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“子ども”を取り巻く諸問題

育児・親子・家族・発達障害・・・気になる情報を書き留めました(本棚4)。

「日本一醜い親への手紙」

2017年12月19日 06時12分27秒 | 育児
 あれ、この本の題名、見たことある・・・実は20年前にも発行されていました。
 つまり、20年経っても、問題は解決していないということですね。

 哺乳類の子どもは、愛情をたくさんたくさん必要とする生き物です。
 愛情無しには、体は大きくなっても、心が育ちません。

■ 虐待した親へ…「日本一醜い親への手紙」本に
2017年12月17日:朝日新聞

 親から虐待を受けて育った100人の手記をまとめた「日本一醜い親への手紙 そんな親なら捨てちゃえば?」が10月に出版された。「ありがとう」とは言えない親への思い、大人になっても癒えない心の傷などがつづられている。
 冬はご飯も食べさせず、服がビリビリに破れてほぼ裸の私に頭から水をかけ、外に放り出したね。お父さんにも殴られ、髪を引っ張られ、ふり回されて首を捻挫。すごく悲しかった。
 「鈴鳴うた猫」というペンネームで、こうした体験を手記にした女性(29)に取材した。九州出身で、現在は神奈川県に住む。
 妹たちは母と一緒にお風呂に入るのに、長女だった女性だけは「お前はくさいから、お父さんに洗ってもらえ」と、20歳まで父と入浴させられた。小学生の時、祖父から性器に指を入れられる性的虐待も受けたが、「誰にも言っちゃいけない」と思い込んでいた。
 中学生になると、自分の指先や手首をカッターで傷つけるようになった。高校1年生の3学期、学校に行けなくなった。うつ病の症状だったが、親は「甘えだ」と言った。パジャマ姿で庭に放り出された。「学校に行けない私が悪いんだ」と自分を責めた。
 大学卒業後、親からは地元の公務員になるよう言われた。でも、こっそり神奈川県内の自治体の公務員試験を受けた。合格を知った親は、「落ちればよかったのに」と言った。
 25歳で親元を離れた。信頼できる主治医にも出会え、今春、結婚もした。でも、トラウマは消えない。親に怒られる幻聴は最近も聞こえる。「夜中に包丁を取り出していた」と夫に教えられることもある。
 手記を募集していることをツイッターで知り、「親と向き合ってみよう」と思った。親への「手紙」を書いてみて、「少しだけ、つきものが落ちたような感じ」がしたという。「虐待を虐待として受け止める機会がなかなか無かったので、すごく良い機会になった」。ただ、親の反応が怖いので手紙を送るつもりはない。「親が好き」という気持ちも、親を責めたくない気持ちもある。
 子どもの時、自分の虐待に気づいてくれる大人はいなかった。「子どもたちがこんな風に感じて生きている現状があることを知ってもらいたい」と願う。
 手記には、今後の人生への決意も込めた。

 私は必ず生き抜いてみせます

■編集者「まず現実を見て」
 出版を企画したのは、作家で編集者の今一生(こんいっしょう)さん(52)。1997年にも「日本一醜い親への手紙」を出している。当時、親への感謝をつづった手記本がベストセラーになる中、「親に『ありがとう』と言えない育てられ方をした人の声に耳を傾けたい」と考えたのがきっかけだった。
 最初の出版から20年たったが、児童虐待はなくならない。「社会の仕組みを変えるきっかけにしたい」と、再び手記を募った。暴力や性的虐待のほか、親が浪費して学費を積み立ててくれなかったり、極端な信仰を押しつけられて精神的に追い詰められたりしたことなど、さまざまな体験や思いが寄せられた。
 「平穏のため、今後も絶縁し続けます」と書いた人もいれば、「ずっとさみしくて、かなしいんだよ」という人もいる。親への思いはさまざまだ。「周囲から見たら『親を捨てちゃえば?』と言いたくなるけど、捨てても捨てなくてもいい。それを決めるのは、あなただよ」との思いを込めて副題をつけた。
 今さんは「子どもへの虐待は、大人がやり過ごしてきた宿題。まず現実を見て」と話す。虐待を防ぐには親への支援が必要だと言われるが、「子どもも支援すべきだ。自分がされていることが虐待なのか、最低限守られる人権は何か、教えられないまま大人になっていくのはおかしい」と問題提起する。dZERO刊。税別1800円。


『祖父母手帳』

2017年07月30日 10時45分06秒 | 育児
 まだこの本を読んでいません。
 紹介記事(監修を務めた小児科専門医の森戸やすみさんへのインタビュー)を読んだだけですが、フムフムとうなずけるコメントがありましたのでメモメモ。
 予防接種に関わっている小児科医は「感染症と予防接種の基本的なことを教育する場がない」という現実を日々思い知らされています。
 それと同様、現在の日本には子育てを学ぶ場がない、という指摘に激しく同意しました。

 あ、これから読もうとしている人はネタばれの可能性があるのでこのブログを読んではいけません!

