櫻井郁也ダンスブログ Dance and Art by Sakurai Ikuya/CROSS SECTION

◉新作ダンス公演2024年7/13〜14 ◉コンテンポラリーダンス、舞踏、オイリュトミー

DIC川村記念美術館に関する佐倉市の呼びかけ

2024-09-07 | アート・音楽・その他

この素晴らしい美術館にいま起こっていること()は、私たちの社会のいまを生々しく表しているようで、つらいです。そして、芸術と経済の関係について改めて考えさせられます。

この場所で、僕はとても沢山の体験を得ました。常設のなかでも有名なロスコ・ルームでの特別な体験はもとより、企画展でも例えば2001年と2005年のリヒターの展示で感じたものは今現在まだ反芻しながら何か衝動を育んでいる感が強いし、以前ここに少し記事を書いたバーネット・ニューマンの作品には何度も惹かれ、あの絵に向き合うことから、ずいぶん力をもらえた感があります。

美しいものや創造的なものを見ることは、人間が人間らしく生きるために非常に大切なことだと思うのですが、それが難しい時代に、いよいよなってゆくのでしょうか。

そんな思いのなか、佐倉市が始められた署名運動に共感しました。自治体から個人への芸術に関わる呼びかけ、これは有意義な行動と思い、リンクさせていただきます。

佐倉市からの呼びかけ

 

関連記事(バーネット・ニューマンのアンナの光)

 

 

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Stage. 櫻井郁也/十字舎房:公式Webサイト

最新作をはじめ、櫻井郁也によるダンス公演の情報や記録を公開しております。作品制作中に記されたテキストや写真なども掲載しております。ぜひ、ご覧ください。

 

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基礎から創作まで、色々な稽古を楽しめます。

舞踏やコンテンポラリーダンスに興味ある方は、ぜひご参加ください。

 


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小澤征爾さんの訃報で、、、

2024-02-10 | アート・音楽・その他

かなしいです。

きのう稽古から帰ってすぐ、小澤征爾さんの訃報を知って強いショックを受けました。日本がまた少し暗くなっちゃった気さえしました。

芸術の力を信じることは人間の力を信じることと同じと思うのですが、それを最初に感じさせてくれたのが、小澤征爾さんが振ったボストンシンフォニーの演奏会でした。高校生のときでした。音楽修行の本も好きでよく読んでいたので無理して聴きに行ったのですが、全身が爆発しそうな指揮者の姿とともに溢れてくる無限の音響に金縛りみたくなったのをよく覚えています。あの体験は絶対に舞踊にも繋がっていて、ということは、人生を揺さぶる事件だったのだと思うのです。

ブラームスもマーラーもベルリオーズも、そしてストラヴィンスキーも武満徹も、「オザワがやる」というところから入ったのですから、小澤征爾さんの演奏に出会わなかったら出会えたかどうかわからないような、そういう曲は数えきれません。それから、もう知っている曲でも、この人の演奏会を境に忘れ得ぬ名曲になり、やがて様々なことを乗り越えてゆくためのエネルギーになり、ということも随分と重なっていきました。

この人の奏でる音楽はとても確かに生きることを助けてくれて、この人の存在は僕に「きちんと前を見る」ということを教えてくれたと、深く思います。

このブログにかなり前に書いた演奏会の感想(コチラ)がありますが、この時の音楽はさっき聴いたばかりみたく今まだ響いていて色々なことを語りかけ続けてくれます。

亡くなられたことを知って、悲しくて寂しくてなりません。本当に残念です。

 

 

 

 

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▶︎近日中に次回公演の開催日程をお知らせします。

 

 

 


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断想12/03:ホックニーのこと

2023-12-08 | アート・音楽・その他

冬の到来のなか、久しぶりに見たホックニーを思い出す。

11月、会期末に駆け込んだらとんでもなく混んでたけど、近年のなかでも特別に心震えた展示だった。

絵が微笑んでいる。まず、そう思った。《No.1182020316日「春の到来 ノルマンディー 2020年」より》が目に飛び込んできたのだった。コロナ禍が始まったあの冬に、ホックニーは自身が暮らす場所で描き上げたこの花の絵をオンライン上に投稿し、「春が来ることを忘れないで」というメッセージを添えたのだという。

