同じものを見ていても、見る位置、角度が違うと同じものでもまるで違うものにみえる
という話しを前回しました
このことは、言われればわかるのですが、実際にはわかっていない人がほとんどで
そのため、あらゆるところで議論が発生しているとも述べました
今回は、見る位置、角度が同じところから同じものを見ても微妙に違うものに見える場合の
話をしたいと思います
今、あなたはある旅館に宿泊していると想像してください
その旅館の部屋からは富士山がよく見えます
あなたは旅行から帰って会社の同僚に
いかに旅館の部屋から見た景色がきれいだったかを話しています
あなた 「この前、ある旅館に泊まったんだけどそこから見た富士山すごくきれいだったよ」
同僚 「どこに、泊まったんですか」
あなた 「○○旅館だよ」
同僚 「えっ、そこなら、自分も泊まったことありますよ、何号室に泊まったんですか?」
あなた 「301号室だよ」
同僚 「えー、奇遇だなー 自分も301号室です」
こんな感じで会話が進むのですが、話していく間に富士山のきれいさを語るところで
微妙に意見が食い違います
そして、お互いが、感じ方が違うなー、おかしい人だなーと思うのでした
さて、同じ旅館の同じ部屋から富士山を見たのに
なぜ二人の感じ方は微妙に食い違ったのでしょうか
その答えは、宿泊した日が違ったからです
あなた「ところで、君 君が泊まったのはいつ?」
同僚 「5月5日ですが」
あなた「あー それでわかった、僕は11月3日だよ」
同僚 「なんだ、そうなんですか」
と二人は意見の食い違いは宿泊した日が違うことにによって生じたものだと理解して
意見の食い違いに納得するのでした
今、景色の見え方を例にあげて説明したので簡単なことに思えるかもしれませんが
これが、いざ人生の諸問題や社会現象になると途端にわからなくなります
さらにいえば、場所と日が同じであっても、意見が食い違うこともあります
それは時間が違うときです
あなたが昼間みた富士山の話をしているのに、同僚は夕方見た富士山の話をしていれば
当然二人の話は微妙に食い違ってきます
さて、さらに話を進めましょう
3わる2は? という算数の質問に対して
A君は
「わりきれない」 と 答えました
自身満々です、今日学校で習ったばっかりだからです
それに対してB君が
「1あまり1だよ」と 自信たっぷりに言います
B君も最近学校で習ったばっかリです
これをきいたA君は
3わる2はわりきれないのに 1あまり1だ なんて B君は変なことをいう奴だな
ちゃんと勉強した方がいいんじゃないかな と 内心思います
この2人の会話を聞いていたC君がいいます
「3わる2はね 1.5 だよ」
A君は思いました
「いってんご? なにそれ? てん って何! わけのわからないことをいう奴だなー」
B君も思います
「何バカなこと言てんだー! てん って 10のことだろう
今は算数の話をしているんだからさー 英語なんか持ち出すなよー」
このように思います
そして2人してC君のことを笑います、愚かな奴だと思います
これは子供の世界のたとえ話です
今度は大人の例で話をしましょう
鈴木さん 「地球の形って紙に書けば結局は円ですよね」
それをきいて佐藤さんが言います
佐藤さん 「鈴木君、 君ー 、大学でてて、そんなこと言ってんのかー
地球は自転しているからさー 遠心力が働くので正確には楕円形なんだよ
君、しっかりしろよー」
これを聞いて梅村さんが自信満々で笑いながら言います
梅村さん 「2人ともたいしたことありませんねー
いいですか、地球にはヒマラヤ山脈や日本海溝があるんですよ
だから、正式には地球の形は円や楕円形ではなくてぎざぎざしてるんですよ
全く、二人とも認識力低いですねー」
と 誇らしげに言います
それを聞いた鈴木さんは思いました
「遠心力によるゆがみやヒマラヤ山脈や日本海溝によるぎざぎざは
紙に書けば鉛筆の黒い線の中におさまるので
地球の形は見た目は円なるんだけどね」
でも、このことを指摘して先輩二人に恥をかかせてもしょうがないと思って
鈴木さんは指摘しませんでした
その結果、鈴木さんは二人には認識力低い愚か者と判断されてしまうのですが
実際は鈴木さんが3人の中では一番認識力が高いということはいうまでもありません
今2つの例を挙げて認識力の高さによって意見は異なるという話をしました
日常生活で自分がA君やB君、あるいは佐藤さんや梅村さんになっていないか
たまには振り返ってみるのは重要なことでしょう