◇国民の皆様 後援会の皆様
私自身の不明、不徳の為(ため)、お騒がせ致しましたこと、ご迷惑をおかけ致しましたこと、衷心からお詫(わ)び申し上げます。
自分の身命を持って責任とお詫びに代えさせていただきます。
なにとぞお許し下さいませ。
残された者達には、皆様方のお情けを賜りますようお願い申し上げます。
安倍総理 日本国万歳
平成19年5月28日 松岡利勝
◇(発見者のために書かれたとみられるもの)
家族への手紙は、女房が分かるところにありますので、ぜひ探さないで下さい。
女房が来るまでは、どこにも触れないで下さい。
始めに断っておくが、私の思想信条はどうも今日の大多数の日本人とは異なっているようだ。
だが、だからといって沈黙している事は決してできない。今例え少数派のそしりを受けようとも、誰かが声を上げなければならない時だと思う。
いつから日本人は、こんなに冷笑的で寒気のする人間ばかりになってしまったのか。
かつては誰かに悲しい死があれば皆それから最低でも数年は彼の事を思いやって喪に服し、何かよほど批判したい事があるなら数年経ってから、それも道徳と周囲の感情に気を遣いながらおずおずと始めるのが常識だった。元々一点の不正も汚れもない完璧な人間などいない。だが死という圧倒的な重みを前にそうした些細な問題は敢えて触れないのが残された者の美徳のはずだ。
それが今の日本では、死んだその日から死者への嘲笑と罵倒が始まるようだ。
私は別に自殺した松岡農相の支持者でもないし彼を擁護したいのではない、彼の死に対して現代日本人が露呈した精神の荒廃に強い危機感を覚えている。
ネット上では匿名をいいことに誰もが醜い本性をむき出しにして好き放題をやっている。それよりも許しがたいのが、マスコミと民主党が今行おうとしている厚顔無恥も甚だしい責任転嫁だ。
彼等曰く、松岡農相の自殺の責任は彼を「解放」してあげなかった安倍総理と自民党政権にあるらしい。
「松岡農相は自民党に殺されたようなものだ」と本気で言っている者もいる。
どこまでプライドを捨てれば、こんなに恥ずかしい主張ができるのか。
そもそも人が自らの意思で命を絶つ行為は、誰の責任でもない、自分の責任で行うものだ。誰の責任かと議論する事自体が幼稚である。
それでも仮に誰の責任かという問題になるのなら、正しいか間違っているかは全く別問題にして松岡農相を追い詰めた野党とマスコミが自殺の原因をつくった事を考える方がはるかに自然だ。
といっても、松岡農相には不正の疑いがあったわけだから、それを野党やマスコミが厳しく追及した事は自殺とは別問題で、批判されはしない。
ならば松岡農相の自殺が誰のせいかなどという幼稚な議論はせずに粛々と政治とカネの問題に取り組んでいればいいものを、安倍総理や自民党に自殺の責任をなすりつけるとはどこまで増長しているのか。
さらにマスコミはこの自殺で参院選は自民党に不利になると書き立てている。
一体何の根拠があってそんな事を書くのか。また例によって「マスコミの言う事=世論」と勘違いした彼等の思い上がりが始まっている。この短時間でいつ世論調査をやったのだろう。国民の声を確かめもせずに、国民の声を勝手に代弁されるのはいつもの事だが不愉快極まりない。
確かに最近は有権者が冷めていて弔い合戦が通用しない世の中になってきてはいるが、不利になる、までいくとこれはもう何を言っているのか理解できない。
NHKを除くどこの局も守っていないので無意味な話だが、「報道」とは本来事実を客観的に伝える事のはずだ。
これでは報道ではなくてマスコミの思想的プロパガンダではないか。
松岡農相は、自殺、自身を極刑に処すというこれ以上重いものは無い手段によって責任をとり、党と内閣への忠誠を示した。
その彼の自殺すらも自民党を叩くために利用するとは、これほど醜い行為があるだろうか。
民主党は「辞任していれば~」などとふざけた事を言っているが、死んだ後ならなんとでもいえる。もし彼が辞任していたら、民主党は追及を止めただろうか。
とんでもない、鬼の首をとったような大喜びで、さらに追及を続けただろう。
自分の不正のせいで総理と党に迷惑がかかり、次の選挙に悪影響が出る事に、松岡農相は悩み苦しんでいたのだと思う。
そして、これ以上の迷惑をかけないために、彼は自殺を選んだ。
「何も自殺なんてしなくても・・・」などと無責任な事を考えている人は、彼が自殺したと知る瞬間まで彼について自分達がどう言ってきたかを思い出すべきだろう。
今インターネットに「松岡」で検索をかけると、「何も自殺しなくても・・・」といったようなコメントが多くヒットするが、この連中はわずか一日前までは「松岡の顔を見るだけで虫唾が走る」「あんな奴早く死ねばいいのに」と書き散らしていたのと同じ人間達だ。そのログは今でも消えずに残っている。否定する事はできない。
それなのに、自殺は安倍総理と自民党の責任だなどと、まるでハイエナのような責任転嫁がよくできたものだ。
石原都知事は「彼はサムライだった」と言ったそうだ。
その事で「自殺を正当化するのか」とまたずれた批判をしている者がいるが、私は石原氏に改めて敬服した。
誰かが言ってやらねばならなかった事を、石原氏が言ってくれた。
死んだ松岡農相も、そのご遺族も、石原氏の一言でどんなにか救われた事だろう。
自殺はまだする前なら全力で止めるべきだが、既に自殺してしまった人を肯定するか否定するかは、自殺の正当化の問題とは違う。
