発達障がい・こころのやまい

専門外ながら相談を受けることがあり、その際に読んだ本や集めた情報を書き留めました(本棚9)。

ススキノの首刈り事件〜北海道発、猟奇的殺人事件2024

2024-10-04 19:27:23 | カウンセリング
娘が男性の頭部を持って帰ってきた。
父親は精神科医。

映画やテレビドラマのストーリーではなく、
現実に起きた事件です。

我々はどう理解すればいいのでしょう?

取材記事が目に留まりましたので、紹介します。
1997年にやはり猟奇的殺人事件を起こした「酒鬼薔薇聖斗」との共通点に言及しています。

今回の事件の父親は精神科医です。
このような患者を診療するプロです。
どうしようもなかったのでしょうか?


▢ 「ススキノ首狩り娘」はいかにして誕生したのか
…精神科医の父が娘の凶行を止められなかった哀しい理由「異常な人間の特殊な犯罪」では片付けられない
2024/06/23:PRESIDENT Online)より一部抜粋(下線は私が引きました);

▶ 失敗しない子育てなんてあるのだろうか
・・・自分の娘が小学校低学年の時、同級生のひと言に激怒し、彼の首にカッターナイフを突きつけたとしたらどうであろう。
 親を奴隷のように扱ったり、架空の恋人と虚空を見つめながら愛を語ったりするようになったら、私だったらどう対処できたのだろう。

▶ 頭部のない全裸男性の遺体が発見される
 精神に異常をきたしたのだから精神病院にでも入れろと、多くの親たちはしたり顔でいうのだろうが、娘の父親は精神科医、しかも名医だったというのである。
 週刊文春(6月20日号)の「ススキノ首狩り娘(田村瑠奈・30)と精神科医父(60)のSMプレイ」は、娘の母親・浩子(61)の冒頭陳述や綿密な周辺取材で、この事件の“深層”に迫ったすぐれたルポルタージュである。文春を見ていこう。
 昨年7月2日、札幌市内のラブホテルの一室で、頭部のない全裸男性の遺体が発見された。被害者は、恵庭市に住む会社員のA(当時62)だったが、ホテル内や周辺の防犯カメラは、大型のスーツケースを引き、現場を1人で立ち去る小柄な同行者の姿を捉えていた。
 捜査当局は被害者と接点のある女に絞り込んで捜査を進めたが、この世にも稀まれな猟奇事件は単独犯ではなかった。娘とその両親による犯行だったのである。
 7月24日、北海道警は、職業不詳の田村瑠奈を殺人、死体損壊、死体領得、死体遺棄容疑で、その父親で精神科医の修はほう助容疑で逮捕した。翌25日、母親の浩子もほぼ同じ容疑で逮捕された。

▶ 「おじさんの頭を持って帰って来た」
 文春は、1年後の今年6月4日に札幌地裁で開かれた浩子の初公判での冒頭陳述をもとに、こう書いている。
 娘と夫がAを殺して首を家に持って帰ってきたことを知らなかった浩子は、二階のリビングで起床して、同じ階にある洗面所に向かった。
 「浴室に見慣れないプラスチックのケースが置かれていた。中には、黒いゴミ袋のようなものが入っているのも見える。勝手に触れば、瑠奈の機嫌を損ねてしまうだろう。浩子は容器の中身を確認しなかった。
 数時間後、三階の部屋から起きてきた瑠奈が、さらりとこう口にする。

▶ 『おじさんの頭を持って帰って来た』」(文春)
 にわかに信じられるものではなかった。その場を取り繕った浩子は、翌日、ススキノで頭部のない遺体が見つかったというニュースを目にする。娘のいったことは本当だったのだろうか?
 「その数日後のこと。浩子は瑠奈に呼び出された。
 『見て』
 普段と変わらない自然な口調だったため、浩子は警戒心を解き、促されるまま浴室に足を踏み入れる。目に飛び込んできたのは、洗い場に置かれている、皮膚を剥がされて全体が赤くなった人間の頭部だった――」
 この時の心境を浩子は、弁護士にこう語ったという。
 「この世の地獄がここにあると思い、深い絶望感に襲われました」
 なぜこのような娘が育ったのだろうか?

▶ 同級生の喉元にカッターナイフを突きつけ…
 北海道で生まれ、北海道教育大学旭川校を卒業した浩子は、1993年3月、旭川医大卒で精神科医の修と結婚した。翌年2月、生まれたのが瑠奈であった。
 一人娘だった瑠奈は、両親の愛情をたっぷり受けて育った。小さな頃の瑠奈は、友達を自宅に招いて遊ぶ普通の子どもだった。
 だが、小学校2年生の頃から次第に不登校気味になっていったという。
 両親はそれでも瑠奈の個性を尊重し、家庭教師をつけながら娘を見守ろうとしたそうだ。
 この頃から、何事においても「瑠奈ファースト」という親子関係が形成されていったと、検察側は冒頭陳述で指摘したそうである。
 だが、小学2年生の幼いわが子が不登校気味になっていれば、修のように精神科医でなくても、しばらく見守ってやろうと思うのではないだろうか。
 だが、小学5年生の時、瑠奈が同級生の喉元に刃物を突きつける“事件”が起きた。
 その当事者は、瑠奈の服装を「アニメのキャラみたいだな」といっただけなのに、急に筆箱からカッターナイフを持ち出してきて、馬乗りになられ、「次いったら刺すからな」といわれたという。

