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“子ども”を取り巻く諸問題

育児・親子・家族・発達障害・・・気になる情報を書き留めました(本棚4)。

ピーマンBOX「中川ひろたか博覧会」

2013年07月07日 15時37分46秒 | 育児
2007年、講談社発行

(帯のコメント)
「男性保育士資格取得、日本第一号 中川ひろたかのすべて
 歌、あそび、絵本
 おもしろいこと ぎゅうぎゅうづめ!」

 「おでん、おんせんにいく」という絵本を読んで以来、彼のファンになりました。
 本人の自己紹介はさておき、この本の魅力はなんといっても彼の紹介する絵本画家達。
 それを参考にして随分絵本を買い込みました。

 お気に入りの絵本画家は・・・

長谷川義史
 この方のヘタウマ絵、たまらなく好きです。
 荒削りだけど、醸し出す雰囲気と微妙な表情は天下一品!
 「この子はこんな子」と決めつけずに、環境によってどうにでも変わっていくという子どもの無限の可能性を秘めているように見えます。
 それから、なんとなく「昭和」を思い出す背景もお気に入り。
 「おでんおんせんにいく」と「れいぞうこのなつやすみ」はストーリーが秀逸で大人も楽しめます。
 「いいからいいから」は当院待合室の人気絵本。いたずらをして母親に叱られると「いいからいいから!」と言いながら逃げ回る子どもが増殖中です(笑)。
 「おへそのあな」はこれから生まれてくる赤ちゃんがおへその穴から外を覗いたひとり言。
 「ぼくがラーメンをたべているとき」は、平和な日本でラーメンを食べているこの瞬間に世界中ではどんなことが起きているのかを提示する、ハッとするような展開です。
    

村上康成
   

長野ヒデ子
   

はたこうしろう
  

ささめやゆき
  

ひろかわさえこ
  

お母さんにやさしい国「ノルウェー」

2012年11月18日 06時16分28秒 | 育児
2012年11月15日のNHK番組「地球イチバン」で放映されました。

お母さんにやさしい国~ノルウェー~
<内容紹介>
世界165か国を対象にした “母親指標”調査で世界一になった国、ノルウェー。育児休業は有給で47週、父親が育休を取得する割合も9割を超え、会社の取締役も40%以上が女性!国会議員や大臣にも女性がイッパイというお母さんが活躍する国。かつては男尊女卑の慣習もあったノルウェーが、なぜイチバンお母さんにやさしい国になったのか。“男たちの意識”を変えた大胆な“作戦”とお母さんたちを支える様々な“チエ”を探る。


育児に関する、日本人にはショッキングな数字・内容が次々に提示されました;

・日本は女性就業率がアジアの中でも低いとIMF(国際通貨基金)に勧告された(★ 2012年10月「Can woman save Japan?」)。
・育児休暇はノルウェーでは夫婦合計47週取得することが可能であり、男性も90%以上利用している。47週のうち12週は男性(お父さん)専用。その間の給料は国民保険で100%保証されている。日本では給料保証は50%で、男性の育児休暇取得率は2.6%と話にならない。
・ノルウェーでは保育園は1歳から入園でき、かつ待機児童がいない。日本での待機児童は2万6000人。
・女性の会社取締役がノルウェーでは4割以上と法律で定められている(かつ男性が4割を下回ってはいけない)。


等々。

さて、このような番組では「だから男が悪い」という論調になりがちです。
しかし、問題にすべきは社会環境であり、すり替えてはいけません。

母親に優しく育児に優しい施策を実現できる条件、社会基盤は日本にあるでしょうか?
ノルウェーでは、
□ 消費税が25%と超高率、
□ 男性でも午後6時には帰宅できる労働環境

なのです。
菅首相が「消費税を5%→ 10%に上げる」と言った途端に参議院選挙で負け、ねじれ国会にして「決められない政府」にしたのは我々国民自身ですから、「社会で子育てを」と主張する資格があるかどうか自問自答すべきでしょう。

★ 「Can woman save Japan?」より一部抜粋;
 北欧の多の国々では、政策が変化をもたらした。例えば、スウェーデン政府は、包括的な育児休暇政策を整備し、育児制度に多くの補助金を出している。また、女性を対象とした短時間勤務の厳格な制度も確立している。これらのシステムにより、出産後に労働力として戻ってくる女性の割合が高く(90%以上)なった。一方オランダでは、パートタイムの仕事を、フルタイムと同等の時間給や福利厚生、雇用の保護を設定することで、フルタイムと同様に魅力的なものにする事に重点を置 いている。
 アジアでは、欧米諸国と比較して、政府の育児面への支援が極めて少ないという傾向がある(図4)。これは、一部はアジア諸国の経済の発展レベルを反映しているが、アジアの最先進国でさえ他の先進国との差がみられる。スウェーデンの育児に対する支出は、日本の3倍、韓国の5倍である。


自宅病児保育という発想 ~ NPO「フローレンス」

2012年11月17日 21時29分35秒 | 育児
 2012.10.29放映のNHKの番組「ハートネットTV-未来へのアクション」で取りあげられました。
 「”子育て”で未来を変える」という副題が気になって試聴しました。

