水銀党本部執務室

冬月のブログです。水銀党本部の活動や、政治社会問題、日常の中で感じた事など様々なテーマで不定期に更新されております。

★プラネタリウム★

2006-06-30 01:27:25 | Weblog
どうもこんばんわ♪haruです。
この画像は水銀党さんにプレゼントで(笑
相変わらず塗りが適当だとか~、言わない方向でお願いします♪

今日はちょっと乙女な(?話題で★

haruは、プラネタリウムが好きです。
大体半年に一度くらいは行きます。本当はもっと行きたいのですが・・(TдT)
小・中学校と住んでいた地域に科学館がありまして、あの頃は良く行きました♪
謎の実験の数々に本気になり過ぎて気持ち悪くなったり(笑
意外と体力勝負の実験多いですよね、科学館って。
先日は久しぶりにその科学館に行ってきました♪

最後にプラネタリウムに行ったのは去年のクリスマスで、その時は特別企画とかで「サンタさんを探せ~」って何だかアニメ調で(汗
星がまともに見れなかったんです。
だから今回は本当に久々でした♪♪

プラネタリウムは時間を忘れて、自分が凄く小さく感じて不思議な気持ちになります。
アナウンスに従って東の空~・西の空~って見るのも好きです(笑
星座を考えた人なんて素敵な感性ですよね~♪ただもう感心するばかりです。
そして「プラネタリウム」は、BUMPの歌にもありまして・・
手作りの投影機で自分の部屋をプラネタリウムにして、でも一つだけ実際にはないはずの星を作るんです。その星に大切な人の名前をつけるのですね。
haruは普段音楽を聴いていてもあまり歌詞カードは読まないのですが、この歌は聞いている内に自然と歌詞を読んでいました。

四畳半の片隅にはここにしかない星がある
傷つかず傷つけないままで 君をついに閉じ込めた

近づいた分遠ざけてて 触れる事は諦めてた
背伸びしたら 驚くほど容易く触れてしまった

やめとけばよかった 当たり前だけど本当に届いてしまった
この星は君じゃない 僕の夢 本当に届くわけない光
でも消えてくれない光

星空からはこんなに素敵な歌も生まれるんだなぁって思ったのを覚えています♪
距離が縮まると傷つけ合ってしまう事もあるけれど、それでも近くにいたいって思う事もありますよね。
届かない気持ちなのは頭で理解してても、割り切れない事もある。
凄く純粋な気持ちを星に当てはめた綺麗な歌です。
それからはもっとプラネタリウムが好きになりました★

いつかは部屋に星空投影用の機械が欲しいのですが、今は万華鏡サイズの覗くとプチ星空が見えるやつで我慢してます(笑
でも充分綺麗で、寝る前とか本当に癒されます♪

・・で、先日のお話に戻りますが。

実は・・haruが遅刻したせいで見れなかったんですよ~(涙
とりあえず中学生に混じって実験体験してきました。
走ったり~風に飛ばされたり~とにかく漕いだり・・地震体験とか。
久しぶりにいい運動になった・・という事で友人にも許してもらいつつ(汗
七夕も近いですから、これからも夜空が楽しみです★

怪我の功名

2006-06-28 12:53:10 | Weblog

こんにちは、水銀党です。
今回は、少し心温まるエピソードを。

なんとかは風邪引かないといいますが私でも身体を壊すことはあるようで、先週は体調が悪くて、大学の第二外国語で履修しているフランス語の授業を休んでしまいました。
初めて欠席してしまいました。ちょっぴりショック(涙。
いや、お察しのとおり私不真面目な大学生ですから授業さぼるなんて日常茶飯事なんですけど(マテ)、このフランス語の授業だけは休んだことなかったんですよ。

休まないようにしてたのは、そもそも私、幼稚園から高校までフランス人が建校したミッションスクールに通って一応フランス語はやってたので、大学に入った時は新しいものにチャレンジしようと二外中国語を選択してたんですが、どうもシノワは性に合わなかったようで二年連続で単位落としちゃいましてね、テヘヘ(←テヘヘじゃねえだろ、テヘヘじゃ)。
もう一回落とすと留年確定なので、本当は規則でできないことになってるんですが大学の学事センターに圧力をかけて(留年したらお前らの責任だ呪ってやると恫喝した)特例で今年からフランス語に語種変更したんですよ。だからふざけずにまじめに出てたんです。

中国語では惨敗しても、母校で既習しているフランス語でなら、私だって十分戦えるはずだと★そう、まるで地上での敗色が濃くなってきたので戦い慣れた宇宙に戦略的撤退を図るジオンのスペースノイドのようにね(ここでいきなりガンダムネタです)

「悔しいが認めざるをえん。地上ではもう俺たちの負けだ。だが宇宙なら!俺達が戦い慣れた宇宙でなら、俺たちはまだ連邦に勝てるはずだ!」by08小隊のユーリ・ケラーネ(←英雄の名言を冒涜するな

それに、私は母校では英語を選択こそしましたが、フランスとフランス語を愛していますから♪
私の家はフランス菓子とフランス料理とフランスワインを扱う仕事で、私もフランスへの渡航経験が多く、リヨンにはフランス人の幼馴染がいるくらいですし(笑。

何より、フランス語の発音は美しい。
あの深みがあって芸術的な旋律を聴いていると、シャンゼリゼの雑踏に大道芸人のアコーディオンの音や、ロワールの霧の中に聳える苔生した古城の光景や、ブルゴーニュのワインと葡萄畑のテロワールの香りが脳裏によみがえります♪(うっとり)