▶ 「田村瑠奈は死んだ」と宣言
 瑠奈の父方の祖父がこう話している。
 「瑠奈は小さい時から“病気”があったんです。息子の修が言うには、癇癪の一種だと。何かあったら脳の中に蜘蛛が出てきて、悪さをして、その瞬間は、瑠奈も自分で何をやっているか分からないんだって」
 事件から間もなく、修が札幌市厚別区に三階建ての自宅を購入。瑠奈には三階が与えられた。
 だが、状況は好転せず、中学に入学してからは一切登校できなくなっていった。その頃から瑠奈は、人体の構造に興味を持ち始め、頭蓋骨の模型などを部屋に展示するようになったという。
 修は精神科医だったが、自分の子どもを診るというのは客観的な判断ができなくなると考えたのだろうか、瑠奈が中2の頃に別の精神科医を受診させたそうだ。主治医の意見も聞きながらフリースクールに通わせていたが、そこにも通えなくなり18歳の頃には完全な引きこもり状態になってしまった。
 そして自殺未遂を繰り返し、「田村瑠奈は死んだ」と宣言したという。これを弁護側は、「瑠奈の死体に五~六人の人格、魂が入り込んでいると思い込む『ゾンビ妄想』が出始めた」といっているという。
 両親が瑠奈と呼ぶことを許さず、「お嬢さん」と敬語を使わせ、修を「ドライバーさん」、浩子を「彼女」と呼ぶようになった。

▶ 父親と娘で「SMプレイ」の練習を…
 やがて瑠奈には「ジェフ・ザ・キラー」なる妄想上の恋人もでき、時折虚空を眺めて「彼との会話を楽しんだ」という。
 ホラー映画やSMに興味を持ち始め、ススキノの「怪談バー」へ行きたいというようになった。昨年5月28日、修の運転でススキノに足を運び、クラブ「キングムー」の閉店イベントにも出かけ、そこで女装したAと出会ったのだ。
 だがAは、「女装はするけど、好きなのは女の子」だった。知り合ってすぐにAと瑠奈はラブホへと向かったという。
 そこでトラブルが起きた。Aは短時間に何回も性行為に及んだが、最後は、避妊具をつけるという瑠奈との約束を破ってしまったのだという。
 別れた後Aの仕打ちに怒り狂っていたそうだが、瑠奈は、Aが謝ったら許してあげる、次にはSMプレイをしたいと両親には話していたようだ。
 だが検察側は、人体に関心があった瑠奈は遺体を解体して弄ぶことを計画し、両親もそれを容認し、協力したとみているという。
 「SMの女王」になりたいという瑠奈のSMプレイの練習のため、家で修と2人で練習をしていたそうだから、異様というしかない。
 娘と父親はAを探し当て、7月2日、ラブホへAと瑠奈が入って行った。

▶ 「娘と地獄まで付き合う」という覚悟があったのか
 「入室早々、全裸になったAさんを浴室に誘導した瑠奈は、SMプレイを装ってアイマスクで彼の視界を塞ぎ、両手を後ろ手にして手錠をかけた。そしてハンディカメラを用意する。
 『お姉さん(Aさん)が一番、反省しなきゃいけないのは、私との約束を破ったことでしょ』
言葉と同時に、瑠奈の殺意が爆ぜる。刃渡り約八・二センチの折り畳みナイフを、Aさんの背後から右頸部に何度も突き立てた。(中略)その後、瑠奈は用意していたノコギリを使い、約十分でAさんの頭部を切断した」(文春)
 先の祖父がこうもいっている。
 「病気のある瑠奈を大切にしていたのは分かる。『修さ、抱え込んだってダメなんだよ』って言ってきたけど、うちの子はこういう症状が出るから、これでいいんだと。ドライバーさんとか呼ばれていたっていうのも、従属してるんじゃなくて、そうやって瑠奈に付き合ってあげていたんだろう。殺人まで起こすなんて、二人とも分かってなかったと思う」
 だが、精神科医の父親と、やはり学歴のある母親が、なぜ、娘の鬼畜のような行動を止められなかったのか。娘と地獄まで付き合う。そういう覚悟があったのだろうか。
 これを読みながら、私が週刊現代の編集長だった1997年5月に起きた「少年Aの事件」を思い出していた。

▶ 小学6年生の時にAが作った異様な作品
 中学校の正門の上に小学4年生の男の子の頭部を置くという残忍な犯行は、世の中に大きな衝撃を与えた。その前には小学生の女の子をハンマーで殴り殺している。
さらに不敵にも「酒鬼薔薇聖斗」と名乗り、新聞社に犯行声明を送りつけたのである。メディアも総力を挙げ て取材合戦を繰り広げた。だが杳ようとして犯人像を絞り込めなかった。
 それから約1カ月後、私はタクシーの中で逮捕の一報を聞いてのけ反った。14歳の少年だったのである。
 事件の詳細は省くが、事件から2年後に少年Aの母親(父親も書いてはいる)が手記『「少年A」この子を生んで……』(文藝春秋)を出版した。
 その中にこのような記述がある。
 「学校の図工の時間に、Aが赤色を塗った粘土の固まりに、剃刀の刃をいくつも刺した不気味な作品を作ったのは、小学六年生のときでした。『粘土の固まりは人間の脳です』と説明し、聞いた担任の先生がびっくりして、夜七時頃に家を訪ねてこられたのです」
 「当時は(温度計を万引きした=筆者注)その理由が分からず、ただただ不思議でした。でも、その頃Aが、猫を解剖したり、温度計の水銀を集めて猫に飲ませたりしていた、と逮捕後の報道で知り、頭を何かで殴られたような気分になりました」