 フローレンスが扱うのはちょっと変わった病児保育システムです。
 ふつう、病児保育とは病気の子どもを病院・医院など医療施設で預かることを意味しますが、フローレンスは保育士など保育経験が豊富なスタッフを派遣して、病児の自宅で看病するという発想。
 これは施設を作る必要が無いのでコスト削減になりますし、スタッフは朝病児宅へ行き子どもをかかりつけ医に受診させその後看病・保育するという念の入れよう。
 働くお母さん方がのどから手が出そうなサービスですね。
 ただ、形態としては欧米の「ベビーシッター」という慣習と共通するところがありそうです。「困った時のベビーシッター」制度といったところでしょうか。

 フローレンスの代表は33歳の駒崎弘樹という青年実業家です。
 社会をよく見つめて何が必要か、これをこうすれば皆助かる、幸せになるというパズルを解くようなセンスに脱帽しました。

 自宅病児保育の他にも「おうち保育園」と称して駅に近いマンションやアパートの空き部屋に保育士を常駐させる小規模保育園も展開しています。
 番組の会場となった青山学院大学での質疑応答の中に彼の興味深いコメントを見つけました。
苦情や希望を国に訴えてもなかなか実現しない・・・しかし自分でひな形を示して『こうするとうまく行くんですよ』と一歩踏み出して実行することで政治を動くのを実感しています。
 なるほど。

 女性就業の強い味方となる「自宅病児保育」「おうち保育園」は全国に広まることでしょう。

「キミは何のために勉強するのか」(富田一彦著)

2012年08月05日 11時56分55秒 | 育児
大和書房、2012年発行

著者は代々木ゼミナールの英語講師で、その道では有名な先生らしい。
本書を読むと東大出身で、ご子息も東大生であることが分かります。

そんな立場から「勉強することの意味論」を展開しています。

勉強は知識を詰め込むことではなく知恵を磨くことである。
知恵とは抽象化する技術である。
この目的からすると、現在の学校の授業はなっていない。
システムも変だし、教師も努力不足である。


とこんな内容が繰り返し書かれています。
わかりやすい授業で生徒に自信をつけさせ、試験で現実を突きつけることは正しい方法、と。
その他にも「そうそう、そうだよなあ」と頷ける箇所がいくつもあり、勉強になりました。

しかし、この本が対象にしている読者層は、おそらく受験生の上部1割くらいの成績優秀者という印象が拭えません。
人生から「勉強」という要素のみを抜き出せばこの本の内容は正しいと思いますが、それだけではちょっと・・・所詮、予備校講師の著者には学校が抱えるいろんな問題は他人事なのなかあ。

「自分に自信が持てない学生」という表現にはドキッとしました。
現代の日本の子育ての問題点が、塾講師も感じるほど顕在化しているのですね。

また、ちょっと話がくどくて読むのが辛かった。
著者の提案である「抽象化」をすれば、1/3のボリュームで云いたいことは伝えられるのではないでしょうか。

「完・子どもへのまなざし」(佐々木正美著)

2012年07月19日 05時56分41秒 | 育児
2011年発行、福音館書店

私の尊敬する佐々木先生の近刊です。
もう10年以上昔、子ども虐待事例に出会い本を読みあさっている際に出会ったのがこのシリーズ。
目から鱗が落ちつつ、うんうん頷きながら読み進めたことが懐かしく思い出されます。

内容は、近年の子どもを取り巻く環境の変化について触れ、エリクソンのライフサイクル・モデルをわかりやすく解説し、そして自閉症スペクトラムについて触れています。
単なる解説ではなく、問題ある子どもたちに関わってきた40年の臨床経験から発せられる珠玉の言葉がちりばめられています。
特に印象深かったのは、自閉症患者の方々の共通する希望として「支援よりも、理解してほしい」「理解ができないのなら、支援はしないでほしい」との切実な言葉を紹介されていることです。
安易な同情や親切心は決して優しさではない、という逆説的な真実を重く受け止めました。

最終章は、佐々木先生ご自身の生い立ちについて記す自伝的内容です。
数ある彼の著書の中で、初めての試みではないでしょうか。
近年、ご病気を患っているという噂を耳にしたこともあり、心穏やかに読み進められませんでした。

<メモ>
 自分自身のための備忘録です。

■ 「たった一人の子どもが育つためにだって、村中の人の知恵と力が必要なのだ」・・・アフリカのことわざ。

■ 「義務を果たした人間にのみ、その義務に見合った権利が与えられると思う」・・・「権利と義務」というシンポジウムに参加した高校生のコメント。
 自分だけの個人主義を考えるのだったら、これはもう利己主義、自己中心主義です。

■ 育児に関しての心配や迷いがあったとき、その問題をどう解決しますか? という質問に対して。
 ・・・育児に肯定感を持っている母親ほど、まわりの人に相談します。育児に否定的な気持ちをの強い母親は、育児書とか育児雑誌に頼っていました。

■ 日本は世界第一位のペット王国です。子ども産む数は世界でも際だって少ないですが、ペットは世界一いるのだそうです。

■ 乳幼児期に思い切りスキンシップを与えられて育てられた子は、家族や友達と安定した関係が継続できますから、思春期・青年期になっても、安易に他者と性的な関係にはなりません。

