櫻井郁也ダンスブログ Dance and Art by Sakurai Ikuya/CROSS SECTION

◉新作ダンス公演2024年7/13〜14 ◉コンテンポラリーダンス、舞踏、オイリュトミー

断想7/28:静寂を破る力(ベートーヴェン、ケージ)

2024-07-29 | ダンスノート(からだ、くらし)

ベートーヴェンの休符の爆発性、ケージの一音が招く錯乱感覚、そこに酔う。

ソロ公演がはねて数日、ベートーヴェンとケージを聴いて過ごした。まったく違う音楽なのだけど、合わせて聴きたい気分になることが、たまにある。

突然の一音が、静寂を招き、かつ、それを破る。そんな、瞬時の出来事が、この2人の音楽からは存分に愉しめる。

喧騒と静寂のダンスとでもいえばよいのか、僕は、ケージとベートーヴェンに、そのようなエネルギーを強く感じることが多い。イナズマみたいだ。

びくともしないような何か巨大なものを叩いて響かせようとするような衝動を彼らの音楽から感覚し、身震いすることもある。

静寂を招き、かつ、破る。これは勇気と技術がいることだけど、非常に大事なことだと思う。日常を破ること、何かを新しくすることにも繋がっている気がしてならない。

ふいにとどろく一音により、静かな空間が突然あらわれ、瞬時に破られる。そのことで、そこに何か生産的な力が始まるように思えてならない。

 

 

 

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断想5/05(唐十郎さんの訃報から)

2024-05-05 | ダンスノート(からだ、くらし)

 

芝居を観るのは街を呼吸することに近かった。

とここに書いたことがある。唐十郎さんの芝居のことだ。本当にそうだった。初めて観た記憶は鮮明で、未だ爽快さが残っている。40年ほど経つが、揺さぶられた感情に年月の影響はない。(記事

紅テント、そう呼ばれていた。夕暮れ時、新宿の花園神社に紅色のテントを建てて芝居を打つ。状況劇場という名が正式だったが、まさに状況そのものが生々しくそこにあることを体感した。

見知らぬ人同士が膝を抱え肩を寄せ合うように座ると、平手打ちのような始まり方で言葉の嵐になる。時に声が掠れるほど叫び歌い、ふいに天幕が飛ばされ新宿の喧騒が雪崩れ込んでくる。

行くたびに胸騒ぎがした。芝居が終わっても胸騒ぎはおさまらなかった。絶え間なく呼び交わし合う声。声から言葉が咲き乱れ、言葉とは熱なのだと思い知った。人と人のエネルギーが、何かを起こし続けるのだった。

もう一度、観たかった。

 

 

 

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断想4/19(高橋巌先生の、、、)

2024-04-20 | ダンスノート(からだ、くらし)

 

日々どんな言葉に関わり暮らすか、それで人生は大きく変わる。これは確かと思う。

言葉、ロゴスは人の魂を動かし体や暮らしを変容させる。そして体や暮らしはまた言葉を呼び覚ます。良いことも悪いことも言葉は引き起こしながら、その人の生きる環境を形成し、その人自身を変容させてゆくのだと思う。

ロゴスの力。言葉の神秘について、言葉それ自体について、思い問うきっかけを下さったのが、恩師の一人である高橋巌先生だった。

逝かれて半月あまり。ご老衰と知りつつ心痛まだ静かにならない。美学、芸術学、神秘学。魂のことに力を尽くされた。シュタイナー思想を本邦に着地させた方だ。

ダンサーとしての活動をはじめた時期、不安だらけのなかで踊ったステージの直後にいただいた一言が杖になった。オイリュトミーを修めた体がふたたび自由に気ままに踊れるのか試みるつもりで、まあ、ただ滅茶苦茶だったかもしれないのに、、、。

沢山のご本があり、読んでも仲々わからない僕にさえ熱心に解いて下さって、いや、言葉以上に居方そのもので沢山のことを教えて下さった。

勉強会で、稽古場で、先生のお話を聴き、わからぬくせになぜか惹かれた。監修される舞台の裏方をしたときは先生が希求し続けていられる何かへの旅を感じつつ、一言一言に、いや、居方に突かれ揺さぶられた。