▶ 田村容疑者とAの共通点は多く見つかる
 「Aの中一か中二か、どちらか忘れてしまいましたが、春休みのときに、家の軒下の空気孔から、家では誰も使っていないはずの家庭用の斧が出てきました」
 「中学二年の十一月には、レンタルビデオ店でホラービデオを万引きし、警察に補導されたことがありました」
 「鑑定書の中で、あの子は自分の空想で作りあげた友達を語り、その姿を描いていました。
 『エグリちゃん』と名付けた身長四十五センチぐらいの女の子。
 その絵は気持ち悪くなるようなグロテスクなものでした。
 頭から脳がはみ出て、目玉も飛び出している醜い顔で、エグリちゃんはお腹が空くと自分の腕を食べてしまうそうです。
 『ガルボス』という空想上の犬(絵はない)も友達で、『僕が暴力をふるうのは「ガルボス」の凶暴さのせい』と、話していました」
 「精神鑑定の結果、精神や脳には異常はない。あの子は一体、何者なんでしょうか?」
 同級生の喉元に刃物を突きつける。人間の脳に見立てた粘土に剃刀を突き立てる。ホラー好き。空想の人間と対話する。田村瑠奈容疑者と少年Aの共通点は多く見つかる
 ましてや瑠奈の父親は精神科医である。このままでは娘は大変なことをしでかすと見通していたのではないか。

▶ 狂気に気づいた時点で手が打てるとは限らない
 しかし、娘の暴走を止めるどころか、犯行に加担してしまったのだ。母親は、自分は傍観者のように証言しているようだが、そうではあるまい。
 3人だけの異常だが親密な世界をつくり、その中だけで生きていけるのなら、それでいいではないか。他人に迷惑はかけていないのだから。そう考えたのだろうか。
 しかし、娘はその世界からハミ出し、自分の欲望のハケ口を外に求め始めた。その先に何があるのかをわかっていたはずだろうが、両親はその現実を直視することが怖かったのではないか。
 そして娘の狂気が暴走してしまった。もはや両親にはそれを止める体力も気力も残っていなかったのだろう。
 だからといって、両親の罪が軽いというわけではない。少年Aの母親も、子どもの狂気に気付いた時、何らかの手を打てたのではなかったのか。世の多くの親はそう考えるに違いない。だが、果たしてそうだろうか。
 少年Aの母親は事件が起きた後もこう綴つづっている。
 「私の知っていたAは、親バカかもしれませんが、人に必要以上に気を遣うなど、繊細でやさしいところのある子でした。すぐ人を信じて傷つきやすく、臆病で純粋すぎる。根がバカ正直なので、学校でも先生に思ったことをそのまま言うなど、不器用で心配になる部分があるほどでした

▶ 「異常な人間の特殊な犯罪」で片付けていいのか
 この母親は子どもの躾けに厳しく、自分の母親から「あんたは叱りすぎる」と窘たしなめられていたというから、溺愛しすぎて盲目になっていたのではないようだ。だが、親が見ているのは子どものごく一部分でしかない。
 どうしたら自分の娘や息子の本当の姿や本音を知ることができるのだろう。そう悩んでいる親たちは多いのではないだろうか。専門家と称する人たちのトリセツ的な子育て論が役に立つとは到底思えない。
 この2つの事件を、異常な人間が犯した特殊な犯罪と片付けてしまっていいのだろうか。
 誰もが失敗する子育てだからこそ、失敗から学ぶことは多いし役に立つことも多いはずである。
 早くも少年Aの事件は世間の関心が薄れ、忘れ去られようとしている。だが、この2つの猟奇殺人事件は、「子育て」という観点から今一度、徹底的に研究、分析される必要があると、私は考える。


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リチウム処方の変遷

2024-09-22 06:57:34 | 双極性障害
リチウムは双極症(旧名:双極性障害、もっと昔は躁鬱病)の特効薬であり、欠かせない薬として君臨してきました。
しかし近年、その考えが少し変わってきたようです。
各疾患(他の病気でも使用されていた?)への使用率が減少してきたという記事が目に留まりましたので紹介します。

やはり双極症で多く処方されていますが、20年間の推移は約40% → 30%と減少傾向、
いやいや、双極症でも30〜40%しか処方されていないことに私は驚きました。

さらに、統合失調症にも2〜3割で処方されていることも以外でした。

以前調べた際は、リチウムが双極症に効くことは偶然発見され、メカニズムが不明ながらもずっと使われてきたことを知りました。
現在のエビデンスはどうなっているのでしょうね。

▢ 双極症に対するリチウム使用、23年間の変遷
  
 薬剤の疫学データによると、双極症に対するリチウムの使用は、徐々に減少しており、他の適応症への注目も低下している。ドイツ・ミュンヘン大学のWaldemar Greil氏らは、1994~2017年のリチウム処方の変化を調査した。Pharmacopsychiatry誌オンライン版2024年8月22日号の報告。
 ドイツ、オーストリア、スイスの精神科病院を含む精神医学における薬物安全性プログラムAMSPのデータを用いて、1994~2017年のリチウム処方を分析した。さまざまな疾患に対するリチウムの使用は、2001年以前と以降および3つの期間(T1:1994~2001年、T2:2002~09年、T3:2010~17年)により比較を行った。
 主な結果は以下のとおり。

