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発達障がい・こころのやまい

専門外ながら相談を受けることがあり、その際に読んだ本や集めた情報を書き留めました(本棚9)。

「心が雨漏りする日には」(中島らも著)

2014-04-11 07:36:24 | 
<帯のキャッチフレーズ>
 「くたばれ、うつ病! 奇才・中島らもが綴った波瀾万丈・奇想天外の躁うつ人生」


 前出の「双極II型障害という病」(内海健著)で登場した中島らも氏の本が手元にあったので、読んでみました。
 内海先生によると、彼の父は双極型障害、らも氏自身は双極型障害が疑われるとのこと。

 私にとって「中島らも」は新聞の「明るい悩み相談室」の回答担当者として記憶している名前でした。
 そのらも氏自身による躁うつ病体験記です。
 実際の患者さんが書いた体験記は、医師の建前的”上から目線”とは異なり、何が不快で何に一番困っているかがわかり、大変参考になります。
 この本もその例に漏れず、頷きながら読んだ箇所多数。
 それにしても「型破り」「波瀾万丈」「奇想天外」という言葉が似合う人生だなあ、と驚きを越えて感心してしまいました。

 うつ状態の時はつらいけど仕事は何とかこなせる、躁状態の時は集中できず気ばかり焦って仕事が手に付かない、というコメントは意外でした。
 一般に、軽躁状態の時は「絶好調」という印象しか持たないとされているので、らも氏はBPのいわゆる躁状態を経験したのではないか、と思いました。

 それから、躁状態を自覚できるかどうか、については、初期には「なんかヘンだぞ」と思う節がありますが、進行してしまうともう自覚できず歯止めが利かなくなることも記されていました。
 なるほど。

 数あるうつ病体験記の例に漏れず、抗うつ薬の副作用も登場します。

 らも氏は緊急時以外は病院へ行かず、身内に薬だけ取りに行かせて飲んでいた、という期間が長く続きました。
 これは、医師との信頼関係も影響しているようです。
 当初信頼したY医師は、途中から彼自身が精神に異常をきたしてらも氏の主治医の座を降り消えてしまいました。
 その後は病院へ行く気にならなくなってしまったとのこと。
 処方された治療薬が強力かつずっと同じ内容だったので、後年”目が霞んで見えない”とかその副作用が出て生活に支障が出てきたのですが、歯科医の兄に指摘されるまでずっと気づかずにいたというエピソードが紹介されていました。

 本来「診察無しの薬だけ処方」は法律違反のため、当院ではすべてお断りして行っておりません。らも氏はその弊害が顕性化した例ですね。

 闘病生活をしている患者さんとその周囲の方々にとって参考になりそうなキーワードをたくさん見つけました。
 以下のメモの赤字/青字で示しましたのでご参考になれば幸いです。

メモ
 気になったフレーズを抜粋。

睡眠と精神状態には密接なつながりがある
 睡眠障害はうつ病の典型的な症状の一つ。睡眠の質や量が変わってきたら、うつ病のグレーゾーンにさしかかっている可能性がある。

タリラリランのリタリン
 リタリンというのは抗うつ剤の一種で、クスリ仲間の間では「タリラリランのリタリン」と呼ばれていた。山下洋輔とか筒井康隆とかがいつもそれを飲んで「ウオーッ」ってなことを言っていると噂になっていたのだ。
 服用を開始すると1週間ほどでうつ症状は治ってしまった。そして「この地球は俺が救うんだ、俺が救わなくて誰が救うんだ」という根拠のない万能感が沸いてきたのである。
 中学生時代からの友人で眼科医を開業している男は「リタリン? 中島、それはシャブ(覚醒剤)やで」と指摘された。
 ところでおかしなもので、うつ病でない人にはこのリタリンは全く作用しなかった。
 精神医学に詳しい友人は「リタリンはビオフェルミンのようなもの」と例えていた。手っ取り早く、そして幅広い症状をカバーするということだろう。
 あくまでも対症療法でしかないのだが、不安やつらさが和らぐのであればそれでいい、不思議なクスリである。

オレを励まさないでくれ
 うつ病と診断されてすぐに妻に注文を出した;
1.絶対に励まさないでくれ
 頑張りたいのは山々なのだ。会社に行けないとか、歩けないとか、症状が出ている時点でもうポキッと折れてしまっているのだから、それ以上追いつめないで欲しい。「頑張れ」と言われると、まだ頑張りが足りないのかと情けなくなったり、腹立たしくなったりするのだ。
2.気分転換を強要しないでくれ
 気分転換したくなったら自分でするから、それを強要しないで欲しい。ましてや「外の空気でも吸ったら気分も変わるよ」「旅行にでも行ってみようか」など連れ出されるのはごめんこうむりたい。
3.放っておいてくれれば一人で治るから干渉しないでくれ
 とにかく干渉されたくない。心配してもらっていることをありがたいと感じる余裕すらないのだ。ひたすら放置されていることが、俺にとっては一番よかった。「根性さえあれば何でもできるんじゃい」なんてセリフは絶対に聞きたくない。
 温かい感じで距離を置く、とでもいうのだろうか。オレの経験からするとこうしてもらうのがもっともありがたい。

薬の効用
 うつ病でも、原因がはっきりしているときはその原因を取り除いてやれば症状は必ず改善されるという明かりが見える。
 ところが世の中には原因のわからないうつ病も数多くあり、あるいは原因そのものも存在しないうつ病だってあるのだ。
 また、原因ははっきりしているのだが、その原因を取り除くことが難しいというパターンがある(例:ペットロスなど)。
 例えばペットロスが原因でうつ病になった人に対して、いくら言葉を費やしてもその人は楽にはならない。理屈は自分でもよくわかっている。わかっている上で、なお苦しいのだ。
 理屈でダメなときは薬の力を借りればいい。
 薬が合えば2週間から1ヶ月で回復する。

うつ病の再発
 40歳になる1年くらい前から奇妙なイメージがしばしば浮かぶようになり、40歳になってその頻度が高くなったものだから、これはうつ病が再発したんだなと自覚するようになった。自分の意志に反して見たくもない映像に追い回されているのだから、これはもう病気に罹ったと判断するしかない。
 この時もさっさと精神科に行けばよかったのだが、前に一度経験して耐性がついてしまっているというか、まだ大丈夫、これくらいでは死なない、という判断を自分でしていた。
 しかしあまりにつらいので友人の眼科医を訪ねて専門外ながら抗うつ薬を処方してもらった。これを飲み出したら1週間ほどで利いてきて、少し元気が出てきた。ところがこの「少し元気が出てきた」というのがくせ者で、オレの場合「自殺する元気」が出てきてしまったのだ。

精神科への入院生活は快適
 犯罪者と患者だけに与えられる「隔離」という措置は、オレに安心感をもたらすものだった。疎外されているというよりも、安全なところにいるんだと感じている人が多いように思えた。