研究者、紹介者、という役を超えて、ご自身そのものが思想家であり活動家であられたのだと思う。喪失感が強いが、稽古も勉強も、淡々と続けたい。対話を続けるように、、、。

 

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断想、4/05(天児牛大さんの訃報を、、、)

2024-04-05 | ダンスノート(からだ、くらし)

3月がおわるころ故郷をあるいた。

桜が遅かったぶんちいさな花にめが向いた。

この写真を撮った夜、天児牛大さんが逝かれたことを知った。

ああ、、、。

日が巡り、ようやく桜も咲いている。

季節が変わってゆく。

思うことは多い。

次作は大事なものになると思う。

 

 

 

 

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断想3/01(季節と)

2024-03-02 | ダンスノート(からだ、くらし)

風に身を縮めながら新しい踊りを探るうち、季節が緩み始めた。

新たな公演が決まり具体的な準備に移っている。ドキドキしている。

いまという一瞬間に髪の一本でもいいから結びつきたくもがくうち、皮膚や血管に痛覚のようなものが走り、ふと気付くのが、いつからか、これが最後でなければいいのに、と思いつつ作品を制作するようになっていること。

当たり前だが、全ての瞬間は一度しか無く、それゆえにこそ、そこに関わる熱は一瞬を一生に変容させて忘れ難く人を支える何かを孕んでいる。

何かスルのは、いつも初めてで最後であるのだけれど、やはり最後ではありたくない。しかし、ぼんやりしていると将来未来に備えての何かに気を取られ、今一瞬のことを逃してしまう。初めても最後もなにもなくなって、身が淀む。

命と時間の問題に踊りというのは関わっているように、このごろ実感してならない。いつか、とか、これから、とかいう言葉に対する思いよりも、いまただいまだけのなかに身を置き息を尽くそうとすることに妙に切迫してしまう。なぜかはわからない。

 

 

 

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断想12/08

2023-12-08 | ダンスノート(からだ、くらし)

きょうは「じゅうにがつようか」だったが、この日、かつて何があったか、そして、いかなる何かがいかにして、かつてのこの日をみちびいたのか、、、ということに思い馳せると、いつも奇妙な胸騒ぎに繋がる、これは何か。バッドシェバカンパニーの来日公演が中止になった残念さは、事由からもやはり考えさせられることあまりに多いが、いま社会に起きている事変のことあれこれ思い巡らせるうち、いま人間そのものにも何か変化が起きてゆくときなのだろうか、という予感もふと走り、それがなんだか作品づくりの稽古にも少し関わってきているかもしれない。新作の振付を始めているが、これまでとはまた異なる体感や心情が稽古のたび、ある。どういう流れが起こるか、、、。

 

 

 

 

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9月11日という一日

2023-09-11 | ダンスノート(からだ、くらし)

きょう、つまり「9/11」という日についての過去記事を再掲載する。何度もこの日のことを書いている中の一つ。2001年9月11日。この日は、現在この地点について考える上で深く重要な日の一つと思うが、この日は僕自身の舞踊活動にも大きな転換点をもたらすきっかけにもなった。

あの日、赤ん坊を抱きながら震えていた。気付けば、あのころ生まれた人が世界をつくる時代が始まっているが、まだ同じ思いが続いている。どこまで、、、。

 

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【過去記事】

 

「あのビルが崩れていったように、

僕の中でそびえていた何かが、

どっと崩れたのでした。」

 

この一言は2007年に書いた文章の一部、下の写真は、2001年の暮れに打った公演のチラシとそれに添えた文章。ここから僕のダンス活動は「独舞」に集中してゆくことになった。

個の肉体は今まさに流され続けている血の一滴一滴と決して無関係ではいられないこと、、、

という、この部分は、長年を経て未だ変わらないまま思い巡り続けている。

2001年の9.11、そして10.07。それにつづく数ヶ月に起きたことについて、その当時に「思い」「考え」「動いた」ことすべてが、いまだ毎年ふくらみ続けていることを感じずにいられない。

