“子ども”を取り巻く諸問題

育児・親子・家族・発達障害・・・気になる情報を書き留めました(本棚4)。

フィンランドの学校給食はビュッフェ式?

2024年10月29日 04時51分20秒 | 教育
“世界一幸福の国”、フィンランド。
そこの子育て事情は日本と大きく異なるようです。
それが垣間見える記事を読んでみました。

なるほど、と思った点。

日本でも“授業料無償化”が一部で実施される動きがありますが、
そのベースは「少子化対策」という考えです。
しかしフィンランドで実施されている“教育無償化”は、
「子どもの権利を守る」目的。

・・・根本的な思想が違うのですね。

<ポイント>
・フィンランドの教育の原則は平等、子どもの権利、ウェルビーイングの3つに要約できる。
・公的な教育計画には「性別、年齢、民族的出自、国籍、宗教、信条、思想、性的指向、病気、障がいによって異なる扱いをしてはならない」と必ず書かれる。学校が国内的・国際的な正義と繋がっている感覚は日本にはない。
・公的な教育計画には「一人ひとりの子どもは、あるがままでかけがえがない」ことも必ず書かれている。
・教育は無償である。教育無償の目的は、家庭の経済状態や文化資本の優劣にかかわらず、全ての子どもが平等に教育を受けられること、平等な出発点を提供すること。貧困は子どもの可能性を奪い、子どもの教育や進路、将来に影響を与えてしまうことを重視している。
・就学前教育(小学校入学前の1年間)から小中高、大学まで学費は無償。小学校から高校までは教材と給食も無償だ。日本で幼稚園から大学卒業までにかかる子ども一人の教育費は、国公立に進学しても1000万円、全て私立の場合は2000万円と言われる。
・フィンランドでは、公立学校が全体の約98%を占めるの。私立学校は少数あるが、そこでも教育費は無償である。基本教育法第7条によって、私立学校が利潤を得ることは禁じられている。
・日本国憲法第26条第2項は「義務教育は、これを無償とする」と規定しているのだが、全く守られていない。日本では、教育費が高いので進学をあきらめる子どもも多い。日本で無償なのは親と子の勤労活動である。子どもが雑巾やタワシ、箒、チリトリで教室やトイレの掃除をする。母親が雑巾を作って提出し、教室のカーテンを洗い、校庭の掃除をする学校も多い。
・フィンランドでは、学校の掃除や給食の配膳は自治体の仕事だ。掃除は、清掃会社と契約し自治体が出費している。使う道具も現代的だ。給食は教室の自分の机でではなく、食堂でビュッフェスタイルによって提供される。
・日本は、教育費の公的支出がOECD諸国の中で、毎年最低か最低レベルである。
・東京都の「授業料無償化」は少子化対策として発案されているが、フィンランドの教育費無償は少子化対策という行政の狙いによって発案されたのではなく、全ての子どもに対する社会保障とウェルビーイングを目的として始められたもの。
・フィンランドでは、生徒1人あたりの先生の数が特に中学で多く、生徒9人に対し先生1人。日本の中学では依然として、40人以下が標準とされている。
・日本では、髪型や下着の色、靴下の色、スカートの長さまで細かく規定する校則がある。フィンランドの学校に日本のような校則はない。制服はなく、体操服や靴なども学校指定のものはない。18歳以下のタトゥーは禁止されているが、アクセサリーやお化粧なども含めて自由。
・フィンランドでは、学校行事が少ない、入学式も運動会もない、卒業式はあるがその練習はない。日本の学校行事は、集団行動のための鍛錬の意味が大きい。一糸乱れぬ卒業式や運動会を目指して、練習が繰り返される。フィンランドには部活や教員の過重労働もない。


▢ 子供を一列に並ばせる日本と大違い…フィンランドの学校が給食はビュッフェ型、化粧・アクセサリー自由のワケ子供が自分の身体について決定権を持つことは当然
 岩竹 美加子ヘルシンキ大学非常勤教授
PRESIDENT ONLINE:2024/10/25)より一部抜粋(下線は私が引きました);

 世界一幸福な国とされるフィンランドの教育は何が違うか。ヘルシンキ大学非常勤教授の岩竹美加子さんは「教育無償の原則は徹底されており、学校の掃除や給食の配膳は自治体の仕事であるため、食堂でビュッフェスタイルによって提供される。また、日本のような校則もなく、アクセサリーやお化粧なども含めて自由である」という――。

