インターネットの新保守主義を分析する

以前から興味のあった2chニュース速報の大多数派となったネット右翼と呼ばれる人々の思想の源流と現在の考えを分析します。

東京電力のような利益偏重の企業が金正日やフセインよりも危険だった

2011年04月10日 | インターネットの新保守主義の源流
テレビをみると情報隠蔽の酷さにうんざりしてくる。
原発は収束したという雰囲気になっているのが不思議だ。
収束したのならなぜ責任追及をしないのか?

日本のマスコミは過去に北朝鮮の核兵器や中東の独裁国家の核開発、また核兵器保有国の核実験に反対してきた。
それは放射能の恐ろしさを知っていたからではないのか?
それなのに微量の放射能は安全とまでなってしまっている現在の論調が納得がいかない。

また海に国民や近隣諸国の許可なく垂れ流す行為はそこらの無法者国家と同じである。
私たちは実は遠くの大したことない危険に目を囚われ過ぎていて、実は身近の大きな危険な組織を見逃していたような気がする。

東京電力のような利益偏重の隠蔽体質の企業こそが実は危険な存在だったのだと私は思う。
東電はこれからも保身と自己の利益のために国民を欺きそして放射能で殺していくだろう。

そして東電はその罪を追求されることがないのだとしたら日本はすでに死んでいたことになる。

戦後復興のような奇跡をもう一度起こすには富の再分配が不可欠

2011年04月02日 | インターネットの新保守主義の源流
今の日本は戦後のような奇跡の復興はできないと思う。

筆者は保守でも戦前を賛美するような事はない。
戦前の体制は一番最悪な社会システムであったと感じている。

労働者はタコ部屋に押し込められ資本家に搾取され、農村では地主によって搾取されていた。
経済活動は財閥に牛耳られ、買い占め、食料不足が発生し大量の人が移住者した。
そこへ震災や社会不安で日本国内が混乱した。
そのために国民を再度、結束させ国勢を盛り返すために戦争をはじめたのが太平洋戦争であった。

結局、タコ部屋や寄生地主のようなシステムは米軍占領下になるまでなくならなかった。
みんなが一斉に貧しくなることで社会秩序を取り戻したのだ。

今の日本も程度の違いこそあれ同じような状態だと思う。
復興復興といっても国民には戦後のような結束力は生まれないだろう。

結局は政治というものは自らの置かれた環境によって人は判断するものなのだ。
だから生活基準が違うと価値観が大きく異なるのは当たり前である。

たとえ国籍が違っても生活基準が同じであると理解し合える。
ただ生活基準が異なってる場合は国籍や出身地などが同じでも世界観は全く異なるのだ。

ネット右翼の歴史考証法

2007年05月22日 | インターネットの新保守主義の源流
ネット右翼は国家においても個人においても歴史観というものは完全なる共有化が不可能であると考えている。ある有名な嫌韓ブロガーは"歴史観の完全なる共有化こそがファシズム"だとそれを非難しているくらいである。

歴史観というものは主観的なものが多く含んでおり、他者の主観との関係性おいて議論することは可能であるが、その主観そのものを他人の主観に置き換えることは洗脳であり、歴史教育という名においてそれをおこなってはいけないと警告する。
そしてその主観の関係性を論ずるにおいて統計等の信用に足る科学データをもって、おのおのが主観の信頼性を立証し確認しあう。これがネット右翼の多くが考える歴史観であると思われる。

関係性において議論となった問題にたいして、科学的データから根拠をしめし議論相手の誤りを指摘する、これをネット右翼たちは『論破』と呼ぶ。
ネット右翼は議論において根拠の情報源(ソース)を必ず提示し、議論相手にもそれを必ず求める。これが歴史考証においてもっとも公平で合理的であるとネット右翼は考える。圧力をもって主張を思想を強制されることはあってはならないと多く人は考えているのである。

なお韓国の政治家はアジア地域で固有の歴史観を求めている。過去の歴史というものは今でも研究しないとわからないことが多いのであるが、それを一つのものに固定化し限られた価値観で統制することの危険性が理解されていないのではないか。

追伸:そもそも歴史的議論とは学会の場でおこなうものであり、政治の場でおこなうものではないのではないか?