そんなわけで大好きなフランス語の授業なんですが、とうとう休んでしまって・・・(涙
haruさんにばれたらど~しよ~また怒られるよ~(←そっちかい


後、私が休みたくない理由はまだあって、このフランス語のクラスに私の知り合い一人もいないんですよ。私今年からフランス語やってるわけですから、一年生と同じ授業受けてるわけで。
周りは二歳も年下の今年入ってきた新入生ばかり。もうね、まぶしいですね、ああっ私も昔はこんなに輝いてたんだなあと。女の子たちなんかね、きゃぴきゃぴ言ってるんですよ、きゃぴきゃぴ。
話題とかもう全然世代が断絶しているようでしゃべってる内容謎ですし、心なしか段々違う民族なのではないかと思えてくるのは私の被害妄想でしょうか。
ただでさえ同年代の中でも老けて見えるといわれていた私は、もはや完全にオジサン(涙。

彼らの会話に入っていけるわけもなく、人見知り状態です。

本来の私をよく知る友人達が、このクラスでの私を見たら爆笑するでしょうね。
高校時代やアニ研ではそれこそ涼宮ハルヒを男にしたようなめちゃくちゃっぷりを発揮していたこの私が、もうまるで綾波レイみたいですから。

クラスメートから声をかけられることがたまにあっても、返事の語彙は「はい」か「いいえ」か「・・・・・」。
当然無表情はお約束
先生に質問された時だけすらすら返事をして、先生から褒められた時だけ笑う。
注意:うちのフランス語講師は碇ゲンドウではありません

あーあ、これがもしもゲームだったら、ツンデレ系美少女が私のことを放っとけずに色々勝手に付きまとって世話を焼いてくれるはずなんですが・・・・・(それなんてエ○ゲー?
ま、どっちにしろ私はツンデレルートは攻略しないけどね!!

 とまあそんな二次元世界に浸りきった勘違い妄想はおいといて、さしあたってこのクラスで一番困るのは、知り合いがいないので情報交換したり一緒に勉強したりできる協力者がいないこと。 
休んでる間にどれだけ授業が進んだかもわからずに、しょんぼりしながら週明けの授業に出てみたら、最悪なことに私が休んだ日に宿題が出されていたらしく、先生がその回収をしているではありませんか!

先生「・・・・・レイ、宿題はどうした」

私「・・・・・」

先生「お前には失望した。帰れ!」

・・・って、いつから私のキャラは冬月から綾波になったんだぁ!!
えー、今のはNGです、実際には先生はゲンドウキャラじゃなくてもっと親切ですし、先週私が休んだのを覚えていて、

先生「すまんなあ。友達から聞かなかったのかい?」

私「・・・・・友達、いないですから」

一般人の先生に対して一人だけ綾波系を演じて会話する私。
この時、私の前に座っている子が「ぴくっ」と反応してこっちを振り返ったのですが、まあ無視する方向で。

先生「ははは・・・まあ学年違うしなあ・・・しょうがないかなあ(苦笑)」

私の言葉に気圧されて弱々しく笑いながら逃げるように去っていく先生。
何事も無かったかのように眼鏡を指でくいっと押し上げて(私は大学では変装のために眼鏡をかけてます)教科書に目を落とす私。
これではどちらが宿題を忘れた生徒かわかったものではありません。先生可哀相過ぎます。

・・・・・さて。

ここまで読んで、私が例によって例の如く意味の無い話をダラダラとしていると思ってるそこの君ィ!(ギュピーン!)

くっくっく・・・甘いわ、まるで甘い!(ザザザッ!)
この長い説明は、すべてこれから起こる事件の導入に過ぎなかったのだぁ!!(ゴゴゴゴゴ・・・←すみません、ジョジョの影響です

 

いや、これ以上もったいぶると長文が苦手なモスト君辺りから鉄拳制裁食らいそうなのでそろそろ本題に入りますが、何があったかというとですね。

そんなこんなで授業が終わり、私がいつも通り立ち上がって教室を出ようとしたら、呼び止められたんですよ。
あの時私の前に座ってた子と、その子の仲の良い友達らしき数名に。
ちなみに私はその人とは偶然毎回席が前後するのですが、会話をするのはこれが初めてでした。
何の用かな、まさかオヤジ狩りかと身構えながら黙って聞いていたら、メールアドレスを教えて下さいませんか、私達のも教えますからって言うんです。
どうもさっきの先生との会話での私の一言を気にしてくれたようで、休んだ時に授業で何をやったかとか宿題の有無などを伝えたいんだけれど、先輩の連絡先を知らないから伝えられないではないかと不満そうに言われてしまいました。

しかし・・・よくわかりません。
何故私なんかにそんな話を?この人たちは別に私に情報を提供しても何の利益も無いだろうに。

それを尋ねると、なんだか叱られてしまいました。
「だってクラスメートじゃないですか」、と。

これには私も驚きました。
私も大学というものに入ってからもう三年になりますが、大学は高校とは違って人間的な繋がりは希薄な場所なんですよ。
決まった教室もありませんしクラスも編成だけで結びつきも無いですし。
常識として、サークルなどで知り合った人間以外とは会話すらしないもんだと思っていたのですが、まさかこんな親切な人達がいたとは。
大学というところも、そう悪い場所ではないですね(笑。

私は運命という考えを重んじております。
私が初めて授業を休んだ、その事象にでさえ意味があるのなら。
もし私が風邪で授業を休んでいなかったら、この人達と会話をすることは決してなかったでしょう。

それを考えると、前回休んでしまったのも、そんなに悪くは無かったと思います♪

もっとも、次回からはもう絶対に休みませんけどね(苦笑。
単位無くしたくないですし、それにせっかくクラスの人とお話ができるようになりましたから。
 


お気に入りの場所

2006-06-26 09:54:00 | Weblog
水銀党です。
先日haruさんのライブの話をうかがった時に、何かに夢中になれるのは羨ましいことだと思いました。
あれから、私が夢中になれるものはなんだろうと、そんなことを考えてみました。


