水銀党本部執務室

冬月のブログです。水銀党本部の活動や、政治社会問題、日常の中で感じた事など様々なテーマで不定期に更新されております。

七夕に考えるメッテルニヒ外交

2006-07-04 04:20:44 | Weblog

ついこの前まで年度始めの行事に忙殺されていたのが気がつけば月日は流れ、ジメジメとした蒸し暑い日が増え始めて、道端のハイドランジア(紫陽花)が降る雨に絵の具でも混ざっていたかのように鮮やかに色づくのを見て、「ああ、ハイドランジアが咲く季節だから、もう六月になってしまったのだな」と思っている内に、月末の上場企業各社の株主総会の情報収集であっという間に六月も過ぎ、ハイドランジアも色褪せ始め、そしてもう七月、本格的な夏の訪れ、そして七夕。短冊に願い事を書く日が近付いております。


どうも最近、時間の流れの早さを感じている水銀党こと冬月です。
やる事が昔より多くなったせいでしょうか、一日など本当に呼吸をするかのようなあっという間で終わり、遠い将来だと思っていたはずの事がすぐに過去になります。
季節の変化も、まるで肌で感じるかのようなスピードです。
冬物の洋服を棚から出す支度をしていたら、もう夏になっているといった具合にね。
時計の短針は、瞬間的には動いているのは見られませんが、それでも確実に、結構速く動いているじゃないですか。あれと同じですね。
小学校時代の夏休みのような、一日一日が本当にゆっくりと過ぎていく時間・・・・・あの永遠かと思われた日々、『現在』と『未来』の厳然とした区別が確かにあって、その間の距離が無限に遠かった、でも生きていることが本当に瑞々しく実感できたあの日々が、まるで夢のようです。

去年の今日といえば、携帯電話のスケジュール帳を見るに、私は二ヶ月間のヨーロッパ旅行に行くための準備をするために旅行会社にビザの申請をしに行っていました。その日私が旅行会社の事務所の場所を覚えるためにプリントアウトした地図は、今でもその日帰ってきて置いた私の部屋のデスクの同じところで埃をかぶってます(←机の上整理整頓しろよ)
まあ、それぐらい一年なんてあっという間なんですね。
でも、あの日から私と私の身の回りが何も変わっていないかというと、決してそんなことはありません。
確かに人生全体の設計図に関わるような劇的な変化はありませんでした。
しかし、あの日から今日までに失ったものもあれば、新しく手に入れたものもあります。
一番具体的な例としては、去年の今日私は慶應アニメーション研究会の代表で、考えていたのも私の旅行中のサークル運営について後輩にどう指示しておくかということばかり、そして皆さんが今ご覧になっているサイトは、去年の今日は私にとっては、親近感はありましたがあくまで異国でした。
今日私が代表だったサークルは既に内紛で消滅し、このサイトが私の居場所です。
それだけでも、大きな変化ですよね(苦笑。

私は元来とても保守的な人間で、変化というものをあまり好みません。
私にとって外来的な変化というのが多くの場合において、何かを得るよりも失うことである方が多かったからでしょう。
私の小説をご覧になったことがある方なら、こうして喋らなくてもお気付きかもしれません。

『変わらずにあろうとする人々の想い』

『変わらない世界の中で』

私の小説の世界観はどれも、変わらない世界への願いから始まります。
こういう小説を書くのは、私の人生のスタート地点での境遇がとても幸福だったからかもしれません。
確かに、私は幸福な側の人間です。
私だけでなく、今が幸福だと感じている大多数の人間、このままで良いと思っている、恐らくこの国では大多数の人々は、『平和』や『安定』という名前での、不変を望むものです。
右を見ても左を見ても、『永遠』や『変わらないこと』が望みだとするライトノベルやアニメ、ゲームを多く目にする。
それが購買者の需要だということは、日本はまだまだ豊かなんですね。
逆に不幸な境遇から始まった人間は、このままで良いとは思わないでしょう。
例え『平和』や『安定』を壊してでも、変化を求めるでしょう。
残念なことですが、それは彼らにとっては正義です。