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ネット右翼は産業構造や労働市場を悲惨にする組合サヨクを嫌悪する

2007年04月10日 | インターネットの新保守主義の源流
よくサヨク知識人は、これだけ日本にフリーターや契約社員、ニートが増えてどうして国民は与党に怒りをぶつけないのか嘆くが、ネット右翼はこれらの本質が資本家による搾取のみが深刻ではないと分析している。同じ労働者からの搾取のほうが深刻なのであると。
つまりは労使のサヨク主義運動が、結局は行き着く先の労働貴族化であると理解しているのである。
ネット右翼は労働組合などの労働利権団体を嫌う。
日本には労働組合はある程度の規模の大企業か公務員のものであって、それらの大企業従業員の労働利権を堅守する為の団体でサヨク政党はそれらの利権に寄生する政党だと見抜いている。

例えば公務員の労働運動が活発になると、公務員の収入や余暇を確保するために貧困層は増税され、組合外の労働組合ももてないようなアウトソーシングの人たちの労働時間が増えてしまう。また大企業で労働運動が起きると大企業の正社員の給料は上がるが、その反面、下請けや偽装業務請負の派遣社員に払われる給金が減ったり、労働時間は増大する。(これによって生活の質の格差が起こる。収入と余暇の多い正社員の家庭と、時間と収入の少ない派遣社員の家庭の生活の質によってその子供たちの教育に大きな差異が生じてしまう。そのことにより将来的には固定化された格差がうまれるであろう。希望格差という言葉もあるが、格差は希望されて生じるのではない。怠け者が怠け者になった理由は成長期の環境によることが大きいことは統計にも表れている。)
日本においては通常は労働組合とはある一定の大企業しか持たない。仮に中小企業に労働組合ができようものなら、その会社の死を意味する。親受けの企業からはそのような会社は警戒されるし、サヨク政党はすでにある大企業の労働組合しか目を向けていないから彼らを守るようなことは決してしない。たまに票集めのために彼らに同情するそぶりをみせるだけである。

現在の日本で正社員が減り派遣社員が増大している。若者のなかで負け組みと呼ばれる人たちは勤労意欲を失ってきているという。フリーターやニートが勤労意欲がわかないのは、こういった階層社会の犠牲者になることを拒否したいからなのだとネット右翼は理解している。他人のエゴのために自らを犠牲にするということは誰しも避けたいのが心情なのではないだろうか?
ネット右翼はニートは労働貴族の享楽生活のために自らの労働力を無駄にしたり、他人のエゴに従い心を傷つけることをしたくない人たちであると考えているのだ。

労働組合は過去には貧困などの社会の歪みを解消させ、国民全体を豊かにして大量消費社会や資本主義の繁栄をもたらしてきたが、現在の日本においては一部のエリートのための権力と収入を守る利権団体であり、サヨク政党のための票集めのための票田にすぎなくなっているのである。またこれらの団体が過去に人殺し集団(左翼テロ集団)の温床になった事実も忘れてはならない。労働運動の中には暴力に発展してしまうものもあるのだ。

労働者同士でも正社員と派遣社員という格差を生み出し、社会に大きな歪みを生み出しているのは企業の労働組合と、それを守り寄生しているサヨク政党なのである。

このような労働利権による格差を解消するためには、ネット右翼は労働運動よりも労働法の刑罰の強化しかないと考えている。派遣業は禁止し、業界団体や企業、宗教と同じように労働組合と政治政党を分離させることが大事であると考える。

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ネット右翼はマスコミの情報操作に反発する

2006年12月26日 | インターネットの新保守主義の源流
ネット右翼たちが激増するきっかけになったのは日韓ワールドカップと北朝鮮の拉致事件発覚後からである。この2つの事件の共通点はマスコミ報道がとても偏っていたということである。日韓ワールドカップでは友好ムードを盛り上げ韓国の広告イメージを上げるために韓国代表の不正をいっさい報道しなかったし、北朝鮮の拉致事件では在日朝鮮人の抗議をおそれたマスコミは拉致被害者とその家族を黙殺してきた。そうしたマスコミへの怒りがはじめにネット上で巻き起こり、そして韓国や北朝鮮への反発へとつながったと筆者は考えている。

