水銀党本部執務室

冬月のブログです。水銀党本部の活動や、政治社会問題、日常の中で感じた事など様々なテーマで不定期に更新されております。

8月6日に敢えて核を論じる

2007-08-06 03:40:23 | Weblog
今年も、8月6日がやってきました。
私の生まれ故郷でもある広島に、原子爆弾が投下された日です。
私の祖母は6日には山口に出かけていて投下からは逃れたのですが、その翌日に帰って残留放射能で二次被曝し、今も癌に苦しんでいます。先月も、見舞いで帰りました。
こうした国民感情に配慮してでしょうか。
私がそのリアリスティックな姿勢から愛読しているあの日本経済新聞も、この日ばかりは社説で核廃絶を訴えています。

核兵器はあってはならない兵器。
これは戦後日本国の平和教育の重要な柱です。

日頃は激しくいがみ合う右翼と左翼も、この前提については大勢が一致するはずだと思います。

私もはっきり言って、核兵器は発明してはならないものだったと考えています。
一言でいって、威力が大き過ぎる兵器です。

中学生の時に学校の平和研修で、一次被曝者の語り部さんから、被爆体験を聞かせて頂くという貴重な体験をしました。
丁度今日のような暑い日に、平和公園の木の下でうかがった話を、今でも目を閉じると克明に思い出します。


突然学校が崩れ、真っ暗になった。

上の方から担任の先生の呼びかける声がした。

「生きている者は自力で這い上がって来い、先生は助けに行けないから」と。

その声を頼りに這い上がれた。

ようやく外に出ると、先生は背中中ガラスが刺さって、黒こげで事切れていた。



話そのものなら、もっと悲惨な話があるでしょうが、大切だったのは、実際に体験した人の生の言葉を私の耳で受け取る、この『継承』でした。

日本人なら、一度は聞いておくべき話でした。
被曝者の高齢化が進んで、実際に被曝された方の話が聞けなくなる前に聞く事ができて、自分は幸運だったと思います。
少なくとも、私は忘れない。

しかし、この感情だけをもって非核を論じればいいかというと、それは通用しない事も、私は知っています。
戦後、この問題で一番苦しめられてきたのは、政治という汚れ仕事を一手に担う政府でした。

文部省は理想である平和教育を敷いたが、防衛庁は現実的に、アメリカの核に依存した防衛戦略を描いてきた。
外務省は悲劇です。核廃絶という理想を世界に訴える役目を負わされると同時に、防衛庁と同様に、核の均衡に従った現実的な外交戦略も担わなければならなかった。

「唯一の被曝国である日本は国をあげて力の限り世界に核廃絶を訴えていかなければならない」といいますが、アメリカの核の傘の下で安全保障を維持する国の政府に、どうしてそんな主張が堂々とできるでしょうか。

あるいは、日本がニュージーランドのような地政学的に危険でない場所にある国なら良かった。
戦後、日本は米ソ冷戦の最前線という、有史以来経験した事の無い事態におかれたのです。
沖縄に米軍の核戦力の主力がおかれ、津軽海峡をソ連の核武装した原潜が往来し、三沢の『ゴルフボール』ではアメリカがその情報を収集し核戦争に備えた。

そこにもはや、日本という国の独立国としての意志など介在し得ない。あるのは両大国の冷徹な力の論理だけでした。
両大国の世界地図の中では、日本という島はアメリカの一拠点に過ぎず、核戦争となれば日本の意志と無関係に攻撃される。
このように戦後、日本政府は核廃絶を訴えるどころか、核に囲まれた状況で、アメリカの核に頼って自国の安全を守らなければならなかったわけです。

核を否定すれば現実的に政治がもたない。
でも「核容認」と口を滑らそうものなら今度は国民感情がもたない。

その結果政府が選んだのは、核から目を背け、当たり障りのない発言しかせずに、問題を曖昧にする道でした。
左翼も右翼も、核廃絶論者も核容認・核保有論者も政府のこの態度を「煮え切らない」と両側から好き勝手に叩きます。