▶ フィンランド教育を支える3つの原則
 フィンランドの教育は、とてもシンプルな原則の上に成り立っている。それは平等、子どもの権利、ウェルビーイングの3つに要約できるだろう。その原則がどういう形となって現れるか、見ていこう。
 教育庁と各自治体の教育計画のはじめに必ず書かれるのは、「性別、年齢、民族的出自、国籍、宗教、信条、思想、性的指向、病気、障がいによって異なる扱いをしてはならない」ということだ。
 「異なる扱いをしてはならない」というのは、平等でなければならないこと。いかなる理由によって、差別をしてはならないということだ。重要なのは、それはフィンランド憲法第6条「公平」の規定、さらに国連の世界人権宣言第2条の規定とも同様であることである。
 こうして、学校が国内的・国際的な正義と繋がっている感覚は日本にはないものだろう。日本の学校では、差別を区別と言い換えて正当化することがあるが、フィンランドの学校では差別は差別であり認められない。
また、教育庁と各自治体の教育計画には「一人ひとりの子どもは、あるがままでかけがえがない」ことも、必ず書かれている。そこにはキリスト教的な感覚があるだろうが、子どもに対する肯定的で温かい眼差しに胸を打たれる。
 平等思想を最も良く表すのは、教育が無償なことである。就学前教育(小学校入学前の1年間)から小中高、大学まで学費は無償。小学校から高校までは教材と給食も無償だ
 2021年までは、高校の教材は保護者が購入していたが、同年に高校まで義務教育化されたことに伴って、教材も無償化された。保育園は収入に応じた費用を払うが、朝食とランチ、おやつが出る。
 無償の小中学校の給食は、戦後間もない1948年に導入された。最近、東京都の小中学校では、給食無償が広がっているが、日本で実現している自治体は多くない。また、公立保育園では、約4割がご飯などの主食を持参させているという。

▶ 「私立学校の教育のほうがきめ細かい」は不平等で不公平
 フィンランドで教育無償の原則は徹底しており、日本の学校にあるような入学金、学級費、教材費、実習材料費、家庭科キット、算数セット、絵具、ハーモニカ、習字道具、遠足費、修学旅行の積立金、卒業アルバムなどの出費も一切ない
 また制服はなく、体操服や靴なども学校指定のものはない。自分の服や持ち物を使っている。日本では、学用品を揃えるために小学校で3~4万円、中学では10万円近い出費が必要とされるという。
 日本で幼稚園から大学卒業までにかかる子ども一人の教育費は、国公立に進学しても1000万円、全て私立の場合は2000万円と言われる。費用の差は教育の質の差でもある。
 一般的に言って、公立学校よりも、私立学校の教育のほうがきめ細かい。それはアメリカやイギリスと同様のシステムだが、フィンランドから見ると、それは不平等で不公平な教育であり、社会である。
 フィンランドでは、公立学校が全体の約98%を占めるのも特徴だ。私立学校は少数あるが、そこでも教育費は無償である。保護者が寄付することはある。基本教育法第7条によって、私立学校が利潤を得ることは禁じられている
 教育無償の目的は、家庭の経済状態や文化資本の優劣にかかわらず、全ての子どもが平等に教育を受けられること、平等な出発点を提供することである。
 貧困が子どもの可能性を奪ってしまうこと、子どもの教育や進路、将来に影響を与えてしまうことをフィンランドはとても嫌う。貧富の差が教育格差を広げ、それが貧困を再生産する連鎖にならないよう配慮されている。
 フィンランドで無償の教育は、1960~70年代以降進められた。18歳以下の子どもの医療費無償と並ぶ、子どもの社会保障政策の柱であり、子どもと親のウェルビーイングを進めようとするものだ。

▶ 給食は食堂でビュッフェスタイル
 一方、日本国憲法第26条第2項は「義務教育は、これを無償とする」と規定しているのだが、全く守られていないのが現状だ。
 日本で無償なのは親と子の勤労活動である。子どもが雑巾やタワシ、箒、チリトリで教室やトイレの掃除をする。母親が雑巾を作って提出し、教室のカーテンを洗い、校庭の掃除をする学校も多い
 子どもには給食当番があり、持ち帰ったエプロンを保護者が洗い、アイロンをかけて学校に持参する。子どもの給食当番では、衛生的な管理と配慮が充分ではないだろうが、母と子の勤労によって行政が負担すべき経費を節約している。
 フィンランドでは、学校の掃除や給食の配膳は自治体の仕事だ。掃除は、清掃会社と契約し自治体が出費している。使う道具も現代的だ。給食は教室の自分の机でではなく、食堂でビュッフェスタイルによって提供される。学校にかける公的費用の差が、こうした違いになっている。
 近年、フィンランドは小中学校校舎の建て替えを進めていて、建築的にも面白いものが多い。一方、日本では校舎の老朽化が進んでいるが、建て替えの動きはない。2021年度には全国の公立小中学校などで、外壁や部品の落下などの問題が計2万2029件あった。学校は物理的にも安全で快適な環境を提供していない。

▶ 大学まで無償の教育を全ての子どもと人に保証
 日本は、教育費の公的支出がOECD諸国の中で、毎年最低か最低レベルである。OECDによると、各国が教育に投資する理由は、それが経済成長を促し、生産力を高め、人と社会の発達に貢献し、不平等を減らすから。日本の教育費の少なさは、こうした側面からも疑問を感じさせるのである。
 日本では、教育費が高いので進学をあきらめる子どもも多い。最近は、自治体が授業料を無償化する話を聞くようになった。例えば東京都は2024年度から「授業料無償化」を始めるという。しかし、高校、都立大学、私立中学などで条件が異なっていて複雑だ。
 つまり、平等の原則はなく条件付きの「授業料無償化」である。また、日本では入学金や制服費、修学旅行費など授業料以外の支出が多いので、実際にどれだけ負担が緩和されるかは疑問のようだ。
 また、「授業料無償化」の制度自体が複雑でわかりにくい上、申請する必要がある。フィンランドでは、大学まで無償の教育が全ての子どもと人に保証されていて、申請する必要がないので楽だ。さらに、無償化の目的も異なる。
 東京都の「授業料無償化」は少子化対策として発案されているが、フィンランドの教育費無償は少子化対策という行政の狙いによって発案されたのではない。前述したように、全ての子どもに対する社会保障とウェルビーイングを目的として始められたものだ。