・対象は、成人入院患者15万8,384例(女性の割合:54%、平均年齢:47.4±17.0歳)。
・リチウム処方は、統合失調症スペクトラム患者で2001年以前の7.7%から2001年以降の5.1%へ、情動障害患者では16.8%から9.6%へと、統計学的に有意な減少が確認された。
・各疾患サブグループにおいてもリチウム処方の減少が認められた。
【統合失調感情障害(ICD-10:F25)】27.8%→17.4%(p<0.001)
【双極症(ICD-10:F31)】41.3%→31.0%(p<0.001)
【うつ病エピソード(ICD-10:F32)】8.1%→3.4%(p<0.001)
【再発性うつ病(ICD-10:F33)】17.9%→7.5%(p<0.001)
【情緒不安定、境界性パーソナリティ障害】6.3%→3.9%(p=0.01)
・T1、T2、T3における比較は次のとおりであり、双極症に対するリチウム処方は、2002年以降、あまり減少していなかった。
【統合失調感情障害】26.7%→18.2%→16.2%
【双極症】40.8%→31.7%→30.0%
【うつ病エピソード】7.7%→4.2%→2.7%
【再発性うつ病】17.2%→8.6%→6.6%
・リチウムと併用された主な向精神薬は、クエチアピン(21.1%)、ロラゼパム(20.6%)、オランザピン(15.2%)であった。
 著者らは「入院患者に対するリチウム処方は、双極症だけでなく、さまざまな疾患において減少していることが確認された」としている。

<原著論文>
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オーバードーズ(市販薬乱用)2024

2024-09-19 16:06:51 | 精神科医療
日本思春期学会で薬物依存の講演を聴講しました。
最近増えてきた「市販薬乱用」の話を興味深く聴きました。

2014年にはなかった市販薬乱用・・・
どうやらその主因は「危険薬物禁止」であり、
それが激減すると同時に増加し、
つまり「簡単に手に入る依存性薬物」として注目を浴びたことらしい。

さらに市販薬は個人で入手し個人で乱用できるという、
現代社会の抱える「孤独」「孤立」とリンクしやすい特徴がさらに拍車をかけた、
という説明で、頷きながら聞きました。

ポイントと感じた箇所をメモしておきます。

▢ 乱用された市販薬ランキング
1.ブロン錠・ブロン液(せき鎮静・痰除去薬)
2.パブロン・パブロンゴールド(総合感冒薬)
3.ウット(睡眠鎮静剤)
4.ナロン・ナロンエース(鎮痛剤)
5.イブ・イブクイック・イブプロフェン(鎮痛薬)
6.ドリエル(睡眠薬)
7.バファリン(鎮痛薬)
8.コンタック(総合感冒薬)
9.トニン・新トニン・シントニン(せき鎮静・痰除去薬)
10.セデス(鎮痛薬)
11.ベンザ・ベンザブロック(感冒薬)
12.レスタミン(抗アレルギー薬)
13.ロキソニン(鎮痛剤)
14.ルル(総合感冒薬)
・・・
と馴染みのある市販薬の名前が並び、驚かされます。

▢ 乱用市販薬の二大成分
・メチルエフェドリン(覚醒剤の原料)
・ジヒドロコデイン(麻薬の一種)

これも医療関係者にはお馴染みの成分です。

▢ 市販薬を乱用する背景
・つらい気持ちをやわらげたいが、誰にも相談できない。
・生きるための手段・・・「死にたい」気持ちから一時的に逃れることができる。
・居場所としてのインターネット(SNSの匿名性)、家庭・学校に居場所がない。

リストカットの背景も「死ぬため」ではなく「生きるための手段」と説明されており、
現代社会が抱える病理が別の形で現れているということでしょう。

▢ 市販薬乱用者の共通する要因
・体質(ドーパミン放出機能の弱さ)
・幼少期の経験・生育環境
(例)親からの虐待・冷遇、学校でのいじめ、
   褒められる・認められる経験の乏しさ
 ・・・脳内報酬系(褒められ認められることによる天然のドーパミンの快感)を経験していない。
・トラウマ(性暴力、凶悪犯罪との遭遇)
 → 以上の要因があると薬物により得られる快感に絶大な魅力を感じやすい(感じるのはしかたない?)
 → 依存症になりやすい。

・・・脳内報酬系が自然に日常的に稼働する経験がないので、薬の快感に抵抗できないということ。
 演者は「生育環境など過去の話を聞くと、“薬に依存してもしょうがない”というひどいエピソードばかり」と話していました。

▢ 「孤立の病」としての薬物依存
・社会的孤立・・・人とのつながりがない
・薬物に手を出すキッカケは「つながり」を得るため
  → 「仲間」と見なされる
  → 大切な人との絆が深まる
  → 薬物使用・・・対人的な緊張感・不安の緩和、劣等感の解消
       ⇄ ひと付き合いの苦手さ、自尊心の低さ
・「助けて」が言えない・・・援助希求能力の低さ
・依存症の「自己治療仮説」(苦痛の回避)
・(安心して人に依存できない病気)

・・・市販薬乱用者は、従来の「楽しむためにクスリを使う」薬物中毒のイメージと異なり、みな真面目で孤独です。
人付き合いが苦手で人を頼るのも下手、つらさから逃れるためにクスリに手を出す、そしてそのクスリは近所の薬店で売っている・・・という悪循環ができやすい構図が浮かび上がります。

▢ 薬物依存啓発運動の功罪
・薬物乱用防止教育「ダメ、ゼッタイ!」
・薬物自体についての知識伝授としては意義あり。
・しかし依存症者への誤った理解と偏見を生じやすい。
・刑罰による排除・規制の強化は必要な支援と逆方向
・依存症者はさらなる孤立へ

薬物乱用者は病気なので、本人の意志があっても止められない、
それを非難すると逃げ場がなくなってしまい、孤立が深まる悪循環・・・。

▢ ハーム・リダクション
・薬物問題は刑罰や規制では解決しないことが世界共通の認識
薬物問題を抱える人に必要なのは刑罰ではなく、治療と支援
・WHO「薬物問題を非犯罪化し、健康問題として扱うこと」(2014年)
・ハーム・リダクション(被害の低減):薬物を強制的に止めさせることよりも、薬物による健康被害を減らし、命を守ることが重要。