バリ島で躁を発病
 オレにもいくらかの違和感はあった。自分の精神状態がふだんとは違っているという自覚である。疲れないし、眠くもならない、何より「自分は何だってできる」という根拠のない万能感が沸いてくるのだ。
 バリ島から帰ってきてからが躁状態のクライマックスだった。ただし本人にはその意識がないから余計に始末が悪い。
 ある芝居の稽古で、団員達に無茶な要求、説教を繰り返していた。
 この時点では、オレはもう自分を客観的に見ることができなくなっていた。しばらく前までは自覚していた「あれ?オレは少し変だぞ」という感じもどこかに消えていた
 躁病の症状に、怒りっぽくなる、人の意見に従わない、というものがあるそうだ。やたらと金遣いが荒くなるというのも躁病の症状の一つらしい。この時期のオレにもその症状が見事に発現していて、手に負えないおっさんだったことだろう。
 そんなある日、稽古を終えた役者達がオレの仕事場に来たら、オレは完全に「できあがっていた」そうだ。目が一点を睨みつけるようになっていたという。すぐに病院へ担ぎ込まれて診察を受けた。
 躁病に罹っている、と診断されたが、オレは信じなかった。オレ一人だけが正常で、オレのことを異常だという周りの奴らこそが異常なのだと思っていた
 しかしY先生は場数を踏んだプロである。
 「ここ何日か眠っていないでしょ
 と、こちらの一番痛いところを突いてきた。自分でも睡眠時間の少なさはおかしいと認めざるを得なかった。
 うつ病と違って躁病は死に至る病ではない。ただ周りに迷惑をかけるという点からすれば、躁病の方がはるかに厄介ではある。

躁状態の時は仕事にならない
 躁病の時には万能感に支配されていたせいもあって、仕事のアイディアが次から次へとわいてくる。アイディアこそわいてくるのだが、実際には躁の時はものを書けない。とてもじゃないが原稿用紙を1字ずつ埋めていくというような根気のいる作業はできないのだ
 心の中は暗黒の暗闇だが、なんとか仕事はこなせるうつの時とは対照的である
 その結果、仕事の約束だけが先走り、躁病が治ってからはその約束を一つずつ消化するのが大変な毎日だった。

川端康成も晩年はラリ中だった?
 彼は晩年、日本中の知人に手紙を送ってハルシオンなんかを送ってもらっていた。膨大な量の薬を集めては飲み、飲んでは集め、していたそうだ。

躁うつ病とのつきあい方、私論
 もちろん病気はつらい。ただつらさにはキリがない。もっとつらい人だっているのである。自分だけがひどい目に遭っているわけでもない。
 上を見たらキリがない。元気な人はたくさんいるだろう。ただ、下を見てもキリがないのだ。苦しみに苦しんでいる人を見て、なお、
「うらやましい」
と思うくらい苦しい人もいるのだ。
 このようにイージーに、前向きに考えるようにしている。躁うつ病なんて薬さえ合えば、悔しいくらい楽になるのだから。
 反対に、マイナス思考ではなかなか切り抜けるのが難しいと思う。そもそもマイナス思考から抜け出せなくなるのがうつ病なのだが、それでも「いつかは治る。必ず治る。」と自分自身に言い聞かせてやるのがいい。
 うつ病は確かに自殺に至る病ではあるけれど、予備知識があればそれは避けられる。
 ガンに比べればちゃちな病気だ。


自殺を思いとどまる方法の提案
 こういう考え方も役に立つのではないか。つまり、
 「自殺をしよう。ただし、今日はしないで明日にしよう。
 という考え方だ。
 これはドラッグを止めるときの方法論をそのままスライドさせたものだ。ドラッグをうつ、あるいは吸うのをパッタリ止めるのは、依存者にはつらい。ただ、少しだけ足踏みするのだ。どうしてもドラッグがやりたくなったら、明日になってからにしよう。明日やっても遅くはないだろう、と自分を納得させる。こうして、一気に勝負をつけるのではなく、1日ずつ時間を稼ぎ、結論を先送りにするのだ。

うつ病患者は、話せば楽になる?
(精神科医:芝伸太郎先生の言葉) 
 話を聞いて欲しいと行ってこられる患者さんがよくいらっしゃるんです。もちろん、こちらは聞くけれども、聞くのは簡単なんですが、止めどころが難しいんです。これ以上しゃべらせたらいかんという点がどこかにあるんですね、
 話せば話すほど楽になると誤解されている方が多いんですが、そうではない。話すことによって、これまで無視することができていた問題を意識させられてしまって、かえって悪化することもあるんです。

宗教とうつ病
(精神科医:芝伸太郎先生の言葉) 
 ドイツでは宗教の力が無視できません。自殺のブレーキになるし、あるいはそういうものを根拠にして医者が自殺を止めたりしています。日本ではそういうのはないですからね。
 ドイツ人の場合には「この苦しみから逃れたい」ということで自殺する方が多いんです。
 日本人の場合はそうじゃなくて、死ぬことで全てを精算する、カタをつけるという感じですね。武士の切腹みたいな意味合いですかね。
 典型的なうつ病になる方は宗教に無関心な人が多いんですよ。
 うつ病になるわけだから当然苦しみますよね。そうするとキリスト教の伝統のある国では宗教に救いを求めても不思議じゃないんだけども、彼らは不思議と関心が薄いんです。
 宗教とか、宇宙とか、自然などという人知を越えたものに興味のある方がうつ病になると、これは注意していないと躁うつになる可能性があるんです。

躁とうつは正反対ではない?
(精神科医:芝伸太郎先生の言葉) 
 一般の方はうつと躁というのは正反対だと思っておられるんですが、そういう単純なものではないんです。精神医学的には、躁というのはうつが悪化したものなんだという考え方もあります。また、躁うつ混合状態と言って躁とうつの症状が同時に出ることがあります。
 抗うつ剤の副作用で躁転することがあると本には書かれていますけど、私の経験では、純粋なうつだけのうつ病というのは躁転しないですね。躁転される方というのはもともと躁うつの素因がある人なんです。

身内がうつに苦しんでいる人へのアドバイス
(精神科医:芝伸太郎先生の言葉) 
 まず、専門家に聞くことです。
 うつだっていうとみんな「休ませないといけない」「励ましてはいけない」と思っているでしょ。そうでないのもあるんですよ。ちょっとのうつだったら頑張っていきなさいよってお尻を叩かれた方がよくなる場合もあるんです。そういう人に仕事をするな、休め休めっていってると、慢性化してしまって悪化することもある。一般論じゃ語れないんです。


「双極II型障害という病」(内海健著)

2014-04-06 20:47:26 | 
副題:改訂版 うつ病新時代
帯のフレーズ:ポストメランコリー型時代の気分障害の本質。
 今日の気分障害の臨床は、若年事例や治療抵抗性事例の増加、過量服薬、リストカット、病名依存など、さまざまな困難を抱え込んでいる。
 そのような現代の気分障害を象徴する「双極II型障害」に焦点を合わせ、回復への里程標とする。
 好評を得た「うつ病新時代」、改訂新装版!


