こないだ掲載した湘南の海は、肉眼で見るとエメラルドグリーンに輝いていました。
綺麗でしたが、それは見た目は美しいが、もしかすると昨年の白潮現象のせいなのではないかという声も聞きました。コロナで経済活動が低迷した反面、自然が元に戻ってきた、ということではないようでした。
直接は関係ありませんが、海を見ていて、10日ほど前に見た(ようやく日本公開された)映画『MINAMATA』を、思い出しました。
俳優のジョニー・デップ氏が制作・主演した作品で、制作情報を知ったときは、このテーマをハリウッドがやるということに驚きましたが、目の当たりにして、快挙と思いました。
この時代にこの映画を作り得た人たちと公開し得た人たちに、敬意を表します。
僕が水俣病のことを知ったのは小学生のときでした。まだ低学年でしたが、写真を見て、ちょっとしたショック状態になってしまいました。
1970年前後のことでした。
当時、僕は親戚のいる淡路島に頻繁に行っていましたが、瀬戸内海の赤潮が年々酷くなり、その惨状を間近に見ていたこともあり、海というのは僕にとって壊され壊れてゆくもののシンボルのようでした。
そのこともあったからでしょうか、水俣の写真は、子ども心に、他人事とは思えなかったのです。
水俣の写真は幼い脳裏に焼き付き、夜の夢に何度もいろんな形に変化して出てきました。
いま思えば、この経験は、世の中について、とりわけ企業社会や経済的な繁栄や物質的な発展というものについての懐疑心を抱くきっかけになったかもしれません。
やがて、高校生のころ、この映画の主人公であるユージン・スミスとアイリーン・スミスによる写真集『水俣』を見ました。
そこには、幼い頃に観た覚えがある写真がいくつかありましたが、感じることは変わっていました。
恐ろしさや言いようのない悲しさと同時に、この写真集からは、根底からの怒りが感じられ、人間の尊厳について深く考えさせられました。「生 - その神聖と冒涜 」という副題も、強烈に胸に響きました。
また、大学の頃には故・土本典昭監督の『水俣一揆』をはじめとする作品群に触れ、その直接の内容だけでなく、表現者というものの居方や態度について強く考えさせられました。
これらを通じて、僕のなかで「水俣」の意味が少しづつ変わっていきました。それらの作品は「水俣」の出来事が、破壊の恐ろしさのみならず、人間の尊厳の問題に深く深く及ぶものであることを、語りかけてきました。
水俣病は、僕ら個々の生活基盤に深く関わる社会問題と思います。
この問題に触れるたび僕は、利己的精神について、他者への無関心について、それらから生まれてくる暴力の可能性について、そこはかとない恐怖を抱きます。そして、僕らの生活基盤を肯定しきれない気持ちになり、震撼します。
「安らかにねむって下さい、などという言葉は、しばしば、生者たちの欺瞞のために使われる」
という、石牟礼道子さんの言葉も、また、いま思い出します。(※関連記事)
PS:上記写真集が復刊され、土本監督の作品も再映され、原一男監督によるドキュメンタリー『水俣曼陀羅』もまもなく公開。
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Stage info. 櫻井郁也/十字舎房:公式Webサイト
ただいま前回ダンス公演(2021年7月)の記録をご紹介しております。次回公演情報は、いましばらくお待ちください。
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