中学や高校の教科書で『保守反動的で時代に逆行する体制で民衆を圧迫した』として悪役として描かれることが多い人物として、メッテルニヒがいます。
フランス革命・ナポレオン戦争終結後の混乱したヨーロッパの秩序を立て直した、いわゆる『ウィーン会議体制』をつくったオーストリアハプスブルク帝国の外交指導者ですね。
彼はフランス革命で生じたヨーロッパ各国での民衆の絶対王政打倒への動きを抑止するために、もはや国同士が対立している場合ではない、各国政府の緊密な連携によって革命の発生に共同で対処する、集団安全保障体制をつくる必要があると提唱しました。秘密警察を組織して民衆を抑圧した、『民主主義』という思想のパースペクティブから見れば確かに悪役でしかありません。

しかし、本当にこの見方だけが正しいものの全てでしょうか?
『民主主義』という正義のためには、何をしてもよかったのか。

私が所属している大学の政治学科では、『平和』『安定』という観点から捉えた時に、メッテルニヒのヨーロッパへの功績は計り知れないものがあったのではないかという研究を行っています。

『民主主義』が第一だという人に聞きたいのですが、ではあの革命は、何をもたらしたのか。
暴走した民衆のラディカルで感情的な無統制の暴力によって、フランスの文化は大きな損害をこうむりました。
美術品が焼かれ、教会は壊されました。
私は去年フランスのリヨンで現地の友人の案内で町で一番大きな古い教会を見に行った時、教会の外壁にある何百体もの聖者の石像の首の部分が残らず破壊されているのを見せられ、「革命でロベスピエールがキリスト教を否定した時に、サン・キュロット(無産市民)が大挙して破壊したのだ」と聞かされました。
アフガニスタンでタリバンが石像を爆破した瞬間の映像が、ふと頭をよぎりました。つい何百年か前に、フランスでアフガニスタンと全く同じことがあったわけです。
こういった破壊の跡はフランス中にあります。

日本の京都に先手観音像が1001体並んでいる三十三間堂というのがありますが、日本で革命が起きてこの仏像の頭が全部民衆に叩き壊されたと想像して下さい。『金閣寺』どころの騒ぎではないでしょう。

そしてあの革命では、大勢の人々がギロチンにかけられて殺されました。王侯貴族だけでなく、罪の無い知識人や一般市民まで、「反革命」だと吊るし上げられて粛清された。
中学や高校の教科書で「殺されて当然」の扱いがされている王侯貴族にしたところで、その時代の法の下では合法的に生きていたのが急に悪者扱いされて惨殺されたわけですし、「パンが無ければお菓子を食べればいいのに」に象徴されるマリー・アントワネット等の贅沢な生活は、実は当時のフランスのマスメディア(新聞)を支配していた革命派ブルジョワジーによる民衆煽動のための情報操作であり、多くは事実ではなかった事が最近の研究で明らかになっています。

『フリーメーソン』のように、革命の裏で利益を得ていた勢力もあったわけですね。

こうした野蛮な暴力と、それが情報操作によって美化されているフランスの状況に、メッテルニヒは大いに戦慄し嫌悪したと言われています。

そしてその後、フランス革命がフランスを越えて拡大していく過程としてのナポレオン戦争。
初めてヨーロッパ全土が戦場になった大戦で、各国は甚大な被害を受け、やはり多くの犠牲者を出しました。

ギロチンと大戦、膨大な死者、莫大な損失。
それがフランス革命の、もうひとつの真実です。

死んでしまったら、自由も民主主義も人間にとって何の意味があるのでしょうか。

メッテルニヒの体制は確かに抑圧でした。
自由と民主主義にとってメッテルニヒは悪人です。それは認めましょう。

しかし、『安定』・『平和』にとってはどうか。
彼は、平和を最優先課題として民衆の自由への欲求を抑え込んだ。
彼が作った秩序、彼のシステムは、その後第一次大戦が起こるまでの七十年間以上もの政治的安定と平和をヨーロッパにもたらしました。

各国では王政が続き民衆にとっては不満だったかもしれないが、しかし膨大な死者が出る革命や戦争は回避されました。

これは、どちらがいいかという問題です。

イデオロギーの対立を乗り越えて中国との協調外交によるソ連の抑制をリードした米国務長官のキッシンジャーが大学を卒業する際に書いた卒論のテーマは、メッテルニヒ外交の再評価だったと言われています。

