櫻井郁也ダンスブログ Dance and Art by Sakurai Ikuya/CROSS SECTION

◉新作ダンス公演2024年7/13〜14 ◉コンテンポラリーダンス、舞踏、オイリュトミー

映画『おくりびと』

2009-02-26 | アート・音楽・その他
納棺師になりたい人が増えているんだって、新聞に書いてありまして驚きました。アカデミー賞直後で、うんと混んでるけど、でも、やっぱり一見の価値ありでした。ぜひ!
 『バッテリー』でも感じたのですが、滝田監督、やっぱりすがすがしいって思いました。こんなふうに親しみやすく配慮されながら普遍性のある世界観を打ち出すのは並大抵のことじゃないと思います。この映画で印象的だったのは白色の表現力でした。雪の白、シーツの白、亡くなった方がまとう装束の白、白鳥・・・。どの白も、ちゃんと味や臭いや温度のある色でした。さまざまな白が、生活をじっと感じさせてくれるのでした。踊りの舞台でも白はよく使うのですが、むつかしいです、なかなか納得のいく白色は出来ません。暮らしのあちこちで出会う色だから、表現者の感性を試す色なんだと思います。
 さておき、この映画のテーマになっている「お見送り」は、生活の中では、誕生・出産と同じくらい重要な体験だと思います。
 死というのは、僕がやっている舞踏という分野にはとても出てくるわけですが、あれは、死との出会いが肉体の履歴書になるというか、踊り手の質を変えてゆくからなんだろうと思います。
 僕自身も親や大事な友人などが旅立ってゆくのを送るたびにダンスという営為に熱が入っていった記憶があります。死者は生者を励ましてくれますから・・・。
 実際に人を看取ってゆきながら、いつしか、自分自身の残りの命を数えるようになってゆく。何か自分のやるべきことに気付いてゆく。死者の旅立ちを送ることは生きる人にとっても新たな旅立ちで、さよならを繰り返しながら人は大人になってゆく。それで、譲り受けるようにして自立した生の世界に入ってゆくから、肉体の立ち姿にも味が出てくるんでしょう。
 死を看取ったり誕生に立ち会ったりする時に特有の、愛おしさが感極まるという体験が、肉体には重なっていて、それを掘り起こしてゆくような作業が僕の場合は踊るということにつながっているのだけれど、この映画でも主人公は高価な楽器と華やかな場を捨て、ナマの生活・仕事の獲得を通して、いくつもの死に立ち会いながら本当の音楽を奏でるようになってゆく、人の気持ちを動かす音を奏でるようになってゆく、それが何とも印象的でした。それから、化粧施した亡骸を縁者で囲んで送り出す前後のあのスッと力が抜けてゆく感じを何度も思い出しました。うんと泣いて送り出したあと、この世がそこはかとなく広くて、そこにポンと生かされて立っている、青空になったような、あの感じ。
 誰かの誕生を迎える体験と同じくらいに、誰かを送り出す体験を重ねながら「気持ち」とか「情」とかいうものが深まってゆく気がします。それらが身近で無くなってしまう世の中では、「気持ち」がうまく通じない人が増えてしまう気もします。哀しみあってこそ喜びもありという感じなのかしら。あ、何か長くなってしまいそうなので、とりあえずこの辺で・・・。
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