MOTで開催され大変な話題となった『デイヴィッド・ホックニー展』はまさに最大規模だったがコロナ禍で無期限延期になっていたものが実現したものだった。

絵を見ることで、あんな風に喜びを感じたのは久々の経験だったし、芸術の力はいつか世界を回復させるに違いないという、ある種の予感と熱感覚が来た。

そして、画から、写真から、映像から、空間から、それらの経過を記録したビデオから、そしてそれらすべてが織りなす雰囲気とか気分から、「ひととなり」とでも言うほかないものを深く深く感じた。あれは特別な経験で、芸術はやはり「ひと」そのアラワレなのだと圧感した。rejoiceという言葉について大江健三郎の小説で経験したときの思い出もどこか重なった。

たくさんの苦しみ悲しみがいつしか静かな喜びを呼び込み、讃え寿ぎ愛でる力に転換されてゆく。毎日いろいろある。波風がたち、おだやかになり、夜が訪れて、いつしか季節が変わってゆく。そのような日常に対して、僕はどれくらいのことやものを大切にしてこれただろうか。そしてこれから訪れる瞬間瞬間を生き尽くすことができるだろうか。

淡く柔らかいのだけれど同時に深く切実な感情が、たかまっていった。げいじゅつが無かったら、たぶん人生はもっと暗い、と直感した。忘れられない時をもらった。ホックニーの絵に力があるのは、インタビューで語っているように、なすべき事を全身全霊でやっているからだろうと思う。ひとが好きなことを見つけ、信じ、力を注いでゆくことの大切さを改めて教わった。

ホックニーは83歳。「ありのままのあなたでいなさい」それが日本の若者への唯一のメッセージだという。

 

 

 

 

 

 

 

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火をめぐる思想のこと(蔡國強「宇宙遊 ―〈原初火球〉から始まる」展@国立新美術館)

2023-08-20 | アート・音楽・その他

 

 

蔡國強氏の個展「宇宙遊 ―〈原初火球〉から始まる」で、とても深い感銘を受けた。

上掲は、この展覧会に先立つ6月26日いわきで行われたプロジェクトの新聞報道(LINK)だが、「ここの人々と一緒に時代の物語をつくる(展示紹介文より)」という氏の言葉が見事に反映して凄みを感じた。そしてそれは同時に長年にわたる積み重ねからこそ生まれてきた作品ゆえの美しさと力強さでもあると思った。

あきらめないこと、ブレないこと、とにかくやること、これらが芸術には最も重要な精神だが、この人の作品からはいつもこれらの人間的な力が強く感じられる。

30年前に四ツ谷の寺の地下で蔡國強の個展(1991年)を初めて見たとき、同じ時代を生きる人による作品の力に息をのんだ。その創作態度に、同じ時代を乗り越えようとする芸術家の生き様に、激しく背を押された。

あの時の作品も、今回の大規模な個展では再び紹介され、核の一つとして強い磁場を形成していた。続々と展開する傑作に瞠目しながら、ここでは一人の芸術家の駆け抜けてきた30年間という時の層を体験することもできる。巨大な空間に点在する爆発の痕跡は、生の痕跡にも重なっているように思えた。

また、2015年の個展『帰去来』で感じ書き留めた僕自身の言葉も、今回また強く蘇った。「私たち人間は、火を起こす力と火を消す力の両方を持つ存在であること。つまり、破壊者でありながら創造者であること。( LINK )」というような言葉だ。自分で思い書き留めた言葉というのは忘れてしまうことも多いのだが、やはり強い印象が残っていたのだろう。

ほかにも様々なことを思い出し、新たに思い、感覚感情が騒ぎ、そして考えさせられた。

火をめぐる思想のこと、世の中の流れのこと、自分自身の歴史のこと、蓄積されたものごとについて、経験について、行動について。

そして、この人がつくる作品から、目の前にある爆発の痕跡から、何かの生まれる力を信じよう、現在たったいま現れるものを祝福しよう、という声が聴こえてくるようだった。

 

 

 

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断想6/21(情の形、近松、文楽、あるいは、)

2023-06-21 | アート・音楽・その他

体の形というのは、その人の情の形なのかな、と思うことが、よくある。そんなことを初めて思ったのは文楽を見ているときだった気がする。先日ダンスクラスの稽古で文楽の話題が出て、そのことをふと思い出した。

この春は久々に大阪で文楽を見た。祖父母が暮らしていたところから20分ほどぶらぶら歩いた辺りに文楽劇場があって、道頓堀にせよ法善寺にせよもう一つの故郷のように親しみを感じる。僕の故郷は奈良だが、それは祖父母が大阪大空襲から逃がれたせいだったから、あの戦争がなければこの辺で生まれていたかもしれないとも思う。