■ 子どもを虐待してしまう親、多くはお母さんですが、その60~75%のお母さんが、自分も虐待された経験を持っているという研究報告があります。虐待されて育ってきた親が、また自分の子どもを虐待してしまうのはなぜなのでしょうか。
 ある臨床心理士のコメント:「自分自身が幼いときに親から虐待を受けた人は愛情に飢えている。だから、愛情に対する欲求がとても強いのです。子どもを愛することよりは、自分が愛されたいと云うことにずっと大きな関心があるんです。」
 結局、虐待防止、あるいは、虐待という不幸な状態にある家族を支援すると云うことは、その親の人間関係を支援すると云うことです。

エリクソンのライフサイクル・モデル
 児童精神医学者のエリクソンが、成長の過程で乗り越えるべき課題を「発達課題」として示したもの。
 要約すると・・・

 人間は、宇宙の中の一点に過ぎない地球に、自分の命を与えられ、育まれ、そして人を信じて、自分を信じて、自分の衝動をコントロールすることができて、自主的に生き生きと振る舞え、仲間から多くのことを学び、仲間にたくさんのことを伝えることでき、価値観を共有できるような親しい人に恵まれて、自分という存在をそのままかけてもいいという、仕事なり、価値の中に自分の身を置いて、それから、自分という個人をかけてもいいという相手を見つけて結婚して、先人から引き継いだことに自分の時代で新たな一ページを加えて、それを次の世代の人に譲り渡していきます。
 こういう秩序の中に自分の一生は与えられて、人生は幸福だった、これでよかったと思うことができれば、これは「人間の一番健康で幸福な障害だと言えるのです」とエリクソンは云いました。


乳児期(誕生~2歳くらいまで):基本的信頼(人を信じること)・・・「人間が人間として社会的な成熟をしていくために、まず人生の第一歩として、乳児期ないしは早期幼児期に、もっとも重要な発達課題は、人を信じることです。」「人間というのは、人生の始まりにおいて、自分が望んだように育てられれば育てられるほど、生きる希望がわいてくる。基本的信頼の中身は希望です。」(エリクソンの言葉)
 ところが一般論として、現代の親は愛し方がとても下手になりました。子どもが望んでいるような愛し方をちゃんとできる親は、本当に少なくなりました。親の方が、自分の望んでいることを子どもに押しつけようとします。例えば、夜泣きをしない赤ちゃんになってほしい、離乳食をちゃんと食べてほしい、オムツを汚さない赤ちゃんになってほしいなど、自分が望んでいるような子どもになってほしいという感情がとても強いのです。このような感情がとても強いと、ときには虐待にまで至ってしまうこともあります。

幼児期(2~4歳くらい):自律性(自分の感情や衝動をコントロールする力)・・・「自分を律する力は、人を信じる力と自分を信じる力のあとにしか育たない。」(エリクソンの言葉)
 ふだんのしつけの中で、うまくいかなくても、叱ってはいけません。何度でも教えてあげて、何度でも手伝ってあげる、というやり方が良いのです。「いつからちゃんとできるようになるかは、ゆっくり待っていてあげるから、自分で決めていいですよ」というスタンスが必要です。親が「まだできないの」「早くしなさい」「何度言えばわかるの」というようなしつけ方をすると、子どもの自律性は損なわれてしまいます。自分で決めさせてあげなかったら、いつまでたっても、子どもの中に自律性は育たないのです。

児童期(4~7歳くらい):自主性
 自主性は子どもが遊びの中で育てるものです。昨日できなかったことを今日こそはできるようになりたい、少しでも上手に遊びたいと思っているのです。ですから、この時期の子どもを思いきり遊ばせて挙げてください。子どもがいたずら遊びをして、ご近所の人に迷惑をおかけしたら、私たち大人は、子どものいたずら遊びに目くじらを立てるのではなく、ごめんなさいと謝って歩けばいいのです。

学童期(7~12歳くらい):勤勉性(社会のルールを守り、社会的役割、責任を果たしながら生きていく力)・・・「小学校時代の数年間の過ごし方によって、将来、社会人として勤勉に生きていくことが出来るかどうかを、決定的に左右するものがあります」(エリクソンの言葉)
 友達からものを学び、友達にものを教えるという体験の豊富さが、勤勉性の基盤です。子どもたちは遊びを通して、最終的には友達とルールが大切なこと、ルールを守り上達するために努力することが、本当に感動的な喜びを体験するために重要なことを学び合うのです。

思春期(13~17歳くらい):アイデンティティの確立(自分を知る、自分という人間の個性や特質を問う時期)・・・「自分を主観的に見ているうちはアイデンティティはできません。自分を客観的に見つめること、思春期、青年期はそういうことがとても重要な発達課題になります」「価値観を共有できる友達を持つことが大切です」(エリクソンの言葉)
 小学校時代の子どもは、基本的に友達を選びません。しかし、徐々に気の合う友達を選び合うようになり、中学生・高校生になると誰とでも友達には慣れなくなります。この時期に大切な他者は、先生や尊敬する人も重要になりますが、それ以上に大切なのは、話が合う、気持ちが合う友達が、価値観を共有できる友達が、数は限られても必ず必要です。
 引きこもりやフリーターといわれる状態は、アイデンティティの拡散した状態そのものですが、自分の個性的な特質を求めて苦悩しているのです。自分は何をしていいのかわからないので、引きこもりやフリーターになったりします。