日本のマスコミは大手広告代理店が圧倒的なシェアで業界への支配権を握っているため大手代理店のクライアントの広告イメージを傷つけるような報道は一切なされない。同じような大きさの事件でも企業が関わる事件だと、その報道の仕方には報道対象となる企業によってさまざまな差が存在することは多くの視聴者が常日頃感じていることだ。インターネットでは初期から、そうしたマスコミの姿勢にたいして揶揄する意見が多く寄せられた。またマスコミが産み出すブームというものには日常から警戒心を抱くようにとの主張が多くなされていた。
ネット右翼は不特定多数の人々が情報を発信するインターネットという媒体を情報源とするために、特定の人の主観を記事にするマスコミ報道には懐疑心を抱いていたのだ。

80~90年代に日本では多くの閣僚が先の戦争での不適切といわれる発言で辞任を余儀なくされた。当時は政治家憎しの世相から、おそらく多くの国民はそれを当然のことだと信じていた。しかし、現在で振り返ってみると果たしてあのときのすぐに辞任を求めたマスコミの姿勢は横暴であったと気づく人のほうが多いであろう。またどうして不適切な発言かを検証もせずに批判するという姿勢も真実を追究するジャーナリズムとはかけ離れたものである。権力者の中でもマスコミが批判しやすい政治家や公務員などへの過激にパッシングをおこなうことが正義と信じて、そのことで大衆の支持を得られると感じているマスコミの偽善性がみえる。また規定されたマイノリティ(被差別団体、在日コリアン)を過度に擁護し、それらの団体の不正を黙認してきたマスコミの倫理観を疑う声もネット右翼からは聞こえてくる。

また韓流といわれるマスコミ主導のブームにもネット右翼は反感を抱いている。韓流がマスコミで喧伝されてから多くの韓国関連の報道がなされたが、その報道内容は常にネットでネット右翼たちによって分析されてきた。その結果多くが誤った情報であったり、誰かに操作されたとしか思えないような一方的な報道であったことでネット右翼たちの憤りは頂点に達した。また韓流報道には常に一般人でも見抜けるようなあからさまなコマーシャリズムが付きまとっていたのにも疑惑がマスコミに向くきっかけになった。韓流はマスコミが重要視する視聴率にもその胡散臭さが正確に数字で表れていた。明らかに作られたブームであることをマスコミ自身もわかったであろう。韓流はマスコミの思惑とは正反対にむしろマスコミと韓国という国の底の浅さをみせてしまっただけに終わったのである。

日本では保守でもリベラルでも近年では改革勢力が主流であり、90年代から多くの既得権益が打ち破られてきたが、最後の既得権はマスコミと広告媒体であるとネット右翼は主張する。これは一般平均の倍以上であるテレビ局や広告代理店の従業員の収入にもあらわれているとネット右翼たちは感じている。また国民を一方的な情報操作によって意のままに操り、暴利を貪る。そうした姿勢にネット右翼たちは嫌悪感を抱いている。ネット右翼は現在のマスコミ報道の本質はあからさまなコマーシャリズム拝金主義と偽善性であると感じている。

ネット右翼の多くは民主主義で大切な言論の自由を守るために、広告業界の寡占状態とマスコミの不正を暴く改革をするべきだと主張している。

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ネット右翼が考える市民と犯罪者の人権

2006年12月19日 | インターネットの新保守主義の源流
ネット右翼は普通の罪を犯さない国民とそうでない者の人権ははっきり区別するべきだと主張する。他人の人権を踏みにじる者の人権をはたして、まわりの善良な人々と同じにする必要があるのだろうかと訴える。ネット右翼の中では圧倒的に死刑賛成派が多い。また社会への影響が大きい汚職や大型詐欺などの犯罪についてもよくネット右翼たちは死刑を適用するように主張する。

