goo blog サービス終了のお知らせ 

gooブログはじめました!

写真付きで日記や趣味を書くならgooブログ

宗教の実態 3

2008-10-11 10:34:00 | 宗教の是非

本来の宗教は肉体の中に入った霊即ち人間が、もといた世界のことを

忘れてしまったり、否定したりしないように

神仏が自分の代理人を遣わして、人間に教えをといたものです

                                                        

その代理人が釈尊であり、キリストでありマホメットだったりします

それぞれの宗教の信者はそれぞれの教祖を最高神だと思っていますが

それは違います

                                                        

釈尊やキリストやマホメットからみて、神と思われる存在がいます

その存在はもはや人間の形として認識することはできませんが

しかし、意思や考えがあることは間違いありません

とはいえ、私たち人間がもはや形態の概念をこえた神を信仰するのは

抽象的すぎて現実的ではないでしょう

                                                        

かなり悟りが高い人が言う言葉に

「自分は神は信じているが特定の神は信じない、その特定の神の上の神を信仰している」

というものがあります

                                                        

これは真実をついているようですが

反面、自分の優秀性を暗に示していますし

神から見た神を人間が信仰するなど、身分不相応というか立場をわきまえない言葉です

                                                        

釈尊やキリストでさえ、私たちからみれば、遠く足元にも及ばない神仏なのです

彼らが信仰していた神を自分も信じるということは

自分を釈尊やキリストと同列においているということに気づくべきでしょう

                                                        

仏教やキリスト教は誕生から2000年以上も経過し

科学の進歩した現在ではあまり影響力を持たなくなってしまいましたが                                                       

そこを悪魔たちはうまく利用して邪教をたくさん作ってきました

そして、過去世間を騒がせましたし将来も騒がせるでしょう

                                                        

今回は前回に続き、宗教の注意点を

主に将来出会うであろう言葉を中心に述べてみたいと思います

                                                        

注意を要する言葉 1

 「あなたは選ばれた魂です」

 この言葉は人を勧誘するときに邪教が良く使う言葉です

 この言葉を発せられたのに、勧誘を断るのは、自分で

 自分は選ばれた魂ではないといっていることになるので

 つい、勧誘に応じることがあります

                                                        

 この言葉は正しい宗教でも使われます

 特に、優秀な人間を自分たちの組織に転職(就職)させるためによく使われます

                                                        

 この言葉が幹部たちによって、安易に使われると

 宗教家として生きる予定の人にはよいのですが

 そうではなく、宗教的に生きる予定の人に使われると軽はずみな転職を招きます

 そして、その軽はずみな転職を理解できない

 あるいは許せない家族との間に葛藤を生みます

                                                        

 転職を躊躇している相手に発せられる言葉に

 「あなたは、そんな仕事をするために生まれてきたのではありません」

 というものもあります

 これは、かなりインパクトがある言葉で、この言葉で決心する人もいます

                                                         

注意を要する言葉 2

 「あなたは今、試されています」

 これは邪教が信者に資財を提供させる時に使う典型的なセリフです

 これを言われると、資財を提供することを渋ることや拒否することが

 自分で自分を否定するような感覚に陥り、つい資財を提供してしまいます

 「私は、’試し’に合格した」

 と、自分で自分に言い聞かせ、周囲もそれを祝福します

                                                       

 邪教では、女性に性的行為をさせる時にもこのセリフは使われます

 なぜ、あんな不細工な男と関係がもてたのかと不思議がる人がいますが

 この言葉に彼女たちは抗しきれなかったというのが実態です

                                                        

 さらに、犯罪を行なわせる時にもこの言葉は使われます

 「ポア」という殺人行為をさせるときも、この言葉は使われました

                                                        

 「あなたは今、試されています」は正しい宗教でも使われます

 資財を提供させる時には普通に使われます

 この点において邪教と全く同じです

                                                         

 違うのは、本当に試されているということです

 つまり、今回の人生において、自分の財産を正しい宗教に提供し、功徳をつむ

 執着をたつということが予定されているのが本当のことであるということです

                                                         

 ですから、ここで本人が世間常識に負けて資財提供を拒否すれば

 守護霊はかなり落胆することになります

                                                       

 ですが、実際はこの言葉は安易に多用されすぎて

 信者にその宗教に不信を抱かせていることもなきにしもあらずです

                                                         