私が夢中になれるものといったらそうですねえ・・・えー、やっぱり金儲けと酒でしょうか(オイ

まあここで身も蓋も無い株の話をするのもなんですから、後者のお酒の話を。

私が世の中で一番好きな場所はバーなんですよ。一番居心地が良い(笑。

私がこういう人間になったきっかけ、私の少年時代の中で今も忘れられない思い出があります。

小学一年生の頃、家族で鳥羽に行きましてね。夜、父にホテルのバーに連れて行ってもらったんです。
当時まだ酒を飲ましてもらえなかった私はそこでオレンジジュースを頼んだんですよ。
そうしたらそこのバーテンのいかした兄さんがね、普通はオレンジジュースなんて既製品注いで出すものでしょうに、何やら数種類の黄色いリキュール(?子どもの私には薬に見えました)を取り出してシェイカーで振り出しましてね。
「どうぞ、オレンジの果汁を一滴も使っておりませんがオレンジジュースです(笑)」って★

おっかなびっくり飲んでみたら不思議なことに、本当にオレンジの味がするんですね。

今でも、目を閉じるとあの光景と、味が鮮烈に甦ります。あれは魔法でした。

バーという空間は、決してお酒を飲むだけの場所では無いんですね。
それ以外の、エンターテイメントといいましょうか、もっと奥深いものを味わう場所ではないかと思うんです。


話は変わりますが、カンパリというイタリアのリキュールがありますよね。
鮮やかな赤色をしていて、日本ではソーダやオレンジジュースで割ってカクテルにして飲む。
あれ、イタリアに行くと、リキュールとしてではなく、あの原液をそのままストレートで飲むんですよ、アペリティーボとして。

苦いですよ~(笑)フィレンツェで初めて飲んだ時は、口中が苦くて前菜の味もわからなくなってしまったぐらい★

最近知ったんですが、あのカンパリの原料は虫なんですね。
詳しい製法はコカ・コーラと同じで秘密らしいんですが、なんでも中南米でサボテンの裏側にくっついているカイガラムシのような赤い虫を集めて、それを乾燥させるとか。カンパリのあの赤い色は、そこからできてるんですよ。

まあそんなわけで苦いし原料は虫なわけだし、ひでえ飲み物だな~と思っていたのですが。

先日友人を連れて新宿のいきつけのバーに行った時、なんだかそれこそ『苦虫を噛み潰』したい気分だったので、カンパリで何か作ってくれとバーテンに頼んだんです。
そしたらそのバーテンさん、カンパリに何か混ぜるわけでもなく、ただカンパリだけを氷を少量入れてシェイカーで振り出しまして。それをカクテルグラスに注いで出してきたんですね。
あれれ、これじゃ原液じゃないかと思いながら飲んでみたら、不思議なことに。

苦さが取れて甘くまろやかになってるんですよ、カンパリが。
カンパリ以外何も混ぜていないというのに。

シェヘラート、というんだそうです。
ただシェイクするだけでこんなにカンパリの味が変わるなんて、面白いですよね★

次に行く時、また新しい発見ができたらいいなと思える楽しみがあるから、私は昔も今も、バーが好きなんです。

ハレ晴レユカイ

2006-06-24 16:24:20 | Weblog

どうも、ここのところ更新停滞の常習犯となりつつある水銀党です。

なんか18日にharuさんが書いて下さった記事へのコメントで近いうちに自分も書きます~みたいな約束をしておきながら、気がついたらなんと!こんなに日にちがたっている!

薔薇「・・・今になって気付いたふりをしないで下さい」

うわっ、更新が久しぶりすぎて薔薇水晶のツッコミも懐かしい!何もかもが懐かしい・・・

薔薇「・・・・・それ沖田艦長の真似のつもりですか?その台詞を言ったからにはあなたも今ここでお亡くなりになりたいのですか?(ローズクオーツで剣を練り上げながら)」

NOー!!!
ま、待ってくれ、話を聞いてくれ。私にはこの数日間、どうしてもやらなければならないことがあったんだ!

薔薇「どうせロクなことじゃないのでしょうが・・・ここで殺すと話が終わってしまうので一応聞きましょう。なんです、大切なブログの更新をさぼってまでやらなければならなかったこととは?」


おお、よくぞ聞いてくれた!

実は、踊りの練習をしなければならなかったものでね。


薔薇「・・・・・・・・・」

ハルヒだよ!『涼宮ハルヒの憂鬱』
23日に審議会の仲間を集めた恒例の飲み会があってさ、そのカラオケでみんなで踊るために、前もって振り付けを練習してたんだよ。あ、勿論私はハルヒ役ね♪

薔薇「・・・・・・もはや呆れてものも言えませんが・・・まあローゼンメイデンの見すぎで水銀党なんて組織をつくる人です、何をやってもおかしくはないですよね・・・・・楽しかったですか、飲み会は?」

ああ、それなりにね♪今回は久々に全員集合で盛り上がったし。前回に引き続きカメきちも来たし★
まあ場所が蛯沢先生の都合で秋葉原に限定されてるのがちょっとあれだけど、それでも良い店見つけるのが幹事の技量ですから、例の再開発計画で新しく建った駅のアトレヴィに入ったワインダイニングを見つけたよ。
ハモン・セラーノが吊るしてあったり、モロッコやギリシャの珍しいワインが飲めて中々GOODだった。
後どうでもいいけど、蛯沢先生のイタ車がネット上に晒されてる件について

薔薇「痛いですね、心も、身体も・・・・・・」

この日の結論として、とにかくハルヒ最高!フルメタも素晴らしかったけど、京都アニメーションはほんと神だよ!

薔薇「・・・・・・まあそりゃあ、ツンデレとドジっ子に綾波系までぶち込めば人気が出るわけですよね。作者はきっと商業主義者に違いありません

相変らずの辛口で(汗

さぁて、飲み会も無事に終わったことだし、ブログがんがん更新していくぞー!!