ネット右翼たちは社会からの義務を放棄し、あろうことか社会を脅かす者たちまで、社会が与える権利で守ってあげる必要はないと考える。また凶悪犯罪等の加害者の人権を尊重するということは、被害者の人権をないがしろにしていると憤る。被害者と加害者の人権を同列にすることは許されないことだと考えている。またネット右翼は生命や公共の安全を奪う行為の刑罰を軽くすることは、生命の価値を軽くするのと同じだと主張する。
ネット右翼たちは犯罪を犯した者への現在の刑罰は、おこなった犯罪にたいしての等価交換と考えるとフェアではないと考える。意味もなく人の生命を奪い他人の一生を奪った者にたいして、十数年の拘束期間で釈放するのは甚だしい人間の生命の大安売りだと主張する。
また刑罰を終え釈放が終えた者に対しても、性犯罪等の再犯性が高い犯罪者にたいしては欧米の先進国のように社会に名前と顔を公表するべきだと考えている。これはそういった犯罪者の被害者になる可能性のある子供たちや善良な人々の人権を守るために当然必要な行為だと主張する。

汚職や大型詐欺、組織暴力等の社会に大きな影響を与えている事件の司法判断についても、日本の司法は手緩すぎると主張する。いっこうに犯罪が減らずむしろ増加傾向にあるのは、犯罪にたいしての刑罰の基準が緩いからだと大部分は考えている。犯罪と刑罰を比較したときに刑罰のほうが圧倒的に苛烈なものでなければ犯罪はなくならないと主張する。

ネット右翼は善良の市民の生命が犯罪者の生命と等価に扱われたり、社会の秩序を個人のエゴで乱す行為の罪が軽視されているのは、戦後のサヨクによる誤った価値観だと批判する。またサヨクが過去に人権を守るためと称しておこなった特定のマイノリティに対しての特権の付与や優遇政策もサヨクの人権にたいしての感覚の誤りを証明するものだと主張する。
人権は善良な市民の生命の価値に関しての権利であって、社会を乱すものの生命や、一部の人の富を保証するための権利ではないと主張する。

ネット右翼は現代社会で犯罪者たちが人の生命の容易に奪うことや犯罪がなくならない原因の一つは、司法が誤った認識によって市民と無法者の生命を区別せずに同等にあつかうのが人道主義だと勘違いさせられているからだと主張している。

善人と無法者とを区別しないで同等の人権を有させることによって、正義の価値が下げられ、悪にたいしての意識の垣根が壊されているのだと主張する。

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ネット右翼はNEETと呼ばれる若者に理解と親近感を持っている

2006年12月16日 | インターネットの新保守主義の源流
ネット右翼たちはNEETと呼ばれている現代の就職しない若者に、彼らより上の世代とは違い理解と親近感を寄せる。またネット右翼の中には自らがNEETだとカミングアウトする者もいる。だからといってネット右翼のほとんどがNEETで構成されているということでもない。またネット右翼は労働問題にとても関心をもっている。反動保守が推し進めている競争社会は資本主義の競争ではないし、権力者が支配し易くするために奴隷同士を競わせていた古代の奴隷制と変わらないと考えている。

ネット右翼はNEETについてこう考える。NEETとは何かしらかの青少年期の挫折によって、無気力になってしまい長期間、閉じ籠もってしまった感受性の強い人たちだ。心を再生して社会に戻ろうとしても社会生活での激しい競争をみたり、他者からの蔑視などによって社会に戻れなくなってしまった人たちであると。

そのような社会の蔑視は日本人であるということの仲間意識さえあれば同じ仲間同士で見下したり争ったりしないのであるとネット右翼たちは主張する。その仲間意識を個々の国民がもてるようにするには地域社会の回復と日本の文化や伝統を守り続けることが重要だとネット右翼は主張する。
ネット右翼たちの求める愛国心とは、共存の為の仲間意識なのではと筆者は思う。