■ 育児の常識は時代によって変わる!『祖父母手帳』監修の医師が語る課題
2017.7.19:WEDGE Infinity

・子どもに何かあるとお母さんは自分のせいって思ってしまうことが多いんですよね。「風邪を引いたのは寒くさせてしまったから」とか。子どもは1年間に平均6~7回風邪をひきますからって説明するとホッとしてくれます。

・お父さんは自分のせいって思わない傾向があるように思います。女親は「自分のせいで子どもが~~になる」ことをすごく気にして、男親はもう少し客観的。

・ネット上に育児情報は多いですが、真偽を確かめることはとても難しいのです。情報過多で玉石混交ですが、怪しいもののほうが多いんです。官公庁や大学病院、学会、公の研究所のホームページから探すことをお勧めします。

・ワクチンは大事ですが、同時接種が怖いとか、ワクチン自体がいらないという声があり、悩む親御さんが多いので書きました。予防できる病気が増えたので今は予防接種の数が増えたんですね。日本では混合ワクチンが少ないので、一度に3本4本打つこともあるのですが、親世代、祖父母世代は自分たちはそんなに打ってないからから不安を感じる。予防接種の必要性をきちんと調べてきたお母さんの横でおばあちゃんが「そんなに打つの? かわいそう!」って言っていることもありますね。「うちは心配なので2本までで」って言うお母さんもいます。病気はいつもらうかわからないので、本当は抵抗力の弱い幼いうちに打ち終わるのがいいんです。

・昔は細菌性髄膜炎って年間に1000人くらい発症していました。私が20年前くらいに研修医だった頃、髄膜炎ということがわかってご両親にお話するのがとてもつらかった。1歳未満の子が細菌性髄膜炎になると3分の1は亡くなり、3分の1は後遺症が残る。元気に治るのは3分の1という状況だったのです。それが今はヒブワクチンを4回打てば、ヒブによる細菌性髄膜炎の発症はほぼゼロにすることができます。

・外国の母子手帳は定期予防接種が受ける順番通りに書いてあるけれど、日本は定期予防接種の後に任意予防接種が載っていたりして把握しづらい。受ける月齢順に並んでいたら、受け忘れがないし、確認しやすいし、誤接種が減るし、任意接種のワクチンの接種率が上がるでしょうね。

・日本の母子手帳は専門家が監修しているので情報自体に間違いはないですが、読み物として面白くない。何が重要で優先度が高いのかがわかりづらいです。

・今の日本には育児を教える人がいないんですよね。医者に聞かれても子育てしていない医者もいっぱいいるし、医者は子育てを教える人ではなくて病気の専門家ですからね。基本的には、医者は病気の予防と治療、助産師はお産、保育士は預かっているときだけ、学校は教育機関。


子どもの耳掃除はしてはいけない。

2017年01月16日 08時34分29秒 | 育児
 お母さん(恋人?)の膝枕で耳を掃除してもらうことは至福のひとときであります。
 しかしこの耳掃除、実は賛否両論状態。

 随分前から耳鼻科のテキストには「耳掃除は必要ない」と書いてありました。
 外耳道の皮膚は内側から外へ移動するので自然に排出されるはず、という理由です。

 昨日(2017.1.15)の古館さんのテレビ番組でも同じことを言ってましたね
 ・・・耳掃除は皮膚の繊毛を痛めるのでかえって有害。耳かき/綿棒は使ってはいけない、見える耳垢をピンセットでつまみ出す程度で良い、と。

 一理あると思いますが、耳垢には乾いたタイプ(いわゆる“粉耳”)と湿ったタイプ(いわゆる“アメ耳”)が存在します。
 粉耳は上記の通り自然に出てくるかもしれませんが、アメ耳はどうでしょう?
 外耳道にへばりついて塞いでしまう確率が高くなるのではないでしょうか。
 実際に小児科診療をしていると、鼓膜が見えないほど耳垢がたまっている幼児が時々いて困ってます(^^;)。