 また、予定外の転職や離婚、家族崩壊を招いている原因ともなっています

 正しい宗教において活動している人は安易に

 「あなたは、この教えを取るのか、伴侶をとるのか、今、試されています」

 と言ってはなりません

                                                        

 もし、的外れの人にこの言葉を発したために

 その人が離婚して不幸になり、将来

 「自分が不幸になったのは、あの時のあいつの言葉のせいだ」

 と思われてもしようがないということを認識すべきでしょう

                                                        

 自分としては、良いことを言ったと思っていても

 実は適切でないことを言っており人を不幸にしていたことが少なからずあるのです

                                                        

今日は2つの注意を要する言葉について述べました

今日のことを認識しておくことは、あなたの人生のどこかで役立つことがあるかもしれません

 

 

 

                                                         

                                        


宗教の実態 2(新興宗教の場合)

2008-10-04 09:53:00 | 宗教の是非

新興宗教はいつの時代でもありますが特に社会が混乱したときにたくさんおきてきます

このたくさんある新興宗教の中で正しいものがいくつあるかというと

私が見るところ、正しいものは5%ほどです

 

つまり、ほとんどは詐欺か、邪宗か、詐欺や邪宗とはいわないまでも役にたたないものです

その意味で、

多くの人が新興宗教に警戒をしたり、相手にしていないのは正当性があると思います

 

ところが、ここでひとつ問題が生じてきます

それは新興宗教のほとんどが悪いものであっても5%ほど正しいものがあるということです

つまり20新興宗教があったら1つは正しいものがあるということなのですが

なにしろ19がよくないものですから、正しい宗教も

「どうせ、インチキだろう  とるにたりないものだろう  近寄らない方が賢明だろう」

と最初から相手にされません

 

これは正しい宗教が広まると悪魔が活動しにくくなるので

邪宗をたくさんつくり、新興宗教の評判を落とすことによって

正しい宗教がでてきた時、人々が警戒して簡単には近寄らないようにさせる

という悪魔の巧妙な戦略です

 

そして、残念なことに、この悪魔の戦略にほとんどのマスコミや評論家が乗せられています

 

マスコミや評論家は自分たちは絶対に正しいことをしていると確信を持っていますし

実際、邪宗の存在を世間に知らしめ、邪宗をたたくことによって、

被害が拡大しないことに貢献しているのですが

「新興宗教はなんでもたたけばいいのだ、うさんくさいものなのだ」

という思い込みが、正しい新興宗教をもたたき、その宗教が広まることを阻害してきた

ということも認識しておくべきでしょう

 

かといって、私は

マスコミや評論家が新興宗教をたたくことが悪いことだというつもりは毛頭ありません

なにしろ、ほとんどがインチキなのですから・・・

でも、例外的に正しいものもあるかもしれないという認識はもっておくべきだと思っています

 

邪教で被害に会わないために今からその実態を明かしていきましょう

 

まず第一に邪教ができる根本の原因は

悪魔つまりルシファーが

1) その宗教によって人々を苦しめようと初めから明確に意図している

2) 邪教を多数はびこらせることによって、正しい宗教が広まることを阻止しようとしている

の2点です

 

邪教の特徴は

1)教えの量がまず少ない

 

2)教祖は絶対神聖であって、教祖に対しては絶対に逆らってはいけないとしている

  逆らえば地獄行きと教えている

 

3)財産を教団に提供することは絶対によいことであるとしている

  執着を取るための修行であると教えている

  教団のために財産を提供することは名誉なことであり、義務でもあると教えている

 

4)教祖や幹部に性的サービスを提供することは名誉なことであるとしている

  あなたの信仰心が今試されていると教えている

  あるいは、あなたが有難い事に選ばれたと教えている

 

5)とにかく 脅す、怖がらせるということが多い

  あなたこのままいくと癌になるよ

  あなたこのままいくたいへんな災難にあうよ

  あなたこのままいくと地獄に落ちるよ

  というのが決め台詞になっている

 

以上この5つがそろっていれば、どんなに教えが立派に思えても

奇跡的なことがおきていても、その宗教は完全に邪教です

 

1)に関して説明すると、宗教を起こすためには何らかの教えが必要ですが

  本物の神ではないのですから、教えがたくさんあるわけがありません

 

  その宗教の根本教義は世界平和とか人類救済といった抽象的なものであり

  教義をまとめても1冊の書籍にもならないでしょう

 