▶ 生徒9人に対し先生1人
 フィンランドではクラスのサイズが小さく、小学校から高校まで20~25人程度が普通だ。小中学校では1クラスに先生が2人、アシスタントが1人程度ついて、さらに小さなグループに分けて教えることが多い。
 クラスには読書障がいがある、算数が苦手、外国出身でフィンランド語があまりできない等、さまざまな子どもがいる。どういうニーズがあるか、支援が必要かなど一人ひとりについて、親の意見も聞きながら教育計画を作る。そうして、きめ細かい学習支援がされている。こうした支援は「学習のケア」とも呼ばれ、小学1年生から提供される。
 2019年のOECDの報告によると、フィンランドでは、生徒1人あたりの先生の数が特に中学で多く、生徒9人に対し先生1人である。OECD諸国平均では13人なので、その中でも少ない方だ。
 一方、2020年のOECDの報告で、日本の公立小中学校では1学級あたりの生徒数は、最多である。日本の都市部では、少子化によって1クラスの人数は減っているが、制度としては40人学級が続いてきた。最近は、小学校で1クラス35人が段階的に目指され、実現しつつあるようだが、それでも多すぎだろう。また、中学では依然として、40人以下が標準とされている
・・・

▶ 化粧、アクセサリー…装いを通じて自分を表現する
 日本では、髪型や下着の色、靴下の色、スカートの長さまで細かく規定する校則がある。寒くてもコートを着てはいけない、タイツを履いてはいけない、学校から帰宅後、午後4時までは自宅から外出してはいけないなど驚くような校則もある。
 最近は「ブラック校則」として問題化され、生徒が取り組む校則の改訂が話題になる。「全国校則一覧」というサイトが作られ、様々な「ブラック校則」を検索することもできる。
 一方、フィンランドの学校に日本のような校則はない。子どもを一人の人として尊重すること、子どもが自分の身体について決定権を持つことは当然のことだからだ。後で見るが、子どもの権利の視点からも、大人による校則の押し付けは不適当である。
 フィンランドの学校では18歳以下のタトゥーは禁止されているが、アクセサリーやお化粧なども含めて自由だ。様々な装い方を試みること、自分の身体のあり方を経験すること、装いを通じて自分を表現すること。それらは全て、自分であることの一部だ。

▶ 「日本の学校では、よく1列に並ばされた」
 フィンランドの学校のその他の特長として、学校行事が少ない、入学式も運動会もない、卒業式はあるが、その練習はないことも挙げられる。付け加えると、子どもを1列に並ばせることもほぼない。
 これは、実は息子が「日本の学校では、よく1列に並ばされた」と言ったことから気づいたことだ。フィンランドで、子どもはバラバラと集まって、バラバラと居て良い。事あるごとに子どもを1列に並ばせるのは軍隊式だ。
 日本の学校行事は、集団行動のための鍛錬の意味が大きい。一糸乱れぬ卒業式や運動会を目指して、練習が繰り返されるのはそのためだ。また、「小学校学習指導要領」には、学校行事について「厳粛で清新な気分を味わう」と書かれている。どういう感情を味わうかまで規定されているのだ。
 また、フィンランドには部活や教員の過重労働もない。こうして書くと、ないことだらけのように聞こえるが、不要なものが一切ないシンプルさは快適だ。
 日本の学校は、本質的な学びに関わることが少ない一方、子どもに対する介入がとても多い。フィンランドの学校は逆で、学びの質が高い。また些末な事に煩わされ、成長期の貴重な時間や繊細な感情を削られることなく過ごせる場所である。

▶ 専門知識を持たない地域住民が、教育に関わることはない
 日本では文科省以下、行政が「学校、地域、家庭」を標語のように使ってきているが、フィンランドには教育に関して地域という概念はない。教育に関わるのは学校と家庭であり、その2つの協働が重視されている。
 日本の「地域」は、高度経済成長期を経て70年代頃に出現した概念で、「地域の危機と再生」という枠組みで使われてきた。現在は、「地域の意見を聞いて」「地域と協力して」「地域ぐるみで」などの表現をよく聞くが、具体的に地域が意味するのは、隣近所の人や町内会、自治会、PTA、青少年教育委員、コミュニティスクールなどである。
 「地域」は、行政が用意し介入する仕組みであることが多い。日本では、公費を節約しつつ同調圧力を増す「地域」が教育に利用される傾向がある。一方フィンランドでは、教育に関わるのは専門知識を持つ人である。専門知識を持たない地域住民が、教育に関わることはない。


“生きづらさ”の正体

2024年10月11日 13時51分42秒 | 家族
 親が好きになれない・・・という悩みを抱えているヒトはたくさんいると思います。
 なぜなんだろう?
 その答えの一つに「愛着障害」があるようです。

