米国のシンガーソングライター、プリンス(1958年6月7日 - 2016年4月21日)が亡くなりました。
原因はミュージシャンにありがちな薬物の過剰摂取らしい。
プリンスの思い出を少し書いてみます。
私は大学生時代、アメリカンヒットチャートをひたすら追っていた時期がありました。
中でも大学3年だった1984年はどっぷりつかり、小林克也さんの「ベストヒットUSA」を友達のアパートへ毎週欠かさず見に行きました(テレビを持っていなかったので)。
全米1位になるヒット曲は底抜けに明るい曲が多い中、一際異彩を放ったのがプリンスの「When Doves Cry」(邦題は「ビートに抱かれて」)。
そのほの暗いダークさに引き込まれました。
確か1984年の年間チャートも1位だったはず。
当時紹介されたインタビューでは、
「肌の色ではなく音楽のクオリティーで評価される世界になって欲しい」
と言っていたことが印象深く私の中に残っています。
NHKのSONGSで紹介されたプリンスは、
・スティービーワンダーに憧れて、作詞作曲、楽器演奏をすべて1人で行った
・1人で孤独に自分で作ったミネアポリスのスタジオに籠もって多重録音で曲を作り上げた
・ビジネス優先のレコード会社と折り合いが悪く、一時期プリンスという名前を使えなくなった
などのエピソードを紹介していました。
<YouTubeより>
□ 「Purple Rain」
□ 「LET'S GO CRAZY」
□ 「Batman - BatDance」
原因はミュージシャンにありがちな薬物の過剰摂取らしい。
プリンスの思い出を少し書いてみます。
私は大学生時代、アメリカンヒットチャートをひたすら追っていた時期がありました。
中でも大学3年だった1984年はどっぷりつかり、小林克也さんの「ベストヒットUSA」を友達のアパートへ毎週欠かさず見に行きました(テレビを持っていなかったので)。
全米1位になるヒット曲は底抜けに明るい曲が多い中、一際異彩を放ったのがプリンスの「When Doves Cry」(邦題は「ビートに抱かれて」)。
そのほの暗いダークさに引き込まれました。
確か1984年の年間チャートも1位だったはず。
当時紹介されたインタビューでは、
「肌の色ではなく音楽のクオリティーで評価される世界になって欲しい」
と言っていたことが印象深く私の中に残っています。
NHKのSONGSで紹介されたプリンスは、
・スティービーワンダーに憧れて、作詞作曲、楽器演奏をすべて1人で行った
・1人で孤独に自分で作ったミネアポリスのスタジオに籠もって多重録音で曲を作り上げた
・ビジネス優先のレコード会社と折り合いが悪く、一時期プリンスという名前を使えなくなった
などのエピソードを紹介していました。
<YouTubeより>
□ 「Purple Rain」
□ 「LET'S GO CRAZY」
□ 「Batman - BatDance」