6月7日 毎日新聞記事
<ドミニカ移民訴訟>請求棄却 国責任認めるも 東京地裁
1950年代に中米のドミニカ共和国へ移住した日本人と遺族ら170人が「『優良農地を無償配分』などとした日本政府の誇大宣伝にだまされ劣悪な環境での生活を強いられた」として、31億円余の賠償を国に求めた訴訟で、東京地裁(金井康雄裁判長)は7日、国の法的義務違反を認めながら、請求権が消滅する除斥期間(20年)が過ぎたとして、請求を棄却した。
日本弁護士連合会が人権侵害と認定するなど「戦後最悪の移民政策」と指摘されたドミニカ移民について、判決が国策の誤りを指摘したことで、国は原告ら移住者救済への対応を迫られる。原告側は控訴する。
移民募集などの事務は外務省傘下の財団法人「日本海外協会連合会」(海協連、現・国際協力機構)が担当。国が「海協連が主体的に募集選考した」と主張したことから、国の関与や賠償責任が最大の争点になった。
判決はまず「当時重要な政策と位置づけていた日本国民の海外移住政策の一環として、外務省と農水省が企画立案し、海協連に指示して実施した」と、移住を国策だったと認定。そのうえで「国は、農業に適した土地を確保するよう配慮する職務上の法的義務を負っていた」と判断。入植地の農業適性や面積、所有権の有無などについて「現地調査や情報提供をする義務を尽くさなかった」と、国家賠償法上の賠償責任を認めた。
しかし、原告の賠償請求権は移住した56~59年に発生したと指摘。「20年間を過ぎた時点で消滅した。除斥期間の適用が著しく正義、公平に反するとは言えない」として訴えを退けた。【高倉友彰】
▽原告・弁護団の話 移住者は文字通り「棄民」であったことがさらに明らかになった。国策だったことに判決は触れたが、控えめな評価しかできない。移住者の無念や苦しみに「時効」はない。判決の不当性は明らかで、ただちに控訴する。
◇ドミニカ移民訴訟=戦後の引き揚げ者対策で56~59年にドミニカ共和国に移住した249家族1319人のうち、現地に残留した141人が、生活苦のため自殺者や他国への再移住者が相次いだのは国の責任などとして00~01年、東京地裁に提訴。01年には61~62年に集団帰国した29人も加わった。1人当たり約350万~3000万円の賠償を請求している。「戦後最悪の移民政策」と言われ、南米など他の国への移民を巡っては同種の訴訟はない。03年に訴訟を支援する超党派の国会議員連盟が発足。小泉純一郎首相は04年3月「不手際を認め、しかるべき対応を考えたい」と参院予算委で答弁していた。
こんばんは、水銀党です。
前回はアゲハチョウのお話で私にしては珍しくほのぼの~♪だったのですが、今日はまたシリアス路線ということでご容赦下さい(笑
上に載せた記事の話題が、実は中学の頃わけあって関心を持っていたものでして。このニュースを見て、久々に思い出しました。
ドミニカ移民問題。ご存じない方のために、まず簡単に説明します。
そもそもの始まりは、第二次大戦後日本本国に引き揚げてきた『復員』にありました。
今でこそ我が国の領土はこの日本列島だけですが、戦前、日本は台湾、朝鮮など広大な海外領土を有し、さらに実質的な日本の影響下にあった中国の満州国、沿岸部大都市の各租界の日本人居留区、これらの土地で多くの日本人が暮らしていました。
これは先日私のコラムコーナーに新しく公開した『満州事変』でも述べましたが、中国に限っても、1931年の段階で25万人を超す日本人居留民が居住しており、これは当時の中国の外国人人口の70%を占めていたといわれております。
第一次大戦後日本が国際連盟委任統治領として譲り受けていた南洋の島々もです。例えば戦時中連合艦隊の本拠地であったトラック環礁には、軍民あわせて四万人の日本人が居住していました。これだけ大勢の日本人が海外に暮らしていただなんて、今では信じられないことですよね。
それが、1945年の敗戦で全て失われてしまったわけです。
戦争では大勢の日本人居留民が亡くなりました。
軍人でない、新天地への夢をもって渡っていった、私達と同じような民間人の人々です。
委任統治領だったサイパンでは、日本人がサトウキビを栽培していましたが、米軍の上陸時にほとんどの島民が犠牲となり、島は壊滅しました。
特に有名なのが満州の悲劇です。
