インターネットの新保守主義を分析する

以前から興味のあった2chニュース速報の大多数派となったネット右翼と呼ばれる人々の思想の源流と現在の考えを分析します。

ネット右翼はマスコミの情報操作に反発する

2006年12月26日 | インターネットの新保守主義の源流
ネット右翼たちが激増するきっかけになったのは日韓ワールドカップと北朝鮮の拉致事件発覚後からである。この2つの事件の共通点はマスコミ報道がとても偏っていたということである。日韓ワールドカップでは友好ムードを盛り上げ韓国の広告イメージを上げるために韓国代表の不正をいっさい報道しなかったし、北朝鮮の拉致事件では在日朝鮮人の抗議をおそれたマスコミは拉致被害者とその家族を黙殺してきた。そうしたマスコミへの怒りがはじめにネット上で巻き起こり、そして韓国や北朝鮮への反発へとつながったと筆者は考えている。

日本のマスコミは大手広告代理店が圧倒的なシェアで業界への支配権を握っているため大手代理店のクライアントの広告イメージを傷つけるような報道は一切なされない。同じような大きさの事件でも企業が関わる事件だと、その報道の仕方には報道対象となる企業によってさまざまな差が存在することは多くの視聴者が常日頃感じていることだ。インターネットでは初期から、そうしたマスコミの姿勢にたいして揶揄する意見が多く寄せられた。またマスコミが産み出すブームというものには日常から警戒心を抱くようにとの主張が多くなされていた。
ネット右翼は不特定多数の人々が情報を発信するインターネットという媒体を情報源とするために、特定の人の主観を記事にするマスコミ報道には懐疑心を抱いていたのだ。

80~90年代に日本では多くの閣僚が先の戦争での不適切といわれる発言で辞任を余儀なくされた。当時は政治家憎しの世相から、おそらく多くの国民はそれを当然のことだと信じていた。しかし、現在で振り返ってみると果たしてあのときのすぐに辞任を求めたマスコミの姿勢は横暴であったと気づく人のほうが多いであろう。またどうして不適切な発言かを検証もせずに批判するという姿勢も真実を追究するジャーナリズムとはかけ離れたものである。権力者の中でもマスコミが批判しやすい政治家や公務員などへの過激にパッシングをおこなうことが正義と信じて、そのことで大衆の支持を得られると感じているマスコミの偽善性がみえる。また規定されたマイノリティ(被差別団体、在日コリアン)を過度に擁護し、それらの団体の不正を黙認してきたマスコミの倫理観を疑う声もネット右翼からは聞こえてくる。

また韓流といわれるマスコミ主導のブームにもネット右翼は反感を抱いている。韓流がマスコミで喧伝されてから多くの韓国関連の報道がなされたが、その報道内容は常にネットでネット右翼たちによって分析されてきた。その結果多くが誤った情報であったり、誰かに操作されたとしか思えないような一方的な報道であったことでネット右翼たちの憤りは頂点に達した。また韓流報道には常に一般人でも見抜けるようなあからさまなコマーシャリズムが付きまとっていたのにも疑惑がマスコミに向くきっかけになった。韓流はマスコミが重要視する視聴率にもその胡散臭さが正確に数字で表れていた。明らかに作られたブームであることをマスコミ自身もわかったであろう。韓流はマスコミの思惑とは正反対にむしろマスコミと韓国という国の底の浅さをみせてしまっただけに終わったのである。

日本では保守でもリベラルでも近年では改革勢力が主流であり、90年代から多くの既得権益が打ち破られてきたが、最後の既得権はマスコミと広告媒体であるとネット右翼は主張する。これは一般平均の倍以上であるテレビ局や広告代理店の従業員の収入にもあらわれているとネット右翼たちは感じている。また国民を一方的な情報操作によって意のままに操り、暴利を貪る。そうした姿勢にネット右翼たちは嫌悪感を抱いている。ネット右翼は現在のマスコミ報道の本質はあからさまなコマーシャリズム拝金主義と偽善性であると感じている。

ネット右翼の多くは民主主義で大切な言論の自由を守るために、広告業界の寡占状態とマスコミの不正を暴く改革をするべきだと主張している。

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