 とそんなところに下記報告が・・・

■ 耳掃除のしすぎは有害:アメリカの最新ガイドラインが警告
ケアネット/HealthDay News:2017/01/16
 耳掃除は耳の損傷につながる可能性があると、米国耳鼻咽喉科・頭頸部外科学会(AAO-HNSF)が発表した最新の臨床診療ガイドラインで警告されている。「Otolaryngology-Head and Neck Surgery」1月3日号に掲載された同ガイドラインによると、耳垢は耳を清潔にして保護するために生じ、塵や埃などを捉え、耳の奥に入り込まないようにしているという。
 顎を動かして咀嚼するなどの日常動作で、新しい耳垢は古い耳垢を耳の入口に押し出し、耳垢は剥がれ落ちるか入浴中に洗い流される。これは持続的に生じる正常なプロセスだが、時にこの自浄プロセスがうまく働かず、耳垢がたまって部分的または完全に外耳道を塞ぐことがある。
 ガイドラインによると、過度の耳掃除は外耳道を刺激し、感染を引き起こし、耳垢が蓄積する可能性を高めうる。ガイドライン更新グループのSeth Schwartz氏は、「耳掃除をすると耳垢が奥に入り、外耳道に詰まってさらに問題が生じるだけだ。耳に何かを入れることは、鼓膜や外耳道に深刻な害につながる可能性がある」と話す。
 耳を守るためのポイントは以下の通り。

・耳掃除をしすぎない。
・耳に何かを入れない。綿棒、ヘアピン、楊枝などは外耳道を傷つけたり、鼓膜に穴を開けたり、耳の骨のずれを生じさせたりするため、難聴、めまい、耳鳴などの問題を引き起こしうる。
・「イヤーキャンドル」は使用しない。外耳道や鼓膜に重篤な損傷を引き起こしうる。
・難聴、耳閉、排液、出血、耳の痛みがあれば医師を受診する。
・自分で耳垢の詰まりを治療しても大丈夫か、医師に相談する。特定の全身疾患または耳の疾患がある場合は安全でない可能性がある。


<原著論文>
Seth R. Schwartz, et al. Otolaryngology-Head and Neck Surgery. 2017 Jan 3.

「子どもの声は騒音?」問題

2017年01月08日 08時53分08秒 | 育児
 出口の見えない「保育園/幼稚園騒音問題」。

■ 「うるさい」と保育施設に苦情、自治体の75%
読売新聞 2017/1/8
 保育施設の子どもらが出す音や声を巡り、「うるさい」との苦情を受けたことがある自治体が、全国主要146自治体のうち109自治体(約75%)に上ることが、読売新聞の調査でわかった。
 苦情が原因で、保育施設の開園を中止・延期したケースも計16件あり、施設の整備や運営が年々難しくなっている状況が浮き彫りになった。
 調査は昨年11~12月、保育ニーズの高い政令指定都市や県庁所在市、東京23区などの都市部に、昨年4月1日時点の待機児童数が50人以上の市町村を加えた計150自治体に実施し、146自治体から回答を得た。
 2012~16年度の5年間に、建設計画段階のものを含む保育所や認定こども園への苦情を受けたことがあるのは109自治体。うち、5年間すべての件数を把握している43自治体では、12年度の計37件から15年度は計88件、16年度は12月までに既に計89件と増加傾向だった。


 解決法はないのでしょうか?

 わたしは「縁」の有無が重要な要素になっていると思います。
 住民と子どもたちが“見知らぬ他人”として分断されていれば、子どもの居場所はなくなります。

 でも、住民が園を見学するなど交流を深めてみたらどうでしょう。
 誰かの大きな声が聞こえても「ああ、あの子が元気に遊んでいるんだな」と思えると、騒音が愛らしい声(?)に変わるかもしれません。

 誰しも、その昔は“うるさい子ども”だったのですから。

初めて聞いた「眠育」という単語

2016年12月12日 07時21分49秒 | 育児
 学校はどこまで育児に関わるべきなのか・・・ここまで来ると、親が育児を放棄しているような錯覚に陥るのは私だけでしょうか?

 地球の裏側にあるブラジルの教育事情を興味深く聞いたことがあります。
 かの国では学校の授業は午前中のみ。
 学校主催の日本の「部活動」に相当するシステムはなく、運動をしたいなら近隣のクラブに所属して活動するのがふつう。

 学校で教師が、
 「この子はここが悪いから直すべきです!」
 などとしつけ関連の発言をすると、
 「しつけは家族の領分、学校は口出ししてくれるな!」
 というクレームが返ってくるそうです。