しかしアメリカ国内では、「独裁国家である中国は悪であり、それと手を組んでまで平和を求めるなど欺瞞だ」「ソ連という悪魔と戦うために共産中国という悪魔と手を握るのは邪道だ」とキッシンジャーへの非難が高まって、やがてタカ派のレーガン政権になると、キッシンジャーは失脚します。日本でも、キッシンジャー流にならって中国と国交を結んだ田中角栄がロッキード事件で失脚しますね。
そしてキッシンジャーら協調主義者に代わってアメリカの外交を支配するようになったのがネオコンです。
大切なのはかりそめの平和や安定より正義の実現だという彼らの主張は、正義感の強い米国民の耳にはとても美しく甘い。
しかしネオコンの政策の行き着く果ては、国連や主権国家といった従来の国際秩序のルールを破壊し、独立国に侵略して『悪』を引き摺り下ろし、アメリカの『正義』を一方的に打ち立てること。それが、プリエイティブ・ストライク
2002年9月の米国家安全保障戦略、通称『ブッシュ・ドクトリン』で出された言葉です。
一年前の9月に起きた9・11事件の衝撃があまりにも強かったせいで世界は抵抗無くこの宣言を受け入れてしまいました。
しかしこれは、1648年のウェストファリア条約で確立された国家主権による国際秩序を根底から否定するものでした。
皆さんは実際に、それが行われる場面を今世紀に入ってから二回は見たはずです。

誤解しないで頂きたいが、私は反米主義者ではありません。
ただ、客観的な事実としてはっきり申し上げなければならないのは、9・11事件と、それを口実とする超大国アメリカの方針転換によって、数百年来の伝統的な世界秩序が死んでしまったということです。
国際政治学の世界では、ある人はこれを「ポスト9・11」といい、ある人は「新しい中世」の到来だといいます。

アメリカはこれまでに、伝統的な世界秩序を二度破壊しました。
最初の秩序破壊とは、東京裁判で歴史上初めて、戦争という行為に『善悪』という価値観を持ち込んで敗戦国を裁いたことです。

それまで戦争とは、政治的紛争の延長、純粋な利害対立によるパワーのぶつかり合いとして考えられてきました。
単純に強い国が弱い国を倒し、負けた国は領土や賠償金を勝った国に渡す。戦争とはそういういわばゲームでした。
ユーラシア大陸では古典的に、戦争とはそういうものだったのです。

ところが近代史にアメリカという別大陸の国が登場して、このルールが通用しなくなったわけです。アメリカは自分の国が広く豊かでしかも本国が別の大陸ですから、ユーラシアの国と戦って勝っても領土やお金を要求する必要性があまり無い。アメリカは戦争の報償として『正義』を求めるようになります。
東京裁判後、アメリカに負けた国はお金や領土どころか『正義』までも奪われるようになりました。

そして2002年のブッシュドクトリンは、世界の国々から今度は独立国としての主権を奪うことを宣言しました。
アメリカが自国にとって脅威だと考えた国には、アメリカの自衛権の範囲内で先制攻撃を行うことが正当化された宣言でした。

一度目の秩序破壊の時は、直後に発生した東西冷戦構造という新秩序によって、勢力均衡による世界の安定が保たれました。

しかし、その体制が崩壊してからもう十数年。未だ新しい国際秩序が構築されないまま、世界各地で戦禍が拡大しています。

もしもメッテルニヒがこの時代の政治家だったら、彼はどんな処方箋を書くでしょうか。

ひとつ、興味深い話があります。

ナポレオン戦争後、敗戦国のフランスを、メッテルニヒは戦犯として扱うことに断固反対し、むしろフランスをヨーロッパの大国の一員として、新秩序構築を模索する五大国のテーブルに加えたのです。

ナポレオン戦争で大きな痛手を受けたロシアやイギリス、それに彼の母国であるオーストリア本国からも、フランスを恨み憤り、懲罰をという強い声が上がっていたのですが、戦後の会議でメッテルニヒは、フランスから1フランの賠償金も取らず、また元々のフランスの領土を決して奪おうとはしなかった。

メッテルニヒは「全ての元凶は革命という天災のような出来事であって、フランスもその被害者である」として、全てを革命が始まる前に戻すことによって平和を回復させようという『正統主義』をとりました。
その背景には彼の「敗戦国に対して決して屈辱的な扱いをしてはいけない」という持論があったといわれています。