「自殺はよくない」という一般論なら小学生にだって言える。だがそんな奇麗事だけで片付く世界なら、誰も自殺などしないはずだ。
ましてや死者に鞭を打ってどうするのか。マスコミがこぞって死んだ松岡農相を罵倒する中で、逆風になるとわかっていても、誰かが「頑張ったね」「つらかったよね、ごめんね」と労わねば、この日本はどんなにか殺伐として絶望的なまでに冷たい国に堕ちていたことか。私はそんな国には住みたくない。
思い出せばつい数ヶ月前まで、柳沢厚労大臣の「女性は産む機械」発言で柳沢大臣を辞任に追い込もうと総力戦を展開していた野党とマスコミの感情論は、一体どこへ消えたのか。
「女性は産む機械」発言とは道徳的な問題としての失言に分類され、脱税や収賄のような違法な不正行為でもなければ政策上の失敗でもない。
あの時野党とマスコミは、この道徳上の問題を国会審議をストップさせ参院選の争点にするに十分な問題と定義して、国民のウェットな部分、つまり人情に訴える形で自民党を攻撃した。
「女性は産む機械」発言をかくも徹底的に叩いた野党は非常に人情味にあふれているはずである。
その舌が乾かぬ野党が今度は松岡農相が自殺すると、国民に「それとこれとは別問題」と現実主義的な対応を呼びかけている。今度は国民のドライな部分に訴えているわけだ。
あの時の人情はどこにいったのか。道徳はどうなったのか。
今の野党には一貫性が全く無い。都合の良い時々に論理をすり替え、気付かれなければ儲けものだとしか思っていない。
それもこれも、「政権をとるためなら手段を選ばない」という小沢一郎の小手先の戦術の弊害だ。
前原代表時代、あくまで政策で正々堂々と勝負する理知的な政党だった民主党は、今や歪んだ党利党略だけになってしまった。
そもそも自民と民主には思想でも政策でも大きな違いは無い。それなのにいたずらに争えば左翼に利するだけで国益を損なう。
だから細かい部分では争点はあっても、憲法や教育など国家の根幹に関わる大切な部分では話し合って一緒にやろうという空気があったし、また二大政党制が未だに浸透していない地方では、保守共闘で共産党に対抗する意味からも無駄に争わずに共存してきた。
それが小沢一郎が代表になって、自民党と差別化をはからなければ選挙で埋没するという手段と目的が完全に逆になった理由で違いが無い部分に強引に境界線を引き、今日の目を覆いたくなるような泥沼の抗争が始まった。
元々民主党は自民党だったわけだし政策にほとんど違いが無いのだから、地方の人々には中央の対立に巻き込まれて戦う理由が無い。
それを小沢の命令で戦う事を強制され、選挙では相乗り禁止で必ず対立候補を出し、自民党の政策にはどんなことでもいいから理由をくっつけて足を引っ張らなければならなくなった。今地方の民主党からはこの大義無き戦いに悲鳴が上がっている。
国会でも些細な事で足を引っ張り合うようになった結果、国家百年の計のような長期的な戦略に関わる有意義な議論は何もできなくなってしまった。
この国が百年後も繁栄しているためには何をすべきなのか、そういう建設的な話し合いが全くできずに、ただ昨日今日の些細なスキャンダルで国会が紛糾し、貴重な時間が無駄に消えていく。この国の将来を思うと耐え難い事だが、こんな状況を許しているのは他ならぬ国民なのだ。
そして、こうした下らない足の引っ張り合いの延長線上に、松岡農相の自殺がある。
今一般国民は松岡農相というと「ナントカ還元水」しか知らない。当然だ、マスコミと野党がそのように仕向けたのだから。
誰も彼の政策面での功績を評価しようとしなかった。国会自体があげあしとりばかりで、まともな政策の話は何もできていない。
農業政策の改革という日本の死活問題で大きな成果を上げつつあった優秀な政治家が、足をひっぱられ自殺したのは日本国の将来にとってマイナスでしかないだろう。
今、松岡農相の死が、我々国民が反省し引き返せる最後のポイントだと思う。
政策不在の近視眼的なスキャンダル合戦でこれ以上無意味に疲弊する愚に気付き、泥沼から脱却しなければ日本に未来は無い。
マスコミには、どうして客観的な報道ができないのかと問いたい。あなたがたは民主党の尻馬に乗っているだけではないか。左翼思想と視聴率にしか拘束されていない好き放題の非民主的な団体に、日本を明け渡す事など断じてできない。
民主党の角田義一前参院副議長は、北朝鮮と密接な関係のある団体から献金を受けていたのに、マスコミはこの事実を封殺して自民党だけを叩いている。私にはナントカ還元水よりもこの問題の方がはるかに深刻な問題に思えるが、マスコミにその認識は全く無い。
与党を叩いた方が参院選が白熱して面白いから、無視しているのだろう。
だが断言したい。
どんなにマスコミが肩入れしようと、かくも不誠実な党利党略の策略を続ける限り小沢一郎が後世にまともに名を残す事は絶対に無いし、民主党が政権をとる日も永久にやってこない。
松岡農相の死は、小渕総理の死に続いて小沢一郎のプレッシャーで死んだ犠牲者の二人目とも言えるだろう。
さすがは『壊し屋』だ。
陰険で非道な人間には誰も魅力を感じないし、魅力的でない人間がトップにいる政党が選挙で勝てると思っているなら大間違いだ。
松岡農相の自殺を自民党叩きに利用してやろうなどと寝言を言っている民主党の面々は、そのような発想しかできない自分達に政権をとる資格など無い事をまず自覚すべきだろう。
最後に、松岡農相に心からの冥福をお祈りする。