 今の日本は「スマホ中毒」。
 これをどう克服していくのか・・・。

■「眠育」学校に広がる…遅刻・欠席減、学力向上
読売新聞 2016/12/11



 スマートフォンの普及などで寝不足になりがちな子どもたちに睡眠の大切さを伝え、生活習慣を改善させる「睡眠教育」(眠育)が各地の学校で広がっている。
 眠りが子どもの体の成長に重要なのはもちろん、学習などの意欲にも大きく関わる。家庭や地域も巻き込んで遅刻や欠席が減り、学力アップの効果も出始めた。 
 「朝は午前7時までに起きましょう。1、2年生は夜9時までに寝ましょう」
 大阪市淀川区の市立三国小で10月の朝、保健委員の児童が正門前に立ち、登校中の児童らに呼びかけた。
 同校は年に3度、「生活点検週間」を設け、児童が就寝や起床の時刻などを毎日記録して提出。目標の時間までに寝た児童を表彰してきた。
 遅刻の多さから7年前に始め、大幅に改善した。全国学力テストの成績も向上。府の平均以下だったが、平均以上となり、その上の全国平均を超える科目も出てきた。


 

「叱らない子育て」岸見一郎著

2016年07月10日 06時20分08秒 | 育児
「叱らない子育て」 岸見一郎
副題:アドラーが教える親子の関係が、子どもを勇気づける!だからやる気が育つ!
学研、2015年発行

著者の岸見氏は、「嫌われる勇気」でアドラーブームのきっかけを作った人物です。
肩書きは「日本アドラー心理学会認定カウンセラー」となっています。
NHK教育テレビの「100分de名著」でアドラー心理学が紹介され(人生の意味の心理学)、その中で子育てに関する内容もあったので私も興味を持ちました。
そしてアドラー心理学関連書籍で子育て論を扱ったこの本を購入し読んでみました。

基本は「子どもを叱らない、子どもをほめない」です。
ではどうすればよいかというと、「勇気づける」こと。

前出の応用行動分析では「ほめる」ことが基本ですから、真逆の方針に戸惑ってしまいます(^^;)。

「ほめる」ことも「叱る」ことも、子どもを自分より下に見た立場の行動と説きます。
自分(親)と子どもを対等の立場と捉え直すと、ほめることも叱ることもできなくなり、できることは「勇気づける」ことだけ、という論法です。

あとは、待つだけ。
口を出したくなっても、我慢して待つだけ。

ちょっと混乱する箇所もありました。
「子どもは親に注目されたくて叱られるような問題行動をわざとする」
一方で、「子どもは自分を叱る人を好きになれず、正しいことを言っても聞いてくれない」。

ということは、子どもを叱る時点でもう親は負けている、間違っているということ???
そして叱る代わりにできることは、子どもに言葉で訴えることを教えることと記されています。

う〜ん、それだけで解決できるんだろうか?
スーパーで「お菓子が欲しい」と泣き叫ぶ子どもに対応できるとは思えません。
電車で騒いで白い目でみられるときは「降りるしかない」と記されていますし。

テレビを見ていても感じたのですが、アドラー心理学では、ストイックさが求められます。
「人間関係で悩んだら、まずあなたがよい人になりましょう」というスタンスに、少々窮屈さを覚えます。
言いたいことはわかるのですが、その通りにできるかというと・・・自分が幸せでないと、なかなかよい人を演じることができません。
だから人間関係がギクシャクするのだと思います。
人間は人にしてもらったことしか人にできない、という立ち位置にしないと、万人には受け入れにくい。
「生きているだけで他人に貢献している、感謝されている」と言葉は美しいのですが、それができないのは親世代がそのように育てられてこなかった事実を反映しているだけです。

この本の通りにするためには、事前に親の心のケアをする必要があるのではないか、と感じました。


<メモ> ・・・自分自身のための覚え書き

・叱ることも叩くことも、さらには虐待することも質的には同じで、とだ量的に違うだけです。子どもはどんな仕方であれ力で押さえつけない方法を親に学んで欲しい。

・子どもが親に反抗するのは、親が上に立って、子どもを叱ったり、命令したり、支配したりしようとするから。反抗期というようなものがあるわけではなく、反抗させる親がいるだけ。

・子どもは最初から親に叱られるような問題行動をするわけではない。むしろ、最初はほめられるようなことをする。そのことに気づいてもらえないと、親がイライラするようなことをするようになる。子どもはいつも親に注目されたいと思っているが、親がいつも子どもに注目することはできない。そこで子どもは、たとえ叱られてでも自分に注目して欲しいと思うようになる。

・子どもの問題行動の目的は「注目」されること。親を自分のほうに振り向かせるため。無視されるくらいなら、たとえ叱られても注目されたいと子どもは考える。叱っているにもかかわらず止めないのではなく、叱るからこそやめないというのが本当のところ。
 親が一番困ることを、しかも一番親が困るタイミングでする。親がイライラしたり、本気で腹が立つことをすると、親は子どもを叱る。そうすることで親の注目を引くことに成功するのであり、そのことが子どもの行動の目的である。

