櫻井郁也ダンスブログ Dance and Art by Sakurai Ikuya/CROSS SECTION

ダンスアートユニット《櫻井郁也/十字舎房》発:ダンス公演情報、エッセイ:コンテンポラリーダンス、舞踏、オイリュトミー

photo 8/20

2018-08-20 | 日々のこと(daily)



日々のこと

ダンスノート
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NEWS
櫻井郁也ダンスソロ新作公演:『白鳥』9/29.Sat.~30. Sun. 2018
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断片8/19:ブエナ・ビスタ・ソシアル・クラブ ”アディオス”

2018-08-19 | アート・音楽・その他
大切な感動をもらった。そしてキューバ音楽に尊敬を抱いた。
あのブエナビスタソシアルクラブの現在を追ったドキュメンタリー映画のことだ。
過日キーファーの「革命の女たち」についてすこし書いたけれど、こちらもやはり革命にかかわるものだ。

ルーシー・ウォーカーという映画監督のことを僕は何も知らないまま観たが、大変な説得力だと思った。ヴェンダースが撮った名作の続編、という言い方は、ちょっと失礼ではと思えるほどの、特別なセンスの、深い感動がある人間表現だった。

ブエナビスタの音楽がなぜあんなに心にくいこむのか、認識し直した。
歴史を踏み越えた音楽、革命の国を生んだ人々の音楽。
ゲバラとカストロを押した人々の、その根元にある苦しみと怒りと不屈が、明るく美しい音楽の底にドクドクと脈打っているのが、スクリーンから迫ってくる。

痛い、ということが、悲しい、ということが、情けない、愛おしい、くるしい、、、、ということが、生きていれば必ずあるのだけれど、そんなときこそ、溜め息が歌い、肌が踊るのだ、と思った。

身体を本当に揺さぶり生き方を支えてくれる音楽は、何か。
身体が震えるほど心が踊る踊りは、何か。
そこを考えさせられる。
歌わざるをえない歌について、踊らざるをえない踊りについて、考えさせられる。
心について、ということかもしれないと思う。

何度も泣かされた。いつしか、励まされていた。
大切な記録だと思った。



映画

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櫻井郁也ダンスソロ新作公演:『白鳥』9/29.Sat.~30. Sun. 2018
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photo 8/18

2018-08-18 | 日々のこと(daily)



日々のこと

ダンスノート
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櫻井郁也ダンスソロ新作公演:『白鳥』9/29.Sat.~30. Sun. 2018
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dance photo:Sakurai Ikuya (新作ソロ「白鳥」リハーサル)

2018-08-17 | 新作ダンス公演 Next performance





新作リハーサルより
rehearsal for next performance



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新作公演
櫻井郁也ダンスソロ:『白鳥』9/29.Sat.~30. Sun. 2018
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過去作の文章text/statements



写真photo

stage photo:Sakurai Ikuya dance solo

2018-08-16 | ダンス写真(dance photo)




花が咲くというのは、
古い何かが燃え尽きて新しい何かに存在を託す瞬間でもあるのでしょうから、
そういう哀しみもあるから、
命が入れ替わるときの何かが心に入ってきて、
ハッとさせられるのでしょうか。

花が明るく力強いのは、
生死の仕組みがそこからこぼれてくるからなのでしょうか。
あるいは、
命が命をけずるときに光を発する、
その瞬間が花になるのでしょうか。





写真=『Landing on the lost』
テキスト=『かなたをきく』
いづれも櫻井郁也の過去作から


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過去作の文章text/statements

これまでの舞台写真photo


新作公演
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断片8/14:「革命の女たち」のそばで

2018-08-14 | アート・音楽・その他
人、というものをお前は本当に知っているのか。
そう問い迫るような作品に出会うことがある。
アンゼルム・キーファーのインスタレーション作品『革命の女たち』(1992)は、僕にとって、その一つだ。
まさに人についての認識を問いかけてくる作品だと僕は思う。
これを再見したくなって軽井沢に行った。

はじめて目の当たりにしたときは、見てはいけないものを見てしまったようで、眼をそむけてしまった。いや、何をみているのかさえワカラなかった。つまり、作品に宿る力に打ちのめされた。それゆえ、つよく記憶され、その記憶を見てきた。この作品から始まったものは多大だった。そして15年ほども経って、目にしたそれは、こんどは途方もなく深く透明な溜め息のようだった。尽きることのない哀しみ。感情の泉。ロゴスとはこれかと思った。