成人期:親密性(自己の確立と云うことをしっかりして、他者と親密な関係を結ぶ能力)
 その一つのとても特別な形態が結婚です。相手に自分をかけることができるほどに親密だと云うことですね。ところが近年、思春期で自分がしっかり確立しないまま、自分探しで迷ってしまっているうちに結婚してしまう人がいます。だからすぐに破局を迎えて、次々に相手を替えて何人とも結婚するという人が増えてきました。

壮年期:世代性(先人が残してくれた文化や習慣、技術や思想をしっかり引き継ぎ、自分が実践して蓄積してきたことをその上に付け加え積み重ねるて次の世代へ譲り渡すこと)

老年期:統合

■ 赤ちゃんは存在するだけで、親を幸福にする存在です。かわいくてかわいくて、3歳までに生涯分の親孝行をすませてくれてしまう。
 本来人間というのは、相手が自分を幸福にしてくれるという気持ちを持てる人だけが、相手を幸福にできるのです。親が子どもを愛する力がないうちに、子どもが生まれてしまう「できちゃった婚」が増えるのは残念なことです。子どもを待ち望んで、歓迎して子どもを産むという文化を、私たちはもう一度取り戻さなければいけないと思います。

■ 子どもというのは、人から好きになってもらって、はじめて自分のことを好きになれるのです。お母さんが赤ちゃんと一緒にいることを幸福に感じることができたら、赤ちゃんもお母さんと一緒にいることが幸福なのです

■ 保健室は学校の中でただ一つ母性的なところです。教室は父性的なところです。ですから、乳児期に基本的信頼を育てられなかった生徒は、母なるものを求めて保健室へ行くのです。

■ 不登校や引きこもりの人の、中心的な心理状態は「自分を取り巻いている人に対する不信感」です。単純に、親の責任などと言うつもりはありませんが、これらの問題の解決は、お母さんへの信頼の回復から始まるのも事実です。

■ 「勉強しなくちゃダメだよ」というのは父性性であり、「できなくたっていいよ」というのが母性性です。そして、幼いときに母性性が十分与えられた子どもにしか、父性性は伝わっていかないという順序があります。育児をするときは、母性性と父性性がバランスよくあればよい、と思っている人は間違いであり、順序があることを知るべきです。

■ 子どもの将来を思うと云うことは、親が望むような子どもになってほしいという、親の自己愛の感情なのです。親がいつも「こういう子どもになってほしい」という態度で接していると、子どもには「今のあなたに満足していない」というメッセージとして伝わります。結果として、子どもには親の望みを満たさないと愛してもらえない、親から自分が否定されていると伝わるのです。

■ 他者とよい交わりをするためには、まず心から「ありがとう」「ごめんなさい」と言えるところから始まります。「ありがとう」「ごめんなさい」と心から言えるというのは、相手の人に対する信頼感があるということです。
 ところが、この二つの言葉が言えない子どもたちもいます。児童養護施設で働く友人から、繰り返し教えられてきたことですが、施設の子どもたちは仲間や職員に対して、なかなか「ありがとう」「ごめんなさい」という心を、言葉で伝えることができないのだそうです。相手から「ごめんなさい」「ありがとう」と言われるような環境で、育てられることが少なかったと云うことでしょう。

■ 発達障害の特性の本質をひとまとめにして云いますと、脳の機能障害によって、脳の多様な機能を同時総合的に働かせることがうまくいかないと云うことです。コミュニケーションがうまくいかないこと、社会性が育ちにくいこと、興味や関心が向かうところが狭いと云うこと、この3つが発達障害の主な特徴です。これらの特徴のために、周りに理解者がいないと、どうしても孤立しやすくなります。そのため学校に入ると、いじめに会うこともしばしばです。

■ ローナ・ウィング(世界的に高名な自閉症の研究者で臨床家でもあり、自閉症の子どもの母親でもある)さんは「自閉症の人は、彼らのほうから私たちの世界や文化の中に、溶け込んでくることはできないのです。私たちのほうから、彼らの世界や文化に近づき入っていく努力をした後に、彼ら一人一人の手を取って、私たちの世界に導いてあげなくては、一緒に生きていくことはできないのです。」と語っています。
 自閉症の子どもを、一般の子どもに会わせようとする教育は、じつはできないのです。デンマークでは、自閉症の子に一般の子ども達が合わせにきてくれます。これを逆統合といいます。

■ 発達障害の人たちは、脳をコントロールする機能が弱いのですが、他の機能は少しも弱くありませんし、例えば、目で見た者を理解する力とか、記憶力は非常にいいとか、一般の人たちより優れたところもあります。