製造業が労働コスト低い海外へ製造拠点を移転したり、技術革新によってサービス業のオートメーション化が進むと、国内で必要とされるのは社会のシステムを管理・運用する人間のみになる。余剰した労働者はそこで新しいサービスの可能性を発見したり、技術を発明したりして新しい労働を産み出す。我々の社会はそのようにして発展してきたのだろう。しかし、我が国では90年代以降発展してきたサービス業とはパチンコ業・消費者金融・ITベンチャー(わらしべ長者)・派遣業のみである。これらはとても法律の曖昧なところに位置するサービス業であると思う。
日本では90年代に大企業が合理化と称して独占のために合併しさらに巨大な権力を手に入れた。そのなかで社内の面倒な業務をより専門化させ、外部委託という形で本体と分離し、本体は指揮・管理系統のみとし、利益とブランドを中抜きし旨いところは残すという形に変貌したために、とても強固な労働者のヒエラルキーが作られてしまった。
経済の上流では企業間の競争もなく従業員の収入も高いような状態で、その下流へ向かえば向かうほど競争が激しくなり従業員の労働内容も収入も酷くなる。これは現代の奴隷制ともいえるもので、民主主義国家としてとても危うい経済構造になってしまっている。
また経済構造について、ネット右翼は政府が経済構造を横(大企業同士の競争)ではなく縦(多層構造)に拡大したことは資本主義的な本来の競争に反し、彼らの考える経済全体の合理性、効率性に反することだと考えている。そしてネット右翼たちは歪みによって日本製品の技術水準や品質を低下させているとよく主張する。
(技術については一部のネット右翼は日本は産業スパイや特許にたいして意識が薄いために中韓の企業に技術者が売り渡したり、特許侵害や海賊版を許してしまい価格の低い劣化コピーが製造されているために日本が大きな損害を被っているのでそれらを厳しく取り締まるべきだとの主張もしているが、それは機会があればニュー速のスレッドなどの発言でまとめたいと思う)

ネット右翼は日本古来の伝統と文化を大事にすることで、社会と隔絶してしまった若者も地域社会の力で再生させることができると考えている。また大企業の既得権を取り除き、競争とは本来の資本主義の競争である企業間の競争を促すべきで、格差を拡大させ国民一人一人に過度に競争を促すべきではないと考える。

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ネット右翼はサヨクの性質を嫌悪する

2006年12月14日 | インターネットの新保守主義の源流
ネット右翼たちは世間で良識派、進歩派と自称しているサヨク(左翼主義的性質)を嫌悪する。このサヨクは政治学的に定義されている共産主義思想や社会主義思想の左翼とは区別される。しかし、サヨクは共産主義思想や社会主義思想を信望する人たちに多くみられる思考や行動である。

ネット右翼は憲法改正問題、人権問題、歴史問題、核問題等、タブーにしたことは議論することさえもいっさい認めないサヨクを嫌悪する。
ネット右翼はこれらを思想の自由を著しく侵害する行為だと考えている。

サヨクの多くはアメリカは好戦的で野蛮で競争社会で貧富の差の激しい国だと訴える。そして常にアメリカと対局にある国、過去ではソ連、現在では中国を賛美する。アメリカの人種問題や国防問題には目を光らせているが、中国の人権問題、軍事費増強問題には知りながらも彼らは目をつぶっている。これらが公平性を欠いているとネット右翼はよく主張する。
そしてサヨクは日本は先の戦争での加害国でアジアの侵略者であり、アジア諸国は善良な被害国で日本の軍国主義におびえているという、日本にたいして非常にネガティブな図式を現在でも崩さない。そのために日本がアジアにおこなう援助はたとえ善意であっても日本のアジアでの経済的な支配と主張するし、地域の安全保障のための日米同盟は軍国主義の復活と主張する。そして常に日本の政府や行政が間違っているというネガティブな思考で、マイノリティや彼らの認める社会的弱者に過剰な権利を与えようとする。これらが地域の溝を深めたり、大きく日本の国益を損なっているとネット右翼は主張し、サヨクにたいしてのネット右翼の反発は強い。