春は『曽根崎心中』がかかっていたが、あの演目はもともと僕がパフォーミングアートに接近する原因になったものの一つだったし近松には今も惚れ続けているから、やっぱり萌えた。

文楽の面白さはなんといってもあの仕組みの総体にあると思うが、なかでも僕は近松のものにその極を感じ、惹かれる。あの驚異的な言葉の嵐のなかで人と人が息や力を合わせて一つの人形を動かしてゆく、その、火のような瞬間瞬間の見事さとともに、実に生々しい血を感じる、血の物語を伝えてゆこうとする生命の必然と哀しさをさえ感じさせられる。

近松に接するとき、その言葉の根底に轟き燃焼している火が僕の魂に引火するようにも感じる。あれは、消えぬように守られてきた火というより、消そうにも消すことができない血の炎なのではないかと、思ってしまう。ささやかな恋の炎が愛憎の火になり生死の出来事を突発して世界を焼き尽くす地獄の火に変容する。

情である。地獄である。その果ての、澄みわたりであり、浄まりである。

近松を知ったのは高校に入った頃で、子供の頃からやっていた体操をやめてしまい腐っていたのだが、トモダチ・音楽・芝居・自主映画、などなど明け暮れ、休みのたび大阪京都名古屋に出て芝居やライブや展覧会や上映会に行きまくっていたそのなかで、たまたま何となく見にいっただけのつもりだった人形浄瑠璃文楽との出会いはかなりのカルチャーショックで、近松世界との出会いが当然連なり、それがなぜか現在の踊りにつながっているのが、最近、感じられてならず、未だ上手く言葉にできないが、とにかく脈々と何かが繋がり続けているのは確かである。そのことについて、そろそろ、しっかり考えてゆくタイミングが来そうな感じも、ある。

 

 

 

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コンテンポラリーダンス、舞踏、オイリュトミー

からだづくりから創作まで、初心者から取り組めるレッスンです。

拠点は東京・荻窪。

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断章6/15:絵金に酔う

2023-06-15 | アート・音楽・その他

酔った。真っ赤で、キラキラしていた。なおかつ、真っ暗闇でもあった。

もういちど行くと力んでいた当日に豪雨、ゆえ断念したが、あべのハルカスでいまやっている絵金展は一度きりでも行っておいて良かった。(もう終わってしまうからメモっておこうかと、、、)

この人の絵を紹介して喜ばれたことは多いが、やはりあのグワッッとした感じが伝わるのだろうか。僕は、この人の絵には興奮がある、沸騰感覚があると思うのだ。

残酷と祝祭、虚実のゆらめき、血の騒乱。ココロが火傷をしそうだ。熱で網膜がやられてしまいそうだ。

奇妙な比較かもしれないが、僕の好みではカラバッジョなんかと並んでしまうほどクラクラするのが、この弘瀬金蔵という人の絵なのである。いい美術には、どこか超知性というか、知性をぐらつかせるような肉感やアナキズム感があるように思えてならないのだが、この人の絵はその典型と言ってもおかしくないと思う。

何かを作る力は同時に壊す力をも内包している。とすれば、変な言い方になるが、壊す力で作りあげられたのが、この人の絵ということなのかも知れない。まあ、こういうチカラというか狂イを現代のもので感じたことは未だない。

どんなことを考えていてもキマジメな感性ではこれは描けないのではないか、とか、本当の真面目さがなければこれは描けないのではないか、とか、これは、はみ出す力がそのまま絵になっているのではないか、とか、まあ色々思う。目の前の作品を見ながら、ここにはもう居ない彼方の人となった作者の人間について、思いや妄想が拡大してゆく。

情がこびりついている。絵というのは現実よりもはるかに生々しい、そう思えてくる。想像力と創造力を通したときにこそ眼に見え胸に迫ってくるもの、それが目の前にある感じがして、ちょっと汗ばんでくる。

天王寺あたりのあの空気感のなかでこの画群に接することができたのもなかなか良かったが、やはり土佐まで行って見たくなる。気持ちが、四国の夜祭りに向かってゆく。

日本は美に恵まれているが、なかでも独特と言えるひとつが絵金の画業で、これは異界の窓なのではないかと思うのだった。

 

 

 

 

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土門拳の古寺巡礼

2023-05-17 | アート・音楽・その他

あらためて衝撃的だった、というのは変な言葉使いかもしれないが、ついそんな風に言ってしまうほど感情が高まったのが、土門拳の写真展だった。恵比寿の東京都写真美術館がやった「古寺巡礼展」である。