薔薇「まともなネタで更新して下さいよ、頼むから・・・・・」


夢の贈りもの★haru

2006-06-18 02:11:14 | Weblog
どうもこんばんわ♪最近更新が停滞気味で申し訳ないharuです。
というか何だかあっという間に6月も中旬なのですよね・・。
そのうち普通にクリスマスが来るのでは・・という危機感が(汗
そして何と言っても梅雨です。
雨は嫌いではないのですが、じめじめだけは毎年辛いです。
電車の中には謎の虫が沢山生息してますし・・常に怯えながら乗ってます。
もし電車で挙動不審な人を見かけたらharuかもですね!(笑

そんな中(?先日は、知り合いのライブを見に新宿に行ってきました~♪
インディーズバンドで、CDを自分達で作って売ってるのです。
最近何度か遊びに行かせて貰っていたのですが、今回は何と招待していただいて・・感謝の気持ちでいっぱいです(T□T)
もちろん常に最前列確保で、とても楽しませていただきました★

男性4人組のバンドで、結成は6年くらい前だったと思います。
地道にライブ活動を重ねていて、途中でメンバーの方が抜けてしまってライブが出来ない時期があったり・・とても苦労されているようでした。
でも、迫力のある演奏と歌声が最大の魅力で♪知り合いだからという事ではなく、本当に素敵なんですよ♪
力強い歌声に乗った歌詞が、また感動するんです。


人より勝るものはないけど「この絆」だけは誇りだから


一緒に行った友人は泣いていましたし、お客さんも地方から集まったお友達が多かったようで、その場の空気がとても暖かく感じました。
頑張って夢を追いかけている人には、人を惹き付ける特別な力があるのですね。
haruも何か夢を見つけられたらなと、自然と思う事が出来た日でした★

ドミニカの鯖寿司

2006-06-09 22:03:33 | Weblog

6月7日 毎日新聞記事

<ドミニカ移民訴訟>請求棄却 国責任認めるも 東京地裁 

1950年代に中米のドミニカ共和国へ移住した日本人と遺族ら170人が「『優良農地を無償配分』などとした日本政府の誇大宣伝にだまされ劣悪な環境での生活を強いられた」として、31億円余の賠償を国に求めた訴訟で、東京地裁(金井康雄裁判長)は7日、国の法的義務違反を認めながら、請求権が消滅する除斥期間(20年)が過ぎたとして、請求を棄却した。
日本弁護士連合会が人権侵害と認定するなど「戦後最悪の移民政策」と指摘されたドミニカ移民について、判決が国策の誤りを指摘したことで、国は原告ら移住者救済への対応を迫られる。原告側は控訴する。
 移民募集などの事務は外務省傘下の財団法人「日本海外協会連合会」(海協連、現・国際協力機構)が担当。国が「海協連が主体的に募集選考した」と主張したことから、国の関与や賠償責任が最大の争点になった。
 判決はまず「当時重要な政策と位置づけていた日本国民の海外移住政策の一環として、外務省と農水省が企画立案し、海協連に指示して実施した」と、移住を国策だったと認定。そのうえで「国は、農業に適した土地を確保するよう配慮する職務上の法的義務を負っていた」と判断。入植地の農業適性や面積、所有権の有無などについて「現地調査や情報提供をする義務を尽くさなかった」と、国家賠償法上の賠償責任を認めた。
 しかし、原告の賠償請求権は移住した56~59年に発生したと指摘。「20年間を過ぎた時点で消滅した。除斥期間の適用が著しく正義、公平に反するとは言えない」として訴えを退けた。【高倉友彰】
 ▽原告・弁護団の話 移住者は文字通り「棄民」であったことがさらに明らかになった。国策だったことに判決は触れたが、控えめな評価しかできない。移住者の無念や苦しみに「時効」はない。判決の不当性は明らかで、ただちに控訴する。
 ◇ドミニカ移民訴訟=戦後の引き揚げ者対策で56~59年にドミニカ共和国に移住した249家族1319人のうち、現地に残留した141人が、生活苦のため自殺者や他国への再移住者が相次いだのは国の責任などとして00~01年、東京地裁に提訴。01年には61~62年に集団帰国した29人も加わった。1人当たり約350万~3000万円の賠償を請求している。「戦後最悪の移民政策」と言われ、南米など他の国への移民を巡っては同種の訴訟はない。03年に訴訟を支援する超党派の国会議員連盟が発足。小泉純一郎首相は04年3月「不手際を認め、しかるべき対応を考えたい」と参院予算委で答弁していた。

 

こんばんは、水銀党です。
前回はアゲハチョウのお話で私にしては珍しくほのぼの~♪だったのですが、今日はまたシリアス路線ということでご容赦下さい(笑

上に載せた記事の話題が、実は中学の頃わけあって関心を持っていたものでして。このニュースを見て、久々に思い出しました。

ドミニカ移民問題。ご存じない方のために、まず簡単に説明します。
そもそもの始まりは、第二次大戦後日本本国に引き揚げてきた『復員』にありました。
今でこそ我が国の領土はこの日本列島だけですが、戦前、日本は台湾、朝鮮など広大な海外領土を有し、さらに実質的な日本の影響下にあった中国の満州国、沿岸部大都市の各租界の日本人居留区、これらの土地で多くの日本人が暮らしていました。
これは先日私のコラムコーナーに新しく公開した『満州事変』でも述べましたが、中国に限っても、1931年の段階で25万人を超す日本人居留民が居住しており、これは当時の中国の外国人人口の70%を占めていたといわれております。
第一次大戦後日本が国際連盟委任統治領として譲り受けていた南洋の島々もです。例えば戦時中連合艦隊の本拠地であったトラック環礁には、軍民あわせて四万人の日本人が居住していました。これだけ大勢の日本人が海外に暮らしていただなんて、今では信じられないことですよね。
それが、1945年の敗戦で全て失われてしまったわけです。
戦争では大勢の日本人居留民が亡くなりました。
軍人でない、新天地への夢をもって渡っていった、私達と同じような民間人の人々です。
委任統治領だったサイパンでは、日本人がサトウキビを栽培していましたが、米軍の上陸時にほとんどの島民が犠牲となり、島は壊滅しました。
特に有名なのが満州の悲劇です。
終戦直前にソ連が突如中立条約を破って侵攻し、大勢の日本人居留民が虐殺され、生き延びた人々も多くが極寒のシベリアに抑留されて強制労働に従事させられ、死者は7万とも10万とも言われています。中国残留孤児という悲劇も生まれました。