・・・日本はこの考え方がまだまだ浸透していませんね。

▢ 支援者にできること
・薬物を使用したことを否定しない。
・止めること・止め続けることの難しさへの理解(簡単に手放すことはできない)
・根気強くつながり続けること(ゆるくつながり、時にはお節介も必要)。

<オーバードーズに対して周囲はどうする?>(NHKのHPより)
・つらい気持ちにより添う。
・解決には時間がかかると心得る。
・専門機関に迷わず相談する。


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ASD(自閉症スペクトラム)に対する薬物療法(西洋医学)

2024-08-29 14:08:36 | ASD 自閉症スペクトラム
これは児童精神科の領域であり、小児科医の私には縁遠い世界です。
基本的に「ASDを治す薬は存在しない」ことになっています。

しかし「発達症(ASD/ADHD)の困り事に漢方を」という小文をまとめてから、
西洋医学による介入はどうなっているんだろう?
と素朴な疑問が生まれました。

検索するといくつかの記事がヒットしましたので、読み込んでみました。

まずは小児ASDに対する薬物療法の報告を。

<ポイント>
・多動性、衝動性、興奮、気質性立腹、自己または他者への攻撃性に対する介入では、リスペリドンやアリピプラゾールなどの非定型抗精神病薬が第1選択薬として用いられている。
・三環系抗うつ薬は、有効性が不確実であり、重大な有害事象が懸念されるため、使用が減少している。
・SSRI、とくにfluoxetineとセルトラリンは、反復行動(不安症状や強迫症状)や過敏性/興奮の治療に有効である可能性があり、ミルタザピンは睡眠に問題を抱える患者に役立つ可能性がある。
・精神刺激薬(程度は低いがアトモキセチン)は、ASDとADHDが合併した症例においても多動性、不注意、衝動性の軽減に効果的であるが、特発性ADHDと比較すると、有効性はやや劣り、副作用発現率は増加する。
・クロニジンとグアンファシンは、多動性や情動行動に対し、ある程度の有効性が期待できる。

攻撃性には精神疾患同様、非定型抗精神病薬が用いられている様子。
古典的な三環系抗うつ薬は効果より副作用が懸念され使われなくなってきており、
SSRIでは、fluoxetineとセルトラリンは強迫症状や過敏性/興奮に有効(かもしれない)、
ミルタザピンは睡眠障害に有効(かもしれない)

さらに報告ではこの領域の2つの大きなハードルとして、
・ASD患者では、臨床反応と副作用の感受性に個人差が大きい。
・ASDの中核症状を直接的に改善する向精神薬はなく、併存症状の軽減や間接的な改善がいくつかの薬剤で報告されているにとどまっている。
ことを挙げています。

やはりASDを治す薬が存在しないことは現在でも事実で、
症状が強い場合は精神疾患に使われる薬剤を流用するけど、
効果や副作用は個人差が大きく、手探りで行っている様子が窺えました。

■ 自閉スペクトラム症に対する小児精神薬理学~システマティックレビュー
ケアネット:2021/05/18)より一部抜粋(下線は私が引きました);
  
 自閉スペクトラム症(ASD)は、一生涯にわたる重度の神経発達障害であり、社会的費用が高く、患者やその家族のQOLに大きな負荷を及ぼす疾患である。ASDの有病率は高く、米国においては小児の54人に1人、成人の45人に1人が罹患しているといわれているが、社会的およびコミュニケーションの欠陥、反復行動、限定的な関心、感覚処理の異常を含むASDの中核症状に対する薬理学的治療は十分ではない。イタリア・メッシーナ大学のAntonio M. Persico氏らは、ASDに対するベストプラクティスの促進、今後の研究のための新たな治療戦略を整理するため、小児および青年期のASDに対し、現在利用可能な最先端の精神薬理学的治療についてレビューを行った。・・・

 主な結果は以下のとおり。

多動性、衝動性、興奮、気質性立腹、自己または他者への攻撃性に対する介入では、リスペリドンやアリピプラゾールなどの非定型抗精神病薬が第1選択薬として用いられている
三環系抗うつ薬は、有効性が不確実であり、重大な有害事象が懸念されるため、使用が減少している
SSRI、とくにfluoxetineとセルトラリンは、反復行動(不安症状や強迫症状)や過敏性/興奮の治療に有効である可能性があり、ミルタザピンは睡眠に問題を抱える患者に役立つ可能性がある
・低用量のbuspironeと行動介入との併用は、限定的かつ反復的な行動に対し、ある程度の有効性が示唆されている。
精神刺激薬(程度は低いがアトモキセチン)は、ASDとADHDが合併した症例においても多動性、不注意、衝動性の軽減に効果的であるが、特発性ADHDと比較すると、有効性はやや劣り、副作用発現率は増加する
クロニジンとグアンファシンは、多動性や情動行動に対し、ある程度の有効性が期待できる
・他の薬剤については、症例報告や非盲検試験で有効性が報告されており、ランダム化比較試験は実施されていない。

 著者らは「ASDの小児精神薬理学の研究は、依然として少なく、2つの大きなハードルがあると考えられる。1つはASD患者では、臨床反応と副作用の感受性に個人差が大きい点があり、この低レベルの予測には、薬剤選択をサポートするうえで、症状固有の治療アルゴリズムやバイオマーカーが寄与する可能性がある。もう1つは、ASDの中核症状を直接的に改善する向精神薬はなく、併存症状の軽減や間接的な改善がいくつかの薬剤で報告されているにとどまっている点である」としている。