 うつ病関連の本を読んでいると、双極性障害(旧名・躁うつ病)の話も当然出てきます。
 双極性障害にはI型とII型があり、従来のイメージであるいわゆる躁うつ病はI型となります。II型は、躁状態が軽くてわかりづらいタイプ。そのため、当初うつ病と診断される傾向があります。しかし抗うつ剤に反応が悪いため「治療抵抗性」などと呼ばれる経過中に「隠れ躁状態」が判明して初めて双極性障害と判明し、治療薬を変更して症状の改善が得られるという事例が多いようです。
 うつ病、双極性障害、統合失調症は、典型例のイメージはそれぞれ異なりますが、発症早期は似たような症状を訴えるため、実際の臨床現場では鑑別診断が難しいことが窺われます。
 双極性障害の中でもII型という病態に興味があり、購入してあった手元の本を読んでみました。

 さて、この著者の文章は独特です。
 わかりやすいけど、わかりにくい(苦笑)。
 ボキャブラリーが豊富で(あるいは豊富すぎて)、科学的記述というよりは文学的・哲学的雰囲気が感じられ、ナルシスティックな空気さえ漂わせています。むかし、こんなタイプの文章を読んだことがあるなあ・・・記憶の断片を辿ると、それは庄司薫の「赤ずきんちゃん気をつけて」の一連のシリーズであると判明しました。東大出身の頭でっかちの人の特徴かもしれませんね。

 それにしても、従来の精神医学とは、症状・現象から理論をこねくり上げる帰納法という手法が中心で、分析的な演繹法を主とする西洋医学より東洋医学に近いことをあらためて認識しました。クレペリンやクレッチマーが頭をひねって分類した精神病論も、現在日進月歩の脳科学により将来書き替えられる日が遠からず来ることでしょう。

 双極II型障害とは、いわゆるうつ病相に「軽躁」を併せ持つ気分障害と定義されます。
 著者の言い分は、双極II型障害は双極I型障害の軽症型ではなく、むしろ「気分の微妙な波に悩まされる」という双極性障害の本質が前面に出ていると捉えるべきであるというもの。ポイントは、双極性障害の躁とうつ相の過度期は正常状態ではなく、その間も気分の波に翻弄される病的要素がある、との主張です。

 なるほど、と頷けました。

 自分自身の気分が、何のきっかけも前触れもなく落ち込んだり浮き上がったり・・・その不快な状況を密室のエレベーターに例えています。
 エレベーターが故障し、機会の気まぐれで予告なく上昇したり下降したりする密室にずっといたら・・・と聞くと、確かにやるせなくなりそう。

 治療薬についての記述がサラッとしすぎているのが残念でした。まあ、まだ決め手の薬がなく、手探り状態ということなのでしょう。
 精神療法に関しては、周りに気を使い振り回されて自分を見失いがちな「いわゆるいい子」という性格の功罪について述べ、「同調性」「他者配慮」が高じて「対人過敏性」に至る病理とその対処法について記載されています。
 「いい子で居続けるために自らが病んでしまう」下りは、読んでいてちょっと切なくなる箇所でした。
 治療者には患者の気遣いをねぎらい、自己評価を回復させる地道な作業が求められます。現時点では、治療者と患者の二人三脚による精神療法が基本で必要に応じて薬物の力を借りるということになりそうです。

 診断に関しては、案の定、著者はDSM-には批判的です。いくつか抜粋してみます;

・うつ病の診断において、もう一つ欠かせないのが「病前性格」である。気分障害の病前性格については、日独両国が精緻な臨床論を展開したが、今では米国流のスーパーフラットな見方に席巻されて、見る影もない。
・DSMの発想は、臨床的なものではなく、あくまで調査・研究用である。
・DSM-では、混合状態は、双極II型障害において除外項目になっている。それがあれば診断してはならないというのである。
・「神経症」という名称はDSMから削除された。ヒステリーという病名も抹消された。


 哲学的、と最初に書きましたが、双極性障害周辺の病態を時代背景で論じているところが新鮮でした。
 その中で、民俗学的用語である”ハレ”と”ケ”をそれぞれマニー型、メランコリー型性格と関連づけ、”ハレ”と”ケ”のメリハリが希釈されて窮屈になった現代社会の中で、発散できずに病的な変質をとげてしまうという仮説は社会に潜む病理として興味深く読みました。


メモ
 自分自身のための備忘録。

アキスカルの主張
 アキスカルは気分障害の中に、気分変調症、気分循環症、双極II型障害といった病態が連続体をなしていることを認め、1983年に bipolar spectrum なる概念を提出した。
 1990年代に入ると、双極II型障害がDSM-(1994年)の正式病名として登録されたことにみられるように、このカテゴリーの重要性は、北米では一層認知されるようになる。かつての二元論の時代には、単極性うつ病が圧倒的に多数を占め、躁うつ病との比は10:1、少なく見積もっても4:1といわれた。それが今や双極スペクトラムは、単極型うつ病と対等の有病率を持つとさえ推測されている。

双極スペクトラムの3つの意義
1.単極性-双極性
 第一は単極性と双極性の間のスペクトラムである。両者は画然と分離されるのではなく、連続体をなしている。双極II型障害(BP)は、単極型うつ病(D)と、躁うつ病(双極I型障害:BP)の間に位置づけられる。
 ただし、BPをDとBPの中間型と考えたり、あるいはBPが薄まったようなものと見なしたりするような折衷的な考え方はとるべきではない。BPは、おとなしく中間に収まるようなものではなく、変幻自在・神出鬼没である。
 この発想の中には、実は「純粋な単極性というものはない」という考えが含まれている。気分障害である以上、なにがしかの双極性の成分が含まれている、すなわち「汎双極論」である。それゆえ、双極スペクトラムとは、うつ病とは異なった類型を指すと同時に、理屈の上では、うつ病をもその中に包含するものである。
2.疾病-気質、あるいは病気-性格
 クレペリンの躁うつ病の定義において「体質と明確な境界なしに移行していくもの」と表現され、さらにそれはクレッチマーの「体格と性格」において<循環気質→ 循環病質→ 躁うつ病>という明確な以降の図式として示され、そして疾病親和的な性格という考え方は、単極性うつ病の病前性格論として「メランコリー親和型性格」において結実した。
 双極II型障害の場合、単極型うつ病と異なり、性格と病気の間の断層に乏しい。メランコリー親和型性格とうつ病が、別の次元の問題であるのに対して、BPでは性格と疾病がまさにスペクトラムとして連続する傾向が認められるのである。それにとどまらず、BPでは、性格と疾病が相互に浸透することすら起こりうる。健常と思われる状態の最中に、病気のエレメントがふとよぎったり、あるいは人生そのものが波乗りのようであったりする。病気らしくないと医療スタッフにさえみられる。
3.正常-異常、あるいは生理-病理
 BPでは、双極性の病理の出没する際の振れ幅が激しく、波乱に富んでいる。時として気分障害以外の疾病へと接続することもある。いわゆる comorbidity(併病)である。
 多彩さ、豊穣さは、時として創造性に結びつく。病の持つポテンシャルが励起された様態にある。停滞を嫌い、つねに変化を指向し、凡庸な正続よりもマージナリティを嗜好し、オリジナリティに富む。  