■ 自閉症スペクトラム(連続帯)の人たちは、本来実直で裏表がない性質を持っていて、規則を守り、まじめに生きていこうとしています。うそをついたり、社会のルールを違反したりする人ではありません。それが、周囲の偏見や誤解や無理解な対応によって、さまざまな社会的不適応の状態に追い込まれたり、場合によっては、非行や犯罪に至ったりすることがあるのです。
 逆に自閉症の人たちが、いきいきと生活をしている時と場所には、必ずと云っていいほど、周囲に特別な理解者がいます。
 忘れないでいただきたいのは、近年、自閉症の人の犯罪が目立ってきましたが、世の中の犯罪の99%はこの病気でない人たちが起こしているのです。

■ 現在の日本における不登校は小中学生で約14万人、引きこもりは青年・成人まで含めるとその10倍くらいと云われています。私の実感では、そのうちの40%以上は発達障害の人たちではないかと思われます。

■ 自閉症スペクトラムの子どもたちは、見たもの、見えるものを見たとおりに覚え、記憶する力は、一般の子どもたちより、はるかに高い能力を持っています。一方、話し言葉のように見えない情報に意味を見いだすことが苦手です。
 彼らは、目で見えないものを頼りに生きていく力は、とても弱いのです。ですから、目で見えるものを手がかりに生きていこうとします。

■ テンプル・グランディンさんは、アメリカの頃だ土台学の動物行動学の教授をなさっている方で、かつ高機能自閉症あるいはアスペルガー症候群の典型的な人です。テンプルさんは「自分の国の言葉(英語)が、みなさんにとっての第二言語、要するに外国語に等しいように思う」と言っています。
 講演でお会いしたときに「テンプルさんの第一言語は何でしょうか?」と聞いたところ、それは「文字であり、絵であり、写真であり、目で確かめることができるものです。自分は言葉ではなく、目で考えます。」とおっしゃいました。

■ 自閉症の方々にとって、話し言葉での他者とのやり取りは、大変な神経を使わなければなりません。だから、メールでのやり取りで済ませることができれば、どんなに楽かと思います。

■ 自閉症の人は、一つの言葉に対し一つの意味しか理解できません。
 あるとき、自閉症の少年にお父さんが「おまえもその場の空気が読めるようにならないとダメだ」といったそうです。
 そうしたら、その少年は驚いて(お父さんの頭がおかしくなった)と思ったようです。「お父さん、空気なんか読んじゃダメだ。空気は吸うものだよ。読むのは字にしなさい。」といったそうです。
 つまり、この少年は空気というものの持つ意味、概念を私たちのように拡大して解釈できないのです。

■ 自閉症の人たちの特徴の一つに「シングルフォーカス」があります。ものの細部にこだわり、全体を見ることが苦手で同時総合的に視野に捉えることができません。たとえば、大きな公園など広々としたところへ行っても、景色を広範囲に眺めている自閉症の人はめったにいません。座り込んで目の前にあるものを集中してみているだけのことが多いのです。

■ 自閉症の子どもを持った親御さんが、自分の子どもの障害を受け入れられないと云うことは、実は、その子を受け入れていないのと同じ事です。人間というのは、拒否され続けて育てられると、攻撃性と退行と云いますが、赤ちゃん返り、幼児化して、激しい攻撃性を持つようになってしまいます。
 逆に、親が子どもの障害を受け入れることができ場合、誰一人として不幸なことになっていません。

■ 子どもの人生を幸福なものにしてあげること以上に、親としての大きな喜びなどないのではないか。そのために親が子どもに抱いてやれる愛は、自分の希望や欲求よりも、子どもの幸福な人生を優先させてあげることでしょう。

■ 自閉症の子どもたちは、何事にも「こうしなさい」と云われると理解できても「こうしてはいけません」と否定的に云われると、何をどのようにしていいのかわからなくなり、混乱します。
 一番いけないのは、「どうしてそんなことするの」とか、「何度言えばわかるの」というような、感情的な言い方です。これは最悪です。こんな言い方をされると、この子達は、さらにわからなくなるばかりでなく、ダメだという否定された感情だけが記憶に残ってしまいます。

■ 自閉症の子どもは、いつも過覚醒状態にあります。いつも警戒をしている弱い動物の睡眠によく似ていて、眠りが浅く、ぱっと目が覚めます。目ぼけている状態のときなんかほとんどありません。ですから、昼寝はあまりしたがらないです。

■ 自閉症の子どもたちは、休み時間に不適応行動が多いです。理由は簡単で、何をすればよいのかわからないからです。対策として、お母さんからあらかじめ本人が好きなことを何種類か聞いておくとよいですね。この子達が目で確認できるように、絵か写真カードを3つ位並べて、選ばせてあげるといいのです。たくさんなラベルと、また混乱してしまいますので注意してください。

■ 私たちは発達障害を持った人たちを理解することなしに、善意を押しつけがちです。
 自分たちのことをよく理解しないまま、熱心にしつけや教育をしようとして、口うるさくあれこれ言う大人や教師は、災害に遭ったときのように自分たちを絶望的にする、というのがアスペルガー症候群の人たちの、ほぼ共通した気持ちです。
 ですから、周囲の人たちはただ前医を持って全力で対応すればよいというような、素人的なことではダメで、何をどのようにすればよいかという、適切な知識と知恵が求められます。
 理解していただきたいのは、この人達はけっしてコミュニケーションや話すことを避けているわけではありません。安心して話し合える他者に巡り会えないで、苦しんでいる人たちなのです。