『革命の女たち』は空間構成を作品とするものだが、「インスタレーション」という美術用語で言うのはなんだか残念で、それは「部屋」そのものと言ったほうがいいかもしれない。あるいは「場所」そのものでも。

収容所の部屋、病院の部屋、居場所としての部屋、生と愛と孤独と死の場所としての部屋、それら「部屋なるもの」のもっともデリケートな場所である「ベッド」が、この作品の核と言ってもいいかもしれない。ベッドとは時でありあ、ベッドとは温度りで、ベッドとは匂いであり、ベッドとは肌であり、、、。

まずそこには鉛の床がひろがっている。鉛の床に、鉛のベッドが14台、整然と置かれている。朽ちているのだろうか、破壊されたのだろうか、すべてのベッドは廃墟のように荒んでいる。そしてすべてのベッドには凹みがある。

ベッドの凹みには水が溜まっている。あるベッドには、枯れた植物が置かれている。あるベッドには、人間の歯が、あるベッドには、土が、あるベッドには、小さな衣服が、、、置かれている。

すべてのベッドサイドの壁には、手書きの名札が貼られている。21枚の名札が、一定の距離をおいて貼られている。名札には女性の名前、いづれもフランス革命で悲劇的な最後を遂げた女性たちの名前が書かれている。

革命で活躍したが男性の憎しみと攻撃の的になり、監禁され、そのまま行方不明となった女性の名前。ロベスピエールらを糾弾し断頭台に消えた女性の名前。ポール・マラーを殺害し「暗殺の天使」と呼ばれ処刑された女性の名前。21名の女性たちの、名前、名前、名前、、、。

そして、空間のいちばん奥には、鉛のシートに貼られた巨大な白黒写真が掲げられている。写真には、荒れ野に立つ後ろ姿の女性が写っている。写真には、枯れたひまわりが献花されている。

この作品、いまは緑ゆたかなセゾン美術館に所蔵されて内部には入れないが、はじめて出会ったのは1993年に東京で開催された個展のときで、これは作品に迷い込んだようだった。都市の百貨店と物流倉庫という対照的な空間に展開されたキーファーの世界は生きたエネルギーそのものだった。それゆえ、ある種の抵抗や葛藤や重さや臭気として胸に迫り、棘のように突き刺さった。しかしこれは「私たちの未来」にとって最も大切なことは何かと問いかけ迫ってくる哲学だと僕は思った、今も思う。

初期作品に彼は父の軍服を着てナチス式敬礼をする自分自身を登場させたことがあるが、この人の作品から僕は、自らに矢を放つような態度を感じさせられる。歴史に対して、あるいは民族的な罪に対して、その子孫としての自分は今現在のなかで何をすれば、という、当然これは日本人にも接しているテーマに、この人は向き合っていると思う。

キーファーの作品の前に立つとき、僕は僕自身に投げざるを得ない問いの一つを、ごまかすことができなくなる。みずからに対して、お前は何者か、と問う心に、キーファーの存在は激しく語りかけてくる。『革命の女たち』という、この美術作品と初めて出会ったときに感じたある種の精神状態が、新たなダンスを探し迷いながら、いま息を吹き返しているような気がしてならない。

個人、あるいは個体、さらには身体、というものは、時の流れから切断されたものではなく連続するものではないか。と思う。連続するゆえに、その連続を断ち切って独立を探そうとするのではないか、とも思う。自由という言葉は、そこに関わっているのではないかとも思う。

身体には、時の流れから、祖先から、民族から、歴史から、国家から、土地から、文化から、、、、受け継がざるを得ないもの、引き受けざるを得ないもの、受容と否定のはざまからなんとかして新しい意識をつくり出さざるを得ないもの、「血の問題」があるのではないか。そのようにも、僕は思っている。

踊りは、身体を通じて人間を掘り下げてゆく行為だ。だから踊りは、血に接近する行為なのではないか、と僕は思っている。踊りは同時に、血を克服する行為にもつながるのではないかと僕は思っている。言い方を変えれば、踊りはアナーキズムにも繋がっているかもしれない。

ダンスも美術も音楽も、あらゆる個的芸術は、どこかでワタクシ自身を超えた何かにぶつかるのではないか、と僕は思う。そのように思う思いと行為に、あいまいさや怠惰を許さない「ひとつの思索」の圧倒的な強度を、僕はアンゼルム・キーファーの作品と態度に感じている。//


