すまいる通信

「すまいる」は我が社の命名に含ませたテーゼ。そして、日々の暮らしのヒントそして随想を配信していければと思います。

朝日岳

2019-11-18 13:56:35 | Weblog
晩秋の山形市上空から見る「朝日岳」です。
いつもの散歩道の盃山山頂から、市街地上空のはるか遠方に初雪をまとって姿を現しています。日本百名山の一つです。
 この頂からは、山形市街地が直近に見回すことができ、周辺の山々の姿を楽しむことができます。月山、蔵王、葉山それに白鷹山が見えています。
 山形市がそれらの山々が身近な場所にあり、季節感に恵まれた温和な街になっているとも言えます。


もみじ公園

2019-11-15 15:33:09 | Weblog
 久しぶりに、「もみじ公園」に行ってきました。わが事務所から近くにありながら、すぐ行けると思うと足が遠くになる感じでした。
辺りはもう晩秋にの気配でしたが、最後の色合いを見せていました。その紅色は、ますます深みを増している様子です。また、見物客は大勢いて、今山形市内では、季節の名所となっている様です。
この公園は、春夏秋冬、その季節を表現してくれる場所でもあります。まもなく冬、そして春は一斉に新芽を出します。

チワワ

2010-06-12 11:53:46 | Weblog
 見るも無残な姿でした。どうしてもこの犬をと、広島からネット情報で買った仔犬でした。広島―仙台便の空路で運ぼうと思っていたら、不可で、沖縄経由で、仙台に運ぶこと、延々10時間の長旅になってしまいました。小さなチワワの女の子で、よくぞ耐えてくれましたが、仙台空港についた姿は、小さな篭に閉じ込められ、糞尿まみれで、地獄を見て来たという言うような雰囲気でした。空港関係者に聴くと、仔犬の空輸は、今では当たり前のことと、涼しい顔。
 この仔犬も、家に着くと、日に日に元気をとり戻し、今ではすっかり元に返った感じです。改めてその生命力に感服するとともに、嬉しさが込上げて来ます。去年、前の柴犬を14歳で失いましたが、久しぶりの我が家への訪問者であり、家族の増員です。トイレの躾もバッチリで、今日も元気で家の中で運動をし、昼はこの事務所で悦に入り、わが社の看板娘の体をなしつつあります。
 これからも、長い付き合いになりそうです。姿よろしく、芽々ちゃんと名付けられました。今度当事務所へ逢いに来て下さい。




































初市

2007-01-11 11:43:12 | Weblog
 
 昨日、山形市街地で恒例の「初市」がありました。これは、山形市で毎年、年の初めに行われるもので、江戸時代から400年以上の歴史を持つ伝統の行事で、商売繁盛を祈願して、一日だけ開かれます。人もかなり出て、この日は市街地が終日賑わいを見せます。そこで売っているものは、縁起物のからいろんな食べ物まであり、通行止めになった街の通りの両側に出店が立ち並び、行き交うのにも大変な程です。私共も昼の時間を利用して、出掛けてみましたが、どこか華やいだ気分で、新年の雰囲気が感じられるものでした。
 今年は、暖冬気味で雪も少なく、去年の豪雪が嘘に思えるほど、過ごし易い冬で、晴れやかな正月でした。初詣も何時になく盛況だったようです。私達北国の人々にとって、やはり雪のない暖かな冬は、嬉しいものです。

ロングテール

2006-12-19 11:37:49 | Weblog
 「ロングテール」とは、かつて梅田望夫氏が「ウェブ進化論」の中で、キィワードの一つとして取り上げられた概念でありました。それは、書籍のベストセラーでの現象を例に取ると、縦軸に売り上げ部数、横軸に売れた順に棒グラフに取っていくと、驚くべき長い尾を持った恐竜のシルエットが浮かび上がるといった状況を指摘したものです。それを、現実化したものに、ネット社会を先取りしたアマゾンの販売戦略が挙げられます。
 この新語を最初に提起したのはアメリカのジャーナリスト「クリス・アンダーソン」ですが、その生みの親である本人が、同名の「ロングテール」という本を出版しています。この度ようやく手に入れ、読んでみました。名著とは、何かしら時代を醸し出す趣きを持ち合わせているものですが、まさにこの書は、その香りを放っていました。彼は、音楽界に起きているニッチ現象を例示に摂りロングテール経済を語っています。それは、あらゆる現代の商業経済分野で起きており、いわゆる「80対20 の法則」の終焉を意味するものとしています。
 裾野がどこまでも延びるかに見えるロングテール現象は、今までのマーケティング戦略に変更を迫るものといえます。それは、もう一つのキィワードである「Web2,0」とともに現代のネット社会を特徴付けるものとなっています。新聞、テレビといった旧来のマスコミの存在意義をも崩しかねない状況で、メディアの主役の交代を告げているようです。