躁と軽躁の区別
 躁状態の場合、典型的には「観念奔逸」という症状が有り、話は次から次へと飛ぶ。行動もまた、次から次へと飛ぶ。それ故、生産的なことは行い得ない。放置しておけば、破壊的な結末となる。
 それに対して、軽躁状態では転導性は必ずしも明確ではない。
 実践的には、まとまった作業が遂行できるか否かがポイントとなる。基本的に、軽躁では可能であり、躁では不可能である。
 躁状態が、その損失の大きさや、例外的自体によって、事後的にではあるが病識を持ちうるのに対し、軽躁状態は、その最中だけでなく、平静を取り戻した後でも、なかなか本人がそれを病的であると認めるのは難しい。当人にとっては大変良い状態だからである。
 軽躁は、本人ばかりか、周囲もしばしば気づかない。最も身近で接する配偶者でさえも、パートナーが病気であるとはなかなか思い至らない。
 軽躁状態は、本人も周りも病気と気づかぬが故に、医療に結びつくことはあまりない。

双極II型障害の少し異質なうつ状態
 筆者はBPのうつ病像の特徴を”soft bipolarity”として抽出した。その中で、うつ状態そのものについては「不全性」「易変性」「部分性」の3つの指標が取り出された。
不全性
 抑うつの症状が不揃いであることを指す。いわゆる「精神運動抑制」や「抑うつ気分」などの抑うつを構成する症状が一定の方向を向かず、全体としてのまとまりに欠く傾向を持つ。通常のうつ病を見慣れた目には、どこかちぐはぐな印象を受ける。この違和感があるときには混合状態(患者は自分の中に相反する方向性を持った力、つまり躁的な成分とうつ的な成分によって引き裂かれる)を疑うべきである。
易変性
 抑うつ状態がうつろいやすいこと。全般的に「安定した」病相を形成する傾向に乏しい。経過は変化に富み、数日単位あるいは数時間単位に増悪と改善を示したり、軽躁や混合状態に至ることもある。
 易変性はしばしば抗うつ薬によって誘発される。その時には「ふわっと上がってすとんと落ちる」という、はなはだ危険な波が起こる。
 周囲からは「わがまま」「気分や」など、性格の問題とされ、本人さえもそう思い込んでいることがある。
 さらに易変性の早い波は、その最中にある患者を戸惑わせる。彼らはいったいどれが本当の自分の状態なのか、見当がつかなくなる。さらには「自分自身が当てにならない」と考えるようになり、自尊心・自己評価の低下を招く。調子の高いときに決めたことがあとで負担になる、というやっかいな問題も生じる。
部分性
 抑うつの出現場面に選択性があること。例えば、職場ではうつ状態を示すが、帰宅後や休日は傍目からみると元気であり、趣味や課外活動に熱心に打ち込むようなことにも希ならず遭遇する。この部分性がやっかいなのは、少なからぬ事例で、いかにも「ぬけぬけ」とした印象を与えるということである。

双極II型障害の薬物療法
 エヴィデンスに乏しく、手探りでやるよりない。
1.気分安定薬ーーー炭酸リチウム vs バルプロ酸ナトリウム(VPA)
 炭酸リチウムは1946年にオーストラリアのCadeにより躁うつ病の治療薬として導入された、次の3つの特徴を持つ薬である;
①躁にもうつにも効く。
②治療にも予防にも効く。
③リスポンダーとノン・リスポンダーにはっきり分かれる傾向がある。
 しかし、BPにあまり相性がよいとは云えず、速い波と混合状態にはあまり有効ではない。
 Popeらによりバルプロ酸ナトリウム(VPA)が気分安定薬のもう一つの代表として評価されるようになった(1991年)。速い波と混合状態に対しては、VPAの方が相性がよいといわれている。
 また、躁状態の爽快気分には炭酸リチウム、不快気分にはVPAが有利であり(躁→ うつ)という経過型には炭酸リチウム、(うつ→ 躁)という経過型にはVPAが有利とされている。いずれもBPにはVPAがよいということを指示するものである。
 カルバマゼピン(CBZ)も忘れてはならない。大熊らにより双極性障害への効果が発見された薬である(1977年)。副作用や認容性の問題、および半減期が短いことなど、使い勝手がよくないこともあって、近年ではあまり話題に上ることがなくなった。しかし、病理の激しさや衝動性の強い場合に頼りになる薬である。
 以上の3つが古典的な気分安定薬である。近年ではそれに加えて、非定型抗精神病薬(オランザピン、クエチアピン、ラモトリギン)など、選択肢は広がっている。
2.抗うつ薬
 抗うつ薬がBPに対して引き起こす「速い波」「急速交代」「軽躁転」「混合状態」が、患者にもたらす不幸は計り知れない。これらはいずれも一旦発動すると治療が容易ではなく、また事故のリスクが高いものである。もっともよくみられるのは「ふわっと上がってストンと落ちる」というパターンである。そしてこの落ちた地点で、自傷や自殺企図が起こる確率はきわめて高く見積もられるべきである。
 通常のうつ病相と思われるときでも、抗うつ薬によって焦燥や不機嫌など不安定な反応がみられるときは双極性が潜んでいることを考慮すべきである。
 軽躁が誘発されると、患者は不幸なことにその「味をしめて」、抗うつ薬嗜癖となる。
 現時点で、筆者がBPに対して抗うつ薬を使用する指針としているのをまとめれば次のようになる;
①抑うつが深い。
②過去に抗うつ薬によって悪化した既往がない。
③状態像が安定している(極性のフォルムがクリアである)。
④観察密度を上げる(少なくとも最初の投与から日をおかず状態をチェックする)。
 SSRIやSNRIについても、基本的にはTCAに準ずる扱いをするべきである。
 SSRIはTCAほどの「起爆力」がないゆえ、BPに対して安易な処方を促していないだろうか。また、服用初期や増量に伴って、爆発的とも云える焦燥や敵対的態度を引き起こすことがある。いわゆるアクチベーションと呼ばれる事象である。

 気分安定薬は、長期的には気分の全般的な安定化や抑うつ発作の頻度の減少などの効果が見込まれる。だが、短期的には目に見える効果は無い。むしろ鎮静や不快感など彼ら彼女らが忌避する反応が起こりうる。こうした反応が一時的であることや、薬物の性格についての説明を丁寧に行うことは欠かせない。
 苦戦しがちなのは速い波や混合状態である。切り札的なものはないが、気分安定薬の選択肢が増えつつあるので期待したい。甲状腺剤や非定型抗精神病薬が役立つこともある。後者は微妙なさじ加減が求められる。
 気分障害の患者は、おしなべて「甘え下手」であり、薬物はしばしば依存の対象となる。
 臨床家は、「効かなくもない」薬物を用いながら、何とかやりくりをして、患者を回復に導いているのである。