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2018-08-13 | 日々のこと(daily)




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dance photo:Sakurai Ikuya (新作ソロ「白鳥」リハーサル)

2018-08-12 | 新作ダンス公演 Next performance



rehearsal for next performance



内界と外界という言葉ほどに世界はくっきりと分かれていないように感じる。
自分と他者のあいだに物質身体はある、そう感じることは多い。
物質身体で私とあなたは別れている。
しかし、それは完全な境目ではないような気がしている。
物質身体からはみ出したところにまで、からだ、というものは存在を滲み出しているように思う。
踊る、というのは toでもなくforでもなく with とか without とかいうような感覚から来るように感じる。
(from notes for ”SWAN”2018:Sakurai Ikuya)

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stage photo :Sakurai Ikuya dance solo

2018-08-11 | 新作ダンス公演 Next performance




写真は、前記事のテキストにある『Landing on the lost』(2015)という公演から。

いま取り組んでいる新作『白鳥』への始まりは、このころにさかのぼる。

秋へ、秋へ、あらゆる秋のために、、、。


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断片:8/10

2018-08-10 | ダンスノート(からだ、くらし)


舞場の床で、いつも感じるのが、地の呼吸です。
その呼吸のなかに身をおくとき、ふと声をきくような思いがめぐることがあります。
地の声でしょうか。

原爆忌の夜に、長崎で踊ったときにも、近い感覚におそわれました。
沢山の方が逝かれた小学校の運動場でした。
踵を刺す地熱が祖先の声のように感じ、からだの芯に染みました。

地を踏むからだに積もりゆくもの、
地を踏むからだから去ってゆくもの、
それらすべてを静かに堆積してゆく、地の呼吸。

思えば、生は着地の連続です。
着地するたび、地の呼吸に触れる。
着地するたび、地の呼吸に触れながら、無量の何かが身を揺すります。

忘却さえも記憶する、この星の長い長い記憶。
その堆積の上に、私という存在が息を紡いで、ある。
その堆積の上に、息吹く今と、このからだと、、、。

立つこと。地に触れること。あらためてそこから。
という思いがあります。



3年前の秋に上演した「Landing on the lost』という作品があって、
そのときに書いたテキストの一部です。



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photo 8/9

2018-08-09 | 日々のこと(daily)



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2018-08-08 | 新作ダンス公演 Next performance


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断片 8/7

2018-08-07 | 日々のこと(daily)





晴天下突然の
どしゃ降りの雨にあい
全身濡れてしまいましたが、
気づけば、
目の前に小さな虹があって、
しばらくキラキラしていました。
こんなことは、
はじめてでした。

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断片:8月6日

2018-08-05 | ダンスノート(からだ、くらし)
もうすぐ8時15分だ。
8月6日があり、8月9日があり、8月15日があり、という、8月になると必ず避けられない日にちの重さがあり、これらの日にちからは東京の大阪の私たちの家族に直結した火の記憶がつらなっているように感じて仕方が無い。私の足は私の皮膚は何も知らない、しかし知らないという言葉はほんとうにふさわしいだろうか、とも考える。たとえば際限なく繰り返された祖母の空襲の日についての火についての言葉から、あるいは亡父の突発的な震えの原因がその日の記憶からであったことから、何か、それは具体的にこういうことだと分析などできない重さと痛さが渾然としたような、暗いかたまりが、やはり自分の深層に沈んでいるような気がしてならない。問いつづける、疑問をもちつづける、どのようなかたちであれ、否応なく背負っているものを、僕らはそう簡単に降ろしてしまうべきではないとも思う。たくさんのことを語る必要があるかないか、わからない。しかし、たとえば今日この6日の8時15分に、そしてわずか三日後の9日の11時02分に、つまり「あの時間」には、せめて黙して手を合わせるという習慣を、とは思う。神さまや仏さまの問題ではなく、人間の問題として個人として祈るだけだが。





写真は過去作『弔いの火ー こどもたちのための70年目の8月9日 ナガサキ』
(2015・8/9 長崎大村・松原小学校運動場、美術=瀧澤潔)


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写真photo


stage photo : Sakurai Ikuya dance solo

2018-08-05 | ダンス写真(dance photo)



過去作「サイレントシグナルズ」より

photo from past performance by Sakurai Ikuya.
Next performance=
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レッスン lesson

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