<原著論文>


次にASDのADHD症状に対する薬物療法についての報告を。

<ポイント>
・メチルフェニデートは、多動、易怒性、不注意などの症状に対し、プラセボと比較し有効であることが示唆された。定型的症状に対する影響は認められず、メチルフェニデート誘発性の副作用による脱落率が大きな影響を及ぼしている。
・アトモキセチンは、プラセボと比較し、多動および不注意症状に対し有効であることが示唆されたが、定型的症状または易怒性には影響を及ぼさなかった。
・グアンファシン、クロニジン、bupropion、モダフィニルなどの薬剤に関する情報は、限定的であった。

 → メチルフェニデートは、多動、不注意、易怒性に有効であるが、安全性に懸念がある。一方、アトモキセチンは、多動および不注意に緩やかな有効性を示し、副作用プロファイルは比較的良好であった。

当然というか、ADHDに使用されている薬物(メチルフェニデート、アトモキセチン)が適用されており、
効果はメチルフェニデート、安全性はアトモキセチン有利、という内容でした。


■ 自閉スペクトラム症のADHD症状に対する薬理学的介入〜メタ解析
ケアネット:2024/08/08)より一部抜粋(下線は私が引きました);
  
 自閉スペクトラム症(ASD)患者における注意欠如多動症(ADHD)症状の治療に対する薬理学的介入の有効性に関するエビデンスを明らかにするため、ブラジル・Public Health School Visconde de SaboiaのPaulo Levi Bezerra Martins氏らは、安全性および有効性を考慮した研究のシステマティックレビューを行った。・・・
 ASDおよびADHDまたはADHD症状を伴うASDの治療に対する薬理学的介入の有効性および/または安全性プロファイルを評価したランダム化比較試験を、PubMed、Cochrane Library、Embaseのデータベースより検索した。主要アウトカムは、臨床尺度で測定したADHD症状とした。追加のアウトカムは、異常行動チェックリスト(ABC)で測定された他の症状、治療の満足度、ピア満足度とした。
 主な結果は以下のとおり。

・システマティックレビューの包括基準を満たした22件のうち、8件をメタ解析に含めた。
・メチルフェニデートと比較した、クロニジン、モダフィニル、bupropionによる治療に関する研究が、いくつか見つかった。
・メタ解析では、メチルフェニデートは、多動、易怒性、不注意などの症状に対し、プラセボと比較し、有効であることが示唆された。しかし、定型的症状に対する影響は認められず、メチルフェニデート誘発性の副作用による脱落率が大きな影響を及ぼしていることが、データ定量分析より明らかとなった。
アトモキセチンは、プラセボと比較し、多動および不注意症状に対し有効であることが示唆されたが、定型的症状または易怒性には影響を及ぼさなかった
・さらに、研究からの脱落原因となった副作用に、アトモキセチンは影響を及ぼさないことが明らかとなった。

 著者らは「メチルフェニデートは、多動、不注意、易怒性に有効であるが、安全性に懸念がある。一方、アトモキセチンは、多動および不注意に緩やかな有効性を示し、副作用プロファイルは比較的良好であった。グアンファシン、クロニジン、bupropion、モダフィニルなどの薬剤に関する情報は、限定的であった」としている。

<原著論文>
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「依存症」は「孤独な自己治療」

2024-08-24 16:58:04 | 精神科医療
「依存症は治療可能な病気である」ことが最近指摘され、
実践されるようになりました。

万引きや痴漢を繰り返すヒトを“犯罪者”として扱うのではなく、
“治療が必要な病人”と考えるのです。

そんな私の感覚の中で、
表題にあるような、興味ある記事が目に留まりましたので紹介します。
読んでいて、

「従来の依存症診療は治療というより説教に終始し効果がなかった、
 説教でうつ病がよくならないのと同じ」
「根底にある「孤独」に向き合い癒やさなければ解決しない」

という文言には大いにうなづきました。

我々は時々、よかれと思ってやったことなのに、
間違いを犯していることがあります。

例えば、いじめ問題。
いじめる側を悪、と捉えて対処します。
例えば、虐待。
虐待した側を悪、と捉えて対処します。

もちろん、いじめも虐待も、
その行為に対する罰は受けるべきです。

しかしいじめも虐待も増える一方で、
全然解決されていません。

私は片手落ちだと思うのです。
「いじめる側の事情」
「虐待する側の事情」
を理解し、寄り添う行為がなければ解決しないのではないか?
日本ではその視点による対応が後手後手です。

<ポイント>
・法令違反として罰しても依存症という疾患は良くならないことから、依存性物質をやめさせようと強いるのではなく、依存症患者の人格を尊重して困りごとに対応し、物質使用による害を減じることがハームリダクションの理念。
・日本では、「ダメ、ゼッタイ!」というキャッチコピーに代表される、厳罰主義に基づいた施策が実施されている。依存症診療においても、依存症は無理やりでもやめさせることが大切であり、それが治療の基本と考えられていた。
・自分の力ではやめられないのが依存症という病気。そのような患者さんに医療者が「使うんじゃない!」と言うのは、説教であって治療とはいえない。説教でうつ病がよくならないのと同じ。
・精神科の診療の基本は「患者が何に困っていて、どうしたいか?」を聞き、そこを支援すること。どうやったらやめられるかを一緒に考える、というスタンスでなければ治療は進まない。
・依存症患者さんの困りごとを一緒に解決するため、まず、依存症に至る背景を理解する必要がある。すると皆、虐待などの大変つらい過去を持ち、人間不信と自信喪失を抱えて生きていることが判明した。
・依存症患者は「人に癒されず生きづらさを抱えた人の孤独な自己治療」として依存性物質を使用している。
・そのような状況の方に対して、無理に依存性物質をやめさせようとしても無理。根底にある「生きづらさ」「孤独」を癒さなければ、眼前の依存性物質から引き離しても、別の依存性物質に依存先を変えるだけ。
・依存性物質を使用する理由についてアンケートを取ると、6割が「苦しさを紛らわすため」と回答しており、「楽しいから」というのは3割弱にとどまった。
・意思の力でやめられないのが依存症であり、使用するのは病状であると説明している。依存症患者に「味方」と思ってもらわなければ、本音で話してもらえない。医療者は味方であること、困りごとに一緒に対応したいという思いを伝えて関わっていくだけで、いつしか信頼関係が築けて、その信頼関係に癒されるようになり、患者さんは依存症から回復していく。
・本人ができることは本人にやってもらい、本人ができないことを支援する。人を信頼できるようになり、人に癒されることで、依存症は回復していく。
・やめさせることができなくても、関わり続けることで、事故や自殺を防げる可能性がある。

