今日は宗教の実態について述べたいと思います
まず既存の大宗教ですが、成立から相当の年月が経過しているので
時代とあわなくなってきています
きれいな言い方をすればこうなりますが、
率直にいうと、既存の宗教で救われる人は少なくなったということで
仏教にせよ、キリスト教にせよ、日本神道にせよ、もはや冠婚葬祭のためにある
と、言い切る日本人は多いことでしょう
私はこのことについては、その通りだと認めたいと思います
仏教やキリスト教や日本神道のトップに立っている人や幹部たちに霊能力がある人は
ほとんどいません
これは、いたしかたのないことかもしれませんが
そういう人たちが人格者であるというよりは政治家に近いということを私は残念に思います
例外は当然ありますが
既存宗教のトップや幹部は出世競争に勝ち残った人々です
出世競争に勝ち残る過程で、権力闘争や金にまつわるダーティーな部分に
関係することは避けられないことです
さらに、権力を握ったならばその権力を維持するためにそれなりの悪行もしています
また、権力を使ってそれなりの悪行もしています
つまり、神仏からみると、もはや人格者とはいえない、むしろ宗教を汚すものである
という人が、少なからずいるということです
これは、時間の経過とともに腐敗と堕落が進むということが
宗教にもあてはまっているということに他なりません
また、既存大宗教の中堅や末端の人たちはどうかというと
志をもって宗教に入ってくる人もいるでしょうが
多くは世襲により、なんとなく、あるいはそれが運命だからとあきらめて、あるいは納得して
宗教の世界に入ってくる人がほとんどです
このことが宗教人の凡人化を決定的にしています
私からみて、
お寺の住職や教会の神父や神社の神主が普通の人より特に悟っているとは思えません
自分の属する宗派の教義には多少精通してますし、儀式のやり方も知っていますが
それらは、残念ながら、短期間学習して暗記したものです
ゆえに、人々に敬われるような言葉を発することができません
せいぜい、常識的なこと、道徳的なことを言うにすぎません
これでは、人々が既存大宗教から離れるのは無理のないことでしょう
私がこのことを確信したのはある日本神道系の学生寮に入寮したときです
それまで私は、その寮は教会の師弟が入る学生寮なのだから
立派な人たちがたくさんいるだろうと思っていたのですが
実際は、平均以下の人たちばかりで驚いたことがあります
「えー、こんな人たちが、短期間学習しただけで教会長になるの~
人々に教えを説くなんて無理だろう~
この程度の人たちを先生として尊敬し、お布施を払うのはばかばかしいなー」
と心から思ったことがあります
また、少しはましだなーと思う人がいても、
「俺次男坊だから、サラリーマンになるよ」
といっていました
私は宗教家の家族といえども普通の家族と少しも変わらないのだなーということを
悟ったのがその寮に入寮して得たことでした
以来、世間で立派であると思われている宗教家がどんなに立派な偉そうなことを言っても
私はさめた目でみるようになります
「あなたの私生活はどうなんですか~
すぐかっとなることはありませんか~
あなた、謙虚ですか~
まわりの人にいばりちらしてませんか~
まさか、愛人、囲っていないでしょうね~」
と思いながら聞いているのです
そして、実態は私が思っている通りであるということを認識しながら・・・
今回は既存大宗教の実態についてのべました
念のために言っておきますが、人格者がゼロだと言っているわけではありません
そこのところをはやとちりして、怒ったとしたら
それは今日の私の話を自分で証明したことになります
なぜなら、人格者はこの程度のことでは怒らないからです
次回は新興宗教の実態について述べたいと思います