BPに対する精神療法
 BPではある程度踏み込んだ精神療法が必要である。薬物療法も一定の効果が期待されるが、BPの精神療法は単極型うつ病における「小精神療法」のように身体療法を補足するという位置に留め置かれるものではない。
 彼ら彼女らは「支持的」といわれる対応では物足りないと感じる。
 また、病気と性格の相互浸透という問題がある。
 単極型うつ病の場合、病前ないし病間の時期と、罹病している期間は、とりあえず別のものと考えてよい。特別な事情のない限り、罹病記には急速を主体として、支持的な精神療法以上のことはしない。というより、しない方がよい。
 だが、BPの場合、こうした分離は必ずしも成立しない。罹病期にもふだんの心性が色濃く反映されており、それも強調され、不適応的に現れる。それゆえ、一定の精神療法的な働きかけ梨には、回復を導くことがしばしば困難となる。
 より積極的な見方をするなら、BPに対して精神療法は実質的な効果を持ちうる。BPでは裏病中に経験したり学んだりしたことは、良きにつけ悪しきにつけ、その後にも刻印される。実際、精神療法の効果は、快復後にも持続しているし、回復とも精神療法は有効である。
 ただし「精神療法」といっても、通常イメージされるような内省を志向するものではない。彼ら彼女らは内省が苦手であり、それを強いることは、内的な混乱を呼び込むことになる。むしろ彼ら彼女らの同調性にチューニングしながら、傷ついた自己価値の修復をはかることに主眼が置かれるべきだろう。
 
「個の尊重」「他者配慮性」「対人過敏性」
 気分障害圏の患者は、ともすれば同調性の波にさらわれて、個が埋没する傾向にある。自と他の区別が曖昧である。他の中で生き、他に評価されて初めて自分に価値を見いだす。自分というものを減却して適応していることさえある。彼らは全般に、自分は自分であり、そのままでよいのだ、という安心感に乏しい。それゆえ「個の尊重」は、単に臨床の倫理や精神療法の前提条件にとどまらず、気分障害の病理そのものへの働きかけになりうる。
 他者配慮性は、「いい子でいようとした」と「期待に応えようと頑張ってきた」の二つのフレーズに集約されることが多い。あるいは「親の顔色をいつもうかがっていた」と表現されるかもしれない。そして程なく、甘えることをどこかで断念し、甘えさせることで代償してきたことに気づかされる。
 メランコリー型の「対他配慮」は個人的な関係を志向するものではない。むしろ没個性的であり、一般的な態度を出るものではない。発病しても、「申し訳ない」「皆に迷惑をかけている」と判で押したように表出されるが、どこか紋切り型である。一方、BPでは、その都度の他者に対して敏感である「他者配慮」である。
 過剰な他者配慮性は対人過敏性として症状化する。相手の意向を逐一気にして振り回され、頭の中がいっぱいになる。顔色をうかがう、健康なときなら機転も利こうが、読みが空転してどうしたらよいか混乱する。卑屈な自分に嫌気がさす。それでもやはり人に気を使ってしまう。
 他者のために空っぽになってしまった自分。時としてそんな他者に対する恨みが表出されるが、他罰一辺倒になることは希である。早晩、人を責めている自分への自責、自罰へと転ずる。こうした他罰-自罰の手のひらを返したような往還や、空虚感への直面は危険な徴候である。
 治療の第一歩は、薬物のことを考える前に、まずは個の特製に、患者自身が気づくことである。ただし、そこから内省に向かわせるのではない。それは患者に罪悪感をもたらすだけである。そんなことよりねぎらってあげるとよいだろう。

BP患者に対する治療者のスタンス
 BPのもつ他者配慮は、肯定されてしかるべきものである。少なくとも、他者への尽力に役に立ったのであり、意味があったのだということを、治療者は患者に与えて返してしかるべきである。このあたりへの共感性が持てないと、この疾病に対する治療はちょっと難しいかもしれない。
 治療中に多くのBP患者はいい子でいようとする。患者がいいことして振る舞う場合、次のことに気をつけなければならない。一つは、患者は媚びを売っている、取り入ろうとしているのだ、という陰性の逆転移である。今ひとつは、患者がいい子であることに、治療者が甘える場合である。彼ら彼女らの親と同様、患者に依存することになり、患者の苦痛に目がいかなくなる。
 治療者には、ほどよい良好な関係、中庸な関係を保つバランス感覚が求められる。同時に、患者側も治療者に対して、依存しすぎず、健全な批判精神を持ちつつ、そして不毛な攻撃はしないという中庸を心がけることが望まれる。これが究極の認知療法ではないだろうか。
 治療者が患者のいい子であることに依存した関係は、ひとたびよからぬ事態が生じたときにはきわめて脆弱なものとなる。悪に対して為す術がなくなる。患者のネガティブな側面(怠薬、生活習慣の乱れ、飲酒、自傷行為)があらわになったときに、途端にがたがたと崩れてしまう。
 しかし、こうしたことはBPでは起こりえることである。その際には治療関係をもう一度点検しておく必要がある。こちらが患者のいい子に甘えていなかったか、つい軽くみていなかったか、患者の苦痛をしっかりくみ取っていただろうか、と振り返ってみる必要がある。
 ひとたび起こった行動化に対してとりあえずやるべきことは、徹底的に行動を言語化させることである。自傷に及ぶまでの状態、自傷のやり方、やったあとの気持ちなどをできるだけ具体的に、そして詳細に尋ねる。そのうちに、治療者の中に、患者が行動化に及ばざるを得なかった病的な気分や苦痛などが換気されてくるかもしれない。
 例えば、リストカットはしばしば患者が空虚感に耐えがたくなったときに行われる。場合によっては、着ることによって生きている実感が得られると言うこともある。また、対人過敏性で頭がいっぱいになり、混乱したときにやることもある。あるいは自己懲罰として行われることもある。また、拡散してしまう彼らの自己を、切ることによってつなぎ止めるような意義を持つ場合もある。そしていくらかなりともアピールは含まれているだろう。
 こうしたプロセルを分で、しかるのちに「自傷してはならない」と告げるべきである。自分の行動に意味があると認められなければ、自傷した患者には惨めな自分しか残されない。そうなると、一層追いつめられることになる。
 そもそも患者の行動化は、患者が自らの生き方の中に取り込めなかった「悪」の部分である。精神科医というものは、患者の中の morbid なものと向き合うものであることを思い起こす必要がある。投げかけられた悪に対して、もちろん一定の限界はあるにせよ、応えることが求められている。異常と正常、悪と善、こうしたものを繋ぐ役割を担っているのである。