『戦(いくさ)を憎んで人を憎まず』。

メッテルニヒはただただ、ヨーロッパの安定を望んでいたのです。
もしも敗戦国に対して屈辱的な扱いをすれば、敗戦国の人々はそれを恨んでいつか復讐をしてやろうと思うに違いない、そうすれば、それが原因になってまた新たな争いが生まれてしまいます。安定のためには、禍根を残すようなことをしてはならないのだと。彼がこのように考えたのは、彼の母国であったオーストリア帝国が、多民族国家という性質上戦乱に対して極めて脆弱であったことが挙げられます。彼の国には安定を望む理由があったのです。
戦争をとことん望まない立場の人間がリードしたからこそ、ウィーン会議は成功しました。

1914年から第一次世界大戦が始まると、メッテルニヒが恐れていた通り、チェコや南スラヴなど支配下の各民族が次々と蜂起して、オーストリア帝国は崩壊します。

そして終戦後に敗戦国ドイツに対して一方的に課されたヴェルサイユ条約は、メッテルニヒがもし生きていたら、絶対に反対したであろう内容でした。

ドイツに対して課される条約なのに、条約作成のテーブルに肝心なドイツを一切加えず、戦勝国の米英仏だけで書いて出来上がったものを一方的にドイツに受諾させる。なおこの条約には「受諾しなければ即座に戦争を再開する」という脅しの条項がついており、フランスは実際に兵力を国境線に集結させました。
ドイツにとって、受諾以外の選択肢の無い条約だったのです。
そもそも、これはあまり知られていないことですが、当時ドイツは停戦協定を結んだだけで、自国が敗北したとは考えていなかったのです。
これは第一にドイツは疲弊したとはいえ東部戦線がロシア革命によって失われ西部戦線への戦力集中投入が可能になって、何よりこの時点でまだドイツは自国の国土が侵略されていたわけではなく、軍部には戦争継続ができるという余裕があったこと、そして第二には、ドイツはアメリカのウィルソン大統領が出した『14か条の宣言』にある『勝者無き平和』という文言を受けて停戦に合意していたからです。

ところがこの『14か条』は戦後イギリスとフランスから「我々はこんなものは認めたくない」と撤回するよう圧力がかかり、ウィルソン大統領はしぶしぶこれを無かったことにしてしまいます。
ウィルソンの『勝者無き平和』の呼びかけを信じて停戦したドイツ軍からすれば詐欺に等しい行為です。

そして、決定的だったのが、ドイツに求められた賠償金と領土でした。
ドイツ民族発生の地でありドイツの精神的故郷『ドイツ騎士団領』の東プロイセンの領土が大きく削られ、さらにあの歴史的に極めて悪名高い、1320億金マルクという天文学的な賠償金が課されました。
これは現在の日本円に換算すると、40兆円から換算法によっては80兆円ともいわれています。

もし今の日本が、決して日本が一方的に悪いわけではない戦争に敗れたとして、これだけの額の賠償金の支払いを命じられたら、皆さんはどう思うでしょう。

ドーズ案でアメリカは、ドイツの賠償金支払いを分割払いで60年から最長で100年以上かかると算定しました。

百年以上、孫の代まで続く賠償。そして経済が破綻し、国民の三人に一人が失業。

ドイツ国民の連合国への憎しみが、やがてヒトラーを台頭させドイツをナチスドイツへと変えていきます。

よくタイムマシンが出てくるSFで、子供の頃のヒトラーを殺せば第二次大戦は起こらなかったのではないかというような考え方がありますが、この1320億金マルクという数字を知れば、歴史がそんなに甘いものではないことがわかります。

私は断言できますが、例えヒトラーがいなくても、このドイツ人の苦しみ、怒り、憎しみが、別のヒトラーを生んでいたでしょう。

ナチスやヒトラーを擁護したいのではない、ただ残念なのは、「敗戦国に対して決して屈辱的な扱いをしてはいけない」というウィーン会議でのメッテルニヒの精神が、ヴェルサイユ会議に全く受け継がれなかったことです。

会議に出席するためヴェルサイユに向かう英国首相ロイド・ジョージは、英国民に対して「我々はレモンの汁を最後の一滴まで絞り取るように、ドイツから賠償金を搾り取るのだ」と意気揚々と演説してガッツポーズを決めました。
彼はポピュリストでした。英国では、この数ヵ月後に下院の総選挙が迫っていたのです。ドイツ憎し、会議では強気な姿勢で徹底的な懲罰を、という国民感情に、ロイド・ジョージはただ迎合します。

