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性善説と性悪説の優劣

2007-11-16 21:19:00 | 人間の本質

あなたは性善説と性悪説のどちらに組しますかと言われた場合

どう判断するのでしょうか

私が見るところ、性悪説に組した方が頭がいいとか

世の中がわかっているという考え方の人が多いようです

                                                      

反対に、性善説を採用する人は基本的に自分自身がいわゆる「いい人」または

他人に騙されたり、いやなことをされたことがない人で、苦労を知らない人

そう考えている人もいるでしょう

                                                      

あるいは、性善説と性悪説の二分するのは間違いである

人間は条件によって、善になったり悪になったりするもので

一概に性善、性悪に分けること自体、本当は間違いであると

密かに、あるいは公に考えているかもしれません

                                                      

あるいは、人間は善なる部分も悪なる部分も混在して持っているのであって

それを、一刀両断に性善説、性悪説とするのは愚かな話だと考えているかも

知れません

                                                      

あとの2つの意見を主張する人は、自分ではかなり認識力は高いと思っている

ことでしょう

そして実際に、それ相応の地位につき、あるいは本を出版している人さえ

いるかもしれません

                                                      

私はこの問題について、今、解答を示したいと思います

あなたが同意するか、理解するかはわかりません

しかし、私としては、後にこのサイトを訪れる人々に

正しいことを述べておく必要性を感じています

あなたが、「それは、お前のひとりよがりである」と憤慨するかもしれないと

認識しつつです

                                                      

先にも述べましたが人間とは人間が創造主とよぶエネルギー体から

分離に分離を続けて、もとの大きさを全く想像できないほどに

小さくなったエネルギー体が肉体に入っているものです

この分離に分離を続けた小さなエネルギー体を人間は魂あるいは霊とよんでいます

                                                      

したがって、人間の本質は創造主そのものですから

善に決まっています

                                                                                                                      

しかし、このエネルギー体は肉体の中に入っていますので

肉体を維持するために肉体的本能をまとっています

肉体を再生産するために性欲という本能は

すべての人が持っています

                                                                                                                      

また、肉体を維持するために食欲という本能もあります

さらに、人間が進歩するようにと

創造主は人間に自己顕示欲も持たせました

この欲があるゆえに人間は自己実現を目指して

努力するといってよいでしょう

                                                      

しかしこれらの本能はいうまでもなく

簡単に悪に染まるものです

性欲をコントロールできなくて罪を犯す人はいくらでもいます

死ぬほど空腹の時、他人の畑から野菜を盗むということは

戦後まもない日本では普通にありました

                                                      

また、善良にして聖職についている人であっても

自分の家族、特に幼い子供や老親が空腹で苦しんでいる時

図らずも、盗みを行なうことは過去いくらでもあったことでしょう

                                                      

さらに、私たちはわが身を守るために

戦場で敵に出くわしたならば、迷うことなく

何の恨みもない相手に向けて発砲します

また、国のためということで、

下に、罪のない多くの人々がいることがわかっていても

爆弾を投下してきました

                                                      

これらの事実をもって、

どんなにきれい事をいっても、所詮、人間は悪なのであると

自信と確信を持って主張する人は多くいるでしょう

そして、実際その通りでしょう

人間が、善にみえるのは、理性が自分の悪の本性を隠しているだけであって

とにかく、結局は人間は「悪」であるというわけです

                                                      

私は上記のことを肯定しつつも真実を述べたいと思います

                                                      

人間は性悪説をとる人がいうように

その内面のかなりの部分を事実上悪にみえる本能が占めています

しかし、その悪の部分を理性という薄い膜が被っており

日常は善人者として生活しています

だから、人間は本当は悪と言いたい気持ちは理解しますが

その本能の奥(中心)に完全に善なるものが存在することを忘れてはなりません

                                                      

ゆえに、人間は理性があるので一見、善

しかし、本能があるので、ほとんど悪

しかし、人間の中心(本質)は完全に善

このように、認識するのが正しいのです

                                                      