ネット右翼はサヨクは国家権力への反発やマイノリティや一部の社会的弱者に過度の情を寄せてしまうあまりに、物事の本質を著しく見誤ってしまう傾向があると考えている。また一部のネット右翼にはサヨクには日本の国策を誤らさせ衰退させる意志があるのではとの疑念をもっているものもいる。

ネット右翼たちはサヨクの本質をこうであると見抜く。
サヨクというものは人間の劣等感や破滅願望である。サヨクの性質をもつ人間は個人的な理由で社会の人々にたいして何かしらかの劣等感をもっており、その劣等感を解消させるために周囲の価値観とは逆の思考を自己防衛のために産み出し、その思考が他者に向けられた形がサヨクである。つまりあくまで社会への怨嗟が理由なのでそれほど本来のイデオロギーとの関係は薄い。それが環境問題、社会主義運動、動物愛護に向かうなど様々だ。またそれら社会に劣等感を抱き、不満を持つ人々の支持を集め名声を得たり、経済的収入を得ようと考えたり、利権を作ろうとする人たちがサヨク活動家になると分析している。前者はネット右翼にたいしてもよく指摘される。しかし、筆者は分析するにそうした劣等感から極端な発想にいきついてしまうのはネット右翼と逆の価値観を持つもののほうが多いと考える。
また確信犯的な後者をネット右翼たちはプロ市民と呼んで軽蔑している。日本で募金運動やNGOが世間から懐疑の目で見られるのは彼らの責任であり、何も知らない人々の善意をも利用した悪い行為だと憤りも感じている。
そうした人々が外国の反日的な勢力や、利権を得ようとするマイノリティ団体と結びつくことが公共安全や国防上の問題として危険だと一部のネット右翼は指摘している。
またサヨクが過去に何度か人命を軽視したり、暴力をふるう傾向があることも、生命を重視するネット右翼の反感を買っている。

これらのサヨクの主張に過去に社会が過敏に反応してしまったあまり、日本社会にはたくさんの歪みが生じてしまったとネット右翼たちは考えている。それらを中立的にもっていくことが世間からは右傾化とみられると主張されることもある。

筆者が思うにネット右翼は過去の右翼のように強い反共や反社会主義というイデオロギーはない。
しかし、秩序や生命を侵害するテロやサヨクには強い抵抗の意思を持っているといえよう。

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ネット右翼と従来の過激なナショナリズムとの違い

2006年12月13日 | インターネットの新保守主義の源流
マスメディアはネット右翼の書き込みを日本軍国主義への回帰などと、危険性ばかりが報道される傾向がある。
筆者がニュース速報板での時事ソースでのネット右翼の発言を分析してみるに、ネット右翼と呼ばれる新保守主義者は、過去の民族主義者、国粋右翼とは区別されるべきであると考える。

ネット右翼たちは日本の領土拡張的な野心は持っていない。
日本がアジア地域で主導権を握ってもらいたいという考えも持たない。
あくまで日本は国際社会の中の一つの国にすぎないのである。よって日本の政治体制や文化を世界に押しつけようという考えは持っていない。国際社会においては秩序と人権を最重要視している。彼らは善良な人たちが無法者によって生命を奪われるということには特に敏感だ。彼らの正義感にとって善良な市民の生命が奪われることが許されないのだ。だから善良な市民の生命の保護という正当な理由があれば無法者の国家には軍事力の行使もやむを得ないと考えている。しかし、軍事力が一部の独裁者や集団のエゴによって使用されるということには強い嫌悪感をおぼえる。だからイラク戦争前と戦争後ではアメリカにたいする見方も違うのだ。ネット右翼たちの価値観では戦いとは正義の味方が悪い無法者を懲らしめるためのものであって、弱いものから強いものが奪う戦いは許されないのである。

ネット右翼は天皇制を国体とする旧来の右翼と天皇制についての考え方も違う。
大多数のネット右翼はあくまで主権は国民にあるという日本国憲法の国民主権という考えが当たり前のことであると認識している。
彼らの中で天皇のために死ねるか?と問われれば死ねると答える人はいないだろう。では彼らにとって天皇制とはなんであるのか?それは伝統であり文化にすぎないと考えている。彼らにとって皇室は日本人のもっとも権威のある有名人にすぎない。それは政治的な権威ではない。自分たちの先祖が代々守ってきた一つの家系であるということだけであるのだ。