僕は奈良に生まれ育ったから、この人の写真は幼児より何度も見たし、そこに写されている仏サンや仏閣の柱も屋根も毎日の暮らしで接していたから非常に身近で、匂いまで思い出す。そしてあの後ろの方に限りなく開かれた暗闇も、季節や空気と同じような重さで身体に入っている。けれど、それでも、あらためてイマこの歳になってこの東京で一気にあの写真群と土門拳の言葉に改めて触って、ゾゾっとするほどの電流が眼から全身に流れ込んだのは、想定外だった。

あの写真群を直接目の当たりにするのだから、土門拳の凝視の凄まじい力が伝わってくるのはもちろんだし、彼が凝視した被写体の奥に鳴り響く無音の音楽が聴こえてきて悩ましいような心理空間が生まれてくるのだ。さらに、添えられた土門自身の言葉が実に鮮烈で、僕の胸の最深部に混濁しているものを、突き刺し、かき回す。また、徹底的な凝視の果ての一撃たるシャッター音を想像すると、これはもう背筋がシャキッとする。つまり、全身で感情したのだ。

ふと、いま私たちには私たち自身の魂の根を知るべき時が来ているのでは、と思うことがある。そんな個人的な時代感にも重なり、いまこのタイミングで、この展示が計画されたこと自体が、実に面白いとも思った。

 

 

 

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ピーター・ブルックの訃報をきいて

2022-07-07 | アート・音楽・その他

この数日、何度となくピーター・ブルックの事を思い出していた。

7月2日に亡くなった。それを5日の朝に知った。舞台芸術の巨匠である以上に大変な知性を僕らは失ったことになる。ショックを受けたままその日の昼に踊りのクラスをやったが、人が気持ちを込めて踊ろうとする一挙一動がとても大切にあらためて思えた。

クラス中、ふとメンバーから寺山修司のことが話題に出た。踊りながら、僕の音読を聞いて踊りながら、寺山の言葉を思い出したという。どんな?かくかくしかじか。ーーー。とても素敵な言葉だった。素敵だと思いながら、思い出していたのは、演劇や舞踊や映画が革命に結びつこうとしていた、あの雰囲気だった。僕なんかが居たのは、その、もうおしまいのころだったかもしれないのだけれど、それでも、まだ、ある種の異様な渇望と絶望が熱を帯びていた頃、寺山が亡くなり土方が亡くなり、穴があいたようなところに、熱や湿度や怒涛の代わりに何か軽やかで薄情な格好良さがウイルスのよう街を犯し始めた頃、芸術が「あーと」と言い換えられ始めた頃、いきなりピーター・ブルックが爆弾のようなカルメンを持って東京に来たのだった。

カルメンの悲劇。銀座に新築されたばかりのセゾン劇場だった。杮落としの一環だったのだと思うが、出来立ての劇場の客席をブルックはいきなり解体し、素朴で座り心地の悪いベンチに取り換えてしまったのだ。そして、真新しい舞台で本物の焚き火を燃やして、その炎の中で、カルメンの悲劇を上演したのだった。もちろん話題になった。だけど思い出すのは、どちらかというとそのような事件性やインパクトではなく、俳優の声や仕草や汗、あるいは手に持ったタンバリンの音、そして気がつけば食い入るように見つめたラストシーンだった。人間の内側に秘められた激しさをそのまま目撃してしまったようだった。舞台芸術が本来もっているラジカルさを、突きつけられた気がした。

さらに衝撃を受けたのはブルックの拠点劇場であるパリのブフェ・ド・ノール(Théâtre des Bouffes du Nord)で見たシェークスピアだった。舞台のみならず劇場の至るところが砂まみれで、砂漠のなかの廃墟のようになっている。そこでタイタス・アンドロニカスが上演された。ティンパニとラッパが何度も野蛮に吠えるなか、凄まじい戦闘が繰り返されるのだった。シェークスピア最後の悲劇にして異様な暴力世界が生身の衝突で体現されてゆく。これは恐ろしい力が人間に取り憑いて世界を崩壊させてゆくような感じを受け、ちょっと心理的なダメージさえあった。

もう一つ、鮮やかに思い出されるのがブルックの監督した映画『注目すべき人々との出会い』。有名な神秘家G.I.グルジェフ(この人については機をあらためて書きたい)の自叙伝のような話で、当時やたら話題になった後半の秘教的舞踊グルジェフムーブメンツのシーンを目当てに見に行ったのだが、より強烈に焼きついたのは、果てしない旅の感覚と砂のイメージだった。物理的に映っているわけではないが、主人公の若きグルジェフがリアリティを求めて彷徨い旅する世界が広大な砂漠のように見えるのだった。

ピーター・ブルックの劇を通じて、僕は人間なるものが秘めている途方もないエネルギーと謎を目の当たりにさせらてしまったのかもしれない。強く尊敬し続けると思う。

 

 

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stage info.