・子どもの問題行動に対して、ついカッとなって叱る、子どもは泣く、というよくあるシーンを感情論で片付けてはいけない。双方の行動には目的がある。
親の目的は子どもに親の言うことを聞かせようとすること、子どもの目的は親が子どもを責められなくなること。

・子どもを叱ると、親の顔色をうかがうようになる。叱られて育つ子どもは、叱られるかどうかということだけを考えるようになり、叱られさえしなければ何をしても良いと思うようになるし、やがて自分では自分の行動が適切なのかどうかを判断できなくなることもある。

・子どもは叱られ批判されると消極的になる。消極的な子どもより積極的に行動して失敗する子どもの方が多くを学べる。

・子どもは自分を叱る人を好きになれない。叱ると子どもとの距離が遠くなるので、正しいことを言っても聞いてくれなくなり、子どもを援助することができなくなる。

・子どもの行動を改善するには叱るのではなくどうしたらよいのかを教えなければならない。子どもにして欲しいことを伝えるときも命令するのではなく「〜してくれるとうれしい」というように子どもに断る余地を残す。

・子どもが人に迷惑をかけるようなことをしたときは威圧的な態度ではなく、ただ言葉でやめるように言う。
(例)スーパーでお菓子が欲しくて泣き叫ぶ子ども→ 「言葉で言ってくれると助かるんだけど・・・」
(例)電車の中で子どもが騒いだとき→ 親は子どもと一緒に電車から降りるしかない、電車に騒ぎながら乗る権利はないと言うことを子どもに学ばされる。

・かまってもらいたくて子どもが泣いていても、そのことに注目しなければ子どもは泣き止む。不適切なところに注目しないようにすればよい。

・ほめられて育った子どもは、ほめる人がいなければ自分の判断で進んで適切な行動をすることができなくなる。ほめられて育つと、子どもはほめてもらいたくて、自分の意思ではなく親の意思を優先してしまう。

・子どもと大人は同じではないが、人間としては対等である。子どもを尊敬し、全幅の信頼で接すれば、子どもたちを力尽くで押さえる必要はなく、叱らなくてもいいし、またほめる必要もない。

・人生の課題は対人関係である。あらゆる悩みは対人関係の悩みである。対人関係を避けることなく、何とかしてそこに入っていけるように援助することを「勇気づけ」という。自分に価値があり、自分のことが好きだと思えるときにだけ「課題」に取り組む勇気を持てる。勇気づけのために子どもに「ありがとう」の言葉をかけたい。

・「ありがとう」とか「助かった」という言葉をかけることで子どもが貢献感を持てれば、人との関わりを避けたり、親を困らせるような方法で自分を認めてもらおうとはしなくなる。

・たとえ何をしていなくても生きていることそれ自体がすでに親やまわりの人に貢献しているということを教えたい。決して理想の子どもを頭に描き、その理想から現実の子どもを引き算するのではなく、生きていることをゼロとして、何でもプラスと考えて加算して、子どもたちを見ることができたらすべて解決する。子どもをありのままで受け入れることが子どもを尊敬するということ。

・勉強しなかったり忘れ物をするなど、本人は困るけど親に迷惑をかけるわけではない行動を「中性行動」という。このような行動に対しては子ども本人の意思を尊重し、親が叱る必要はない。子どもが自分でやろうとするまで親は静観していればよい。

・あらゆる対人関係のトラブルは、人の課題に土足で踏み込むこと、あるいは踏み込まれることから起こる。

・親は子どもを自立させることはできない。親にできるのは、子どもが自立するのを援助することだけ。親子が協力して生きるのが最終目標。

・「信用」とは、信じる根拠があるときに信じること。「信頼」は信じる根拠がないときに信じることであり、無条件である。親が子どもを信頼することで子どもは課題に取り組む勇気を持つことができる。親は子どもを信じて見守る勇気を持ちたい。大人に不信感を持っている子どもは、世界全般に対する信頼感を持てずにいる。


にっぽん紀行「ぼくらの秘密基地~東京・光が丘公園~ 」

2015年12月27日 09時16分58秒 | 育児
 2014年5月5日放映(NHK総合)。
 録画してあったモノを1年半経過後に視聴しました。

 先日、こんなニュースが目に止まりました。

 体育の跳び箱の授業で膝をぶつけてアザができた子どものお母さんが学校に、それも体育の授業中に乗り込んできました。
 「この子のケガの責任をどう取ってくれるの?」
 「こんな危険な授業即刻やめてください」
 一同唖然・・・はじめに口を開いたのは先生ではなく子どもたちでした。
 「ぼくは跳び箱を跳べるようになりたい」
 「練習しなくちゃ飛べるようにならない」
 「ケガを心配してやらないより、練習したい」
 モンペのお母さんはスゴスゴと帰りました、とさ。