終戦直前にソ連が突如中立条約を破って侵攻し、大勢の日本人居留民が虐殺され、生き延びた人々も多くが極寒のシベリアに抑留されて強制労働に従事させられ、死者は7万とも10万とも言われています。中国残留孤児という悲劇も生まれました。
そして、何とか生き延びて無事に日本に引き揚げることができた人達にも、残念なことに悲劇があったのです。
その一つが、ドミニカ移民です。
日本が海外領土を有していた時間は、決して短くはありません。当然その間に子孫は増えています。
勿論戦争で本国の人口も減っていますが、それ以上に国力が疲弊しています。ですから海外に暮らしていた日本人が戦後大挙して日本本国に引き揚げてきた時、日本政府はその受け入れに窮したのです。
その結果が、このドミニカ移民でした。どんな内容だったかは、記事に書かれている通りです。
私がこの話を初めて知ったきっかけは、意外に思われるかもしれませんが難しい本とかではなくて、漫画でした。
私の中学の図書室には少年マガジンがおいてありましてね。昼休みになると暇潰しによく読んでいました。
丁度GTOやラブひな、それにカメレオンってのもあったな・・・が、現役で連載されていた時代です。
ラブひなとか、第一回から読んでましたからね(苦笑)。当時は「こんなふざけた漫画描いて東大から苦情こないのかな~」なんて思いながら適当に読み流していましたけれど、その後どんどん有名になったのでびっくりです(笑)。ちなみに私は素子さんのファンでした。懐かしいもんです。
とっと・・・話が脱線しましたが、当時私が一番好きだったのは今挙げた三つではなくてですね(笑
ご存知の通り、私は食べ物好き、特に寿司には目が無いもんで、一番好きでかかさず読んでたのは、なんといっても『将太の寿司』でした。
最近ドラマ化された『食いタン』(知り合いのサイトのレビューです)で有名な寺沢大介先生の作品ですね。
まあ基本的には「定期的な料理対決+料理で何でも解決する」っていう、美味しんぼに代表される料理漫画のお約束を地で行く話でして、審査員のリアクションは寺沢先生お得意のギャグ満載で笑えました。
寿司を食べた審査員があまりの美味しさに⊂二二二( ^ω^)二⊃ブーンって空を飛んだり★
まあ最近の『焼きたてじゃパン』よりはましですがね(爆
でも、寺沢作品の割には、ギャグが少なくて真面目に書かれた話でした。
寿司に関しても真剣に研究してくれてて、『鉄鍋のジャン』とかの滅茶苦茶料理にうんざりしている私には嬉しい漫画でしたね。
さて、前置きが長くなりましたけど、その『将太の寿司』で、このドミニカの話がでてきたんです。
主人公の将太の前に、一人の老女が現れます。
彼女が、このドミニカ移民の生き残りなんですね。
中学一年だった私は、この問題に関する知識は皆無で、漫画を読んで愕然となりました。その時の強い印象が、今でも残っているぐらいです。
まるで『地上の楽園』みたいな言われ方をされてわくわくしながらドミニカにたどり着いた移民団。当時少女だったその女の子の家族の温かい団欒、恋人の男の子の話などがまったりと描かれています。
ところが、ドミニカに着くと。
漫画の2ページ使って赤茶けてひび割れた不毛の大地がばーんと出てくるんですね。地獄のような荒涼とした光景。
そこに立ち尽くす人々。大人の男の人が叫びます。
「俺たちは捨てられたんだ。日本政府に・・日本という国に捨てられたんだ!」って。
この辺の台詞回しは寺沢大介先生が場を盛り上げるためにお得意とするものですが、当時の私はまだオタクじゃなかったので(笑)そんなことは知りません。
その漫画の中の「日本に捨てられた」というフレーズが、頭に焼き付いて今でも離れません。
勿論、寿司の漫画ですから本題はあくまで寿司なわけでして、その後はお約束な展開です。
移民団の中で、その後疫病が流行り人々はどんどん死んでいきます。少女の家族も。そんな中、絶望しそうになった少女を励ますために、恋人が故郷の味、鯖寿司を作ってくれるんです。でも、それからその恋人も疫病で死んでしまって・・・
その時食べた鯖寿司の味が忘れられないというのが、その回の将太への依頼でした。
こういう『あの時の味をもう一度』は料理漫画ネタの重要な柱の一つでして、美味しんぼでもよく出てきます。
実際には、『思い出の味』というのは記憶の中で美化されがちですから、再現は難しいんですけどね。
また脱線しますがこの系列で私が一番感動したのが『大使閣下の料理人』のハンバーガーです。