そして、何とか生き延びて無事に日本に引き揚げることができた人達にも、残念なことに悲劇があったのです。
その一つが、ドミニカ移民です。

日本が海外領土を有していた時間は、決して短くはありません。当然その間に子孫は増えています。
勿論戦争で本国の人口も減っていますが、それ以上に国力が疲弊しています。ですから海外に暮らしていた日本人が戦後大挙して日本本国に引き揚げてきた時、日本政府はその受け入れに窮したのです。
その結果が、このドミニカ移民でした。どんな内容だったかは、記事に書かれている通りです。

私がこの話を初めて知ったきっかけは、意外に思われるかもしれませんが難しい本とかではなくて、漫画でした。
私の中学の図書室には少年マガジンがおいてありましてね。昼休みになると暇潰しによく読んでいました。
丁度GTOやラブひな、それにカメレオンってのもあったな・・・が、現役で連載されていた時代です。
ラブひなとか、第一回から読んでましたからね(苦笑)。当時は「こんなふざけた漫画描いて東大から苦情こないのかな~」なんて思いながら適当に読み流していましたけれど、その後どんどん有名になったのでびっくりです(笑)。ちなみに私は素子さんのファンでした。懐かしいもんです。
とっと・・・話が脱線しましたが、当時私が一番好きだったのは今挙げた三つではなくてですね(笑

ご存知の通り、私は食べ物好き、特に寿司には目が無いもんで、一番好きでかかさず読んでたのは、なんといっても将太の寿司』でした。

最近ドラマ化された『食いタン(知り合いのサイトのレビューです)で有名な寺沢大介先生の作品ですね。
まあ基本的には「定期的な料理対決+料理で何でも解決する」っていう、美味しんぼに代表される料理漫画のお約束を地で行く話でして、審査員のリアクションは寺沢先生お得意のギャグ満載で笑えました。
寿司を食べた審査員があまりの美味しさに⊂二二二( ^ω^)二⊃ブーンって空を飛んだり★
まあ最近の『焼きたてじゃパン』よりはましですがね(爆

でも、寺沢作品の割には、ギャグが少なくて真面目に書かれた話でした。
寿司に関しても真剣に研究してくれてて、『鉄鍋のジャン』とかの滅茶苦茶料理にうんざりしている私には嬉しい漫画でしたね。

さて、前置きが長くなりましたけど、その『将太の寿司』で、このドミニカの話がでてきたんです。

主人公の将太の前に、一人の老女が現れます。
彼女が、このドミニカ移民の生き残りなんですね。
中学一年だった私は、この問題に関する知識は皆無で、漫画を読んで愕然となりました。その時の強い印象が、今でも残っているぐらいです。

まるで『地上の楽園』みたいな言われ方をされてわくわくしながらドミニカにたどり着いた移民団。当時少女だったその女の子の家族の温かい団欒、恋人の男の子の話などがまったりと描かれています。
ところが、ドミニカに着くと。
漫画の2ページ使って赤茶けてひび割れた不毛の大地がばーんと出てくるんですね。地獄のような荒涼とした光景。
そこに立ち尽くす人々。大人の男の人が叫びます。
「俺たちは捨てられたんだ。日本政府に・・日本という国に捨てられたんだ!」って。
この辺の台詞回しは寺沢大介先生が場を盛り上げるためにお得意とするものですが、当時の私はまだオタクじゃなかったので(笑)そんなことは知りません。
その漫画の中の「日本に捨てられた」というフレーズが、頭に焼き付いて今でも離れません。
勿論、寿司の漫画ですから本題はあくまで寿司なわけでして、その後はお約束な展開です。
移民団の中で、その後疫病が流行り人々はどんどん死んでいきます。少女の家族も。そんな中、絶望しそうになった少女を励ますために、恋人が故郷の味、鯖寿司を作ってくれるんです。でも、それからその恋人も疫病で死んでしまって・・・
その時食べた鯖寿司の味が忘れられないというのが、その回の将太への依頼でした。

こういう『あの時の味をもう一度』は料理漫画ネタの重要な柱の一つでして、美味しんぼでもよく出てきます。
実際には、『思い出の味』というのは記憶の中で美化されがちですから、再現は難しいんですけどね。
また脱線しますがこの系列で私が一番感動したのが『大使閣下の料理人』のハンバーガーです。
ヴェトナム戦争中に捕虜になった米兵が、どうせ拷問されて殺されるならと自殺しようとするのを、現地のヴェトナム人の少女に止められるんですね。
それで「死ぬ前にハンバーガーが食べたい」と言うと、その子がハンバーガーを作ってくれるんですよ。それで「生きて下さい。希望を捨てないで下さい」と。
生き残った米兵は数十年後、駐ヴェトナム米国大使として赴任して、それで後はお約束です。主人公の料理人に「あの時のハンバーガーがもう一度食べたい」と言って主人公が味の再現ができなくて困っていると、成長したその少女が厨房にこっそり隠し味のタケノコ(これをピクルス代わりに使うんです。ちなみにハンバーガーには川エビが入ってます)を置いていくんです。
大使がそれを食べるとバックにあの時の少女の笑顔と『生きて下さい』という文字がばーんと浮かんで大使は涙を流す。そこで料理人が、誰かが厨房にタケノコを置いていったんだと言って、女の人を大使が追いかけて、最後は二人が結婚してハッピーエンド♪
高校時代、予備校さぼってコンビニで立ち読みしたんですが(笑)、あれは感動しました。
似たもので有名なのが美味しんぼのアップルパイの話ですが、それよりも私はこのハンバーガーの話の方が好きです。