 住宅地にある公園でさえ、「○○○はしてはいけません」「○○○はダメ」と窮屈な規則が多い今日この頃。
 子どもたちは家のこもって携帯ゲームにはまりがち。
 体を使って汗をかく遊びを経験しにくい環境なのです。

 危機感を持った保護者達が、役所に掛け合って紆余曲折を経ながらたどり着いた結果の一つが練馬の「光が丘公園」です。
 そこでは、NPOやボランティアが見守ることにより、可能な限り制限なく子どもが遊べるようにしました。
 木登りあり、たき火あり・・・すると、子どもたちの目は生き生きと輝いてきます。
 注目は、木の上に造る「秘密基地」。
 そこには子どもたちが作ったルールが自然発生します。
 例えば、木の上の基地で遊ぶためには、「基地造りを手伝う」「自分で登れる」ことが条件。
 これは仲間意識と危険排除の条件でもあります。

 それを遠くから見守る親たち。
 「親」の文字通り「木の陰から見守る」姿を微笑ましく感じました。

 振り返ると、自分自身は、親の目の届かないところで「秘密基地造り」に励む子ども時代を過ごしました。
 「秘密」は親にヒミツという意味ですから、光が丘公園のモノは厳密には「秘密基地」とは言えませんね(^^;)。
 神社の境内に造ったり、田んぼの稲わらを積んだところに造ったり、工場ができる前の埋め立て地に造ったり・・・記憶にある一番の傑作は川の上にせり出す木の上に造った基地でした。あいにく、そこから仲間が川に落ちてしまって親にバレテしまい、残念ながら撤去されてしまいました。

 子どもの「やりたい」という冒険心をどこまで許容できるか、それは親の度量であり、社会の度量でもあるのでしょう。

番組内容> 
 最近の都会の公園ではボール遊びなどが規制されている。しかし練馬区の光が丘公園のプレーパークではNPOのスタッフが見守り、規制をほとんど取り払い木登りなどが行われている。子どもたちは木の板などで木の上に秘密基地を作って遊んだ。この秘密基地に入るためには、基地づくりを手伝うこと、自力で登れることという2つの掟がある。
 大人は立入禁止の秘密基地を小型カメラで撮影。子どもたちはトランプなどをして遊んでいた。
 春になりその秘密基地に新人がやってくる。見学に来た久保田公暉くんは秘密基地を見上げ、リーダーの許可を得て秘密基地に登り1時間以上遊んだ。お母さんは公暉くんにそろばんなどを習わせていて引っ込み思案な性格を心配し公園遊びを進めている。
 光が丘公園のプレーパークは11年前に誕生した。当初は規制が多く子どもたちが遊ばなくなったことに危機感を覚えた保護者によって生まれ、反対があるなか覚悟を持って運営を続けてきた。
 光が丘公園のプレーパークは11年前に誕生した。当初は規制が多く子どもたちが遊ばなくなったことに危機感を覚えた保護者によって生まれ、反対があるなか覚悟を持って運営を続けてきた。
 公暉くんはリーダーの慧悟くんたちと秘密基地作りを手伝うことにした。しかし公暉はすぐに投げ出してしまい結局なにも手伝うことができなかった。その姿を見ていた子が公暉くんに厳しい言葉を投げかけ、公暉くんは秘密基地から離れ母親の元へ向かった。
 注意した壮一朗くんは、口ばっかの子は嫌だ、そういう性格でいてほしくないと話した。実は壮一朗くんも最初は仲間に入れないでいた、あの日の一言は壮一朗くんなりの思いを込めた言葉だった。公園には様々な子どもたちが集まる。
 基地づくりを投げ出した公暉くんはそのことを引きずっていた。4月20日公園では秘密基地作りが行われていた。そこに公暉くんがやってきた。そして仲間の一言で手伝いをし、自力で木に登り、秘密基地作りの仲間になった。壮一朗くんは先週と違うな、仲良くなりたいと話した。公暉くんは外の遊びの方が楽しいと話した。公暉くんは仲間と一緒に大きく成長していく。


