すまいる通信

「すまいる」は我が社の命名に含ませたテーゼ。そして、日々の暮らしのヒントそして随想を配信していければと思います。

新書

2005-03-30 18:44:15 | Weblog
 先日、本屋をのぞいたら、学生時代の恩師の著作が、目に留まりました。岩波新書で発刊された「日本の近代思想」という本です。鹿野政直元教授による著作です。元教授というのは、もう退官されておられたからで、私が講義を受けていた頃は、まだ若き助教授でおられました。あの頃の講義は、熱く又真剣なものだったことが思い出されました。再会した思いで、懐かしくもあり、また、歳月の流れを感じたものです。彼はもう70歳を超えておりますが、相変わらずお元気で、こうして新刊本を出版されていることを知り、安心させられるとともに、元気を頂いた感じでした。もちろん、すぐ購入し、読ませてもらいましたが、少しも変わらない熱血漢で勇気あふれる教授の思考の息吹が伝わってくる気配でした。日本人の思想の諸相を、多様に展開した内容で、混迷する現代に一石を投ずる内容となっています。本物の人間によるもので、お勧めできる本であります。

山大工学部

2005-03-29 17:39:07 | Weblog
 今日、久しぶりに米沢に行ってきました。写真は、山形大学工学部の正面の建物です。工業の町米沢を象徴するシンボル的な建物です。米沢市は、工業出荷高が山形一を誇っています。山形新幹線が開通する際に、米沢駅舎が、改築されましたが、この建物は、そのモデルにもなりました。今日の米沢は、まだ寒く、ご覧の通り、雪囲いの中にある感じです。でも、その建物の外見の素敵さの一端を撮ったつもりです。また暖かくなったら、その素敵な雰囲気を見に、また行きたいと思っています。

充電

2005-03-28 18:40:50 | Weblog

 この土・日曜日は、まさに移動の日でした。街はアパートから出る人、入る人の引越しトラックが、多く見られました。いつもながら、この引越し、転勤シーズンとなると、何かしら季節の移ろいを感じるものです。また、私共の賃貸物件のビジネスも、大詰めでした。この2・3月は、それで休み返上で、やってきましたが、昨日で山を越えた感じです。今は、安堵の気分です。後は、私共も、人並みに週休二日を取りたく思っています。この通信も、ずっと連日掲載してきましたが、その日に合わせて休刊になります。ちょうど良い充電の時間としたいと思います。これからも、良い情報を仕入れて、積極的に発信していきたいと思っています。よろしく・・・。

会計

2005-03-26 17:55:24 | Weblog

またもや、公認会計士の存在意義が問われる事態となっているようです。今回の西武鉄道、コクドに関する問題で、経営者と会計士のなれ合いが指摘されているのです。このように、かつての長銀からダイエーまでの様な、会社にまつわる事件で取りざたされてきたのが、その企業を監査する役割のはずの会計士の存在です。今回の事件で金融庁は馴れ合い排除、情報開示の内閣府令の改正に走ったとのことですが、改めて関係者は襟を正すべきです。規制緩和の時代に、この会計制度の世界だけは、逆行した時代の流れになっているのが滑稽に見えます。直輸入的なわが国の会計制度と伝統的な企業風土との矛盾とでもいえましょうか。まだまだ企業会計制度は、変革の必要性があるということなのでしょう。
 「会社は誰のものか」ということが、問われている時代です。会計業界の一層の発奮が期待されるところです。

外資

2005-03-25 18:31:57 | Weblog

 今日の、米国のゴールドマンの西武グループの買収の動きの報道には驚きました。わが国内での外資ファンドといわれるものの動きは、指摘されていたのですが、このようなわが国経済の中枢まで影響が及ぼそうとしていることに、改めて驚愕を覚えます。
 富は、究極的に、株と不動産に収斂されるといわれていますが、最近の外資ファンドの動きは活発です。株に関して、今回のニッポン放送のM&Aに関する事件で、陰でうごめく外資の動きは、指摘されている通りです。それの加えて今日の報道で、その動きは表面化した感じです。また不動産の分野では、その禿げたかの資金力により、空きマンションの買占め等が目立つといわれています。
 また、フジテレビとライブドアの争いに、ソフトバンクグループの参入のニュースが報じられている通り、わが国の企業が対抗する動きに出てきています。何れにしろ、これからはこの外資の動きに注視して、経済活動を行わなければならないことは確かなようです。いつまでも、対岸の火災だなどとは、謂ってはいられないようです。

地価

2005-03-24 17:53:55 | Weblog

今日の新聞で、地価公示のことが報じられています。全国平均では、地価は14年連続下落ということですが、東京都心部ではプラスに転じ、また大阪、名古屋圏でも上昇地点が広がっているということで、底入れ感が出てきているとのこと。変化の兆しが鮮明ということですが、都市回帰現象が起きているとも言えるかもしれません。
 山形では、県内でマイナス5,9パーセント、この山形市ではマイナス7,0パーセントと県内最大の下落ということです。まだまだ、都市部の変化の波が地方へ到達するのにタイムラグがあるということでしょう。
 バブル経済が崩壊して15年余り、今起きている変化の予兆が本物かどうかと共に、それが質的変化を遂げているのかを問わねばなりません。現代の社会経済のファンダメンタルズの転換として「所有から利用へ」というテーゼが、わが国に根を下ろしているのかどうか、検証していかねばならないと思います。所有という欲望が膨らんでの土地投機の結果、地価高騰を招くということは、時代錯誤で、土地はあくまで公共性のあるもの、その有効利用こそが社会的価値を増幅させるといった理念を確立すべきなのです。土地を切り売りして利益を上げていくという考えを捨てなければなりません。そうしなければ、わが国の経済の復活が、単なるバブルの再生といったことになりかねません。
 


