戦後日本を爽やかに駆け抜けた男「白州次郎」に関する本が最近ブームになっているそうです。彼は日本の戦後処理に陰ながら奔走し、その功績は静かに語り継がれてきた感があります。対GHQとの交渉、悪名高き商工省の解体と通産省の創出、東北電力での只見電源開発の推進といった戦後日本のある部分のエポックを作りました。そして、現代憲法の作成にも深く関与し、民族意識からその押し付けられたことを白状しながら、現憲法の優れた内容を高く評価しています。彼の時代を超えた意識の高さは現在生きている我々の思考法にとっても充分に参考になります。
最近、雑誌「サライ」で特集が組まれ、NHKの番組で取り上げられたり、また評伝が相次いで出版され、文庫化されるに伴いより身近な存在として意識されているようです。そんな折、彼の直言を聴きたいと思っていたところ、「プリンシプルのない日本」として文庫化なり、さっそく読んでみました。その中で新渡戸稲造の言葉「人間の行為は取り締まれるが思想を如何にして取り締まれるか・・」を例に挙げ、現代の企業経営者が連綿として若き学生諸子の体制批判の思想を単純に排斥してきた体質を揶揄していますが、まさに現在の発言にも聞こえます。現代がまさにプリンシプルのない情況になっているからこそ、益々白州の活眼が刺激的に映ります。
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