■ レオ・カナー(自閉症を初めて報告した児童精神医学者)の言葉。「私たち大人は、親でも教師でも、子どもの将来の幸福を思うばかりに、子どもに過剰な期待をしてしまいがちです。過剰期待というものは、その本質に、現状のあなたには満足していないという感情があり、相手に与えるものは愛情どころか、拒否や否定につながるメッセージであり続ける事が多いのです。教育熱心な親や教師が、子どもを育てる家庭で、しばしば間違いを起こすのは、この感情からです。


「さくら家」のしつけ

2012年06月20日 06時02分04秒 | 育児
 「さくら家」と「ちびまる子ちゃん」こと「さくらももこ」の家族です。
 6/17放映のちびまる子ちゃんは親友のたまちゃんへ送る誕生日プレゼントのお話でした。

 まる子は流行のチェック柄バッグをプレゼントしようと貯金をはじめました。
 お小遣いだけでは足りないので、お母さんとお父さんのお手伝いをいつになく一生懸命行い、何とか目標額に到達。

 いざバッグを買いにお店へ・・・その途中にある駄菓子屋で誘惑に足止めされました。
 といっても、これもたまちゃん関係。
 くじの3等のブローチを気に入っていたたまちゃん。
 お金にちょっと余裕があったので、くじにトライするまる子。
 何回目かで当たってブローチをゲットするも、気がつくと残金ではバッグが買えなくなっていました。
 ドジなまる子らしいエピソードです。

 ベソを掻きながら帰宅するまる子。
 おかあさんに「お金貸して!」とねだるも、母は「残りのお金で買えるものにしなさい」との返答。

 再度お店へ向かうまる子。
 ウインドウを覗きながら立ち尽くすまる子の横をおばあちゃんが通りかかる。
 事情を聞き、しばらく考えていたおばあちゃんに名案が浮かびました。
 裁縫関係のお店でチェック柄の生地を購入し、自分で作るよう促したのでした。

 帰宅後、おばあちゃんの指導の下、まるこがバッグを自作します。
 いつの間にか家族が集まりワイワイがやがや・・・そして完成。

 翌日学校でたまちゃんにプレゼントすると、「世界にたった一つのバッグをありがとう」と感謝感激。
 クラスのみんなが集まってきてやんややんやと盛り上がりました。

 というお話です。
 おそらく、通りかかったのがおばあちゃんではなく友蔵じいちゃんだったらお金を出してしまったでしょう(笑)。
 私が親だったら、泣いている子どもを前にしてお金を与えてしまうだろうなあ、と思いながら見ていました。
 でも、お金を与えず、できる範囲で、ダメなら自分が汗をかいて手作りするよう仕向けた「さくら家」の女性たちは素晴らしい。
 モノで解決しがちな自分自身を反省させられたアニメでした。

「子育ての民俗を訪ねて」by 姫田忠義

2012年01月13日 07時25分20秒 | 育児
 副題「~いのちと文化をつなぐ~」
 柏樹社、1983年発行

 在野の民俗研究家である著者が「民族文化映像研究所」の仕事として日本各地を訪れた際に見聞きした子育て文化に関する文章をまとめたものです。

 日本古来の一般人の生活を垣間見ると「弱き者は寄り添い工夫して生き延びてきた」という厳しい現実に突き当たります。
 夫婦・親子の絆、地域の結びつきが現在よりも強かったのは、取りも直さずそうしなければ生きていけなかったから。そして「生きるための知恵」が随所に散りばめられていました。

 当然、子育て習俗にも反映されます。
 子どもを育て、一人前の働き手にするシステムが家・村に存在するのです。もちろん学校がない時代から。
 記憶に残った箇所を列挙します;

与論島では一人で子どもを産む
 この島では、家族にも誰にも知られないで一人で出産するのが賢い女のすることだとされていた。出産を家族や他人に知られるのは恥だった。産婦は昼間の畑で一人で産み落とし、自分の下着にくるんで帰ったり、夜であれば、主人に知られないように奥の間で一人で産み落とし、産み落とした後に主人を起こしたりした。ヘソの緒は、一人でヤンバルダイ(琉球竹)で切り、マフウ(麻)でしばった。そして1週間ほど、火の燃えるジュウの横で休ませてもらった後、体を慣らしながらふだんの生活に戻っていった。
 この村に産婆さんが登場したのは昭和15年頃だが、その後も自宅分娩がふつうだった。
 出産は自分の力でするものだという気風が、今も脈々と生きている。
 しかし、昨今の日本では、そうでもない様子。出産であろうが何であろうが、すべて医者任せの風潮が嘆かわしい。
 ここで生まれた子には、和風の名をつける前にまず伝統的な島風の名(先祖から子孫へ次々に伝えられてきた名)をつける習わしがある。子どもは単に夫婦の子ではなく、先祖から与えられ、神から与えられたものだという意識が脈々と生きており、特に女性にそれが深々と伝えられている。