■ 依存症は“孤独な自己治療”
 依存せざるを得ない背景の理解を埼玉県立精神医療センター副病院長の成瀬暢也氏に聞く
聞き手:小板橋律子=日経メディカル
2023/08/22:日経メディカル)より一部抜粋(下線は私が引きました);

 ハームリダクションと呼ばれる薬物施策を「薬物汚染が深刻な国が、取り締まることができないためにやむなく採用した施策」と誤解していないだろうか。法令違反として罰しても、依存症という疾患は良くならないことから、依存性物質をやめさせようと強いるのではなく、依存症患者の人格を尊重して、困りごとに対応し、物質使用による害を減じることがハームリダクションの理念だ。違法薬物の依存症患者に対しても、ハームリダクションの理念に沿う患者中心の診療を実践している埼玉県立精神医療センターの成瀬暢也氏に、その実際を聞いた。

──成瀬先生は、ハームリダクションという概念が国内で注目されるようになる前から、依存症患者への関わりにおいて「やめさせようとしない治療」を続けていたそうですね。

成瀬 日本では、「ダメ。ゼッタイ。」というキャッチコピーに代表される、厳罰主義に基づいた施策が実施されています依存症診療においても、長らく、依存症は無理やりでもやめさせることが大切であり、それが治療の基本と考えられていました。私自身、そう教育を受け実践していた時期がありましたが、この方法が有効であるとする科学的根拠はありません。厳しいことを言うと患者さんは受診しなくなるだけです。

 そもそも、自分の力ではやめられないのが依存症という病気です。そのような患者さんに医療者が「使うんじゃない!」と言うのは、説教であって治療とはいえない。説教でうつ病がよくならないのと同じです。本人はやめられないから困っているのですから、どうやったらやめられるかを一緒に考える、というスタンスでなければ治療は進まないと考えるようになりました。

 実際、精神科の診療の基本は、「患者が何に困っていて、どうしたいか?」を聞き、そこを支援することです。しかし、なぜか依存症診療はその基本から外れていたのです。私の診療は、本来の精神科の診療を依存症にも適応させているだけです。

 依存症患者さんの困りごとを一緒に解決するため、まず、私は、依存症に至る背景を理解する必要があると考え、患者さんにご自身のことを教えてもらいました。そして分かったことは、皆、虐待などの大変つらい過去を持ち、人間不信と自信喪失を抱えて生きているということです。以下に示すような共通する特徴があるのです。

<依存症患者に共通した特徴>(成瀬氏による)
1. 自己評価が低く自分に自信を持てない
2. 人を信じられない
3. 本音を言えない
4. 見捨てられる不安が強い
5. 孤独でさみしい
6. 自分を大切にできない

 依存症患者さんは、「人に癒されず生きづらさを抱えた人の孤独な自己治療」として依存性物質を使用しているのです。そのような状況の方に対して、無理に依存性物質をやめさせようとしても、無理というものです。根底にある「生きづらさ」「孤独」を癒さなければ、眼前の依存性物質から引き離しても、別の依存性物質に依存先を変えるだけです。

──「孤独な自己治療」とは胸に刺さる言葉です。先生は、覚醒剤のような違法薬物を使用している場合でも、初診時に依存症患者さんを「ようこそ!」と迎えるそうですね。

成瀬 覚醒剤も含めて依存性物質を始めるきっかけは、好奇心や快感希求です。しかし、それだけの目的で使う人は依存症には至らず、依存性物質から卒業していきます。一方、やめられなくなるのは、「孤独な自己治療」として用いる方々です。

 実際、私の患者さんの多くは「生きているのがつらい」と言います。依存性物質を使用する理由についてアンケートを取ったことがあるのですが、6割が「苦しさを紛らわすため」と回答しており、「楽しいから」というのは3割弱でした。加えて、自殺未遂歴がある方が6割もいました。孤独で追い詰められている方が最後の命綱のように薬物に依存しているのです。
・・・
 医療につながっていてもらうことが大切ですから、初診が勝負だと思っています。初診時に「来てよかった」と思ってもらわないと2回目以降につながりません。初診では、受診したことを褒め、困りごとをうかがって一緒に対応していくこと。また、覚醒剤には通報の義務はありません薬物を使用している場合、逮捕されると治療が継続できないという弊害が生じるので、決して通報しないと保証しています。ただし、治療に影響するので、使用した際は正直に教えてほしいとお願いしています。その際、意思の力でやめられないのが依存症であり、使用するのは病状であるとも伝えています。