 自分自身の子ども時代を振り返ると・・・

 私は虚弱体質ながらも負けず嫌いで、
 負けを認めることが苦手、
 勝つまでコツコツ努力するタイプでした。

 そのせいか、勉強も運動もそれなりの結果を残せました。
 親の喜ぶ顔を見て私もうれしくなりました。

 親はそんな私を見て、
 果たせなかった自分の夢を私に託すようになりました。

 私の親は、戦争に青春も将来の夢も奪われた世代。
 学校の成績もそこそこだったようですが、
 家庭の事情で大学進学は諦めざるを得なかった・・・

 そして“努力して結果を出し続けること“が私のルーチンになりました。
 楽しいけど苦しい、そんな思春期が始まりました。

 しかしそれが続くと徐々に、
 「努力しなければ親に認めてもらえない」
 「結果を出さなければ親に認めてもらえない」
 という窮屈な状況に陥っていきました。

 親の期待が喜びから負担に変わったのです。

 ただ生きているだけでは自分には価値がない、
 努力して結果を出さなければ認めてもらえない・・・
 私には疲れた時に受け止めてくれる「心の安全基地」がありませんでした。

 いや、当時つき合っていた女の子が受け止めてくれました。
 しかし私が親の希望に沿って医学部に入学し、
 遠方の大学へ行くことで最愛の彼女を失ってしまいました。

 私は医師になり、彼らの夢を叶えました。
 同時に親と距離を取りたくなりました。
 「もういいだろう?勘弁してくれ」
 自分の心がつぶれてしまいそうでした。

 親は私にたくさんの愛情を注いでくれましたが、
 同時に大きな期待をしてがんじがらめに絡め取り、
 私の自由を奪ったとも言えます。

 長男である私は結婚後に実家に戻り、
 両親の面倒を見ています。
 親と離れて暮らす選択もありましたが、
 それを実行する私を許せない自分もいます。
 昭和的な考えかもしれませんが・・・

 というわけで、今でも「楽しいけど苦しい」生活が続いています。
 これが私の“生きづらさ”です。


<ポイント>
・母親との不安定な愛着を示す子どもは、人口の3割程度かそれ以上にも及び、そうした傾向は、大人になっても解消されず、多くの人が引きずっている。
・愛着障害を抱えた人は、一見「発達障害」に似た特徴を示すことも多く、「発達障害」と診断されることも少なくない。
 ✓ 対人関係、とくに親密な対人関係において困難が強まりやすい。
 ✓ 自己肯定感の低下や心身の不調をともないやすい。
 ✓ 基本的な安心感の乏しさや他者に対する信頼感が弱い。
 ✓ 周囲の反応におびえ、傷つきやすい傾向を抱えるか、
 周囲にはなにも期待せず、無関心な態度を身につけるか、
 どちらかになることで、状況に適応しようとする。
 ✓ ストレスを受けやすく、健康面のリスクも高まりやすい。
 ✓ 不安定な愛着は心身の健康状態だけでなく、平均余命にも影響する。
・愛着障害は、本来「安全基地」として無条件の愛情と世話で子どもを守ってくれる養育者(通常は母親)が、「安全基地」としての役割をうまくはたせないことによって生じる。
・愛着が形成される期間は限られており、概ね1歳半までが、もっとも重要な時期とされる。それ以降でも、愛着の形成は可能だが、それまでの時期に安定した愛着が形成されなかった子には、深刻な影響が残りやすい。
・愛着形成の核は1歳半までが臨界期とされるが、その時点で安定した愛着が形成されていた場合でも、その後の要因によって、不安定な愛着に変わってしまうことがある。虐待やネグレクト、心理的な支配とともに、親の精神疾患や離婚、家庭内葛藤なども、子どもの愛着を不安定なものに変えてしまう。
・愛着というしくみは、本人の安心を守るだけでなく、生命を守る根幹となるしくみであり、それがうまく機能しなくなるとき、人は窮地に陥る。
・愛着は単なる心理学的なしくみではなく、生理学的な現象に基づいた生物学的なしくみであり、哺乳類に共通するものである。哺乳類として受け継いできたこのしくみが危機的状況に陥り、機能不全を起こしているのが「愛着障害」という状態なのである。


▢ 「人口の3割超?」愛着障害は平均余命に影響する概ね1歳半までが愛着形成に重要な時期
岡田 尊司 : 精神科医、作家
2024/10/11 :東洋経済オンライン)より一部抜粋(下線は私が引きました);
 長年、発達障害や愛着障害を研究し続け、豊富な臨床経験を持つ精神科医・岡田尊司さんの最新刊『愛着障害と複雑性PTSD』より、現代人の生きづらさの原因を紐解きます。