「恨んでるけど憎んじゃいない」

2015年07月16日 19時10分29秒 | 育児
 先日、中学時代の友人2人とプチ同窓会をしました。
 このメンバー(3人ですが)が揃うのは35年振りです。

 あれやこれや、懐かしい話から夫婦・家族の話まで盛り上がりました。
 その中で、親子関係が話題になりました。

 自分たちの親は、戦後の混乱期に青春時代を過ごした世代です。
 ものがなく、お金もなく、兄弟も多く、将来の夢を描いても実現できずに我慢を強いられた世代。

 そのエネルギーは子どもに向かいました。
 自分が行けなかった大学へ行かせるために「勉強しろ、勉強しろ」とハッパをかけ続けます。
 そんなプレッシャーを疎んじながら過ごした我々の青春時代。
 当時は反抗して、
「あんた(親)のために勉強しているんじゃない」
「そんなに言うなら、自分で勉強して大学へ行けば?」
 と心の中で思っていました。

 月日が流れ、自分たちの子どもが大学へ行き、就職する世代に成長しました。
 子どもと親の立場を自ら経験した我々は、当時の親の気持ちが少しわかるようになってきたようです。

「そういう時代だったんだなあ」
「うん、変な言い方かもしれないけど、自由にしてくれなかった親を“恨んでるけど憎んじゃいない”」
「そうそう、そんな感じだね」
 とみんなで頷いたのでした。

 親子関係って、ケースバーケースだけど、時代の影響も受けざるを得ないものなのでしょう。


「幸せなママになるレッスン」(北村年子著)

2015年01月16日 08時02分22秒 | 育児
 副題:ま、いっかと力をぬいて
 赤ちゃんとママ社、2012年発行

 NHKの育児番組「エデュカチオ」で知った北村年子さんの著書をもう1冊。
 育児ストレスを解消する珠玉の言葉がちりばめられています。
 「ホームレス・・・」の取材で追いつめられた人間の行動をとことん追求し、かつ、自らの育児経験と照らし合わせて語る口調はやさしく、しかし毅然としていて説得力があります。
 数ある育児書の中で、私の今までのバイブルは佐々木正美先生の書籍でしたが、北村年子氏の発言も素晴らしいと感じました。

 キーワードは「自分を許すこと」。
 これは、育児に限らず、現代人の心の病の根底に共通するテーマだと思いました。

<メモ>
 本文からの抜粋集です。

□ 子どもを幸せにしなくちゃと思うより、お母さんがまず幸せになってください。子どもをほめなくちゃという前に、お母さんがまず、自分をほめましょう。

□ 子どもの泣き声にイライラするのは、もしかしたらお母さんの中に「泣けない私」がいるからかもしれません。「私だって泣かないでがんばっているのに!」と、子どもの泣き声を許せないのかもしれません。
 お母さんもどうか、自分の心の声に耳をすましてみてください。もしも「泣きたい自分」がいたなら、もうそれ以上がんばらないで、そのまま受け入れ、安心できる場所で、自分を泣かせてあげましょう。
 子どもに怒りを感じてしまう気持ちの根っこには、きっとわかって欲しい「つらさ」や「さみしさ」があるはずです。

□ ママの心の安定が、子どもの安心感につながります。

□ (子どもに手を挙げてしまいそうな自分が怖いという相談に対して)
 暴力は、怒りの感情の爆発です。大事なのは、その怒り(イライラ)の根っこにある、もっとも素直な一次感情=自分の本当の気持ちを、きちんと受けとめ、理解してあげることです。
 子どもを叩いてしまったとき、お母さんの心の奥にどんな感情があったのでしょう。
「私だってこんなにがんばっているじゃない」
「どうしてわかってくれないの?」
 そんな怒りがあったなら、さらに、誰に何を、一番言いたいのか? 心の声に耳を傾けてみます。
「もっと私を認めて欲しい」
「ちゃんと話を聞いて欲しい」
 本当は子どもに対してではなく、夫や親に言いたいこと、周囲や社会への不満や要求があるからかもしれません。怒りの感情の根っこには、必ずそんな、わかってほしい「つらい気持ち」がかくれています。怒りの爆発を防ぎ、暴力を絶つためには、その「つらい気持ち」を受けとめ、開放してあげることが必要です。