このハンバーガーに較べると、『将太の寿司』の鯖寿司の話は救いが無いんですよね。何しろ恋人はもう死んでしまっていますから、どんなに頑張って料理が再現されようとそれで完結、感動の再会がありません。
この『将太の寿司』の『思い出の料理』ネタは、作ってくれた人が死んでしまっているケースがほとんどなんですね、私の読んだ限り。それが寺沢先生の好みなんでしょうか。

結局、「チーズのような味だった」という老女の証言を元に将太が南米の食材から鯖寿司の代用になりそうなものを探した結果、確か私の記憶では正体はナマズだったと思います。私もこの辺は曖昧なので、違ってたらご指摘を(苦笑

そんな寿司の話よりも、私の記憶に何よりも鮮烈に残ったのは、「日本に捨てられた」という、名前も無いキャラの悲痛な叫びでした。

皆さんは、「国に捨てられる」ということが、どういうことか実感できるでしょうか。
私にもできないでしょう。私達は、日本人でいることを当たり前のこととして生きていますから。

信じられなかったのが、戦後の日本政府が、同じ日本人に対してこんな惨い仕打ちをしたのか、ということでした。
学校の歴史の授業では教えてくれません。社会科の先生でも、この問題に興味がある人はほとんどいませんでした。
これって偏見かもしれませんが、社会科の教師って基本的に左翼が多いですよね。
日教組なんていわずと知れた左翼の牙城ですし。
それなのに、こんな重大な人権侵害問題を知らないのです、先生方は。
だから自分で調べました。

私はよく感じることですが、この国の戦後生まれの人の多くが、すごい勘違いをされてるんですね。
皆さん、日本という国が戦前と戦後でジキルとハイドみたく人格が豹変したとでも思ってませんか?
つまり、戦前・戦時中の日本は軍事独裁天皇万歳の全て悪でキ○ガイで侵略者の、そうですね、まるで今の北朝鮮のような国で、戦後になって急に良い国になったと。
学校でも先生方そういう教え方をしますし、そう勘違いしてる人多いですね。

冷静に考えてみてください。
人間が、そんなころっと180度変われるはずがないじゃないですか。
表面的なものが変わっても、何も変わっていませんよ。日本の本質は。
良くも、悪くも、です。

そこを見落としているから、日本が戦前や戦時中にやった悪事にはあれだけうるさい左翼の人たちが、終戦直後に起きたこのことについては、よほどマニアックな人を除いてほとんどノータッチなんだと思います。
従軍慰安婦や靖国にはあれだけ執着するマスコミも、この問題は裁判が起こるまで大々的に報道しない。
裁判を起こした人たちは、お金が欲しいというよりも、ドミニカで何があったか、私達に知ってほしかったから裁判を起こしたのではないでしょうか。

当時の政府も、悪意があっての移民政策ではなかったのでしょう。恐らく、他に受け入れ先が無いから、仕方なく、状況に流されて、ドミニカに人々を送ったのだと思います。
困ったことに、いつの時代も日本人というものは、悪意無しに『流されて』とんでもないことをやるのです。
そこが『計画的に』ユダヤ人を虐殺したナチスや、カルタゴを根絶やしにしたローマとの違いでしょうか。
日本人はヨーロッパ民族と違って、そこまで『継続的』で『冷静、冷徹』な残酷さは持っていません。
あの南京虐殺にしても、詳しくはここでは述べませんが、中国を占領していく中で便衣兵(民間人に偽装した中国兵、今でいうとイラクで流行の『テロリスト』ですね。ヴェトナムやイラクでも同じことが起きています)のテロ攻撃で大量の犠牲を出しストレスが爆発寸前まで溜まっていた日本軍が、南京に入城してまた便衣兵に背後からやられた、犯人が民間人の中に潜んでいて見分けがつかない→みんな便衣兵に見える→もう限界だ殺してしまえ、の結果だといいます(私は左翼では無いですが、南京虐殺そのものを否定するほどわからず屋さんではないです)。
ちなみに国際法は、民間人の殺傷を禁じる代わりに、それを悪用した便衣兵も厳しく禁じてます。日本の弁護側は東京裁判で南京虐殺が取り上げられた時にこの点を指摘し「先に国際法に違反したのは中国側だ」と抗弁しましたが、「当裁判は日本を裁く裁判であって連合国側を裁くものではない」と相手にされませんでした。この問題は難しいですね。

ここで私が申し上げたいのは、この「流される」日本人の国民性です。
日本は最初から「中国人を虐殺しよう」と計画して中国に派兵したわけではありません。その点でナチスとは違う。
日中戦争中、東京三宅坂上の帝国陸軍参謀本部の門柱には『五族協和』、『日満支善隣の結合へ』、『東洋道義文化の再建へ』と大書されていました。
決して建前だけでなく、本気でこの理想を信じていた上層部の軍人は数多く、思想家としても名高い石原莞爾などは、満州国がいずれは『東洋のアメリカ』になると考えていたそうです。つまり、日本をイギリスに例えたわけですね。
日本という小さな島国は、どんなに頑張っても限界が見えている。ならば満州という新しい大国を作って、そこに日本の夢を託そうと。理想自体は、決して悪くはないでしょう(もっとも理想の下敷きにされるネイティブアメリカン・・・この場合は中国人、にはたまったものではないでしょうが)

理想と、現実のギャップ。
なんにせよ、この「流されて」とんでもないことをする日本人の困った国民性は、私に言わせれば今でも変わらない。
このドミニカの移民問題にしたところで、程度こそ違え今の官僚だって似たことは平気でやりますよね、困ったら。

この将太の寿司の『ドミニカの鯖寿司(勝手に呼称)』は、私のその後の創作活動にも大きな影響を与えました。

 