櫻井郁也ダンスソロ新作公演

『やがて、、、(タトエバ切ラレタ髪ノ時間ト)』

7月30(土)〜31(日)

席数限定。ご予約はお早めにお願いします。(詳細=上記タイトルをclick)

 

 

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クラスの種類や内容など、上記をクリックしてください。

 

 

 

 

 


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ヒルマ・アフ・クリントに

2022-05-29 | アート・音楽・その他

 

春あたりからアフ・クリントに関する映画が上映されたり彼女に関する様々な企画や言葉が広がっていることに興味を抱いています。グッゲンハイム展での驚異的な集客にもあらわれていたのでしょうけれど、この人の芸術にはアントロポゾフィカルな側面からの見地を超えて広がってゆく魅力が多々あるのではないかと感じます。僕は「抽象」というものへの考え方がダンスのみならず芸術全般で極めて大事と考えますが、この人はその先行者の一人という印象があります。

 

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新作公演=2022年 7月30(土)〜31(日)開催。

まもなく公演サイトをオープンいたします。

ぜひご注目ください。

 

 

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断片1/12(岩波ホール閉館のニュースを、、、)

2022-01-12 | アート・音楽・その他

岩波ホールがコロナ禍によって閉館することを昨日のニュースで知り、ショックを受けています。レッスンの場でも話題になりましたが、日本の文化拠点がもうすぐ一つ消えるということでもあると思います。

この映画館からいただいたものは個人的に多大です。例えば、ここで上映されたアンジェイ・ワイダの『大理石の男』などによって、映画あるいは芸術と社会構造の具体的な変革運動との関係をかなり生々しく目の当たりにしたことは大きな出来事でした。

同じワイダ監督による『約束の土地』という忘れ難い映画に出会ったのも岩波ホールでした。近代の繊維工業で大事業を夢見た若者たちの生き様を通じて資本主義の始まりを描いたものですが、これは上記とは別の意味で強烈なインパクトがあり、非常に深く心に食い込んだ作品で、鑑賞から30年以上も経っていると思いますが、現代の生き方や人間の欲望や宿命について、いまだに考えさせられることが多いのです。

ほかにも、タルコフスキーの『鏡』やアンゲロプロスのいくつかの作品や羽田澄子さんのドキュメンタリー映画やさまざま思い出します。僕にとっては、岩波ホールとエキプ・ド・シネマがなければ知る事さえが出来なかった作品や作家はとても多かったし、ジェラール・ドパルデューやロミー・シュナイダーやヘルムート・バーガーなどの名演技を味わうこともなかったかもしれません。

何よりも、それらの作品を鑑賞することや演技に惚れることから芽生えた様々な興味の拡がりや思考の始まりというのは、掛け替えないものだったと思うのです。

また、ここで入手したいくつかのパンフレットには、採録された日本語シナリオが全編掲載されていました。これにより、スクリーンで観た経験をその日のうちに細やかに思い出すことが可能になりますし、気になった台詞を繰り返し眺めることもできますし、さっき目で見たものを今度は文章で文学的に味わい直すことができます。つまり、一回の映画鑑賞をより大切にすることができるのでした。このようなパンフレット作りには映画に対する特別な愛情と志を感じましたし、やはり観客として一作一作をより深く味わうこと助けを具体的にしてもらえるのは本当にありがたかったのです。

世評や流行に振り回されず、きちんと筋の通った考え方で、質の高い映画を公開してきた、その結果として、日本の文化全体に大きな影響を与えてきた映画館だと思います。

どうしてもこの一本を観なければ、という思いで仕事帰りに神保町の駅の階段を駆け上ってゆくことは、もう無くなるのだと思うと、ひどく寂しいです。いつか再開の日が来ることを心から願います。

  岩波ホールHP

 

 

 

 

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ただいま前回ダンス公演(2021年7月)の記録をご紹介しております。ぜひご閲覧ください。

※次回公演日程など、まもなく順次公開となります。

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2022年のレッスンは1月5日から開始します。募集状況など、上記クリックをしてください。

 

 


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断片10/22(ショパンコンクール2021)

