櫻井郁也ダンスブログ Dance and Art by Sakurai Ikuya/CROSS SECTION

◉新作ダンス公演2024年7/13〜14 ◉コンテンポラリーダンス、舞踏、オイリュトミー

断想6/21(情の形、近松、文楽、あるいは、)

2023-06-21 | アート・音楽・その他

体の形というのは、その人の情の形なのかな、と思うことが、よくある。そんなことを初めて思ったのは文楽を見ているときだった気がする。先日ダンスクラスの稽古で文楽の話題が出て、そのことをふと思い出した。

この春は久々に大阪で文楽を見た。祖父母が暮らしていたところから20分ほどぶらぶら歩いた辺りに文楽劇場があって、道頓堀にせよ法善寺にせよもう一つの故郷のように親しみを感じる。僕の故郷は奈良だが、それは祖父母が大阪大空襲から逃がれたせいだったから、あの戦争がなければこの辺で生まれていたかもしれないとも思う。

春は『曽根崎心中』がかかっていたが、あの演目はもともと僕がパフォーミングアートに接近する原因になったものの一つだったし近松には今も惚れ続けているから、やっぱり萌えた。

文楽の面白さはなんといってもあの仕組みの総体にあると思うが、なかでも僕は近松のものにその極を感じ、惹かれる。あの驚異的な言葉の嵐のなかで人と人が息や力を合わせて一つの人形を動かしてゆく、その、火のような瞬間瞬間の見事さとともに、実に生々しい血を感じる、血の物語を伝えてゆこうとする生命の必然と哀しさをさえ感じさせられる。

近松に接するとき、その言葉の根底に轟き燃焼している火が僕の魂に引火するようにも感じる。あれは、消えぬように守られてきた火というより、消そうにも消すことができない血の炎なのではないかと、思ってしまう。ささやかな恋の炎が愛憎の火になり生死の出来事を突発して世界を焼き尽くす地獄の火に変容する。

情である。地獄である。その果ての、澄みわたりであり、浄まりである。

近松を知ったのは高校に入った頃で、子供の頃からやっていた体操をやめてしまい腐っていたのだが、トモダチ・音楽・芝居・自主映画、などなど明け暮れ、休みのたび大阪京都名古屋に出て芝居やライブや展覧会や上映会に行きまくっていたそのなかで、たまたま何となく見にいっただけのつもりだった人形浄瑠璃文楽との出会いはかなりのカルチャーショックで、近松世界との出会いが当然連なり、それがなぜか現在の踊りにつながっているのが、最近、感じられてならず、未だ上手く言葉にできないが、とにかく脈々と何かが繋がり続けているのは確かである。そのことについて、そろそろ、しっかり考えてゆくタイミングが来そうな感じも、ある。

 

 

 

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