山形駅

2006-09-21 17:54:17 | Weblog

 写真は、山形駅を降りるとその正面に遠く見える「雁戸山」と駅東口の山形市街地を撮ったものです。山は、西日を受け、眩しそうです。今は、高層化された駅ビルですが、2代前の駅舎が平屋だった頃、駅頭に降り立つと、正面にこの山が鮮明に見えたそうで、謂わば山形を象徴する風景だったそうです。当時に比べると、町並みも高層化になり整備されて見違えるようになり、この雁戸山が、ビルの合間からわずかに顔を出している感じです。かつては駅前の信号がない時代がずっと続き、その牧歌的な様子が、遠慮がちで謙譲の美徳を重んずる県民性を端的に表すものとして言われていましたが、今は、ご覧のように立派に都会の十字路といった趣になっています。中心街から美しい山容がすぐ近くに見えているのが、いかにも山形らしいところで、メルヘンの世界とも言えるものです。

蔵王龍山

2006-09-04 11:21:10 | Weblog

 逝く夏を惜しむかのように「蔵王龍山」に登ってきました。登り口の西蔵王の高原ではススキの葉が風に揺れ夏の終わりを告げているようでした。龍山は、高さこそ1360メートル足らずの山ですが、急斜面が厳しい山です。大分苦労した登山でした。でも、山頂に立ち360度パノラマの風景に出会ったその瞬間、それまでの苦しさも一瞬のうちに解消します。久しぶりに、山の魅力を堪能した感じでした。
 写真は、その山頂から見た山形市側の風景です。手前に山形市街地、千歳山がそこに突き出している様子がよくわかります。向こうに月山が雲を山頂に乗せた姿で見えます。龍山は、雲にかかると村山盆地の天気が下り坂になるといわれるように、天気予報の役割をはたしているほど、シンボリックな山です。
 一気に反対側の蔵王温泉に降り、温泉風呂で疲れを癒しました。かけ流しの温泉は、すばらしいものがあります。爽やかな気分で、岐路に着いた一日でした。

千歳山

2006-08-17 16:56:58 | Weblog
 夏休みを利用して、久しぶりに千歳山に登りました。「♪千歳山から紅花をまいたよ♪それで山形、花盛り~」と‘紅花つみ唄’で歌われる如く、この山は山形のシンボルとなっています。文字通り絶景で、暑い夏も忘れる想い。写真はこの山の中腹にある善光岩からのパノラマ風景を撮ったもので、山形市内が手に捕るようです。一気に山頂まで登り、いい汗かきました。その後、そのまま近くの臥龍温泉へ直行です。このかけ流しの天然温泉で疲れもストレスも吹き飛んでいく気分です。やはり山形はいい処です。

白州次郎

2006-07-22 11:57:53 | Weblog

 戦後日本を爽やかに駆け抜けた男「白州次郎」に関する本が最近ブームになっているそうです。彼は日本の戦後処理に陰ながら奔走し、その功績は静かに語り継がれてきた感があります。対GHQとの交渉、悪名高き商工省の解体と通産省の創出、東北電力での只見電源開発の推進といった戦後日本のある部分のエポックを作りました。そして、現代憲法の作成にも深く関与し、民族意識からその押し付けられたことを白状しながら、現憲法の優れた内容を高く評価しています。彼の時代を超えた意識の高さは現在生きている我々の思考法にとっても充分に参考になります。
 最近、雑誌「サライ」で特集が組まれ、NHKの番組で取り上げられたり、また評伝が相次いで出版され、文庫化されるに伴いより身近な存在として意識されているようです。そんな折、彼の直言を聴きたいと思っていたところ、「プリンシプルのない日本」として文庫化なり、さっそく読んでみました。その中で新渡戸稲造の言葉「人間の行為は取り締まれるが思想を如何にして取り締まれるか・・」を例に挙げ、現代の企業経営者が連綿として若き学生諸子の体制批判の思想を単純に排斥してきた体質を揶揄していますが、まさに現在の発言にも聞こえます。現代がまさにプリンシプルのない情況になっているからこそ、益々白州の活眼が刺激的に映ります。

紫陽花(あじさい)

2006-07-10 17:57:41 | Weblog
 山形市の西部郊外、山のふもとに「あじさい寺」があります。正式には、村木沢の「文殊堂」というそうですが、昨日あじさい祭りがあるというのでいって来ました。細いのぼりの参道両側には紫陽花の花が見事に咲いていました。曇り空の天候でしたが、人で一杯、結構な賑わいでした。
 梅雨の季節には、不思議と紫陽花の花が似合います。この花は、バラの花では難しいという青い色を基調としています。それが少し日陰の雰囲気の中で、その可憐な花の集合体としてより鮮やかに見えてきます。他に白や紫といった色も持つこの花は、夏を迎えるその前に咲き誇り、私たちを楽しませてくれます。