▶ 生きづらさの正体
 「愛着障害」という言葉が、一般にも広く知られるようになったのは、ここ10年ほどのことである。40年ほど前に、この言葉が最初に公式に用いられたとき、その意味するところは、深刻な虐待やネグレクトを受け、心身の発達や社会性に困難をきたした、極めて悲惨な子どもたちの状態を指し、その頻度は、非常に稀なものとされていた。
 ところが、その後の研究で、そうしたケース以外にも、母親との不安定な愛着を示す子どもは、人口の3割程度かそれ以上にも及び、そうした傾向は、大人になっても解消されず、多くの人が引きずっていることがわかってきた。
 こうした「不安定型愛着スタイル」のケースも含めて、「愛着障害」として理解されるようになってきた。愛着障害を抱えた人は、一見「発達障害」に似た特徴を示すことも多く、対人関係、とくに親密な対人関係において困難が強まりやすい
 また、自己肯定感の低下や心身の不調をともないやすいこともわかってきた。こうした人たちは、「発達障害」と診断されることも少なくないが、なにかしっくりといかないものを感じ、発達障害としての治療もあまり奏功せず、もやもやした状況が続くことも多い。
 愛着障害は、本来「安全基地」として無条件の愛情と世話で子どもを守ってくれる養育者(通常は母親)が、「安全基地」としての役割をうまくはたせないことによって生じる愛着が形成される期間は限られており、概ね1歳半までが、もっとも重要な時期とされる
 それ以降でも、愛着の形成は可能だが、それまでの時期に安定した愛着が形成されなかった子には、深刻な影響が残りやすい基本的な安心感の乏しさや他者に対する信頼感が弱いといったことは、その代表的な特徴である。
 周囲の反応におびえ、傷つきやすい傾向を抱えるか、周囲にはなにも期待せず、無関心な態度を身につけるか、どちらかになることで、状況に適応しようとする
 どちらにしても、ストレスを受けやすく、健康面のリスクも高まりやすい。実際、不安定な愛着は心身の健康状態だけでなく、平均余命にも影響するのである。

▶ 安心感のよりどころとなる存在
 愛着形成の核は1歳半までが臨界期とされるが、その時点で安定した愛着が形成されていた場合でも、その後の要因によって、不安定な愛着に変わってしまうことがある
 虐待やネグレクト、心理的な支配とともに、親の精神疾患や離婚、家庭内葛藤なども、子どもの愛着を不安定なものに変えてしまう。それ以外にも、きょうだいからの虐待や学校でのイジメなども深刻な影響を及ぼしうる。
 物心がついて以降に起きた出来事は、子どもの心に完全には同化されないまま、トラウマとなって残ることになる。未解決型愛着と呼ばれるタイプは、ある程度、年齢が上がってから起きた出来事(たとえば、親の離婚やイジメ)によって、安全基地が奪われることで愛着のしくみ(「愛着システム」とも呼ばれる)がダメージを受け、回復しないままになった状態だと考えられる。
 それに対して、もっと幼いころに起きた養育環境の問題は、子どものなかに同化されてしまい、愛着スタイルとして自分自身の一部として一体化してしまうため、通常はトラウマとして意識されることはない。
 成人してからは、恋人やパートナーとの関係が、本人にとって安全基地となるかどうかが、愛着の安定性に影響する。それ以外にも、職場において居場所を失うことや、上司との折り合いの悪さといったことも影響することがある。

▶ 哺乳類として受け継いできた生物学的なしくみ
 愛着が安定したものとして機能するためには、「安全基地」と呼ばれる安心感のよりどころとなる存在との関係が重要とされる。その人の所属する集団に、一人でもそうした存在がいれば、愛着システムが、大きなダメージを負うことは免れやすい。
 逆に、家庭にも学校や職場にも安全基地となる存在がいない状況に置かれることは、愛着システムの機能不全を引き起こし、心身に支障を生じやすくなる。
 愛着というしくみは、本人の安心を守るだけでなく、生命を守る根幹となるしくみと考えられ、それがうまく機能しなくなるとき、人は窮地に陥る
 愛着は、単なる心理学的なしくみではない。それは、生理学的な現象に基づいた生物学的なしくみであり、哺乳類に共通するものである。
 哺乳類として受け継いできたこのしくみが危機的状況に陥り、機能不全を起こしているのが、「愛着障害」という状態なのである。それが広まっているということの意味を考えたとき、それは地球環境の破壊と同レベルか、それ以上の深刻な事態が進行していることに気づかされることになる。

▶ トラウマで苦しむ人の増加
 愛着障害とともに、今日多くの人が苦しむ、身近な問題となりつつあるのが、トラウマの問題である。トラウマという言葉は、一般にも広く認知されるようになり、心が傷を受けたあと、その状況がなくなっているにもかかわらず、長期間にわたってさまざまな後遺症に苦しむ「PTSD心的外傷後ストレス障害)」という状態も知られるようになった。
 トラウマという言葉は、もともと「ケガ」という意味であるが、心のケガである「心的外傷」と訳されることが多い。医学的にトラウマという語が用いられたのは、大地震や戦争、生死にかかわる事故、犯罪被害といった突発的で、生命が危険にさらされるような出来事に遭遇する場合であった。
 ところが、近年になって、1回のダメージは生命にかかわるほどではなくても、長期間にわたって、逃れられない状況でダメージを受けつづけると、通常のPTSDに勝るとも劣らない深刻かつ持続的な影響が生じることがわかってきて、「複雑性PTSD」と呼ばれるようになった。
 その中核をなす原因が、親からの虐待である。それ以外にも、パートナーからのDVやハラスメント、学校や職場でのイジメなどが挙げられる。いずれもほかに助けを求めにくい、逃げられない状況において起きやすい。
 なかでも、とりわけ深刻な事態となりやすいのは、親からの虐待である。身体的、性的虐待だけでなく、心理的虐待や支配も原因となりうる。
 本来、だれよりもその子を愛し、守ってくれるはずの存在から傷つけられつづけることは、その人しか頼ることのできない幼い子どもにとっては、逃れようのない事態であり、もっとも信頼すべきものが信頼できない危険な存在であるという、絶望的な状況に子どもを陥れる。
 「近代化」という名の社会の崩壊と人々の孤立化にともなって、豊かになったはずの社会で、そうした状況が起きやすくなっている。