そして、性善説と性悪説を比較すれば

性善説の方が「悟り」としては高いが

実際に、政治に応用する時は

性悪説をとった方がよい、というよりも

性善説をとってはいけないと認識すべきなのです

                                                      

あなたがこのことを理解し、肯定することを望みながら

今回はここまでとしておきましょう


人間の本質

2007-11-10 11:32:00 | 人間の本質

前回は人類の起源は猿ではなく、他の惑星からの移住が主なものである

と、述べました

ただし、これは肉体に関していえることであって

私はさらに付け加えたいと思っています

それが、今回のテーマ、人間の本質です

                                                          

人間の本質というテーマは哲学の重要な課題であり

過去多くの哲学者が考え、今も多くの人が研究していることでしょう

その意味において、人間の本質ということで答えをいうならば

その人がどの程度の「悟り」をもっているか

見る人が見ればわかることでもあります

また、人間の本質というテーマには

いろいろな表現の仕方があり、答えは1つでもないでしょう

そのことをふまえながら、

私は、あなたに、人間の本質は

                                                                      思考するエネルギー体が肉体の中に入っているものである                                   

                                                      

と伝えたいと思います

このエネルギー体のことを、

精神世界や宗教では、霊または魂 と呼んでいます                                                   

そしてこのエネルギー体の起源について述べるならば

                                                      

肉体に入っているエネルギー体は、

                                                      

自分より大きなエネルギー体から分離したものであるといえます

                                                      

このことを正しい宗教は

人間は神の子 とか 人類はみな兄弟 

日本神道でも 民は神の氏子 である

と、教えています

この内容を現代人に納得しやすいように言えば

肉体に入っているエネルギー体は、

                                                      

自分より大きなエネルギー体から分離したもの となります

                                                      

では、自分より大きなエネルギー体の起源は何でしょうか

それを神と呼ぶのでしょうか

昔の正しい宗教は、そのように人々に教えてきましたが

これは、正確にすべてを語っているわけではありません

                                                      

実は

自分より大きなエネルギー体も 

自分よりさらに大きなエネルギー体から分離したものであり

自分よりさらに大きなエネルギー体も

自分よりもっと大きなエネルギー体から分離したものである のです

そして、これがどこまで続くのか、

人間にはとうてい認識できませんし認識する必要もないでしょう

私たちが神と考える存在にも

神がいて

その神にも

また神がいる

神から見た神を私たちは創造主とよびますが、

その創造主からみてもまた創造主以上の神がまた存在する

そのように考えればよいと思います

                                                      

つまり、人間の本質は

わかりやすいように例えていうならば

太陽ぐらいの大きさのあるエネルギー体が

地球ほどの大きさのエネルギー体を分離し

その地球ほどの大きさのあるエネルギー体が

ユーラシア大陸ほどの大きさのあるエネルギー体を分離し

そのユーラシア大陸ほどのエネルギー体が

日本ほどの大きさのエネルギー体を分離し

その日本ほどの大きさの大きさのエネルギー体が

どこかの島ほどのエネルギー体を分離し

その島ほどのエネルギー体が

石ころひとつほどのエネルギー体を分離し

その石ころひとつほどの大きさのエネルギー体が

砂粒ひとつほどのエネルギー体を分離した

それくらいのエネルギー体が肉体に入っているもの

それが人間である

                                                      

それゆえに想像もできないのは当然とは思いますが

私たちが神とよぶものと私たちの本質は同じものであって

本当は神と同じ性質、そして小さいながらも同じ力をもつものである

ということを今日伝えたいと思います

                                                      

しかし、悪人や戦争が常に存在する現状をみて

「人間が神と本質的に同じ」ということは絶対に容認も理解もしない

という人は多くいるでしょう

その気持ちや思考は理解できます

ゆえに、この件についてこれ以上の深入りは避けましょう

今回私の述べたことを記憶し、できれば、理解してほしい

そう思いながら、今回はここまでとします