言うだけなら簡単です。それが自由主義陣営の良いところで、誰でも自由に主張できる。
クレムリンや北京の指導者達がその話を聞いて涙を流して、「わかった、みんなで一緒に核を捨てよう」と確約してくれるなら、大いにやればいいと思います。

実際には、西側の核廃絶運動は、(これは日本の学校では日教組が絶対に教えませんが)常に東側の工作員に操られ、ソ連の核戦略の駒にされていた。皮肉な事です。

例えば80年代にソ連がヨーロッパに中距離核ミサイルを配備してNATOの団結に亀裂をつくろうと揺さぶりをかけた。
この中距離ミサイルは、西ヨーロッパは射程に入るがアメリカ本土には届かない。これをソ連は政治的に利用したのです。
従来米ソの『相互抑止』というのは、大陸間弾道で米ソ届き合うICBMの第一撃能力とどこに潜伏しているかわからない潜水艦のSLBMの第二撃能力による『相互確証破壊』で守られていましたが、ソ連がこの中距離ミサイルだけ使うと脅す分には、それはヨーロッパ限定の核戦争で、アメリカ本土には直接の脅威が無い事になります。
つまりアメリカは、自国に直接脅威がないのに、ヨーロッパの同盟国を守るという『拡大抑止』のために、ICBMを使った全面核戦争を先制で始めるのか、もっと言えば、ロンドンやパリの消滅を友人として見過ごせないという理由でワシントン・ニューヨークを犠牲にできるか、これにアメリカの国民が納得できるのかという問題でした。
アメリカ政府はしかし、同盟国を見捨てる事はしなかった。
アメリカはパーシングという同能力の中距離ミサイルを西ヨーロッパの米軍基地に配備して見せる事で、ソ連の策に屈しない、一歩もひかない毅然たる態度を示し、西ヨーロッパの同盟国を限定核戦争の恐怖から救ったのです。

以上の歴史の裏事情は、大学で、それも必修でやる基礎以上の専門的なレベルの国際政治学の講義を受けて、西欧外交史か核戦略をやって、初めて知り得るマニアックな情報です。
中学でも高校でもこの出来事について紹介するのはむしろ、パーシングの配備に反対して米軍基地の前でプラカードを持って座り込んだり、「人間の鎖」なるパフォーマンスを基地の周りでやっている西ヨーロッパの非核団体の人々の写真でしょう。中学や高校の世界史の教科書にほとんど必ず載っています。「世界で高まる反核運動」とかそういう紹介文つきで。

パーシング配備の裏事情は、上で説明した通りなのですが、メディアなどは当然そんな事は報道しない。都合が悪いし何よりこういうややこしい話は視聴率が取れませんから(苦笑。
「核か反核か」という単純な図式はすごくわかり易くて大衆受けします。
そしてこの西ヨーロッパの民衆は愚かです、東側に配備されている核はそのままで、自分達の国の核だけ無くしてどうするというのでしょうか。

実はこの時の西欧の反核運動に、ソ連は裏で大規模な組織とカネの支援を行ったといわれています。
日本も同じです、日本共産党がコミンフォルムの支援を受けてゲリラ戦を準備していたのは有名な話ですが、東側の工作員は左派の運動の中に狡猾に紛れ込んでいた。

ここに、核廃絶の難しさがあります。

核保有国が率先して核を放棄すれば他も放棄するといっている人がいるが、とんでもない話です。
それは楽観的予測であって確実な保証は無い。確実な保証が無いのに率先して核を放棄するのは個人レベルならお人好しで済むが、国家レベルでやるならそれは国民の生命を賭けたお人好しになる。国防の自殺です。
例えば、西側では世論が自由ですから反核運動も盛んです。
もし民主主義国家のアメリカ・イギリス・フランスなどがそうやって自国の世論の言う通りに核を放棄したとして、ロシアと中国がそれにならう理由は全くないわけです。