友達にちょっかいを出す子ども

2024年10月10日 06時36分46秒 | 子どもの心の問題
「ちょっかい」と聞くと懐かしさがこみ上げてくる私。
小中学生の頃、よく「ちょっかい」を出されていたんです。

2人の同級生から・・・2人とも身体が大きくてケンカしたら確実に負ける相手。
一方、小さくてやせていたよわっちい私。
それから、私は転校生だったんです。

イジメとかイジワル、というレベルまで行かず、
朝礼で立っているときに触ってきたり、
小突いたり程度だったのですが。

それでもイヤでイヤでたまらなかった・・・

でも反撃をするほどの勇気もなかった。
先生に告げ口することでもないと思っていました。
そうすれば、
「この野郎、告げ口しやがって」
と行動がエスカレートしたかもしれません。

私は教師から殴られたこともあるので、
そんなに先生を信頼していなかったという事情もあります。

なんだか、私の闇歴史ですね。

彼らの心理ってどういうモノだったんだろう?
と素朴な興味があります。

こんな記事に出会いました。

▢ 友達にちょっかいを出す子の5つの特徴
2024/10/10:Yahoo!ニュース)より一部抜粋(下線は私が引きました);

 「先生、Tくんが私の髪を引っ張るんです!」「Hさんが、私のペンケースの中身をいつもグチャグチャにするんです!」 

・・・

 「友達にちょっかいを出す子」について、私が長年観察してきた特徴をお話ししたいと思います。これを読んで、「あ、うちの子もそうかも」とか「私、昔そうだったな」なんて思い当たる節があかもしれません。

▶ 友達にちょっかいを出す子の5つの特徴


1. 注目の的になりたがり屋さん

 とにかく目立ちたい、誰かに見てもらいたいんです。授業中に突然「わー!」って叫んで、みんなをびっくりさせる子がいます。そのたびに「Yくん!」って注意するんですが、彼の満足そうな顔を見ると、ついため息が出てしまいます。

2. エネルギーが有り余ってる子

 エネルギーが有り余っていて、ずーっと動いていたい子たちです。休み時間、校庭を走り回って汗だくになってる子がいますよね。でも教室に戻ってきても、まだまだ元気。隣の子をつついたり、後ろの子の消しゴムを投げたり。「もう、エネルギーの使い道、そこじゃないでしょ!」って思わず言いたくなります。

3. コミュニケーションが今ひとつな子

 本当は仲良くなりたいんだけど、どうしていいか分からないタイプの子です。「一緒に遊ぼう」って言えなくて、代わりに相手の帽子を取って逃げ出す。そんな光景を見かけます。気持ちはわからなくもないですが、見ていて「あー、そうじゃないんだけどなあ」って思います。

4. 感情コントロールが難しい子

 頭では分かっていても、体が先に動いてしまうタイプの子に多いです。クラスには、ちょっとしたことですぐカッとなる子もいます。友達とぶつかっただけで、相手を押し返しちゃったり。でも、落ち着くと「ごめんね」って謝れる子なんです。

5. 他人との距離感がつかめない子

 自分と他人との境界線が、ちょっとあいまいなタイプの子です。「これくらいなら大丈夫だろう」って思って、友達の髪を引っ張ったり、背中をバシバシたたいたり。その子はスキンシップのつもりでも、相手が嫌がってるのに気づかない。そんな時は「もし自分がされたら?」って聞くと、はっとした表情を見せます。「僕は気にしない」と言ってくる子には、「それを嫌がる子もいるから、叩かないで声をかけるとか他の方法はないかな?」と代わりの方法を考えさせます。

まとめ

 ここまで読んでみて、どうでしたか? 「ああ、あの子のことだ」とか「自分の子育てに活かせそう」なんて思った人もいるでしょう。

 結局のところ、友達にちょっかいを出す子は、周りに「私のこと見て!」って必死にアピールしているんです。エネルギーは有り余ってるけど、うまく表現できないだけなのです。感情のコントロールも、他人との距離感も、まだまだ勉強中なんですね。

 正直、私たち大人だって完璧じゃありません。子育てや教育に正解なんてないんです。でも、こういう子たちの気持ちを少しでも理解しようとすること。それが大切だと思うんです。