□ (産後うつの相談に対して)
 今、心がパンパンになって疲れているお母さんにとって「自分を好きにならなくちゃ」とプラス思考を強いることは、それもまた「無理」な「がんばり」になってしまい、よい方に向きません。
 極端に言えば「自分を好きにならねば」と思わなくていい。今はどうしても「好きになれない自分」がいるのであれば、それもありのままに認めて、「受け入れられない自分」も今は仕方ない、受け入れられないんだ、とゆるしてあげてほしい。
 つまり、自己否定している自分をも、否定しないこと。それがまた、「自分を肯定すること」になります。今そのままのお母さんで生きていてくださること、それでもう十分、肯定的なことです。
 「よいお母さん」でなくていいんです。お子さんにとって、「お母さん」と呼べる唯一無二の存在として、今この世に生きてくださっていること。そんなお母さんは、まぎれもなく、この世にたった一人のかけがえのない存在です。不完全なまま、弱いままでいいから、生きていてください。きっと子どもたちは、自分や他者の「弱さ」を認められる、「真の強さ」をもったやさしい人に育つでしょう。
 「誰がなんと言おうと、私は価値のある存在です。私は私で大丈夫。今この自分で大丈夫。」

□ (子育ての毎日に楽しみを見いだせません、という相談に対して)
 日本の現代女性のほとんどが、男女平等の理念のもとに育ち、一度は職に就き、社会で働く経験をしています。それまでの職場や社会との接点を失い、家庭と地域だけの生活に生きがいが感じられなくなったりしても当然です。
 でも子育ては、これまで知らなかった「新しい世界」との接点でもあります。仕事では得られない発見や体験、職場とはまた違った出会いや人間関係を作っていけるチャンスでもあります。子育てをやらされている、という受け身の考え方ではなく、今、私はこれを選んでいるんだと捉えてください。
 また一方で、子育ては人生の有意義なオプションの一つですが、「子育てだけを生きがいにしない私の人生」も、大切に考えていて欲しいと思います。

□ (育児に追われて自分のことができず、進歩がない日々がつらいという相談に対して)
 私たちは「働く」ということを、会社に出かけ、賃金労働することだけのように捉えがちですが、この世にひとつの尊い命が生まれ育つ営みに、関わり、働きかけ、影響を及ぼし合う、貴重な子育てという「働き」にも、まさにプライスレスの価値があることを、どうか忘れないでいて欲しいと思います。

□ 私が今、子育て講座やこの本の中で語っていることは、迷いながら育児を手探りでやっていた頃の自分に向かっていってあげたかったことなのだと、と思います。「そうだよね、イライラすることもあるよね。わかるわかる」と共感し、寄り添ってくれるような存在がいたら、もっともっと、子育てが楽になったような気がするのです。
 私に必要だったのは、何が正しいかよりも、何が私を幸せにするか、を見つめ直すこと。そしてまちがいだらけの「不完全な自分を許す」ということだったのです。



※ 行間から見えてきた著者の経験;
・12歳の時に父をなくした。父は腎臓病のため働けなくなり、その後、うつ病になり、自ら命を絶った。
・非婚で子どもを生み、パートナーとは別姓で、お互い仕事を持ち、家事・育児を分担しながら子育てをしてきた。

絵本作家「加古里子」(かこさとし)

2014年06月25日 12時24分25秒 | 育児
 2014.6.24のNHKのお昼前の番組で絵本作家の加古里子さんが登場しました。
 御年88歳。何と東京大学工学部の卒業生。
 作品では「だるまちゃん」シリーズが有名ですね。

 個人的には、天文少年だった中学生時代に「宇宙」(1978年)という絵本を買って、当時付き合っていた女の子にプレゼントした記憶があります。
 ありがた迷惑だったかなあ・・・。

 その活動歴は長く、1950年代に最初の絵本を出版しています。
 つまり、50年以上になるのですね。
 それ以前は電気関係の仕事の傍ら、紙芝居を自作し、近くの公園で子どもを集めて話した時代があったとのこと。
 その頃の話を興味深く聞きました。

 子どもは面白くないと、飽きてどこかに行ってしまう。
 集まった子ども達が、紙芝居を終えたときにはほとんどいなくなってしまうこともあった。
 そういうときは「なにくそ」と悔しさをバネに、もっと面白い紙芝居を作ってリベンジ。
 これを繰り返しているうちに、子どもが喜ぶ紙芝居のキモがわかってきた。
 ついつい教訓的なエンディングを考えがちだけど、それは子供に全く受けない。


 なるほど。
 現場で子どもたちに鍛えられたのですね。

 性善説、性悪説があるが、子どもは“プチ悪”という面を持っている。
 それを自ら考えて克服していく手助けになればと思って絵本を作っている。


 という言葉も印象的でした。
 よいところも、悪いところも認めて、自分で考えるよう仕向ける。

 子育ての原点ですね。

 昔、加古さんの絵本に親しんだ子どもたちは大きくなって親になり、その子どもたちが同じ絵本を楽しむ時代になりました。
 なんと、昔の話の続編を今も書いているそうです。

 脱帽。