メランコリー親和型性格の失効
 メランコリー親和型性格の持つ意義は両義的である。「几帳面」「秩序愛」「対他配慮」に代表されるその性格特徴は、文化的には間違いなく「正の標識」とされるものである。
 他方、言うまでもなく、メランコリー型は疾病に親和的な性格である。それゆえ精神科医がメランコリー型を把握したときには、それらの正の標識はすでに失効しつつあり、その破綻が問題となっていた。見いだされたときには、すでに時代遅れになっていたのである。人類の前線たる精神の病に親和性を持つこの性格は、ある時代を反映しつつ、同時にその時代の終焉の徴候であったのである。
 実際にメランコリー型の失効をもたらしたのは、高度成長経済による目的達成=喪失、「勤勉、節約、服従」といった通俗道徳の没落、価値観の多様性、権威の失墜ないしその存在の不明確化、などと呼ばれるものである。
 規範がゆるくなれば、マニー型はい生きやすくなるように思われる。しかし彼ら彼女らは、かえってアノミー(規範の弛緩)の中で波に足をすくわれ、拡散するような失調を起こしてはいないだろうか。むしろ強い権威と対峙していたときにこそ、輝いていたのではないだろうか。
 確かに目に見える権威は失墜した。しかし、我々は自由を謳歌し、あふれんばかりの生を享受しているだろうか。むしろ目に見えぬ隠微な管理の投網をかけられ、せせこましく窮屈な思いをしてはいないだろうか。かといってどこへ向けて脱出してよいものか、出口を見いだせないまま途方に暮れてはいないだろうか。

”ハレ”と”ケ”から躁うつ病を読み解く
 とりわけマニー型が生きにくい時代であることを象徴しているのが、「まつり」というものが、おしなべて色あせたことである。
 ”ハレ”という時間性が病的な変質をとげるとき「躁(マニー)」が出現する。一般的には”ハレ”は文化の中に組み込まれており、噴出してしかるべき時とところを得ていた。今はどうなのだろうか。
 地方を訪ねれば、おごそかな祭儀のあと、まつりのさなかで生が迸り、その隣で死の深淵が口を開けているということが、まだあるのかもしれない。しかし、今や多くのまつりは、いわゆるリスク管理でがんじがらめになっている。荒ぶる神の出番はない。御輿もデモも、警官が保護をしている。事故が起きたら、主催者や行政が責任を問われる。訴訟にもなる。こうしてケの時間の論理が至る所に浸透している。
 そもそも”ハレ”と”ケ”という時間性は、モダン以前に特徴的なものであった。”ハレ”においては、まず厳粛な祭儀(規範)があり、それが祭に引き継がれ、高揚と狂騒による交歓の中で、日常性が解体する。そして、共同体への帰属と、人々の間の絆が再生する。
 モダンになると、”ハレ”は周期的に噴出するものというよりも、日常性の中に常に漂流するものと化す。資本の増殖の動的な過程の中に組み込まれる。そして”ハレ”と”ケ”をしなやかに、あるいは要領よく、往還することが、成功裡に生き抜くすべとなる。
 さらにポストモダンになると、この”ハレ”と”ケ”の分節が、いよいよ平準化して、フラットになりゆく。どのように楽しみ、どのように欲望するか、それは資本やマスメディアによって、すでに決められている。モダンにおいても、本来”ケ”である日常の中に、”ハレ”が紛れ込んでいた。しかしポストモダンでは、もはや”ハレ”ともいえぬ矮小なものと化す。そして至るところに顔を出す。
 では”ケ”の側はどうだろうか。それは”ハレ”とは明確に区分されてはいたがどこかにその予兆を潜ませていた。今や代表的な”ケ”の時間である労働の、どこに”ハレ”の予兆があるだろうか。
 もちろん、これらは社会や文化の在り方に関わる大きな問題である。気分障害だけの問題ではない。しかし、祝祭空間の矮小化、時間の平板化の中で、生命的なものは干上がり、行為の瞬間のきらめきも色あせた。「まつりのおわり」は、とりわけ双極性障害に親和性のある個体にとって、深刻な生きづらさを投げかけている。

「ツレと貂々、うつの先生に会いに行く」(細川貂々&大野裕著)

2014-04-06 20:34:11 | 
 朝日文庫、2013年発行。

 「ツレうつ」関連本をもう一冊。
 これはうつ病を患った「ツレ」である旦那と、その妻の漫画家細川貂々さんが、精神科医かつうつ病専門家の大野裕先生のところへ会いに行き、その問答をマンガにしたものです。
 ポイントはやはり「うつ患者本人と専門医との対話」でしょう。悩み苦しんだ末の疑問を医師に直球でぶつけ、それを専門医が直球で返しているのですから。
 大野先生の著作も数冊読んでいるので、どんな展開になるのか楽しみながら読みました。
 
 なんと言ってもマンガなので読みやすい。
 うつ状態の患者さんは活字を追うことさえ億劫ですから、望ましいスタンスの企画です。

 全体的に「うつ病って現代医学でもよくわかってないんですよねえ」という内容にガッカリしたというかホッとしたというか・・・微妙な読後感が残りました(苦笑)。
 でも、参考になるヒントがあちこちにちりばめられていたのは事実。
 貂々さんの「なんでわからないのかな、って考えたらひとりひとり症状が違うことが一番の理由かな」という感想にウンウン頷いた私です。
 いくつか抜粋しておきます;

うつ病って、結局なんなの?
 ・・・う~ん、実は僕にもはっきりわからないんですよ。
 具体的に言うと、①病気の本体がわかっていない、②病気と健康の境目がわかっていない、③治療法がわかっていない、となります。

心っていうのは脳とか心臓とか体の中にあるのではなく、人と人とが関わったときに発動するものです。

うつになりやすい性格ってあるの?
 ・・・ありません。
 例えば、几帳面な人は自分に問題が起こるところまで追いつめちゃう。
 例えば、不真面目で何にでも頼ってしまう人は頼りすぎて裏切られることを繰り返して疲れてしまう、等々。
 うつにつながるのは「性格」より「極端な考え方のクセ」の方が大きいです。

うつ病の治療の内容は?
1.薬:脳のバランスを整える
2.休養:体のバランスを整える
3.認知療法:心のバランスを整える
 ただ、完璧な治療法は現在存在せず、総力戦で臨むことになります。

治りかけはどうすればいいの?
 ・・・うつ病は良くなったり悪くなったりを繰り返して回復します。その波は週単位、月単位の人もいれば年単位の人もいます。
 「楽しちゃいけない」という考えを捨てて、一番楽な方向で元に戻っていくのがよいでしょう。どういう生き方をしても大切なのはその人にとって「何が一番いいか」を考えることです。

再発率が高いのはどうして?
 ・・・再発率は5-6割、もう一回再発すると7割になり次は9割りに・・・
 もともと無理をして頑張っている自分が好き、みたいな人も多いから、完全に治って楽なると頑張っちゃう人も多いです。