良寛と山形

2005-03-23 18:23:08 | Weblog

 良寛が山形に来た痕跡は、二回程あるみたいです。一度は、酒田に来ているのですが、その際の山形県内での経路が二通り考えられ、どちらなのかはっきりしていません。その道すがら玉川寺という寺に立ち寄ったということですが、その名の寺が、今の小国町と羽黒町の二ヶ所あるのです。そのどちらも、曹洞宗の寺なのです。そのどちらかが特定されると、その山形での道程がわかりますが、羽黒町の方の寺の住職に直接聞くに、今もって、両寺で連絡と取り合っても、特定できないとのこと。今度、小国町の方にも、行って確かめてみたいと思っているところです。
 また、米沢を歩いたという歌の記録があるそうですが、これも調べてみたいと思っています。このように、良寛は、まだまだわからないところがあり、また、史跡を追って、想像して行く楽しみもあるというものです。

良寛

2005-03-22 18:25:39 | Weblog

良寛は新潟県、越後出雲崎の人。単純な言葉では表現しきれないほどの人物であります。また、謎の多い人でもあります。今まで多くの伝記や書籍が数限りなくあります。早稲田大学の校歌を作詞した相馬御風の「大愚良寛」が最初の案内書とされます。会津八一によっても、広く紹介されました。また、優れたものとして、吉野秀雄氏の評伝や、水上勉氏の小説などがあります。荒井魏氏の「良寛の四季」が、最近発見された史料に基づく記述で優れた内容のものです。
 良寛は、道元没後500年の歳月を経て、正法眼蔵を、近代に蘇らせた人と、私は、思っています。彼は、しっかりと道元を捕らえ、そして解釈しています。その論理を、実践した人とも言えます。また、万葉集に造詣が深く、数多くの歌の秀作を残しています。その思想はまだまだ奥深く、全体の姿はなかなか見えません。それでも、その発する光は、魅惑的で、私たちを、引きつけて止みません。良寛、この身近ながら、無限のこの人物を、これからも、追い続けて行かなければと思っています。

 

坂口安吾

2005-03-21 17:48:37 | Weblog

 坂口安吾が、没後50年ということもあり、ブームとまでは行かなくとも、静かに復活を遂げつつあるそうです。この特異な作家は、戦後ある期間、無頼派とでも表現される強烈な個性で、我々に影響を与えて来ました。彼は、新潟生まれの人、その代表作「堕落論」は、デカダン文学そのもので、強烈な印象を与えます。堕落とは、虚飾を捨てて人間の本来のすがたに徹せよというのが、彼の主張。この精神の放浪家が、現代に蘇るとは、不思議な感じがしますが、今の世相の何かを暗示しているようにも思えます。
 彼が、同郷の偉人良寛について触れた部分には、驚きを超え、あきれる思いになります。
良寛は、その精神において、余りにも欲が深すぎ、貴族的であり過ぎて、絶対というものを排斥する立場から中途半端を排し、無の清潔を選んだというのです。
ある一面を捉えているのかも知れませんが、ここまで来るともうついていけません。平常なバランス感覚を取り戻すため、正当な良寛伝を読まなければならなくなるような、そんな、安吾の奇抜な語り口です。


食物連鎖

2005-03-20 18:32:21 | Weblog

宮城県産の松島牡蠣がこのところ、大ぶりになって来ているとのことです。原因は、海に近い所の杉の木を取り払い、広葉樹を植えたことだそうです。広葉樹は、針葉樹と違い、葉を落として越冬します。その落葉が、腐葉土と化し、養分を含んだまま、海に流れ、海中の牡蠣たちに栄養分として与えられた結果だったそうです。戦後の速成的な杉の木の植林運動の果てが、小さな牡蠣を生んでいたということです。この事は、まさに食物連鎖の現象であり、生態系の大切さを教えてくれるものです。このような現象は、あらゆる生物連鎖に見られるもので、われわれ人間様の驕りに対しても、重大な注意を喚起しています。あらゆる個体は、全生命体の存在と、すべからく諸関係の中にあるということでしょう。
 一掃のこと、杉を全部伐採してしまえば、花粉症もなくなるのに、などと考えたくなるのですが、これも連鎖を忘れた考えです。この病気もまた、杉の花粉に排気ガス等が融合して人間を襲って来ている結果である事に、留意すべきでしょう。また精神的な要素、ストレスなども関係しているみたいです。やはり自重して、体質改善が一番です。
 一人勝ちということは、この世に存在しないということです。環境は大切にすべきです。