2021-10-23 | アート・音楽・その他

先日の記事の追伸だけれど、第18回ショパンコンクールの2位に反田恭平さんが、4位に小林愛美さんが選出された。すごい。今年のなかで飛び抜けて素晴らしい出来事だと思います。

お二人の演奏に、また、その場での立ち居振る舞いの様子に、この期間を通じてすごく心が動かされました。

コンクールの生配信を連日観て、時差のためすっかり宵っ張りになってしまった。次は2025年まで無いと思うと寂しい気もするが、その分、やはりこれほど沢山の人のショパン演奏を連続して生中継で聴くなんてことはなかなか出来ないのだから、非常に贅沢な期間でした。

そのなかで、日本人だからという理由ではなくて、こんな演奏があるのか、こんなふうに音楽は生まれ変わってゆくのか、という爽やかな驚きという共通点で、上記のお二人の演奏の展開を、楽しみに追っていたのです。

なかでもファイナルは特別だった。曲目そのものがコンチェルトに絞られていて、しかもショパンは2曲しか書いていないのだから、物凄い緊張感の中で、次々にどちらかの曲が演奏され続ける。ちょっと特殊な鑑賞体験だけれど、今年は、演奏というものの面白さを、これでもかというほど味わうことができました。

反田さんの演奏は、青空のような突き抜け方で、猛烈なエネルギーを感じた。あっぱれと思った。小林さんの演奏は、一瞬びっくりするほど変化に富み、抑えがたい感情の塊りが押し寄せてきて、衝撃を受けた。また、スペインのマルティン・ガルシア・ガルシアさん(3位)の明るく力強い演奏からは、音楽の力に対する畏敬が現れているというのだろうか、すごく敬虔な渾身を感じて、心を洗われた。そのような経緯がありました。

とても昔に、ただ一人の人間が書き残した音楽が、あらゆる工夫と努力で生まれ変わり続け、そのことが人間の心を新しくしてゆく。一生懸命に行為するということの意義を芸術は教えてくれる。そのようにも感じました。

コンクールなのだけれど、これは、音楽が時代を越えて受け渡され同時に新しく生まれ変わってゆく瞬間に立ち会っているのではないか、というように感じました。ピアノ演奏という行為を通じて、呼吸と鼓動とが満ち溢れ、祝祭的な感動がある週間だと思えました。一生のうちで一回でもワルシャワの現場で聴いてみたいと、かなり思うのですが、、、。

 

 

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横尾忠則さんの展示を見て、、、

2021-10-17 | アート・音楽・その他

舞踊修行の途上で、美学者の高橋巌氏から受けた指導は僕にとって非常に大きなものですが、上の写真は氏の著作の中でも特に心動かされたひとつで、デザインは横尾忠則さんです。

内容とデザインが互いに強く働きあって、この一冊の本の存在は、長年にわたって僕に特殊な光を投げ続けています。

書物装丁に限らず、舞台公演の宣伝デザインなども、受け手にとって強い影響を与え、内容と絡まってイマジネーションを高めることが、ままあります。

デザイナーというのは、プロジェクトの表層ではなく、むしろ深い核の部分にまで影響を与える、重要人物だと僕は思っています。

そのことを最初に知らされたのが、唐十郎さんや土方巽さんの公演をはじめとする、横尾忠則さんデザインの様々なポスターでした。

また、画家宣言をされたあとの横尾氏の作品の動向は、いつも人生に何かしらのメッセージを与えてくれているような感触がありました。

そしていま、『GENKYOU』と題された最新の展覧会を鑑賞して、より激しく、背を押され、いや、お尻を叩かれたような感じが、あります。

木場の東京都現代美術館で17日までやっていて、展示内容は初期作から現在進行の新作やコロナ関連の取組まで、膨大です。

 

横尾忠則さんの作品から、僕は個人的には、文学のように読み解いてゆく面白さと、吹き出るようなエネルギーを浴びる興奮を、感じています。

一枚の絵の中に、非常に異なるものが、いっぱい、そしてギュッと凝縮されていて、絵を見つめていると一冊の書物を読み解いてゆくような愉快さが出て来ます。同時に、その一枚の絵を描くことに費やされた集中力や労力や知力や感情の波が、高濃度かつ大量に押し寄せてくるのです。

だから、見る側にも結構な体力が必要なのですが、それゆえに手応えも大きいのです。

この展覧会では、膨大な作品を見ることができるのですが、圧巻だったのは《原郷の森》と題された最後のコーナーで、それは広大な展示エリアいっぱいに展開される、まさに「現況」と言える最新の仕事群でした。