再発予防策は?
 ・・・「考え方のクセ」を見直すことです。

(大野先生の独り言)うつは必要だと思うんです。
 ・・・うつは体の防御反応です。頑張りすぎている、無理をしている、そして自分が潰れそうなときうつ症状を出すことで心がブレーキをかけているのです。それを無視してさらに進むと傷はさらに深くなってしまいます。

子どももうつになるの?
 ・・・子どものうつ病も一割程度います。
 子ども社会もそれなりに人間関係の難しさや競争もあります。
 不登校になり、学校に行こうとするとお腹が痛くなる、熱が出る、そういう中にうつ病の子どもがいます。
 子どもの場合は身体症状(仮面うつ)がよく出ます。
 頭が痛い、体がだるい・・・とにかくつらい、というタイプ。
 むかつくんだよ!ふざけんな!とイライラ感情を爆発させるタイプもいます。
 「仮面うつ」とは、ストレスがたまると体に不調が出ることを言いますが、体の症状に向くけど心には向きにくく、原因がわからず病院を転々としてしまう人もいます。
 赤ちゃんにもうつ病があります。第二次世界大戦の時にヨーロッパで親と離ればなれになった赤ちゃんが無表情になって動かなくなったと報告されています。本当に信頼できる人がいなくなって途方に暮れると赤ちゃんでもうつ病になるのですね。


 最後のマンガ「病気と私」が興味深い。
 貂々さんとツレの間には常にうつ病という病気があり、それが見つめていると時には仙人になり、ときには鬼に見え・・・いったい何なの?
 という内容。
 わかったようなわからないような・・・でも気になります。

追記
 最近、うつ病関係の本を何冊か読む機会がありました。
 医師側が書いたものは、建前論が基本でちょっとわかりにくい傾向があると感じました。
 とくに、「原因/背景にかかわらず、うつ状態が2週間続くだけでうつ病と診断可能」とするDSMの診断基準は、うつ病は特別な病気ではないと認識されるようになったメリットもありますが、安易に診断されて薬漬けにされるという弊害ももたらしました。
 患者側の体験談は、真に迫ってきて本から目を背けたくある時もありました。
 両方の視点からの本を読むと、バランスのよい知識が得られ、うつ病のイメージが浮かび上がってくると思われます。
 お勧めコースは・・・

1,「ツレがうつになりまして」(家族の視点)を観る/読む。
2.「こんなツレでごめんなさい」(患者自身の視点)を読む。
3.「ツレと貂々、うつの先生に会いに行く」(医療者の視点)を読む。


「こんなツレでごめんなさい」(望月昭著)

2014-04-06 20:33:11 | 
 文藝春秋、2008年発行

 「ツレがうつになりまして」はよい映画でした。
 「ツレうつ」はうつ病になった旦那(ツレ)を妻(細川貂々さん)の視点から描いたものですが、では本人自身はどんな風に感じて過ごしていたのだろう、とすごく興味が湧きます。
 そう、この本の著者はうつ病になった旦那である「ツレ」本人なのです。

 紋切り型の医学書には記載のない、なかなか”一筋縄ではいかない”うつ病の真実がそこに書かれていました。

 まず、診断。
 ツレは単極性のうつ病と診断されていますが、その前に本人曰く「絶好調」の時期があったことなどを考慮すると双極性障害の可能性も否定できない、さらに発病初期は幻覚や幻聴、妄想のようなものもつきまとっていたことを考えると統合失調症の可能性も否定できない・・・。
 ま、診断は専門家に任せますが、線引きが難しい疾患群ですね。

 はっきりした理由/きっかけがないのに長期間うつ状態に陥り自分ではどうしようもなくなることが健康と病気の境界線でしょうか。
 理由/きっかけがあって落ち込むのであれば、時間が解決してくれそうです。
 しかし、自分ではわからないと解決しようがない。

 結局「うつ病」とは症候群であり、DSMの診断基準では「うつ状態が2週間以上続く」という症状だけでくくっている概念ですから、その中にはいろんな病態があってしかるべき。一口に議論するのは無理というものです。
 著者も「どの本を読んでもよくわからない・・・」と嘆いていますが、医者の私にもどう捉えるべきなのかピンときません。

 著者夫婦はクリスチャンです。
 宗教は「うつ病」を救えないんだなと改めて感じました。
 むしろ、著者がキリスト教関係ではなく仏教関連本を読みあさっている下りを興味深く読みました。
 ストレスを上手く受け流す手法では仏教の方が優っている?
 ・・・今後の課題です。

 回復期のたいへんさも綴られています。
 
 僕は、四十歳を人生の節目として意識していたから、最初はその日までに病気を治して、社会的にも復帰したいと考えていた。でも、それはどう考えても無理だった。
 何度も「僕は気力を振り絞って、憎いうつ病と闘って、勝つぞ!」と思ったのだが、悲しいことに、気力を振り絞ると、それだけでグッタリし病状が悪化したように思われるのだった。
 ・・・「これは闘って勝とうとするのがよくない病気なのだ」と気づくようになった。

 ・・・良くなったと思うと悪くなる。悪くなったと思うと、それほどでもない。一日の中にも浮き沈みがあり、数日周期での波があり、もう少し大きな波もあった。体力、気分、感情、意欲、判断力や能力、すべてに波がある。その波はそれぞれが勝手に不規則な何診なっていて、自分でも上手くつかむことができない。そして、良くなったと思っていると必ず直前よりも悪くなるので、失望してくじける。

 もちろん、波を描きながらも回復してきているので、それを意識することもある。そうなると、持ち前の性格で頑張りを発揮して社会に復帰しようと焦ってしまったり、そうした焦りでエネルギーを使い果たして、あっという間にまた元通り。

 回復過程は長く続き、最初の頃と、随部女苦なった頃とでは、気力も波もねじけた性格もそれなりに異なっているのがダ、そうしたものに悩まされ続けていたことでは、ずっとそうだった。その困難の全てを含めて「うつ病」という病気とすべきなのだろう。


 ツレさんの「はまると疲れを忘れて”やり過ぎ”てしまう性格」が元凶なのでしょうね。
 しかし、発病前と同じ仕事ができないことを受け入れることは、青年期には難しいことです。
 自分の人生はこれから、というときに、テンションを上げてはダメ、これも無理、あれも無理、と自分自身に制限をかけないと再発してしまうのですから、つらいです。
 大人になることは自分の限界を知り妥協していくつらい過程、と読んだことがありますが、うつ病の発症はそれをさらに(病的なまでに)限定されてしまう宣告のようなものだと思いました。

 「専業主婦(主夫)」をめぐるやり取りは面白く読みました。
 「専業主夫してます」と自己紹介するといろんな反応があり、感心する人がいる一方で、「子育てもしていないで主夫気取りするな」という厳しい意見もあり。本人は子どものようにかわいがっているイグアナで子育てしていると心の中で反発していますが(笑)。

 最後に、一応うつ病を克服したツレさんが、自らの闘病体験を振り返って記した文言が秀逸です;