そしてフランスのクレマンソーは、自分自身青年時代に普仏戦争を経験し、ドイツを激しく憎悪していました。

この時のフランスもイギリスも、勝利に酔い、ドイツへの復讐心でいっぱいで、長期的なヨーロッパの安定のための秩序を作るという考えが欠如していたのです。
何よりもウィーン会議の時と違ったのは、皮肉な話ですが、各国が民主主義化していたということでした。
どの国の代表も、長期的な視野に立って安定した秩序の構築を考えるよりも、自分自身が次の選挙で勝たなければ首が危うい、したがって国民の世論に従って外交をしなければならなくなってしまった結果、極めて近視眼的な政策を余儀なくされていたのです。こうした国民主義は、メッテルニヒがヨーロッパをコントロールしていた時代は抑制されていたものでした。

その結果が、わずか30年後の第二次世界大戦。
起こるべくして起こった大戦といえます。ナチスが民主主義的に選挙でドイツの政権を獲得したことと合わせて、「民主主義が第二次大戦を起こした」といわれる所以です。

 

余談ですが、メッテルニヒはラインラントの生まれでした。
ラインラントは、フランスとドイツの間にある国境地帯で、昔からドイツ系住民とフランス系住民が混じり合って共存して暮らしてきた土地でした。
そのため彼はドイツ語と同様にフランス語も自らの母国語とし、会議ではフランス代表を相手に流暢なフランス語を操り、フランス語でものを考えることまでできたといわれています。
ただ、そのためメッテルニヒはウィーンの生粋のドイツ人貴族達からは、フランスかぶれだと嫌われていました。

メッテルニヒが会議をリードできたのには、他にも理由がありました。
彼はウィーンでの会議の期間中、各国代表が泊まっているホテルの従業員に密かに秘密警察を忍び込ませ、各国代表の部屋のくずかごの中身を全て集めさせていたのです。
これは、各国の代表と本国政府の間で交わされている手紙の内容を把握するためでした。
会議中、各国が腹の中にどのような本音を持ってテーブルについているのか、メッテルニヒはくずかごに捨てられた手紙を読むことで全て知っていたのです。
情報収集の重要性を、メッテルニヒはよくわかっていました。
ただ、このような行為も、メッテルニヒが宮廷で嫌われる原因となりました。

1848年3月、オーストリアで民衆が蜂起し3月革命が起きた時、ウィーンの貴族達は全責任はメッテルニヒにあるとして、メッテルニヒをスケープゴートにして国外追放し、民衆をなだめてハプスブルク王朝を温存させました。
メッテルニヒは英国に亡命、死ぬ8年前まで、帰国を許されなかったといいます。

メッテルニヒがそうだったように、私も平和を損なう変化が嫌いです。
ただし、平和のために積極的に行う変革はその限りではない。
大英帝国の名宰相であったグラッドストン曰く、『真の保守主義とは自分にとって望ましくない変化を未然に避けるために、自分から積極的に変革する姿勢だ』そうです。
まあ、それができていれば大英帝国は衰退していないのですが(苦笑)、私もまた、積極的な変革によって変化を避けて生きていこうとする保守主義者かもしれません。
私は英国のように衰退したくもないですし、メッテルニヒのように寂しい余生は送りたくありませんから。

七夕の短冊に何を書くかはまだ決めてはいませんが、願っているだけでは、行動しない限りは、何も守れはしないのです。
ですから願い事はただ夢見るだけではなく、かなうと信じて行動するための、決意表明にしたいと思っております。

以上、七夕の話をしたかったはずが、なんだか関係ない歴史解説に大脱線してしまいました(笑。
次回は打って変わって、日記らしい話を書かせて頂きます。
テーマは、同じ七夕です(またかよ)。
それでは、次回をお楽しみに♪


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3 コメント

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行く川の流れは絶えずして(以下略) (あべべ)
2006-07-04 23:19:20
こんばんわ、あべべです。

 

まったり系の話題が続きましたね。

その頃あべべはゲーム制作に勤しんでおりました。 そしてその努力の成果が先日ものの見事にクラッシュいたしました・・・・・。

ちょっと前のデータが残っていたので泣く泣く作り直しております。



メッテルニヒ。

教科書でさらっと流したような気がします。

気のせいかもしれません。



「時の流れ」そのものが「変革」だと思います。

今この時はすでに「過去」。

全く同じではない。

目に見える変化だけが変化ではない。



そんなおセンチな事言ってたら政治家(屋)にはなれません、てか? 