ちょこっとアドバイス

 ちょっかいを出す子を見かけたら、すぐに叱るんじゃなくて、まずは「どうしたの?」って聞いてみてください。きっと、意外な答えが返ってくるかもしれません。



読んでみて、どれが彼らに当てはまるかな・・・
意外にも3の、
本当は仲良くなりたいんだけど、どうしていいか分からないタイプ
だったかもしれないと思いました。

転校生である私に興味がありつつも、
どうやって近づいていけばよいのか、
わからなかったのかな。

あれから約50年という長い年月が過ぎました。

先日、地元の小学校で市民運動会があり、
同級生に渡したいものがあったので、
懐かしの校庭に行ってきました。

仲のよかった友達2人に会うことができました。
30分ほど立ち話・・・プチ同窓会ですね。

私にちょっかいを出した彼らはどうしているのか聞いてみたら、
1人は父親の後を継いで神社の神主に収まり、
もう1人は詳細不明・・・でした。


こどもの気質と腸内細菌の関係

2024年10月04日 14時02分59秒 | 子どもの心の問題
何かと注目される腸内細菌。
色々な病気との関連が指摘されています。

こどもの“気質“と関係しているという報告があるそうで、
今回はそれを扱った記事を紹介します。

<ポイント>
・気質は、情動・活動(行動)・注意の側面から他者を含む環境刺激に対する反応や、それを制御する行動特性(個人差)のこと。
・近年、ヒト成人を対象とした研究により、うつや不安障害などの精神疾患が腸内細菌叢と関連することが知られている。
・個人が生涯もつことになる腸内細菌叢の原型が生後3~5歳頃までに安定化する。
・全国の保育園・幼稚園・こども園に通う3~4歳の日本人幼児 284人を対象に、気質と腸内細菌叢を調べたところ、気質は腸内細菌叢の構成の違いと関連していた。
・気質のうち、高次因子「否定的情動性」と下位尺度「恐れ」「怒り」「悲しみ」「内気さ」の得点の高さは、腸内細菌叢の構成の違いと負の関連がみられた。
・気質のうち、高次因子の「外向性/高潮性」と下位尺度の「衝動性」の得点の高さは、腸内細菌叢の構成の違いと正の関連がみられた。
・腸内細菌叢の構成の違いにどの菌が寄与しているかを調べたところ、酪酸の産生や抗炎症に関わる腸内細菌(e.g., Faecalibacterium)と、炎症の誘発に関わる腸内細菌(e.g., EggerthellaやFlavonifractor)が寄与しているがわかった。
・腸内細菌叢の構成の違い(ディスバイオシスな状態)は、不快情動やストレス反応の表出の多さ、さらには快情動の表出や新奇な環境や刺激に対する探索接近行動の低さと関連することが明らかになった。
・腸内細菌の多様性は、気質の下位尺度の「衝動性」と正の関連がみられた。つまり、腸内細菌叢の多様性が高い子どもほど、新しいことに挑戦したり、動機に基づいて行動しやすい特性をもつことがわかった。
・腸内細菌叢のバランスが乱れたディスバイオシスの状態が、将来(思春期、成年期)のメンタルヘルスリスクを予測する気質の側面と明確な関連がみられた。
・気質には腸内細菌叢が関連していたことから、腸内細菌叢を幼少期に改善することでメンタルヘルスのリスクを緩和、予防できる可能性がある。

・・・ウ〜ン、わかったようなわからないような・・・腸内細菌の話って、いつも最後は煙に巻かれてしまう印象がありますね。


▢ 幼児期の衝動性や外向性などに「腸内細菌叢」が関連-京大ほか
2024年09月12日:QLIfePro)より抜粋(下線は私が引きました);

▶ 幼児の不快情動やストレス反応特性は「腸内細菌叢」と関連するのか?
 京都大学は9月6日、幼児期の気質が腸内細菌叢と関係することを明らかにしたと発表した。この研究は、同大大学院教育学研究科の明和政子教授、上田江里子元博士後期課程院生、大阪大学大学院医学系研究科の松永倫子研究員らの研究グループによるもの。研究成果は、「Developmental Psychobiology」にオンライン掲載されている。
 気質は、情動・活動(行動)・注意の側面から他者を含む環境刺激に対する反応や、それを制御する行動特性(個人差)のことを指す。生後すぐに現れ、一定期間持続する遺伝的要因が大きいと考えられているが、その神経生理学的な発達機序については不明なままだ。
 気質は、
(1)恐れや悲しみ、怒りなどの不快情動の表出や脅威刺激に対する特性「否定的情動性」、
(2)笑顔など快情動の表出や新奇な環境などへ積極的に探索接近する特性「外向性/高潮性」、
(3)(1)と(2)の行動を制御する特性「エフォートフル・コントロール」
・・・という3つの高次因子に基づき評価されている。
 気質の中でも、不快情動やストレス反応(1)、それを制御する能力(3)の個人差は、後の問題行動や精神疾患と関連することが知られており、リスクを早期発見し得る指標の一つとして注目されている。
 近年、ヒト成人を対象とした研究により、うつや不安障害などの精神疾患が腸内細菌叢と関連することが知られている。しかし、生後早期の気質、特に精神行動リスクにかかわる不快情動やストレス反応特性が腸内細菌叢と関連するか否かについてはわかっていなかった。