そしてロシアと中国が放棄しないものをアメリカ・イギリス・フランスが放棄できないし、してはいけません。
一方的な力の真空は、平和を生むどころか平和を壊します。

つまり、あなたは大勢の人と同じ部屋にいて、毒ガスのボンベを持っている人達が大勢の中で数名いるわけです。
そのうち何人かはあなたを守ってくれると言っていて、他の何人かは明らかにあなたを敵視しているか、無言でガスマスクを装着したりしていて何を考えているかわからない。
毒ガスのボンベは確かにあってはならないものです!!
無いに越した事はない!!

しかし、現実問題としてあるのです。
そこであなたはどうするか。
まずあなたを守ってくれるといっている人に、「その毒ガスのボンベはあってはならないものだから捨てて下さい」、というんですか?
普通、逆でしょう。
まず危ない奴等の持っている毒ガスをどうにか無力化して、その後でしょう。段取りが逆です。

ですが、話が60億人の住む世界になっては、この無力化も不可能です。

核廃絶の唯一可能な形とは、地球上のあらゆる国、集団、人が核兵器とそれにつながる技術を全員同時に「はい捨てた!」で、1秒の誤差も許されない同時で完全に放棄する事、放棄が永続的である事、なおかつそれらが検証可能、つまり地球上全土をくまなく常時監視して、核爆弾は一個も無いし今後どこかがこっそりつくる可能性は0%だと証明できる事です。

これが不可能に近い事は、アメリカが原爆を単独保有していたあの1945年の段階で既に指摘されていました。
英国政府の公文書『Independence and Deterrence』(独立国家と核抑止力)には、アトリー首相の次のような言葉が記載されています。
引用しましょう。

〈原爆を、アメリカとイギリスだけが我が物にし、他の国には秘密にしておくということに、すべての国が同意するかもしれないという提案は、それがどんなものであれ、首相は信頼を置かなかった。「われわれが他国よりも先んじているとしても、ほんの数年に過ぎない。問題は、いかにして先んじているこの数年を利用するかということだ」と彼は言った。
彼は、全世界のすべての研究所や工場に対して、イギリスとアメリカが厳格な査察を義務付けようと努めても、そのような試みは望ましくないし、実行不可能であることを見通していた。〉

労働党のアトリー首相は前任の保守党チャーチル首相と異なり平和主義者でしたが、だからこそ、核問題で楽観できなかったのです。
全世界のすべての研究所や工場を監視する事は不可能だという単純な事実に、彼はいち早く気付いていました。

核兵器は、本当に存在すべきでない兵器でした。
しかし、悲しい事に発明されてしまった。発明されてしまった以上、発明される前の世界に時計の針を戻す事はできない。
例え我々が否定しても、誰かがつくる事ができる。
それに対して安全を確保するためには、自分が核を持つしかない。
だからアトリー政権は左派の労働党であったのに、英国の独自核保有という決断をしたのです。

反核運動を熱心にしているのが、先進国の人々だけだというのが、反核運動の限界の象徴です。
平和を訴えている人々とは、つまり現状に満足している人々です。
国が豊かで今日の水とパンに困っていない人々、家の外で銃弾が飛び交っていない平和な国の人々です。

ですが、貧困と戦乱にあえぐ大多数の国の人々はそうではない。
搾取の図式が出来上がっていて、現状ではただ貧しいままです。
そんな現状に満足していない。そして現状を変えるためには武力の行使もやむなしというところまで追い詰められている。
現状で政治的・経済的に弱い立場にある国、追い詰められている国ほど、一発逆転・起死回生のために核に走りやすい。
政治的に弱い国・・・東ティモールとか、パレスチナとか、台湾とか、あまり追い詰めない方がいいでしょう。

