikago no uta'' Cover https://www.youtube.com/watch?v=ZrNjZO68XXI
※2022年6月の旧ブログ【聞きたい365日307話】に加筆・再掲載しました。