ネット右翼は極端な愛国心を強制されることを望んでいない。愛国心を強制するということのきな臭さに対しては見抜いているのだ(だから、阿倍政権の愛国心教育は彼らにとっては的はずれもいいところなのだ。)。愛国心という名の下に特定の個人や団体に忠誠を誓うという行動は彼らにはできない。過去にネット上でネット右翼を利用しようといくつかの団体が立ち上がったが、その団体の多くはネット右翼たちによって運営方法や背後関係をつかれて結局、目的を達成することはできなかった。ネット右翼たちは愛国心という言葉はもっとも人をだましやすい言葉だと考えているのだ。しかし、彼らは愛国心は必要だと考えている。彼らの言う愛国心とは何なのか?実はネット右翼のいう愛国心とは過剰な反日的行為への嫌悪感のことなのである。反日的行為の反対に極端な愛国心という言葉があると考えている。ネット右翼は極端な愛国心(彼らとって戦前の精神論などは効率的という彼らの理想からははずれる)は反日的行為と同一であると考えている。よってその中間あたりに彼らの求める愛国心があるのだ。

秩序を乱さないかぎり国際社会、社会身分での差別意識や序列意識はない。
ネット右翼は地域社会や日本文化への親近感はあるが特にそれらに強い優越心はもっていない。日本という国についても、彼らの中ではアジアの中の一つの国家ということの範囲をでない。しかし、国際社会の法を犯したりエゴを働かせる国家は別だ。それらと自分たちの国は違うと激しく区別する。
その中でネット右翼がもっとも嫌うのは韓国・北朝鮮だ。しばしネット右翼は凶悪犯罪のニュースにたいして犯罪者は事実でなくても在日コリアン・朝鮮人だと出自の関係を疑う。何がそんなに嫌われてるのか?それは潔癖なネット右翼の人々は朝鮮系の人々の持つ性質を嫌っているのだという。韓国や北朝鮮は交渉において常に不利になると歴史問題を持ち出し社会の規範やルールを曲げようとする。そしてネット右翼が重要視する合理的な思考も自らの体裁を守るためには無視する。さらにそれらの国の人たちは自らに根拠のない優越心を持ち他者を激しく見下す。これらがネット右翼と呼ばれる人たちとの価値観とは合わないのだ。ネット右翼の多くがこれら朝鮮的性質に反発する人たちである。

人権についてネット右翼は常々、秩序を乱す無法者と法を順守する善良な人々との人権を明確に区別したいと考えている。そのほうが社会の効率性が上がると考えているからである。現実的にはそれらの境界を明瞭にするのは難しいことだとしてもなるべく区別ははっきりさせたいと考えている。そして他人の生命や秩序を著しく乱す者の人権は制限するかなくすべきだと主張する。
ちなみにネット右翼のいう人権とは国家の第一の価値基準である善良な市民の生命の保護であり、人権を理由に特定のマイノリティに過剰な恩恵や特権を与えるようなことをしてはいけないと考えている。

以上がネット右翼と過激なナショナリズムとの違いである。
ネット右翼のもっとも重視する価値観は
・清廉潔癖
・合理性
・効率性
・秩序の重視
・勧善懲悪
・善良な人々の生命の尊重
なのであると筆者は考える。

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ネット右翼の年代

2006年12月13日 | インターネットの新保守主義の源流
ネット右翼と呼ばれる人たちは、ファミコン世代と呼ばれる25~35才の成人男性が中心であると思われる。多くのネット右翼ブロガー、嫌韓ブロガーはこの年代に該当する。

筆者も同じ世代である。

この世代は日本政府が憲法にしばられ資金援助しかできず国際的に非難をあびた湾岸戦争と、そして日本が経済大国でなくなるバブル崩壊を迎え、社会の規範に従っていれば豊かさが得られるという価値観の崩壊を感じたときには無力であった世代だ。