子どもは神からの授かりもの
 埼玉県秩父地方では「7歳までは神の子」「7~15歳は村の子」「15歳以上は村の人」という。
 これは7歳まで生き延びるのが大変だった時代の名残もあると思われる。事実、7歳になるまで祭事が多く存在し、子どもの発育・成長を喜びながら大切に見守ってきたことの表れであろう。
 伝統的な日本人の認識では、子どもは決して親という個人のなにものかではなく、社会的な集団の一員であり、ことに7歳まではその社会全体が注意深く見守るべき「授かりもの」であった。今日の私たちには、そういう意識が欠落してきていると云わざるを得ない。

大和撫子の意味
 昭和初期は戦争を繰り返した時代だった。
 天皇・国家に忠実な国民として、男には「醜の御楯」「山桜」、女には「大和撫子」という言葉が盛んに使われた。
 ナデシコは秋の七草の一つに数えられた野草で、撫子(撫でる子、愛撫したい子)と書いた。昔の人はこの野草に強い愛着を持ち、また子ども(あるいは女性)への愛情をこの野草の名に託して歌に詠み込んだりしてきた。
 そしてそれが、国民はすべて天皇の赤子だという言い方と同じように、女は大和(国家)の撫子である、天皇の撫子である、というふうに利用されるようになった。撫子として生きるのが女らしさである、言い換えれば愛撫され服従して生きるのが女らしさである、ということ。
 古来日本人が抱いてきた自然の草木への愛情や純なる人間的愛情の表現が、見事に天皇制国家主義のうたい文句に利用されたのである。

トシドン~失われた「郷中教育」
 鹿児島県下甑島では、毎年大晦日の夜行われる「トシドン」という正月迎えの行事がある。トシドン(歳どん)と呼ばれる異形の神、子どものいる家々を訪れて回る行事で、秋田の「ナマハゲ」や能登半島の「アマミハギ」などと共通の性質の行事である。
 トシドンは伝承によれば天上から首のない馬に乗って降りてくる神様。その異形の神様が闇の中から「おるか、おるかーっ。おるなら雨戸を開けーいっ」と大声で呼ばわる。
 トシドンを迎えるのは3~7歳の子ども。家の中で裸電球一つの暗がりで、子ども達は親と一緒に正座し息を殺して待っている。
 トシドンが入ってくると、親は子どもにきちんと挨拶をさせる。トシドンは容赦なしにふだんの行い・いたづらを問い詰め、改めるべきことは改めるかどうか子ども達の返答を迫る。そして最後は褒め、諭して去っていく。
 つまりトシドンは、子どもを怖がらせるためにくるのではなく、子どもを諭したり励ましたりするためにくるのである。
 そしてトシドンが与えてくれる餅(モチ)がトシダマと呼ぶ。トシダマは、新しいトシ(歳・年)のタマシイ(魂)という意味。今日私たちがお年玉といっているのは、本来そういう意味のもので、それが今ではお金になっている。
 トシドンに変装するのは今は大人だが、第二次世界大戦が終わるまでは7~15歳の子どもが担当した。ということは、3~7歳は迎える側、7歳を過ぎると今度は訪ねる側になるのである。子どもは「教え諭される側から教え諭す側になる」という両方の体験をすることになり、そして15歳を過ぎると様々な村の仕事や行事の担い手となっていく。この3つの段階を「郷中教育」という。
 今の学校教育では、子ども達は常に一方的に「教えられる側」にある。「郷中教育」では、最初は「教えられる側」であるが、すぐに「教える側」になり、しかも絶えず「教えられる側」でもあるという優れた面を持つ。
 なによりもトシドンには、子どもが子どもを教える、子ども同士が教えあうという非常に大事な、また最も有効な教育のあり方、さらには文化の伝承の仕方が内包されている。
 そもそも教育とは何だろうか、それは、人間の自覚を促すと云うことではないだろうか。

 子どもがまともに育ちにくい今の時代、含蓄に富む言葉です。

プラネットベービーズ

2010年12月05日 20時06分48秒 | 育児
「今もどこかで誰かが子育てしてる」をキーワードに、世界の国々の子育てを紹介するNHK-BSの番組です。
テーマ曲はアン・サリーさんの優しい母性的なボーカル。実は彼女は現役の外科医なのでした。

その中で一番印象に残った国はアイルランド。
子ども達の生き生きとした眼差しを忘れることができません。

アランセーターで有名なアラン島での子育ての特徴は、父親が物語を語ること。
父親自身も子どもの頃、自分の父親の口から聞いた物語の数々を伝えるのです。

なんといっても、物語を聞く子ども達の輝く目が忘れられません。
そして、次は子ども達に「自分でお話を作ってごらん」と聞き役に回る父親。

たどたどしく話し始める子どもが、まわりにおだてられて話が止まらなくなる下りは圧巻!
なんと生き生きした目をしているんでしょう。
もう、人生の中で最高の黄金の時間としか云いようがありません。

両親に愛され、自分の存在を認められて自信をつけたひとつの人格が育まれる瞬間を垣間見たような気がしました。
物語を作る想像力は、将来の創造力に繋がるだろうと解説者がコメントされていました。すばらしい。

なぜこんな習慣・風習があるのかも解説されました。
出演した父親が子どもの頃・・・数十年前までアイルランドには電気が供給されていませんでした。娯楽の少ない孤島では、みんなが持ち寄った物語をかわるがわる披露することが大きな楽しみでした。