2020、あるいは、2021、と制作年を示された作品の量とスケールが、まず驚愕でした。そしてその一つ一つの勢いが素晴らしく、それは、創作者としても、生きる姿勢としても、感じ入るものがありました。

お勧めします。

 

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映画『MINAMATA』

2021-10-09 | アート・音楽・その他

 

こないだ掲載した湘南の海は、肉眼で見るとエメラルドグリーンに輝いていました。

綺麗でしたが、それは見た目は美しいが、もしかすると昨年の白潮現象のせいなのではないかという声も聞きました。コロナで経済活動が低迷した反面、自然が元に戻ってきた、ということではないようでした。

直接は関係ありませんが、海を見ていて、10日ほど前に見た(ようやく日本公開された)映画『MINAMATA』を、思い出しました。

俳優のジョニー・デップ氏が制作・主演した作品で、制作情報を知ったときは、このテーマをハリウッドがやるということに驚きましたが、目の当たりにして、快挙と思いました。

この時代にこの映画を作り得た人たちと公開し得た人たちに、敬意を表します。

僕が水俣病のことを知ったのは小学生のときでした。まだ低学年でしたが、写真を見て、ちょっとしたショック状態になってしまいました。

1970年前後のことでした。

当時、僕は親戚のいる淡路島に頻繁に行っていましたが、瀬戸内海の赤潮が年々酷くなり、その惨状を間近に見ていたこともあり、海というのは僕にとって壊され壊れてゆくもののシンボルのようでした。

そのこともあったからでしょうか、水俣の写真は、子ども心に、他人事とは思えなかったのです。

水俣の写真は幼い脳裏に焼き付き、夜の夢に何度もいろんな形に変化して出てきました。

いま思えば、この経験は、世の中について、とりわけ企業社会や経済的な繁栄や物質的な発展というものについての懐疑心を抱くきっかけになったかもしれません。

やがて、高校生のころ、この映画の主人公であるユージン・スミスとアイリーン・スミスによる写真集『水俣』を見ました。

そこには、幼い頃に観た覚えがある写真がいくつかありましたが、感じることは変わっていました。

恐ろしさや言いようのない悲しさと同時に、この写真集からは、根底からの怒りが感じられ、人間の尊厳について深く考えさせられました。「生 - その神聖と冒涜 」という副題も、強烈に胸に響きました。

また、大学の頃には故・土本典昭監督の『水俣一揆』をはじめとする作品群に触れ、その直接の内容だけでなく、表現者というものの居方や態度について強く考えさせられました。

これらを通じて、僕のなかで「水俣」の意味が少しづつ変わっていきました。それらの作品は「水俣」の出来事が、破壊の恐ろしさのみならず、人間の尊厳の問題に深く深く及ぶものであることを、語りかけてきました。

水俣病は、僕ら個々の生活基盤に深く関わる社会問題と思います。

この問題に触れるたび僕は、利己的精神について、他者への無関心について、それらから生まれてくる暴力の可能性について、そこはかとない恐怖を抱きます。そして、僕らの生活基盤を肯定しきれない気持ちになり、震撼します。

「安らかにねむって下さい、などという言葉は、しばしば、生者たちの欺瞞のために使われる」

という、石牟礼道子さんの言葉も、また、いま思い出します。※関連記事


PS:上記写真集が復刊され、土本監督の作品も再映され、原一男監督によるドキュメンタリー『水俣曼陀羅』もまもなく公開。

 

 

 

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断片9/24(グスタフ・ヴィーゲランの彫刻のことを、、、)

2021-09-25 | アート・音楽・その他

ヴィーゲランという彫刻家がいます。この人のことを友人に尋ねられ、話しこみました。以前、僕がこの人の作品を好きだと言っていたのを、ふいに思い出したのだということでした。

グスタフ・ヴィーゲラン(Gustav Vigeland 1869-1943)はノルウェーの彫刻家で、この人の特徴は、創作の中心に夫婦や親子の問題が深く捉えられてあることだと、僕は思います。子育てや家庭のことや愛する人との何かしらの問題を抱えたときに、この人の作品のそばに行きたくなるのです。

彫刻の良さの一つは、その存在の仕方だと思います。彫刻の存在は、場所に人間的な力を与えます。

例えば、上野の近代美術館にはロダンの「地獄門」や「カレーの市民」の像があり、あるいは、ルーブル美術館の踊り場にはサモトラケのニケ像がありますが、それらがそこに在り続ける限り、そこ=その場所は、それぞれの彫刻の存在が導いてくれる特別な磁場になっています。