ヴェトナム戦争中に捕虜になった米兵が、どうせ拷問されて殺されるならと自殺しようとするのを、現地のヴェトナム人の少女に止められるんですね。
それで「死ぬ前にハンバーガーが食べたい」と言うと、その子がハンバーガーを作ってくれるんですよ。それで「生きて下さい。希望を捨てないで下さい」と。
生き残った米兵は数十年後、駐ヴェトナム米国大使として赴任して、それで後はお約束です。主人公の料理人に「あの時のハンバーガーがもう一度食べたい」と言って主人公が味の再現ができなくて困っていると、成長したその少女が厨房にこっそり隠し味のタケノコ(これをピクルス代わりに使うんです。ちなみにハンバーガーには川エビが入ってます)を置いていくんです。
大使がそれを食べるとバックにあの時の少女の笑顔と『生きて下さい』という文字がばーんと浮かんで大使は涙を流す。そこで料理人が、誰かが厨房にタケノコを置いていったんだと言って、女の人を大使が追いかけて、最後は二人が結婚してハッピーエンド♪
高校時代、予備校さぼってコンビニで立ち読みしたんですが(笑)、あれは感動しました。
似たもので有名なのが美味しんぼのアップルパイの話ですが、それよりも私はこのハンバーガーの話の方が好きです。
このハンバーガーに較べると、『将太の寿司』の鯖寿司の話は救いが無いんですよね。何しろ恋人はもう死んでしまっていますから、どんなに頑張って料理が再現されようとそれで完結、感動の再会がありません。
この『将太の寿司』の『思い出の料理』ネタは、作ってくれた人が死んでしまっているケースがほとんどなんですね、私の読んだ限り。それが寺沢先生の好みなんでしょうか。
結局、「チーズのような味だった」という老女の証言を元に将太が南米の食材から鯖寿司の代用になりそうなものを探した結果、確か私の記憶では正体はナマズだったと思います。私もこの辺は曖昧なので、違ってたらご指摘を(苦笑
そんな寿司の話よりも、私の記憶に何よりも鮮烈に残ったのは、「日本に捨てられた」という、名前も無いキャラの悲痛な叫びでした。
皆さんは、「国に捨てられる」ということが、どういうことか実感できるでしょうか。
私にもできないでしょう。私達は、日本人でいることを当たり前のこととして生きていますから。
信じられなかったのが、戦後の日本政府が、同じ日本人に対してこんな惨い仕打ちをしたのか、ということでした。
学校の歴史の授業では教えてくれません。社会科の先生でも、この問題に興味がある人はほとんどいませんでした。
これって偏見かもしれませんが、社会科の教師って基本的に左翼が多いですよね。
日教組なんていわずと知れた左翼の牙城ですし。
それなのに、こんな重大な人権侵害問題を知らないのです、先生方は。
だから自分で調べました。
私はよく感じることですが、この国の戦後生まれの人の多くが、すごい勘違いをされてるんですね。
皆さん、日本という国が戦前と戦後でジキルとハイドみたく人格が豹変したとでも思ってませんか?
つまり、戦前・戦時中の日本は軍事独裁天皇万歳の全て悪でキ○ガイで侵略者の、そうですね、まるで今の北朝鮮のような国で、戦後になって急に良い国になったと。
学校でも先生方そういう教え方をしますし、そう勘違いしてる人多いですね。
冷静に考えてみてください。
人間が、そんなころっと180度変われるはずがないじゃないですか。
表面的なものが変わっても、何も変わっていませんよ。日本の本質は。
良くも、悪くも、です。
そこを見落としているから、日本が戦前や戦時中にやった悪事にはあれだけうるさい左翼の人たちが、終戦直後に起きたこのことについては、よほどマニアックな人を除いてほとんどノータッチなんだと思います。
従軍慰安婦や靖国にはあれだけ執着するマスコミも、この問題は裁判が起こるまで大々的に報道しない。
裁判を起こした人たちは、お金が欲しいというよりも、ドミニカで何があったか、私達に知ってほしかったから裁判を起こしたのではないでしょうか。
当時の政府も、悪意があっての移民政策ではなかったのでしょう。恐らく、他に受け入れ先が無いから、仕方なく、状況に流されて、ドミニカに人々を送ったのだと思います。
困ったことに、いつの時代も日本人というものは、悪意無しに『流されて』とんでもないことをやるのです。