  また、書籍がたくさんあるからといって安心してもいけません

  その書籍は、実は教祖が書いたものではなく

  ゴーストライターが書いてあるものであったり

  教祖がいかに偉大であるかという、ある種の自慢話

  洗脳話であることも認識しておく必要があります

 

2)について説明すると、これは完全に洗脳です

  しかし、洗脳が進んでいる人ほど信仰心が篤いとか悟りが高いといって

  教団内で高い評価を受けます

 

  教団内で高い評価を受けたいがために洗脳と薄々わかっていても

  あえて洗脳されることを拒まないという人が幹部になっています

 

  洗脳は権力者がその組織を絶対的に支配するための常套手段です

  北朝鮮やナチスドイツでは国家規模で洗脳が行なわれてきました

 

  ここで注意が必要なのが正しい宗教でも教祖の絶対神聖化はなされているということです

  つまり、この点において、邪教と正しい宗教は見分けがつきません

 

  両者とも教祖を誹謗中傷、批判すれば地獄に落ちると教えています

  邪教の場合、教祖を誹謗中傷しても地獄に落ちることはありませんが

  正しい宗教の場合、現実に地獄に落ちます

 

  キリストのわき腹に槍をさした人、キリストに死刑判決をした人

  釈尊に乞食坊主といって石を投げつけた人などが

  天国に入るには相当反省しないと無理です

 

  ゆえに教祖を誹謗中傷すれば地獄に落ちるという教えは慎重に扱わねばなりません

 

  もし、その教祖が本当に神の代理人であれば、その教祖を迫害するということは

  その教えのとおり、驚くほど罪が重いということになります

 

3)について説明すれば、邪教の場合、信者から提供された財産は

  教祖が贅沢をするためや、あるいは政治活動・政治献金をするために使用されます

 

  退職金や結婚資金、先祖伝来の土地を売って作った得た資金を教祖の贅沢のために

  あるいは政治献金のために使われているのをみると気の毒でしようがありません

 

  一方、正しい宗教でも財産を教団に提供することは完全に正しいこととしています

 

  執着をとるための修行であると教えていますし

  実際、退職金や結婚資金や先祖伝来の土地を売って得た資金を

  当然のごとく受け取っています

  ここまでは邪教と全く同じです

 

  それゆえ、この点をとらえてマスコミが過剰反応することはありますし

  元信者や信者の家族と教団との間で裁判沙汰になることもあります

 

  また、教祖への絶対忠誠が幹部の間で浸透しているため、幹部が自主的に

  教祖に対して失礼にならないように過剰反応することがないとはいえないでしょう

 

  さらに、幹部の前世が宗教家であるため金の使い方が下手で

  無駄使いがないとはいえないというのも残念なところです

 

  しかしながら、正しい教えを広めるために自分の財産を自分のために使わず

  その宗教のために使ったということはたいへんな功徳を積んだことになります

  まさに肉体を持って生まれてきた甲斐があったということになります

 

4)についていえば、邪教は、

  人は万人を愛さねばならない そしてそれは行動を伴うべきである

  ということをフリーセックスに結び付けます

 

  色情霊が支配している邪教では、必ずこうなります

  信者もこの教えが魅力で入信してきます

  そしてフリーセックスを真の目的としているにもかかわらず

  人類愛を説いて信者の拡大に邁進します

  そして、人間を堕落させます

 

  正しい宗教がフリーセックスを説くことは絶対にありません

 

  性的にふしだらであると思える宗教は

  他に魅力的なことがいくらかあっても、その1点をもって邪教であると断定して

  断固、脱退するかあるいは脱退させる必要があります

 

5)は邪教の場合、言うまでもなく物品販売のためのセールストークです

  ただの商品を異常な高値で買わされているのが実情です

  その品物に何の力もありません

  まさに、詐欺そのものです

 

  一方、正しい宗教でも物品販売はあります

  しかし、社会常識からして高額なものはないでしょう

 

 

 

 

 

 

                                           

 


宗教の実態(大宗教の場合)

2008-09-28 09:50:00 | 宗教の是非

今日は宗教の実態について述べたいと思います

まず既存の大宗教ですが、成立から相当の年月が経過しているので

時代とあわなくなってきています

                                                        

きれいな言い方をすればこうなりますが、

率直にいうと、既存の宗教で救われる人は少なくなったということで                                                                      

仏教にせよ、キリスト教にせよ、日本神道にせよ、もはや冠婚葬祭のためにある

と、言い切る日本人は多いことでしょう

                                                        