▶ 心身のリスク評価スクリーニング法の確立などを目的に284人の日本人幼児を調査
 研究グループは、精神機能や認知機能の発達の個人差に関連する要因として、腸内細菌叢(腸内フローラ)に着目した研究を行っている。腸内細菌叢は、免疫系や内分泌系、自律神経系を介して脳と相互作用している。これを「腸内細菌叢-腸-脳相関」と言う。成人を対象とした研究では、腸内細菌叢の多様性や構成が、精神疾患や認知機能の低下と関連することが示されている。ここで重要となるのは、個人が生涯もつことになる腸内細菌叢の原型が生後3~5歳頃までに安定化するという点だ。この時期は、我慢などの感情制御や、推論、記憶、イメージなどの認知機能の中枢となる前頭前野が著しく発達する時期でもある。
 この時期の前頭前野の発達は、成人期の健康状態や社会経済状況を予測することも知られており、幼児期は、腸(内臓)と脳の発達、さらにはその後の心身の健康を左右するきわめて重要な時期と言える。幼児期の気質と腸内細菌叢との関連が明らかになれば、心身のリスクを早期にかつ客観的に評価するスクリーニング手法や、心身の健康増進を目的とした生後早期からの支援法の提案などが期待できる。
そ こで研究グループは今回、全国の保育園・幼稚園・こども園に通う3~4歳の日本人幼児 284人を対象に、気質と腸内細菌叢を調べた。幼児の気質と腸内細菌叢は、以下の手順で計測、評価した。

▶ 気質は腸内細菌叢の構成の違いと関連、否定的情動性・衝動性など
 まず、参加児の母親に92項目からなる質問紙(Childrenʼs Behavior Questionnaire Short Form: CBQ-SF)に回答を依頼。過去2週間の日常場面で、それぞれどの程度見られたかを7段階(「1. まったくみられなかった」~「7. いつもみられた」)で評定してもらい、3つの高次因子(上記(1)~(3))、および下位尺度である15項目(e.g., 怒り、恐怖、内気さ、衝動性)から得点を算出した。
 さらに専用キットを用いて、家庭で子どもの糞便の採取を依頼。次世代シーケンサーを用いて16S rRNA解析を行い、腸内細菌叢の「多様性(種の豊富さや均等度を示すα多様性指標に基づく主成分)」「構成の違い(菌叢の構成の違いを示すβ多様性指標にもとづく主成分)」を評価した。また、腸内細菌叢の構成の違いにどの菌が寄与しているかを詳細に検討するため、「各菌が全体の菌の中で占める割合(占有率)」についても算出した。
・・・
 その結果、気質は腸内細菌叢の構成の違いと関連していた。気質のうち、高次因子「否定的情動性」と下位尺度「恐れ」「怒り」「悲しみ」「内気さ」の得点の高さは、腸内細菌叢の構成の違いと負の関連がみられた。また、高次因子の「外向性/高潮性」と下位尺度の「衝動性」の得点の高さは、腸内細菌叢の構成の違いと正の関連がみられた。

▶ 腸内細菌叢の多様性が高い子どもは新規挑戦や動機に基づいて行動しやすい特性をもつ
 腸内細菌叢の構成の違いにどの菌が寄与しているかを調べたところ、酪酸の産生や抗炎症に関わる腸内細菌(e.g., Faecalibacterium)と、炎症の誘発に関わる腸内細菌(e.g., EggerthellaやFlavonifractor)が寄与していることがわかった。
 これらのことをまとめると、腸内細菌叢の構成の違い(ディスバイオシスな状態)は、不快情動やストレス反応の表出の多さ、さらには快情動の表出や新奇な環境や刺激に対する探索接近行動の低さと関連することが明らかになった。
 また、腸内細菌の多様性は、気質の下位尺度の「衝動性」と正の関連がみられた。つまり、腸内細菌叢の多様性が高い子どもほど、新しいことに挑戦したり、動機に基づいて行動しやすい特性をもつことがわかった。

▶ 腸内細菌叢を幼少期に改善することで、メンタルヘルスリスク緩和・予防できる可能性
 欧米圏を中心に、「腸内細菌叢-腸-脳相関」の観点から、生後早期(乳児期)から現れる気質と腸内細菌叢の関係の解明が進められつつある。しかし、現時点では一貫した結果は得られていない。研究グループは今回、腸内細菌叢の多様性や構成が大人レベルへと安定化し、かつ前頭前野が急激に発達する幼児期に着目することが重要と考えて同研究を実施し、日本人の子どもの腸内細菌叢が気質と関連することを初めて示した。中でも、腸内細菌叢のバランスが乱れたディスバイオシスの状態が、将来(思春期、成年期)のメンタルヘルスリスクを予測する気質の側面と明確な関連がみられた点は重要だ。
 従来、気質は生後すぐから現れ、個人が持続的にもち続ける行動特性であるとみなされてきた。しかし、気質には腸内細菌叢が関連していたことから、腸内細菌叢を幼少期に改善することでメンタルヘルスのリスクを緩和、予防できる可能性がある
「今後は、本研究が示した結果(仮説)を長期縦断的に検証していくことや、腸内細菌叢を改善する介入(e.g., 食生活習慣への介入やプロバイオティクスの投与)によって因果の検証を行う必要がある。将来的には、子どもの心身の健康を早期にかつ客観的にスクリーニングする手法や、個々の心身の特性に合わせた個別型の発達支援法の開発なども期待できる」と、研究グループは述べている。