今日は2020年の9月11日。

あの出来事から、さらに、震災を経て放射能禍を経て、またさらにいま、コロナ禍のただなかで、あの2001年以来どうにも収まらないままの激しい振動と轟きが、身体の底のほうにどよめき続けているのを、えらく感じて、これをどうすればよいのだろうか。

そして、さらに、ここから、、、。

 

(他にも記事アリ ▶︎ 関連LINK )

 

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断想8/15

2023-08-15 | ダンスノート(からだ、くらし)

 

きょう815日は終戦忌であると同時に「自由」ということについて考え直す日とも思う。沢山の人が自由を奪われてどんな世界が出現したか。◯◯のためなどといって本当にやりたい事をあきらめさせてゆく力や思考回路ほど恐ろしいものはないと思う。国のためとか組織のためとか家のためとかお金のため生活のためそしてそして、と続きひろがってゆく◯◯に対して、まず自由であること、あろうとすること。案外むつかしいが、そこを探り試み続けるのは私たちの仕事のなかでも近い未来にとってかなり重要なのではと思う。いうまでもなく、踊りは自由というものに深くかかわっている。

 

 

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断想8/01 (思いつつ動き)

2023-08-02 | ダンスノート(からだ、くらし)

 

体が音楽である瞬間、体が言語である瞬間、

というものがあるか、ないか、あるはず、

そう思いつつ動き蠢く。

ひびきわたるもの、しみゆくもの、

たとえばそのようなものの向こうに、

関係し、

未明の踊り、

との、、、

(from notes :Sakurai Ikuya 2023)

 

 

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断想07/05(物質の方向に)

2023-07-05 | ダンスノート(からだ、くらし)

 

photo=Sakurai Ikuyta dance solo ©️CROSS-SECTION

 

集中すればするほど、踊りは、ただただひたすら裸である時空に私を突き放してゆくのかもしれない。踊りのなかで、主体を消されて客体に成ってゆくとでも言うか、物質の方向に少しずつズレてゆくというか、なかなか上手く言いようのない経験を何度かした憶えがあるのだけれど、最近このことに興味を持っている。あれは何の現象だったのか、何が原因であんな風に感じたのか、、、。(notes 2023)

 

 

 

 

 

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言葉の相と(オイリュトミー断想)

2023-06-09 | ダンスノート(からだ、くらし)

いま進めている新作と直接の関係が起こるかどうかはまるでわからないが、ひとり稽古のなかで、尊敬するひとの小説を少し踊った。そしてその柔らかな響きと、その奥にあるシンとした涼しさをあらためて愉しんだ。

このひとの言葉にだいぶ長く親しんできたが、踊ることで少しでも読み進めようとすると、目で読んでもわからないことが、やはり味わえる。覚え呟くだけでも目読とは違ってくる。記憶し、声にだし、さらに踊る、となるともっと違ってくる。言葉というものは、やはり分厚い。そう思う。

言葉を考える、言葉を書く、言う、話す、語る。それぞれ言葉の味わいが違う。

自分自身のことでも、レッスンで出せる言葉と、このブログに直接書き込む言葉と、ひとりつけているノートに書く言葉と、ひとり稽古のなかで出てくる言葉と、それぞれやはり違う次元が広がっている。やはり言葉というものには、手によってこそ活かされてゆく側面や、息によってこそ活かされてゆく側面が、それぞれあるのだろうか。

書かれた言葉を目で読むのではなく声に出して読んでいるだけでも言葉の相は変わってゆくし、誰かが読んでくれたりすると、さらに言葉は広く深くなってゆく。

肉体の奥に隠されている言葉や、魂の内海にあそぶ言葉のない言葉をも、となれば、もっと広がってゆく。それぞれの次元の差異は、振り返ってみると非常に面白い。広がりの彼方に、深まりの底なき底に、何があるのか。