私はこのことについては、その通りだと認めたいと思います

                                                        

仏教やキリスト教や日本神道のトップに立っている人や幹部たちに霊能力がある人は

ほとんどいません

これは、いたしかたのないことかもしれませんが

そういう人たちが人格者であるというよりは政治家に近いということを私は残念に思います

                                                        

例外は当然ありますが

既存宗教のトップや幹部は出世競争に勝ち残った人々です

出世競争に勝ち残る過程で、権力闘争や金にまつわるダーティーな部分に

関係することは避けられないことです

                                                       

さらに、権力を握ったならばその権力を維持するためにそれなりの悪行もしています

また、権力を使ってそれなりの悪行もしています

                                                        

つまり、神仏からみると、もはや人格者とはいえない、むしろ宗教を汚すものである

という人が、少なからずいるということです

                                                        

これは、時間の経過とともに腐敗と堕落が進むということが

宗教にもあてはまっているということに他なりません

                                                        

また、既存大宗教の中堅や末端の人たちはどうかというと

志をもって宗教に入ってくる人もいるでしょうが

多くは世襲により、なんとなく、あるいはそれが運命だからとあきらめて、あるいは納得して

宗教の世界に入ってくる人がほとんどです

                                                        

このことが宗教人の凡人化を決定的にしています

                                                        

私からみて、

お寺の住職や教会の神父や神社の神主が普通の人より特に悟っているとは思えません

自分の属する宗派の教義には多少精通してますし、儀式のやり方も知っていますが

それらは、残念ながら、短期間学習して暗記したものです

                                                        

ゆえに、人々に敬われるような言葉を発することができません

せいぜい、常識的なこと、道徳的なことを言うにすぎません

                                                        

これでは、人々が既存大宗教から離れるのは無理のないことでしょう

                                                        

私がこのことを確信したのはある日本神道系の学生寮に入寮したときです

それまで私は、その寮は教会の師弟が入る学生寮なのだから

立派な人たちがたくさんいるだろうと思っていたのですが

実際は、平均以下の人たちばかりで驚いたことがあります

                                                        

「えー、こんな人たちが、短期間学習しただけで教会長になるの~

 人々に教えを説くなんて無理だろう~

 この程度の人たちを先生として尊敬し、お布施を払うのはばかばかしいなー」

と心から思ったことがあります

                                                        

また、少しはましだなーと思う人がいても、

「俺次男坊だから、サラリーマンになるよ」

といっていました

                                                         

私は宗教家の家族といえども普通の家族と少しも変わらないのだなーということを

悟ったのがその寮に入寮して得たことでした

以来、世間で立派であると思われている宗教家がどんなに立派な偉そうなことを言っても

私はさめた目でみるようになります

  「あなたの私生活はどうなんですか~

   すぐかっとなることはありませんか~  

   あなた、謙虚ですか~

   まわりの人にいばりちらしてませんか~

   まさか、愛人、囲っていないでしょうね~」

と思いながら聞いているのです

そして、実態は私が思っている通りであるということを認識しながら・・・

                                                        

今回は既存大宗教の実態についてのべました

念のために言っておきますが、人格者がゼロだと言っているわけではありません

そこのところをはやとちりして、怒ったとしたら

それは今日の私の話を自分で証明したことになります

                                                        

なぜなら、人格者はこの程度のことでは怒らないからです

                                                        

次回は新興宗教の実態について述べたいと思います

                                                      

           

                                                        

                                                        


宗教の本質

2008-09-21 08:34:00 | 宗教の是非

あなたは宗教についてどういう意見・感想をもっていますか

という質問をすれば、さまざまな意見・感想がかえってくるでしょう

                                                         

そのさまざまな意見はその人たちの経験や見聞に基づいているものであり

その人たちにとっては、まさしくその通りなのだということは認識しつつも

私は正確なことを述べていきたいと思います

                                                        

当然、読む人に認識されなくて反発されることも予想しているのですが

ある意味しかたのないことと思っています

でも、私のいうことを理解されて人生に役立てる人もでてくるだろうとも考えています

                                                        

まず、宗教の本来の意味を伝えたいと思います

宗教は、肉体に宿った霊が本来の世界のことを全く忘れてしまわないように

神が自分の代理人を人間の世界に送り込んで教えをといたものです

                                                         

神は自分の分身である霊たちが

さまざまなことを経験して

その経験を通していろいろなことを学んで

進歩発展することを意図されて

霊を地上の世界で生活させることにしました

                                                        