また、野外に置かれているものには特別な存在感が育ってゆくように思います。野外では、雨の日も雪の日も、彫刻は、ある地点にじっと存在し続けます。作者の作業場からも持ち主の部屋からも離れた場所で、濡れても乾いても汚れても錆びてもヒビが入っても、じっと存在している。じっと在り続けることで、自然の力に溶けて、次第に変容し、作家のイメージや持ち主の印象から、少しづつ独立して、自立した存在になってゆくかのように見えます。

ヴィーゲランの彫刻から、僕は、そのような感じを特に強く受けます。個々の彫刻が、それぞれの独立した存在として屹立し、いま生きている人間の毎日を激励してくれるように、僕は思うのです。

泣いて怒っている赤ちゃん、いたわり合うカップル、年老いた夫婦、小さな子どもをあやす父親、、、、。

そのような沢山の彫刻から、人と人の間にある絆、人が生まれ年老いてゆくことの喜怒哀楽が、溢れ出てきます。そして、個の人生を超えて、生命や知の譲り渡しをしながら、時を紡いでゆく、人間存在なるものへの思索を、この人の彫刻群は、私たちに促します。

僕がこの人の作品に強く心を揺さぶられるようになったのは、まだ子ども達が小さかった頃でした。育児のさなか様々な辛さを抱えていたのですが、この人の作品の写真を見ると、少し心の中が明るくなるのでした。助けられていたのです。

尊敬する芸術家は沢山いるのですが、ヴィーゲランの場合は、どこか深いところから、こちらを見守ってくれているような視線を今も感じます。心を支える力とでも言えばいいのでしょうか。

これは実に凄いことで、滅多にあるものではないと思います。人生に必要な、何か、非常に切実なものが、この人の作品には宿っているのではないか、と思います。

コロナのせいで海外からの大きな展覧会が少なくなったこともあり、これまで好きだった作家の画集などを眺める日はずいぶん多くなりましたが、なかでも、ヴィーゲランの作品集や古い展覧会カタログを見つめていると、いまも、生命感覚が蘇ってくるような気持ちになります。

オスロにある彫刻公園はとても有名で、コロナが収束したらぜひ行きたい旅先のひとつです。

 

 

 

 

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断片7/29:ジム・ジャームッシュ レトロスペクティブ2021

2021-07-29 | アート・音楽・その他

公演を終え息抜きをしたかったところに、ジム・ジャームッシュ監督の特集上映が行われていたから、ハシゴをした。

天才的なユーモア、写真作品のような美しさ、小憎らしいほど気の利いた音楽。

数年前に観た吸血鬼映画『オンリー・ラヴァーズ・レフト・アライヴ』で受けた感触が残っていた。『ストレンジャー・ザン・パラダイス』が学生の頃に大流行した懐かしさや、ハワード・ブルックナーやサラ・ドライバーの作品も思い出しつつ。

レトロスペクティブということで色々やっていたから迷ったが、今回は『ダウンバイロー』と『コーヒー&シガレット』を続けて楽しんだ。

『ダウンバイロー』では、20代で観たときには感じなかったような可笑しさに黙って笑いころげた。そして、少しだけ哀しくなった。若い頃はもっと退屈だったのに、今頃になって、なぜこんなに面白く感じるのか。もっと小洒落て見えたのに、何故こんなに切実に美しく感じるのか。

『コーヒー&シガレット』は初めて観たが、唸るほどの名作だと思った。比類のないユーモアと美しさ。笑いの向こう側に、苦味があり、そして、何も押し付けてこない。かつ、毅然とした個の存在の確かさを感じる。全てのシチュエーションが、なんだか、よくわからないけれど、なんだか可笑しくて、そして、なんだか、とても、切ない。

少し暗い場所で少しの時間、スクリーンの光の明滅を見つめる。そんな状況に、ジャームッシュの映画はしっくりくる。

僕にとってそれは、踊りの時間にも近い感じがある。見知らぬ個に向き合う愉しみだったり、別の個との出会いを通じて己自身の個に立ち返ってゆく時間だったり、という、、、。

久々にスクリーンで観たジャームッシュ映画は、若い頃よりも、何倍も楽しめた。年齢とともに、失ったものが増えたからか、わが身の滑稽さが深まったせいか、、、。

この人のセンスの良さと個人作家としての強さに、あらためて敬意を感じた。

 

 

 

 

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