そういうことに敏感になったのは、やはり現代ダンスと並行してオイリュトミーをやってきたからなのかしらと、たまに思う。

オイリュトミーはきちんと聴くということから始まる舞踊だ。言語の音声や音楽の楽音をエネルギーと捉え、法則性を持った全身運動で可視化する。踊る、ということと、聴く、ということ、そして解析する、ということが、結び付き、アウフヘーベンされて、時空に刻印されてゆく。ひたすら聴くことから、感受してゆくことから、生まれてくるモーションやタイムやスペースがあるのだ。

自分の気持ちを他人に表すためのメソッドではなく、他人の気持ちを聴きとり味わおうとするためのメソッド、それを基盤に表象され変化変容してゆこうとする踊り。このオイリュトミー(Eu+Rhythmos/ῥυθμός)なるものを起草したR.シュタイナーは認識についての考えを極めた人だが、認識は革命に通じてゆくのかと連想させられるような凄みを、その思想はもっている。関わりつつ、世界の革命を謳う前に自己自身を革命すべきではないか、己の世界をこそ変え続け刷新してゆこうとすべきではないか、という思いも湧いた。シュタイナーの感性をまるごと反映しているのがこの舞踊方法と僕は思い、ダンスと並行してオイリュトミーを稽古し続けてきた。そしてこの踊りを通じて様々な人と出会った。もう40年経つから、僕のダンス作品ダンス公演ダンスレッスンにも、少しくらいは影響し始めていると嬉しいが、、、。

踊ることによって何かを主張するのではなく、踊ることによって何かを受容し理解しようとする。表現のための踊りでなく、受容のための踊り。これは非常に未来的な気がしてきたのである。幾分ヘーゲルくさいかもしれないが、相互受容への道筋を探る行為として踊りというものが古来あったのではないかなあと思うことも、あった。

心も体も澄まして言葉や音楽に触れそして揺振し、響きを心身の奥深くまで入れてゆこうとする。

踊りによって自己の内面を表出するだけではなく、踊ることによって他者が発する響きに参入し理解しようとする。響きの受容によって「ひと」を全身全霊で想像し認識しようとしてゆく。

未来において最も深刻に要請されるのは理解や認識であるのではないかという予感を、この踊りは孕んでいる。僕はそう思う。

自分を表現することも大切なのだが、自分の外のどこかに表れている何かを積極的に汲み取ろうとしたり、他者の声を積極的に感じ取ろうとしたりすることが、もっと大事になってくる未来というものが「やがて来る」という予感を僕はこの踊りを稽古するたび、抱く。抱きながら踊り、踊りながら、私たちの未来は理解をめぐる時代になるのではないか、ならざるを得ないのでは、、、、など、妄想する。

 

 

 

 

 

 

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断想4/22

2023-04-22 | ダンスノート(からだ、くらし)

踊ることで支えられているような、、、

この感触が想像や創造に結びつくかどうかはわからないが、踊ることで心に何かが始まり続けるのは確かで、ゆえに踊るという行為は実に古くからあるという考えも本当なのだろうと思えてくる。

踊りは原始的なほどに古い習わしらしいが、それはやはり元よりヒトの体は感情と環境と一緒にあったということなのだろう。

僕にとってはイマ目の前の出来事や予感や、あるいはさまざまな気持ちの揺れ動きが踊りの種になったり、そのようななかで、少なくとも、動きが踊りになってゆく体験のなかでは知覚や呼吸が繊細になるようだし、それとともに内界にも広さや深さが少し変わってくるみたいで、そこに何かチカラが湧くのも確かなのでは、などと、最近あらためて思う。(櫻井郁也・稽古記録より)

 

 

 

 

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断想2/26:夕べにすべてを

2023-02-26 | ダンスノート(からだ、くらし)

 

構想中の次作を手探りするように稽古しながら、きょう、という一日、について思い巡らずに、やはり、いられず。この日この東京で、かつて何があって、いま何が、あるのか。と。