 決して元のように戻れないが(病気になる前は無理をしていたのだから)回復して別のところに戻ってくる。
 今まで、知らなかったものや興味も覚えなかったものが、向こうから自分のところにやってくる。世界にはこんなものもあったんだぞ、というように。
 そして、ある日ふと、生きていて良かったと思うのだ。
 そんな病気だ。
 病気をしたことも、意味があったのかもしれない。今ではそう思う。

「乗るのが怖い」(長嶋一茂著)

2014-04-06 20:31:58 | 
副題:私のパニック障害克服法
幻冬舎新書、2010年発行。

 著者はご存じ長嶋茂雄の長男です。
 彼がパニック障害だったなんて知りませんでした。

 患者としての苦しみやトンネルを抜け出す方法を経験者として語っているので説得力があります。
 ただ、あくまでも経験談であり科学的な根拠に乏しい記述も無きにしも非ず。医療者としての私は全てを認めることはできませんが、参考になる文言があちこちにちりばめられていました。

 興味深く読んだのが、抗うつ剤の副作用としての「自殺衝動」
 こんな風に記されています;

 とにかくうつがひどい。
 ベッドから起きられない、仕事に行けない、約束が守れない、わけもなく涙が出るー
 ・・・
 だから仕方なく抗うつ剤を飲むのだが、今からすればそれが合わなかった。副作用が出て何度の自殺衝動が起きた。それまで経験したことのない、まるで蟻地獄のような果てのない絶望感。私は心底破れかぶれになって「もう死のう、本当に死のう」と思った。
 ・・・
 その時の自殺衝動で何より恐ろしかったのが、それが自分の意志に関係ないところから、湧いて出てきたことだ。
 抗うつ剤を飲んで寝ると、朝の3時頃に発熱・発汗し、息苦しくてパーッと体が熱くなって目が覚める。そして起きた途端に目場パチッと冴えて、どこからか「自殺したい」という声が出てくるのだ。その「自殺したい」というのは自分の声じゃない。心の中から出た声じゃないのにーーそれはまるで魂がむしばまれるような恐怖だった。その上に、「俺はそのうち、自分の意志に関係なく自らの命を絶ってしまうのではないか」という恐怖が覆い被さってくる。
・・・
 薬はもちろん必要だけれども、副作用が出る可能性も十分覚悟して服用しなければならない。だから私はこの本で、最終的には薬に頼らない克服法を目指したのである。


 それから、パニック障害克服のための基本スタンスは含蓄に富んだ表現です;

 自分の体は神様からもらった体だと思い、
 自分の中の自分と対話し、
 自分で自分の体をいたわること。
 なぜなら、結局のところ、自分の肉体は自分の魂しか褒めてくれないから。


 暗くて長いトンネルを孤立無援状態で戦い抜いた言葉ですね。

メモ
 自分自身のための備忘録。

パニック障害でない人が、パニック障害を100%理解するのは不可能。
 この苦しみは、女房も子どもも本当には理解してはくれない。医者も理解できない。
 それが当然なのだ。なぜならパニック障害を経験していないから。

人生の目的は「幸福感」ではない。
 人生が「自分探しの旅」であるとするならば、その最終目的地が「幸福感」であってはならないと私は考えている。
 現代社会においては、多くの人が、幻のような幸福感を揺るぎないもののように錯覚して塗ろうし続けている。「もっともっと症候群」になり、「スーパーマン症候群」になりーー。その結果、心と肉体がちぐはぐになり、挙げ句の果てには心を病んでしなうのではないだろうか。
 私はパニック障害になって、人間が生きていく目的は幸福感でも何でもなく、結局、一つしかないのではないかと考えるようになった。仕事は仕事での目的がある、プライベートはプライベートでの目的がある、と分けて考えるものではなく、最終的な目的は、シンプルにたった一つだけ、それは「自分が何であるのかを知ること」なのではないだろうか。

「薬や医師に依存する、頼る」という考えのままでは間違えてしまう。
 脳科学では「自分で自分を導く」というような言い方をするようだが、結局、パニック障害も同じで、本当に根本的に治すためには、まず自分自身で自分の心身を奥深くカウンセリングすることからスタートしなければならない。
 自分はいったい何者なのか。
 本当に必要なものは何なのか。
 何がつらくて、何に疲れているのか。
 その原因は何なのか。
 自分は何を最終目的に生きているのか。


ゆっくり吐いて、ゆっくり吸うだけの呼吸法
 呼吸法というと一見難しそうに思うかもしれない。実際、文献などを読むと何百種類もの呼吸法がある。私は凝り性なので・・・数限りない呼吸法を試してみたけれど、結局、あまり特殊で難しいものはパニック障害には必要ないことがわかった。
 パニック障害に必要な呼吸法の基本というのは、「ゆっくり息を吐いて、ゆっくり息を吸う(ただし、順番は吐くことが先)」という、ただこれだけ。それだけで十分、自律神経は落ち着いてくることがNASAのデータでも確認されている。
 この呼吸法は乗物恐怖の際にも有効だ。「あ、ヤバイな」という予感がしたら、とりあえず目を閉じてゆっくり吐いて、ゆっくり吸う。それだけで気分が落ち着いてくるはずだ。

パニック障害は自分の人生を見つめ直す絶好の機会だ。パニック障害のピンチは、自分次第ですごいチャンスに変えられる。

社会が悪い、会社が悪い、上司が悪い、親が悪い、誰々が悪いと思っているうちは、パニック障害は治らない。
 「そんなの関係ないよ」と流せる自分を確立すること。
 パニック障害にかかる人には「休んでいることに罪悪感を持つ人」が非常に多い。その自己嫌悪や自己否定から、余計にうつの症状が増してしまう。勇気を持って「人間、ダラダラすることも非常に需要なのだ」と考え方を変える必要がある。

パニック障害を含めて、自然から離れれば離れるほど人間の体は悪くなる。
 根治のポイントは「自分の肉体を自然に帰してあげること」だと思う。

トップサーファーが失敗して波に飲み込まれたときどうするか?
 高さ十数メートルに及ぶこともある波に飲み込まれたら、3分間は上がってこれない。「その時はどうするんだ>」と効くと、彼は「まずは身を任せる」と言うのだ。
 波の下は、すごい勢いで海水がグルグル回っているから、上と下がわからなくなる。それに巻き込まれているときは、パニックになってもがいたら死ぬ。だから、とりあえずは身を任せ、グルグルされるままになって、ちょっと波が収まったときにパッと目を開けて、泡が昇っていく方に思い切り手だけ動かす。その時、足も動かすと酸素が海面まで持たないので「手だけ動かす」のがポイント。

「逃げる」のではなく「しのぐ」ことが大事。
 したたかに、ずるがしこく生きる。しのぐためには「まあいいや、だいたいで」と言い続けよう。

「生きていく理由もないけど、さしあたって死んでいく理由もない」(バルタザール・グラシアン)