中国の内戦や、温暖化による島嶼国の水没で難民が大量に流入して、対応に窮した未来の日本。
日本政府は難民を金星の植民地に強制移住させることを決定し、そして難民をなだめすかします。
「金星はテラフォーミングが進んでいて緑が豊かな素晴らしい土地だ。開拓した土地は無償で君たちに与えよう。金星に君たちの独立国をつくることを認めよう」
しかし、宇宙船で着いた金星は不毛の大地。
飢えと病に侵されて移民団は壊滅します。
ある少女は家族を失い、「私達は日本に捨てられた」と日本を憎み復讐を誓い、やがて『組織』に拾われて、工作員となる・・・・・

ネタばれになってしまいますが、これは私の小説の中で実際にある設定です。『将太の寿司』を読んだ時から、ずっと暖めてきたプランでして。いずれ使うつもりです。
そうでなくてもドミニカ移民の前後の世界観は、私の小説では多分に引用されていますね。ELDER SISTERで〈レギオン〉に追われて外太陽系の在留邦人が内地に引き揚げてくる際にも、描写こそあまりしませんが似たような出来事が起きていると設定しています。

歴史上実際にあった悲劇をフィクションにするのは確かに抵抗があります。
しかし、それを読んだ人が、普段はあまり関心の無い歴史について、少しでも親近感を持ってくれる一助になるのなら、フィクションにしても罰は当たらないと思っています。

最後に余談ですが、ドミニカ移民の影響を受けていると思われる有名なライトノベルで橋本紡先生の『バトルシップガール』がありますね。
第二話で主人公たちに敵対するクォートという国家の生い立ちが書かれているのですが、ドミニカの話ととてもよく似ています。

考え方は人それぞれでしょうが、私がどんなことをテーマに小説を書いているのかなんとなくでも掴んで頂ければ幸いですね。

それでは、次回はもう少しさっぱりしていて明るい話題を♪(笑

               


朝目覚めたら・・・

2006-06-06 13:46:01 | Weblog

『ある朝、グレゴール・ザムザが不安な夢からふと覚めてみると、ベッドの中で自分の姿が一匹の、とてつもなく大きな芋虫に変わってしまっていることを発見した』・・・カフカ〈変身〉より。


こんにちは、水銀党です。
今朝目を覚ましたら、洗面所でアゲハチョウが羽化しているのを見つけました。


・・・・・い、いえ、いっときますが、私が羽化しちゃったって話じゃないですからね!?(汗
上の引用はただの気まぐれです、これからする話とは関係ございませんのであしからず(←紛らわしすぎ
まあ、haruさんが脱皮なさる(!)くらいですから、私がある日突然になってもおかしくはないと皆さん思われるかもしれませんが(←思わねえよ)

こほん・・・失礼しました、では改めて本題に。

朝起きたら、アゲハチョウが羽化していたんですよ。

私の家では、以前からアゲハチョウの幼虫を飼っているんです。
庭に酢橘の木がありまして、毎年この時期はよくアゲハチョウが飛んできて葉に卵を産み付けるんですね。しかしアゲハチョウの幼虫(アオムシ)というものはご存知の通り大きくて目立つ上に動きも遅いので、生まれたアオムシの大半が鳥に食べられてしまう。
庭に来る鳥たちには他にちゃんとした餌をあげておりますので、せっかく綺麗な蝶になるアオムシが成虫になる前に食べられてしまうのは不出来だと、家の中に引き取って育てて、そうやって羽化したものを毎年何十羽も送り出してきました。

今も洗面所に生けた酢橘の枝葉(アオムシは柑橘系の葉を主食にします)の上で、アオムシの状態で保護しているのが四匹ほど。
そしてアオムシからサナギの状態になったものが三匹いました。今日羽化したのは、その内の一匹です。

いや、驚きました。
実を言うと私は、羽化したばかりの蝶をあまり見たことが無いんです。
いつも庭にいるアオムシをつまんで家に強制連行して来るのが仕事なもので(苦笑

アオムシというのは、世話を押し付けられている人間の苦言として敢えて申し上げますが、あまり格好良い生き物ではないですよね。
まあ確かに、あの昔懐かしいゼロ系新幹線の機関車両を髣髴とさせる愛嬌のある丸っこい容姿のおかげで、他の昆虫の幼虫のように気持ち悪いとまでは感じないですが、しかしとても無作法な生き物で、世話が面倒です。

とにかくよく食べる。
縦横無尽に動き回って、そこら中で大量に糞をする。
夜中とか様子を見に行くと、なんか動いてるんですよ。
放っておくとトイレの便器の中とかに入ろうとするので、まあそのまま流してやっても良いんですがさすがにそれをやるとこれまで育てた苦労が無駄になる上に「アオムシの生命は地球より重い」と思っている家族に殺されるので、背中をつまんで枝に連れ戻すんですね。
その時の感触がもう・・・(涙
あのずんぐりむっくり太った身体が波打つんですね。
なんかもがいて暴れるんですよ。
そのうち「キシャア!」とか鳴いて私の指をかじり出すんじゃないかと(←BMネクタールの読みすぎ

それでもって、挙句の果てにはこちらが用意した居住スペースから脱走してわけのわからない場所で勝手にサナギになる。このサナギになる寸前というのが、アオムシは一番暴れ回ります。
それはもう、出撃を前日に控えたマリーン(海兵)が港のパブで酔って乱痴気騒ぎを起こしてMPに捕まるぐらいの暴れ方です、はい(←例えがマニアック過ぎる
とにかく、迷惑極まり無い連中です。

ところが、そんな騒がしかったアオムシたちが、サナギになった途端に沈黙します。
一週間ぐらい、サナギのままぴくりとも動かない。
あんなに暴れていたのが急に静かになるわけですから、さすがの私も少し寂しくなってきます(←やっぱりツンデレかお前は

これは教育番組で見たんですけれど、この時サナギの中ではすごい異変が起きているんです。
普段当たり前の事だと思って気にしないですけれども、よく考えると、あのずんぐりむっくりのアオムシが蝶に変わるのって、とても大変なことですよね。
生物学的な詳しいことは私にもわからないんですけれども、サナギの中でアオムシの身体は一度ほぼ完全に、どろどろに溶けてしまうんだそうです。