この地上世界にはさまざまな霊域から霊が集まってきています

そして、生活しています

天上界では本来一緒に生活することのない霊たちが

地上界では一緒に生活することができます

なぜなら、肉体を持っているからです

                                                         

天上界では肉体がないので、

波動の法則(同じ波長のものが集まる)により

似たもの同士が集まって生活しています

そこでは、価値観に違いがあるもの、認識力に差があるものが

いっしょに生活することはありません

                                                        

しかし、人間の世界では肉体があるので

個々の波動がもろに外に表れるということはかなりおさえられています

それゆえに、いろいろな個性、考え方の霊が一緒に生活することができます

これは、いろいろな価値観に出会えて学ぶことも多いのですが

価値観の違いから衝突が当然おきてきます

                                                        

ここで、天上界の記憶が残っていれば衝突することもあまりないのでしょうが

神はあえて天上界の記憶を霊から一時封印されたのです

なぜなら、天上界の記憶があれば、似たもの同士が自然に集まってしまい

本来のさまざまな経験をするという意味が薄まってしまうからです

                                                        

さらにいうと、天上界の記憶がないことによって生じる混乱も

それを解決していくことが学びとなるという考え方をされているようです

これが地上世界に苦しみが存在している理由です

                                                         

ここのところを浅い理解で

地上世界に苦しみ、理不尽なことが多すぎる

神が実在するならばそして、人間が神の子であるならば

神はけっしてこのようなことは認めないだろう

しかし現実はどうだ、この世は苦しみと理不尽に満ちているではないか                                                    

だから、自分としては神の存在を信じることができないのだ

と、公に発言し、あるいは密かに思っている人は考え直す必要があります

                                                        

さらに、この誤った考えを持って自分を認識力高きものとし、

神の存在を信じているものを認識力低き愚か者と蔑んでいる人がいるならば

すぐに改めなさい

愚か者はあなたの方なのです

                                                        

神は学びのためにはある程度の混乱もしかたないと考えられましたが

その混乱で人間たちが苦しむのは放置できないということで

自分の代理人をつかわして

死後の世界はあるのだよ

人間の世界は仮の世界のなのだよ

そして、死後自分が戻る世界は自分がどんな生き方をしたかで決まるのだよ

ということを説かせたのです

                                                        

大宗教の教祖はこれらのことをそれぞれの方法で人間に教えたのですが

全部説ききらないうちに寿命がきてしまったり

教祖は教えてたのだけれど、教えてもらったほうが認識できず

そのため後世に残っていないというのが実情です

                                                        

いずれにせよ、死後の世界を説くのは

正しい宗教の「いろはのい」です

基本中の基本です

もしあなたが信じている新興宗教が

あの世の存在を否定することもないが肯定することもないのならば

その宗教は信仰するに値しません

                                                        

むしろ、邪宗か将来邪宗になるものと思ってよいでしょう

ましてや、現世だけの教えをとく宗教があれば、それは間違いなく邪教です

その邪教を信じ続けるならば、間違いなく不幸になります

                                                        

さらに

あの世の存在を否定することもないが肯定することもない人たちに言います

あなた方はこう言うことによって「自分は、かしこい」と思っているでしょう

しかし

死後、あなた方はこう思っていたことを恥じることになります

そのことは明確に伝えておきます

                                                        

特に仏教学者で「無我」を根拠に死後の世界を否定する人たちに伝えます

仏教の世界には天国・地獄の概念があります

もし、死後の世界がないのなら

仏教に天国・地獄の話、あるいは魔の惑わかしの話など一切でてこないはずです

                                                         

あなた方が学んだものは

霊能力なきものが、自分の低き認識力であやまった理解をして

それが書物という形で残されたものです

                                                        

つまり、初めから間違っているものをそうとは知らずに学んだのです

過去の文献を根拠に、それに少しばかしの自分の考えを付け足す

学問の弱点であるといえるでしょう

                                                        

宗教を学んでいる人たちにいいます

あなたがどれほどの書籍を読み、そしてたとえどれほど高い地位と名声を得ていたとしても

結局は死後の世界の存在を肯定しないのであれば

あなたは死後、宗教の本など1冊も読んだことはないけれども

素直に死後の世界の存在を信じ

道徳的にいきてきた普通の人の下座につくことになります

そこには、学歴、名声、地位、実績は一切関係ありません

このことは明白にしてストレートに伝えておきたいと思います