インターネットの新保守主義を分析する

以前から興味のあった2chニュース速報の大多数派となったネット右翼と呼ばれる人々の思想の源流と現在の考えを分析します。

スポーツでのナショナリズム

2006年12月21日 | 筆者雑感
昨日、世間で注目のあのボクシングの世界戦をテレビで観た。
亀田くん、ひとまず勝利おめでとう。でも筆者の中ではなんとなく胸がすくような勝利ではなく、後味が悪い。
もう彼と彼の兄弟たちの試合は二度と観ないでしょう。

というかもうスポーツという世界に、日本は何かを求めるような時代ではないのかもしれない。サッカーにしてもバレーにしても完全なショーに成り下がってしまったなと思う今日この頃だ。最近はスポーツの世界戦で熱狂する人たちをみるとすごい違和感を感じる。
やくみつるさんが亀田のボクシング番組を安くさい美談といっているが、ボクシングだけではなくスポーツそのものがメディアによってそのように成り下がってしまったんだなと感じてしまう。

筆者は昔はよく深夜放送でボクシングを観ていた。どちらかというと世界戦とかの華やかなボクサーよりも、世間のどこにでもいるようなフリーターのような若者が、強さへのあこがれや世界という夢を抱いて死闘を繰り広げている日本ランカーたちに美学を感じた。そういった死闘を勝ち残り日本チャンピオンとなったボクサーが世界へ挑戦するというドラマがボクシングの魅力だと思ってた。

亀田選手は国内でそういった競争をした選手ではない。デビューから戦歴の怪しい外国人とのみ試合をして、とても短い期間で世界戦の挑戦も手にした。
筆者は同じ日本人だからという理由だけでは、応援したいとは思わなかった。

亀田選手には美学を感じないのだ。

我々がW杯で日本を応援したのは、選手が日本人だったからではないと思う。Jリーグで彼らの戦いを観てきたり、どこにでもいた日本のサッカー少年たちが競い合いながら成長しそれで選ばれた代表だったたから応援したくなったのだと思う。

もしあなたの身近に外国人のスポーツ選手がいて、その選手と寝食を共にし、試合や練習の努力を身近で観ていたとする。そしてもしその外国人選手があなたがあまり知らない日本人選手と試合をするようになったとき、あなたはどちらを熱心に応援しますか?

筆者はスポーツでは愛国心を感じない。スポーツナショナリズムというのはナンセンスだ。

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