例えば内戦を続けるアフリカの小国で、国が一面砂漠と廃墟でそんな光景を当たり前だと思っている人々に原爆投下直後のヒロシマの写真を見せても、彼等は何らショックを受けないでしょう。
見慣れた光景だからです。
乱暴な事を言うと、これ以上悪い状態は無いのだから、一発どかんと爆発させて世の中を変えた方が飢え死にするよりまだましだと思うかもしれない。

目先の欲望を満たすためなら先で地球が死の星になっても構わないと思っている人、そもそもそこまで将来を予測する想像力の無い人、もっと悪くなると自分が正しいと信じる何らかの思想や哲学を、地球が滅んで自分も含めた人類が滅亡してでも達成したいと願う狂信者だっている。

国でいうなら先ほど説明したように、弱い立場でもう失うものが無い国は、核兵器を使って身を立てようとする時代に徐々になってきている。
確かに保有宣言から2年か3年は国際社会から非難されるが、元々国際社会から孤立していたか、見放されていた国です。今更非難なんて、何も怖くない。
それさえ亀になって耐え抜けば国際政治の基本的な力学は現状の是認による安定維持ですから、やがてインドやパキスタンのように既成事実として認められ、大国の仲間入りです。
もしくは北朝鮮のように放棄の見返りに支援をもらえる。
あれは取引か何かのようにメディアは言っていますが、北朝鮮側としては元々持っていなかった核を保有して、あるいは保有したと言って、今度はそれを捨てると約束するだけで石油がもらえるんですから、一方的に得しているだけで最初から持っていたものは何も失っていません。選挙で負けて動きが取れないブッシュ政権がまたもや北朝鮮の瀬戸際外交にひっかかっているだけの話です。
これが続けば、第三世界の貧しい国や弱い国に、核を保有すると得をすると思わせてしまう。
冷戦後の世界は核廃絶に向かって進むどころか、逆に米ソの全面核戦争の恐怖で抑えつけられていたタガが外れて、あちこちの国が核を持っててんでばらばらに自己主張の道具にしたりインド・パキスタンのようなプチ冷戦を始める核拡散の時代になってしまったわけです。冷戦終結で核がなくなると誰もが思っていた十年前が夢のようです。
本気で核廃絶を語るなら、核廃絶がどれだけ難しいか知らなければいけない。

アジアでも、冷戦時代のように核をタブーにしておける時代に、この十年でそろそろ終わりが来ようとしています。
長期的に見れば、これからアメリカの軍事力は低下する一方です。
アメリカがひけばアジアに力の真空ができて、代わって中国がそこに入ってこようとする。
それを防ぐためには日本がこれからはある程度、単純な海軍力もそうですが政治的にも、アメリカの役割を引き継がないといけない。
その中で日本が安全保障を考えるなら、核問題も避けては通れません。
例えば東南アジアの国々が中国の脅威に晒された時、先ほどのヨーロッパの時のようにですね、日本が身体を張って同盟国を守らなければならない場面も出てきます。が現状では、そもそも中国を交渉のテーブルにつかせる事もできません。

私は日本は最終的には核廃絶を目指しつつも、その前段階で核を保有しなければならないというやや屈折した立場をとっています。

しかし今日本で、核兵器に対して一言でも現実的な話をしようものなら、それこそ戦前の「非国民」のように、みんなから白い目で見られて社会的な地位を失う。
かつて戦前、天皇機関説を唱えた美濃部達吉は右翼の感情を傷付けたとして世論の袋叩きにあって、現実的な憲法学説は死んだ。
同時に大日本帝国憲法が死んだ瞬間です。

去年、中川政調会長と麻生外相が「日本の核武装を議論しても良いだろう」と言って、野党やメディアは猛烈にこれを叩いた。
それから世論調査をやったところ、面白い結果が出ました。
メディアにとっては意外な結果で、だから報道されなかった。

過半数の人々が、議論に反対していなかったのです。
別にこの人達は、核保有に賛成なわけでも、非核論に反対なわけでもない。
ただ、「議論する事さえ許さない」、という非民主主義的で自由を束縛するやり方に対する不満が、こういう形になったのだと思います。