動き、途絶え、また動き、そのうち、脈絡なしに、「夕べにすべてを見届ける」というベートーヴェンの言葉を連想した。なぜか、、、。

そのことばの美しさに打たれつつ、また止まる。そして、このいまの夕べに、「夜」が来るその前に、僕らは何ができるのだろうか、と、やはり考える。

考え、また踊る、踊りつつ、ベートーヴェンのいくつかのスコアが頭に浮かんで消え、踊る体の内部でそれらは混沌してゆく。体液になって蒸発する。

ベートーヴェンの音は人を励まし哀しみ、ときに瞑想の深海に、誘う。たとえば永遠に繰り返される三連符で、あるいは爆発を誘う喇叭で、あるいは気が遠くなるほど長い太鼓のトレモロで、そして急速な興奮を誘う弦のダイナミクスで、ベートヴェンは激しく心を叩く。つまり、何かを問う、何かを促す。そして、音楽は革命的瞬間の連続なのだ、ということを教えてくれる。そのように思う。

きょうのような日に、なぜこの作曲家の音符が頭の中で鳴ったのか。構想中の次作と何かの関係があるのか無いのか。

 

 

 

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断想2/16 : 足音と花〜カルロス・サウラ監督へ

2023-02-17 | ダンスノート(からだ、くらし)

新幹線の車内ニュースでカルロス・サウラさんの訃報を知った。血の婚礼にせよカルメンにせよ、それらは足音と運命を、あるいは地霊と肉を、結びつけるドラマなのかと思うのだが、その登場者や彼らの身体の有様を、まるで咲き誇っては散ってゆく花のように気高く哀しく感じたことがある。あの経験は、やはりこの人のフィルムなしに得ることが出来たかどうか、、、そう思う。サウラ監督の作品に出会っていなければ、クリスティナ・オヨスのあの狂おしい舞を知ることもなかったかもしれない。この人はフィルムを通じてダンスが最もダンスである瞬間を若い頃の僕に見せてくれたのだから、つまり、恩人とも思えて、何か特別な感情が胸をしめつけてくる。謝意を、、、。

 

 

 

 

 

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断想2/06:新作を構想しつつ思い出すこと

2023-02-06 | ダンスノート(からだ、くらし)
 
 
 

身体は言葉を呼び、

言葉は身体を育む。

身体は言葉によって変化し、

言葉は身体によって世界につながってゆく。

 

そのような実感がある。なぜそんなことを、、、。

と、新たな作品構想を進めながら、思う。

 

写真は2012年に鎌倉小学校で行った公演の稽古風景で、上記のような感覚をいだくようになったキッカケの一つが、この公演にあったかもしれないと振り返る。

『コドモのりょうぶん〜The Child's Territory』と題したこの公演は、いま思えば、東日本大震災をきっかけに連続創作した4つの作品(「TABULA RASA 20112011年7月・東京)」、「かつてなき、結晶 - 3.11/SILENT(2012年3月・東京)」、「むすび ・天地礼讃内景(2012年8月・越後妻有アートトリエンナーレ)「Hakobune:方舟(2012年10月・ルクセンブルク)を通じて出てきた、ダンスというものに対する僕なりの考えや思いを、小学生のための公演、という企画をお受けすることで、ある意味ハッキリと自覚する機会にもなっていたかもしれない。

この時の音楽(作曲・演奏=寒川晶子)は、全ての鍵盤がド音に特殊調律されたピアノによって演奏されるというものになり、舞台美術(美術=西川昌和)は、観客でもある小学生たちに書いてもらった文字が会場を埋め尽くし、そこに雨が降り注ぎ、文字が洗い流されて消えてゆく、というものになった。

あのなかで、いかなる思索や想いが実現され、かつ、実現され得なかったのか、何を見つめ、何を見つめ得なかったのか、あそこから、何が燃え続けているのか。いま、気になる。いま、次作を進めるなか、再考すべきかと思う過去作がいくつかある、そのひとつでもある。

新作を構想する時間は過去反芻の時間でもある。 

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