そこが『計画的に』ユダヤ人を虐殺したナチスや、カルタゴを根絶やしにしたローマとの違いでしょうか。
日本人はヨーロッパ民族と違って、そこまで『継続的』で『冷静、冷徹』な残酷さは持っていません。
あの南京虐殺にしても、詳しくはここでは述べませんが、中国を占領していく中で便衣兵(民間人に偽装した中国兵、今でいうとイラクで流行の『テロリスト』ですね。ヴェトナムやイラクでも同じことが起きています)のテロ攻撃で大量の犠牲を出しストレスが爆発寸前まで溜まっていた日本軍が、南京に入城してまた便衣兵に背後からやられた、犯人が民間人の中に潜んでいて見分けがつかない→みんな便衣兵に見える→もう限界だ殺してしまえ、の結果だといいます(私は左翼では無いですが、南京虐殺そのものを否定するほどわからず屋さんではないです)。
ちなみに国際法は、民間人の殺傷を禁じる代わりに、それを悪用した便衣兵も厳しく禁じてます。日本の弁護側は東京裁判で南京虐殺が取り上げられた時にこの点を指摘し「先に国際法に違反したのは中国側だ」と抗弁しましたが、「当裁判は日本を裁く裁判であって連合国側を裁くものではない」と相手にされませんでした。この問題は難しいですね。
ここで私が申し上げたいのは、この「流される」日本人の国民性です。
日本は最初から「中国人を虐殺しよう」と計画して中国に派兵したわけではありません。その点でナチスとは違う。
日中戦争中、東京三宅坂上の帝国陸軍参謀本部の門柱には『五族協和』、『日満支善隣の結合へ』、『東洋道義文化の再建へ』と大書されていました。
決して建前だけでなく、本気でこの理想を信じていた上層部の軍人は数多く、思想家としても名高い石原莞爾などは、満州国がいずれは『東洋のアメリカ』になると考えていたそうです。つまり、日本をイギリスに例えたわけですね。
日本という小さな島国は、どんなに頑張っても限界が見えている。ならば満州という新しい大国を作って、そこに日本の夢を託そうと。理想自体は、決して悪くはないでしょう(もっとも理想の下敷きにされるネイティブアメリカン・・・この場合は中国人、にはたまったものではないでしょうが)
理想と、現実のギャップ。
なんにせよ、この「流されて」とんでもないことをする日本人の困った国民性は、私に言わせれば今でも変わらない。
このドミニカの移民問題にしたところで、程度こそ違え今の官僚だって似たことは平気でやりますよね、困ったら。
この将太の寿司の『ドミニカの鯖寿司(勝手に呼称)』は、私のその後の創作活動にも大きな影響を与えました。
中国の内戦や、温暖化による島嶼国の水没で難民が大量に流入して、対応に窮した未来の日本。
日本政府は難民を金星の植民地に強制移住させることを決定し、そして難民をなだめすかします。
「金星はテラフォーミングが進んでいて緑が豊かな素晴らしい土地だ。開拓した土地は無償で君たちに与えよう。金星に君たちの独立国をつくることを認めよう」
しかし、宇宙船で着いた金星は不毛の大地。
飢えと病に侵されて移民団は壊滅します。
ある少女は家族を失い、「私達は日本に捨てられた」と日本を憎み復讐を誓い、やがて『組織』に拾われて、工作員となる・・・・・
ネタばれになってしまいますが、これは私の小説の中で実際にある設定です。『将太の寿司』を読んだ時から、ずっと暖めてきたプランでして。いずれ使うつもりです。
そうでなくてもドミニカ移民の前後の世界観は、私の小説では多分に引用されていますね。ELDER SISTERで〈レギオン〉に追われて外太陽系の在留邦人が内地に引き揚げてくる際にも、描写こそあまりしませんが似たような出来事が起きていると設定しています。
歴史上実際にあった悲劇をフィクションにするのは確かに抵抗があります。
しかし、それを読んだ人が、普段はあまり関心の無い歴史について、少しでも親近感を持ってくれる一助になるのなら、フィクションにしても罰は当たらないと思っています。
最後に余談ですが、ドミニカ移民の影響を受けていると思われる有名なライトノベルで橋本紡先生の『バトルシップガール』がありますね。
第二話で主人公たちに敵対するクォートという国家の生い立ちが書かれているのですが、ドミニカの話ととてもよく似ています。
考え方は人それぞれでしょうが、私がどんなことをテーマに小説を書いているのかなんとなくでも掴んで頂ければ幸いですね。
それでは、次回はもう少しさっぱりしていて明るい話題を♪(笑