核廃絶論は大切ですが、ただ核保有論者の口を手で無理やり押さえて黙らせるような乱暴なやり方、議論さえするな、という直情的で単細胞な非核論は、日本が核問題について世界にどんな態度で臨むべきかという国家のあり方に関する議論さえ殺してしまう。
そんな感情に支配された態度は、自由でも民主主義でもありません。
これでは戦前と戦後で、日本人の極端な性格は何も変化していない事になります。ただ右から左へ主流派が入れ替わっただけじゃないですか(笑。

参院選前は『久間原爆』が炸裂して自民党に大打撃でしたっけ。
断っておきますが、あれは左派よりむしろ保守の人達を怒らせる発言で、スピード辞任の一番の原因は安倍総理自身の怒りにあるのはあまり知られていませんね。
原爆投下が「しょうがない」というあの主張は実は久間さんのオリジナルでもなんでもなくて、左派の知識人達の間では昔から市民権を得ている主張なんです。
元々あの戦争で日本を「悪者」にしたい左派にとって、原爆投下というのは都合の悪い話で、だからといって表立って本音を言うわけにもいかない。拉致問題への彼等の対応と同じですね。
そこに大きなねじれ現象があります。
中には、当時の日本政府が玉体護持を理由に終戦を遅らせたから原爆が投下されたんだと、アメリカ側の思惑にそっくりはまり込んで天皇制を批判する人までいる始末です。
「しょうがない」どころの騒ぎじゃない、「日本が悪い」「天皇のせいだ」ときたものです。
こういう左派のプロパガンダを、メディアも「進歩的知識人の意見」としてずっと垂れ流してきた。
広島出身の私は、こういう話を聞くたびにむかっ腹がたったものです。
だから私は久間さんの発言に今になってメディアや左派が文句を言っているのが可笑しくてしょうがない。あなたがたに久間さんを叩く資格は無いだろう、と。

そして、より根本的に思うのは、核について「しょうがない」対応を政府にとらせてきたのは、他ならぬ日本国民の意志ではなかったか、と。

世界の核拡散が深刻化し、アジアの安全保障も変化しようとしている。
日本人は今こそ、核も含めたあらゆる議題をタブー扱いせずに議論のテーブルに乗せるべきです。
この国をどうしたいか、よく考えるべきでしょう。

最新の画像もっと見る

2 コメント

コメント日が  古い順  |   新しい順
核に対する私の考え (MR-SS大佐)
2007-08-08 09:23:00
拝見させてもらいました。

私の核に対する見方を言わせてください。


私は核があってよかったと思っている。
今日私たちが生きているれるのもすべて核のおかげ
だと思っています。
アメリカ、ソビエトが互いに核を持ち互いに
核搭載原子力潜水艦を配備して
第一・第二核攻撃体制を敷き、互いに相手の国土に
核ミサイルを撃ち込める体制を作ったおかげで
今日に至るわけです。


しかしそこまで周到な準備をしておいてなぜ
戦争にならなかったかと言うとその根本にあるのが

    「自分の核戦力が怖かったから」

つまり、自分が核を発射すれば、相手も核を発射する
そんなことになれば自分たちは生き残れないと
考えたから。

つまり核があったからこそ戦争は起きずに今日に至ったわけである。

しかし、もし核兵器が開発されなく配備もされないとしたらどうなるでしょう。
その状態で、朝鮮戦争あたりで世界大戦が起きたことでしょう。


ですから、私は核はあるべき兵器だと考えている
訳であります。




まもなく終戦記念日ですね。
14日の夜に「にっぽんの一番長い日」でも
観ようかと考えています。
返信する
クリスタルボール・エフェクト (冬月副司令)
2007-08-09 02:01:31
大佐、コメントありがとうございます!
大佐が指摘された核抑止の考え方は、専門用語で「クリスタルボール・エフェクト」というんです。
ファンタジーの世界で、覗き込むと未来が見える魔法の水晶の球があるじゃないですか。あれになぞらえていて、東西冷戦時代、両陣営の指導者とも、全面戦争になったら核の冬で両者死に絶えるという未来が見えてしまう。その恐怖を共有する事で平和が保たれるという考え方です。