ところで、北朝鮮なんとか法。 こっそりわけ判らん法律作るのはどの国だー?! あべべの給料よりたくさんもらえるなんてー! 人助けは大いに賛成だけど、スパイ養成を援助するんけ? だいたい、そんな余裕、あるのか? 年金崩すんか?



全然関係ありませんが、中学の社会のテストの際、「クロムウェル」と書いたつもりが「クロロホルム」となっていたことを思い出しました。



七夕は日本の美しい風物詩。 なので自作ゲームの恋愛イベントに使わせていただきます。 七夕イベントのあるゲームってめったにないですよね。 狙い目♪



相変わらず脈絡のない文です。

それでは失礼します。
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Unknown (神鏡学斗)
2006-07-05 01:48:05
うぃ、こんばんは♪

今日話してたヨーロッパの安定、そして七夕の話だね(笑 しっかり読ませてもらったよ~。



でも、世界史はやった事が無いからイマイチ人名とかには自信がありません(汗 ごめんなさいorz

あべべさんの仰るとおり、安定や不変を望みつつも変わっていくのが人だと思う。

「時の流れは時に優しく、時に残酷に全てを変えていく」なんてのはどこぞで聞いた有名な格言(?)。

何を目指して、何を望んで変革を求めるのか……それを考えるのが大切なんだろうし、変革したいのか、変わらないままありたいのかは、そこで違っていくんだと思う。

人によって意見も考え方も受け取り方も望む物も違うからね。良かれと思ってやった変革が、意外と他の人に受け入れられなかったりもするわけで(笑



水銀党と同じように、俺も変わらないにしても、停滞ではなく動的平衡のような変わらなさが欲しいな(笑

生き物って、新陳代謝して変わり続けてないと死んじゃうからね。ある意味、変わり続ける事こそ生命の本質なのかもしれない。



そうだ、七夕と言えばうちの大学にも毎年笹の飾りが出現して、短冊がつけられてるんだよ。「就職できますように」とか、微妙に切実でリアルな願いが書かれてるのがなんとも言えないけど(笑

返信する
明日が過去になった今日の今が奇跡、ですな(笑 (冬月副司令)
2006-07-05 14:11:07
コメントありがとうございます♪

あべべさん、最近お姿を拝見しないので少し心配していたのですが、なるほど、ゲームを作ってらっしゃったんですか♪

データ消えるの辛いですよね・・・私も経験あります(涙。

というか申し訳ありません、歴史の話なんかして、まったりムードぶち壊してしまいましたね(汗

北朝鮮といえば、やっこさんいよいよやってくれましたな。日本海に6発が着弾。今朝はニュースを見ずに大学に来たんですが、きっとテレビは大騒ぎでしょう(苦笑。



ほう、恋愛イベント、ですと?(キラーン)

ひょっとして、恋愛物をおつくりですか?

素晴らしい!完成したら是非私にも教えて下さい!(←わかりやすい奴



七夕は、確かにあれだけロマンチックなイベントで、夏ゲーにはもってこいだと思うんですが、なかなかないですね。『水夏』でちらっと使われた程度でしょうか。

織姫と彦星の話だって、立派な神話ですものね、私の小説でも使えるかも(笑。



余談ですが、私の高校時代の友人で、世界史の試験でナポレオンを『ナポリタン』と書いた輩がおります。これ実話★





>神鏡



そうそう、いつぞや焼肉屋でオペレーション・バーニングミート(笑)やりながら君に二時間説明した話を記事にしたのさ♪

「時の流れは、無慈悲なまでに慈悲深い」と、『ダブルブリッド』というライトノベルに書かれていたが。



先のことは、誰にもわからないさ。

だから、皆自分の信ずるもの、目標とするもののために進むものだよ。



うちの最寄り駅にある短冊・・・「新しい携帯がほしい」とか「暑いのは嫌だ」とか「有給取りてえ!」とか書いてあるんだけど・・・うちの近所の人たちって、結構現実的なのかな(汗



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