そうやって、蝶へと形を変えるんですね。

これはもうただの成長というより、別の生き物への生まれ変わりととらえるべきなのかもしれません。哺乳類が母親の胎内の中で形を整える、それと同じことが、サナギの中で起きているわけです。

そうやって、ある日サナギから姿を現す。

 

『彼女』をこの目で見た瞬間は、思わず背筋を正してしまいました。
それは、あまりに美しくて、息を飲む光景でした。

その美しい紋様まで精緻な左右対称をした、華奢な羽。
サナギから出たばかりの蝶は、羽がやわらかくしっとりと濡れていて、飛ぶことはできません。
そのどこかけだるげな動きが、またなんというか扇情的です。

驚きました。

あのぷくぷくしていて葉を食い散らして這いずり回って私に捕まえられると「キシャア!」って騒いでた(←騒いでないって)みっともない小太りのイモムシが。

いつの間にかこんなに美しい、一人前のレディーになっていたんですね。

アゲハチョウなんて、日本ではごくありふれた虫です。南米の熱帯雨林にしかいないモルフォ蝶ならまだしも、アゲハチョウなど珍しくもなんともない、確かにそうでしょう。

でも、それは私にはとても神秘的で、荘厳な光景でした。
これも、神の御業なのでしょうか。

一匹が、一羽になった瞬間。

同時にそれは、別れの時でもあるわけで・・・
やがてしっかりと羽を広げた彼女は、光を求めて飛び立って行きます。

私に残された最後の世話は、窓を開ける、それだけです。

最初はまだ空に慣れずに、何度かぐらつきますが、やがて空へと舞い上がって行きます。どこまでも、どこまでも・・・・・

一度成虫となって空に上がれば、もはや鳥は重大な脅威ではありません。
じぐざぐ飛行を可能とする蝶は鳥よりも小回りが効きますし、鳥にとっても身の少ない成虫の蝶を苦労して追いかけるメリットは少ないので。

首が痛くなるのも忘れて、いつまでも見上げていました。
優秀な卒業生を見送る教官の気持ちで、そっと敬礼を(苦笑。

あの蝶も数ヵ月後には、今度は母となって庭の酢橘の木に戻ってくるでしょう。

繰り返されるから、自然は美しい。

 

それでは、今日はこの辺で♪


5月病と愛車のアンナ。  haru

2006-06-01 04:05:39 | Weblog

「それ、どーしたの?」って言われて鏡を覗くと、おでこの一部が真っ赤になってました。しかも何だか痛い様な・・
でも、何だっけ?思い出せない・・でいると、今日皮がむけました。
なぜ脱皮を・・(TдT?
「痛そうだね~」って言われて右腕を見ると、覚えのないアザが2つも・・

これって若年性なんとか・・とかいうやつじゃ・・(汗

どうもこんばんわ♪水銀党さんに更新を催促しつつ、自分が遅いharuです。
や、本当にごめんなさい・・(涙
もう5月も終わって6月ですね♪今年ももう半分まで過ぎちゃいました★

先月は、haruにとってなかった事にしたいくらいの一ヶ月でした(笑
何だか何もやる気しなくて・・これは何なんだろうって思っていたら、「5月病だ」と言ってる方がいて、haruはそれだと思いました(汗

何となくやる気が起きなくて、妙に落ち込んだり。
もちろん理由はあるのかも知れませんが、それにしたって今回のはひどかったです。
気づかない間に火傷してたり怪我してたり。
ちなみにおでこの火傷の正体は巻き髪用のコテによるものでした(笑

このままじゃダメだと思いつつ、気分転換を兼ねて友達と旅行に出かけました。
ですがその時は楽しかったのですが、帰って来て次の日に仕事復帰で疲れも限界に・・。気持ちもどんどん塞ぎ込み・・どうしよう(涙
と思っていた時、ちょっと隣町まで出かける用事が出来ました。
いつもは電車で駅2つ、全然遠くない距離です。

haruは思いました。何か他の方法で気分転換をしなくては・・。
電車は使わず、あえて愛車で出かけようかな、と。

haruの愛車・可愛い黄色の「アンナ」。運転するのは1年振りくらいでしょうか・・埃を被って、しかも車輪の空気抜けてるし。
ブレーキとかちゃんときくのかという謎も多少残しつつ出発です♪
haruを含め周りの友達は、何かと名前をつけるのが好きだったりします。
無意味に原付に「サリー」とか(笑

・・あ。
haruは車の免許は持っていませんので、アンナはharuの自転車ですよ(笑
全然乗らないので変な音とかしますけど★

大通りを片道40分程、散歩のつもりで疾走しました。
お天気は微妙な曇り空でしたが、音楽を聴きつつ道路脇の花を観察してみたり、川を眺めてみたり・・ちょっと不審者だったかもしれないです(笑
帰り道は疲れ過ぎて後悔しそうになりましたけど、アンナに励まされつつ(? 
体力的にはやたら疲れましたが、たまにはいいかな~なんて思いました♪

何だかよく分からないのに、やけに卑屈になってしまう時があります。
しっかり理由が分かればまだいいのですが、自分の中で何かが納得出来なくて、何かに機嫌が悪くなったり。
それでも仕事上、笑ってなきゃって思って無理したり(これは言い訳にしかなりませんが)

しかも、最悪な事に大切な友達に八つ当たりもしてしまいました。
自分ばかり辛いと思い込んで、周りの皆に辛い思いをさせてしまっている事に気づく事が出来ませんでした。
もっと成長しなくてはならないと実感しました。
思えばこんな風にきちんと思い返せたのは、もう何年も前だったと思います。

ただ、その理由は「5月病だったから」ではなく、haruの性格の本質的な問題で。
これをいい機会に、これから頑張ります。
ご迷惑をおかけした方々、本当にごめんなさい・・。
それと何度言っても足りないくらい、ありがとうございます。

これからまた辛くなった時には、たまにアンナに連れ出してもらいます♪(笑