振り返れば、日本も同じ。
囲炉裏を囲んでおばあさんの昔話を楽しみに聞いた時代はそう昔ではありません。

出演した父親は、若いときにアメリカで働くためにアラン島を出たそうです。
そこで素敵な女性と巡りあい結婚し子どもを授かりましたが、仕事が忙しくて家族で過ごす時間が確保できません。
こんな生活をするために生きてきたのだろうか・・・自問自答の中、幼少期の想い出を辿り、あんな家庭を持ちたいと考えて故郷のアイルランドに戻ったのでした。

逆に、一番悲しかったのは香港。

英才教育の中、真剣だけど、どこかうつろな目をした子ども達。
プレッシャーに押しつぶされそうな彼らは肩こりや頭痛に悩まされ、ストレスを和らげる指圧法まで教えられるのです。

「一番の悩みは?」
との質問に、皆声を合わせて
「プレッシャー」
と答えた子ども達(涙)。

12月にセレクション・アンコール放送中です。
興味のある方はどうぞ。

「大好き!が伝わるほめ方*叱り方」明橋大二著

2010年10月27日 22時35分29秒 | 育児
2010年発行、1万年堂出版
 
ご存じ「子育てハッピーアドバイス」シリーズの最新刊です。
今回も子育て指南の明橋節は冴え渡っています。
内容は今までの本とそう変わらないのですが、イラストの秀逸さと相まってウンウン頷きながらスラスラ読み進めてしまいます。

著者が子育ての肝にしていることは「自己肯定感」を育てること。
すると本人も周囲のヒトも幸せな人生を歩めるはず、と一貫して唱えています。

明橋先生の著書は大体読んできましたが、最近その内容に限界を感じるようになりました。

自己肯定感を子どもに与えることは簡単ではありません。
良いところも悪いところも受け止め、受け入れてくれるお母さんの存在が必要です。
そのためにはお母さんが幸せであることが必要条件。
お父さんが子育てをねぎらう優しい言葉をかければ、お母さんは子どもに優しくなれるはず、という論法ですが・・・。

そのためにはさらにお父さんの幸せが必要です。
お父さんの幸せって何?
お父さんは自己肯定感にあふれていますか?
お父さんは会社・社会に良いところも悪いところも受け止め、受け入れてもらえているでしょうか?

残念ながら否定的です。
リストラに怯えながら残業で体をすり減らしているのが日本のお父さんの現状ですね。

明橋先生のハッピーアドバイスはお父さんのところで止まっており、社会に言及していません。


親子関係にトラウマを抱えた親による子育て

2010年10月13日 23時06分14秒 | 育児
 育児に関して、解決できないでいる疑問があります。
 親子関係にトラウマを抱えた親による子育てがうまくいかないとき、どうすべきか?

 朝日新聞土曜日版「Be on Saturday」の「悩みのるつぼ」コーナーに、同様の悩みを抱えている30代女性の投書がありました。

 シングルマザー状態で出産、頼ることのできる身内は両親のみ、しかし幼少時に母親から受けた暴力が原因の精神的トラブルを抱えており素直になれない、どう育ててよいかわからない。

 評論家の岡田斗司夫氏が回答しています;

「実はあなたは自分の子どもが好きじゃない。なのに、無理して育児している。だから辛い。問題の本質はここです。」

「今あなたに必要なのは”育児リハビリ”です。子どものためとガマンせずに、子どもを自分のリハビリのための道具と割り切ってください。」

「子どものために育児しなくてもいいんです。子どもを好きになれなくてもかまわない。ずるい気持ちで自分のリハビリのために子どもを利用すると考えてもかまいません。」

 回答に期待していたのですが、私にはどうもしっくりこない内容です。

 巷の育児書には子育てがうまくいかずにどうしてよいかわからないとき「子どもの気持ちを受けとめて寄り添うとよい」と書かれています。
 でも、云うはやすし、行うは難し。親自身がそのように育てられてこなかったからできない事実は放置されたまま。
 
 戦後60年間、日本は理想の育児をしてきたのでしょうか。子どもの気持ちを受け入れ、寄り添う子育てが行われてきたでしょうか。

 無になった焼け野原から復興するために、親たちは自分の夢を犠牲にして生きるためにがむしゃらに働き、その夢を次世代の子ども達に託しました。しかし、託された子ども達にすれば、親の価値観を押しつけられ、窮屈きわまりない状態に追い詰められました。
 その頃から、不登校や引きこもりなど、親の期待に押しつぶされた子ども達が発生してきました。
 
 時代の影響で育児に歪みが生じた要素もあると思います。そのように育てられた世代が、子どもを自由にさせる育児ができるでしょうか。

 難しい。この負の連鎖を断ち切るにはどうしたらよいのか。

 答えは宗教が用意していることに最近気がつきました。イエス・キリストに限らず、世界の宗教はこのように説いています;

 「人にして欲しいことを、人にしなさい」

 人に喜ばれることは、自分の喜びにもなります。相手も自分も幸せになれます。この一歩を踏み出すことができれば、負の連鎖をとめることができるかもしれません。

 それは、子育てでも、人間関係でも、同じこと。