しかし、前の世代と違い世界や国内において様々なだましのパワーゲームの勝者と敗者を敏感に感じることができる。そして建前を大事にする前の世代とは違う。
前の世代がバーチャルといってた三国志のような権謀術数の暗躍し様々な戦争がおこるゲームやマンガの世界がより本当の世界に近く、前の世代が現実と思っていた我慢すれば平穏に定年を迎えられ、他国を侵略するという野心を起こさなければ平和に暮らせると考えていた世界が、ただの冷戦構造化でアメリカに作られた箱庭だったのだ。
しかし、この世代の善良な人たちは詐欺や不正が横行する現実世界でもバーチャルな物語と同じように勧善懲悪や清潔さが社会の価値としては大事だと考えている。そして社会を合理的かつ効率的にしたいと考えている。


外交において、この世代の日本人の大多数はかつての敵国同士であったドイツとフランスが和解し手を取りあったEUのような地域の共同体に憧れた。脱亜入欧という前世紀の考えから脱欧入亜というスローガンで日本はアジアの国と仲良くしEUのような共同体を作り地域紛争のない歴史の終焉といわれる繁栄を迎えたいと考えていた。

しかし、アジアはヨーロッパのような進んだ文明の地域とは違った、特にネット右翼らが極東の三馬鹿国(中国・韓国・北朝鮮)と呼ぶ国々は地域おける序列にこだわり、人権問題や核開発などで国際社会の問題児として現在にいたっている。

靖国問題等についてもネット右翼は中国・韓国の本質をこう見抜いている。
極東の三馬鹿国にとっては日本の戦没者慰霊の問題はどうでもいいことであり、ただ彼らの目的は日本を非難し国際的地位を貶め、日本と喧嘩して先の戦争での敗戦国であるということを思い出させ謝罪させることによって、自らの国家が日本と比べ国際的な信用も経済力も低く文化も遅れているという劣等感を解消するということだけであると。

そしてこの世代は経済による繁栄ではなく善良な市民の生命の保護(自らの選択で愚かな行為をした者や秩序を乱す者は含まれない)が国家の第一の責任だと考えている。だから中国や北朝鮮のような人権を無視する無法者国家には嫌悪感を抱いているのである。たとえ中国が経済的に大きくなる国だと言われても、団塊世代のように無分別にそれを信じたりしない。勧善懲悪の価値観を持つこの世代には国家の第一の責任である生命の保護をおろそかにする国家が繁栄するとは到底思えないからである。


国内においては、インターネットの発達と大多数の国民の望んだ構造改革(注:そのなかで特に国民が望んでいた官僚天下りの既得権益の破壊である)によって様々な不正と淫行、談合が目の当たりにされた。どれも社会では稀に聞くような事例で必要悪という言葉で我慢してきた世代には、余程割を食ってた人以外はどこにでもあるようなことですまされていたことだ。しかし、清廉潔癖と合理性、効率性を重んじる世代は違った。これらの醜さが許せないのだ。そして日本では当たり前である大企業の資本による子請け孫請けという経済体質も技術低下や労働者のモチベーションの低下をおこし社会の貧富の差を増大させ少子化や犯罪率の増加を招く国家にとって非効率なことであると考えている。だから中間で搾取する派遣業者や期間工を使い捨てる大企業が許せないのである。


以上で筆者がまとめてみるに、ネット右翼と呼ばれる人たちの主張は、インパクトを与え注目を集めるためのネット特有の差別的な表現や大げさな皮肉を取り払ってしまえば、本質はそれほどひどいものではないと思う。
その主張をいかに社会に知らしめ社会に変化をもたらすかを、まだ実行にうつされたりはしていないが、近い将来には主流となる考えだと筆者は思っている。

追伸:マスメディア等ではこれらをネットでの右傾化とレッテルし危険性を訴えているが、筆者を思うに彼らは生命を第一の基準においている。よってテロリズムや他人の生命を奪うようなことをおこなうわけはない。

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