大佐の言う通り、もし核兵器が発明されていなかったら、戦禍はさらに拡大していた可能性があります。
これは正に久間前大臣の失言の内容とかぶるんですが(苦笑)、もし原爆が無い場合、アメリカは日本を屈服させるために本土上陸作戦「オペレーション・ドゥームズデイ」に踏み切らざるを得ない。
その場合アメリカ単独では甚大な犠牲が出ますから、ドイツの時のようにソ連にも協力してもらうしかなくなります。
その場合、日本は確実に南北に分断されたでしょう。
私は南北分断ものの小説を以前書くにあたって研究したんですが、東北地方と北海道が共産化するというのは、実は全然ありえない話じゃない。
東北・北海道は元々、大和朝廷の版図ではなかったので西日本のような伝統に根付いた天皇制への愛着はありません。
千年続いた武士政権時代は、領民はお上=武士、江戸の徳川幕府に忠誠を尽くしていたのであって、西国にしか影響力の無い京都の朝廷については、よほど教養のある人を除いて存在自体知らなかった。
この地が天皇制の下での統一国家日本に本当に組み込まれるのは、実は明治維新が初めてです。
天皇制を全く知らない土地に、学校教育で人工的に天皇制を根付かせようとしたわけです。
それ以降も、東北は農村部の貧困が酷くて、資本家べったりの政府を憎んできた。2・26事件を起こした将兵も東北出身者です。
あのクーデタは天皇をたててこそいたが、実態は共産主義革命でした。
そしてこの東北出身の兵士達(戦前、仙台は帝国陸軍の最大拠点)は戦後シベリアに抑留されると、洗脳教育であっという間に反天皇制になって帰ってきた。
つまり、もしソ連軍が北海道・東北を占領していたら、この地に共産国家ができた可能性は極めて高く、日本人が二つにわかれ憎み合い殺し合う悲劇が起きていたかもしれません。

こういうベタな話だけじゃなく、核兵器の登場以降、先進国同士のいわゆる在来型戦争はフォークランド紛争という例外を除いて一度も起きていません。
また、一次大戦の時のように、周辺事態が全面戦争に発展しなくなり、朝鮮戦争やヴェトナム戦争のように地域に限定化されるようになった。これらは核抑止を裏付けています。

第一次世界大戦も第二次世界大戦も、軍事技術の進歩による破壊力の強大化に国の指導者が追いついていなかった結果悲惨な戦争になりました。
一次大戦では、機関銃やコンクリート要塞がどれだけの兵の命を奪うか、既に南北戦争と日露戦争という実証があったのにヨーロッパの指導者達は理解していなかった。
近世の戦争のように一週間ぐらいで馬に乗った騎士がちゃんばらをして終わると楽観していたのです。
二次大戦では今度は、ヒトラーが機甲師団と急降下爆撃機で練り上げた世界最新の電撃戦法が、常識を破壊しました。
塹壕を掘って何年もにらみ合う戦争を想定していた英仏もソ連も大きな誤算をした。
このように、破壊力の大きな兵器への理解の不足が、常に悲惨な戦争を起こしてきました。
全面核戦争の恐怖の共有から戦争が回避された冷戦期は、その点で平和だったといえます。
しかしこれからは違う。
核の威力を正確に把握していないし、そもそも失うものが何も無い第三世界の小国が好き放題に核保有を始めて、そして「ヒロシマレベルの威力ならたかが知れてる」と戦術核を炸裂させたら、国際秩序は滅茶苦茶になります。
核拡散の時代の核問題は、冷戦時代、ある意味で平和の守護者であった核とはまた別のものとしてとらえなければいけないでしょう。
返信する

コメントを投稿