 違法薬物の場合、逮捕されること自体を阻止するつもりはありませんが、治療の中断につながるため、「逮捕されてほしくない」という思いを伝えています。また、自身の生命の安全を確保するという意味で、使用時の注意点を教えています。例えば、誰かと一緒にもしくは誰かに連絡した上で使用する、使用した後は出歩かない、お酒と併用しない、睡眠を確保する、などです。

 がまんできずに使って、来院する方もいますが、そのような方にも、「よく来たね」と伝えています。使用後に来院するのはとてもたいへんなことですし、もし来院できなければ、孤立を深め、状態が悪化し、死か逮捕かとなるわけで、そう考えるとやはり、「よく来たね」という言葉が心から出てきます。
 とはいえ、外来治療中に逮捕される方は珍しくありません。そのような方には、「出所したらすぐにおいでね」と伝えています。

 依存症患者さんに「味方」と思ってもらわなければ、本音で話してもらえません。本音で話せる場所がなかった方々の「安心できる居場所」になる、これが治療を行う上で何よりも大切だと思っています。

──患者さんにそこまで親身に接していると、先生に依存する患者さんが出てくるのではと危惧しますが、それは大丈夫なのでしょうか。

成瀬 依存症診療で長らく言われていたことの1つに、「共依存になるので、熱心に関わるべきではない」というものがあります。巻き込まれてはダメ、甘やかしてはダメ、手を貸してはダメ、というものです。
 
 もちろん、医師一人で対応すべきではなく、救世主になってはいけません。多職種と一緒にチームで関わります。その際の基本的な考え方として、「本人ができることは本人にやってもらい、本人ができないことを支援する」です。本人ができることまでやってしまうのはよい支援ではないですし、本人ができないことを放置してしまったら、悪化してしまいます。また、治療にマイナスになることははっきり断るなど、線引きは心掛けています。ただし、巻き込まれないと見えないものがたくさんあるとも思うのです。関わった上で、適切な距離感を見つけていく、というプロセスが必要ではないかと思います。

 医療者は味方であること、困りごとに一緒に対応したいという思いを伝えて関わっていくだけで、いつしか信頼関係が築けて、その信頼関係に癒されるようになり、患者さんは依存症から回復していきます。「やめなさい」と一度も言っていないのに、ある時、「先生、やめれたよ」という報告を受けるという経験を数多くしてきました。無理にやめさせようとせず、関わり続けるだけで回復は生まれるのです。まさにこれは、ハームリダクションの理念に沿うもので、図らずも、実践の場で実感しているという状況です。

──まさに「北風と太陽」の寓話のようで、心温まるお話です。

成瀬 依存症は回復します。しかし、そのためには、人を信頼できるようになり、人に癒されることが不可欠だと私は考えています。

──ところで、欧米のような、無償の注射針提供などのハームリダクション施策は日本に必要とお考えでしょうか。

成瀬 海外と日本では、主に使用される薬物や社会状況が異なることから、必要な施策も異なると思います。欧米など海外で問題となっているヘロインは、大量使用時に呼吸抑制で死亡するリスクが高く、強い離脱症状も出ます。そのため、より安全な代替麻薬に置換する治療が実施されています。また、注射針の回し打ちによるHIV感染が激増したため、注射針の無償提供が行われていますが、日本では回し打ちでのHIV感染は少ないというのが現状です。日本で使用されることが多い覚醒剤は、興奮系の薬物で、呼吸抑制リスクがなく、離脱症状もあまりなく、代替療法はありません。

 ただ心配なのが、違法薬物に対する社会の目が厳しく、違法薬物依存者の回復の道を閉ざしかねない風潮が強いことです。通報のリスクから受診のハードルもとても高い。実は、覚醒剤による逮捕者は年々減っていますが、再犯率がとても高く、逮捕者の高齢化が進んでいます。

 加えて、「違法薬物でなければ使って問題ない」という社会風潮が強い点も心配です。「全国の精神科医療施設における薬物関連精神疾患の実態調査」の最新データでは、睡眠薬・抗不安薬が、覚醒剤をわずかに抜いて、やめられない薬物として初めて1位になりました(図3)。市販薬の乱用も急増しています。法による厳罰主義だけでは、薬物依存の問題は解決できないと感じています。


図3 1年以内に使用あり症例の「主たる薬物」の比率に関する経年的推移(出典:令和4年度厚生労働行政推進調査事業費補助金による「全国の精神科医療施設における薬物関連精神疾患の実態調査」2022年)

 私は、違法薬物も含めて薬物への依存症は、一般の精神科外来で診ることができないかと考えています。これまで紹介したように、覚醒剤であっても私は基本的に外来で診療していますので、病床のない精神科診療所でも実践できます。

 特に、処方薬や市販薬の乱用は、今後ますます増える可能性があり、依存症の専門医療機関だけで全ての患者に対応するのは不可能です。そもそも、処方薬の場合、処方している医師がいるわけですから、その責任もあります。

 処方薬や市販薬への依存症に対してどうアプローチすべきかの具体的な指針は現状ありませんが、依存症患者さんの背景は皆、同じです。人間不信と自信喪失を抱えて生きづらい人たちです。無理にやめさせようとせずに、患者さんと関わり続けていただきたいです。やめさせることができなくても、関わり続けることで、事故や自殺を防げる可能性があります。悪い方向にはいかないでしょう。
 
 アルコール依存症には、内科などの、かかりつけ医に関わっていただきたいと思っています。国内には、アルコール依存症患者は107万人存在すると推定されています。一方、診断が付いているのは5万~8万人程度で、その多くは重症化した後です。軽症患者さんは自覚がなく、治療も受けていませんが、本来、軽症の段階で関与して重症化を予防するのが医療でしょう。
・・・

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