インターネットの新保守主義を分析する

以前から興味のあった2chニュース速報の大多数派となったネット右翼と呼ばれる人々の思想の源流と現在の考えを分析します。

ネット右翼の歴史考証法

2007年05月22日 | インターネットの新保守主義の源流
ネット右翼は国家においても個人においても歴史観というものは完全なる共有化が不可能であると考えている。ある有名な嫌韓ブロガーは"歴史観の完全なる共有化こそがファシズム"だとそれを非難しているくらいである。

歴史観というものは主観的なものが多く含んでおり、他者の主観との関係性おいて議論することは可能であるが、その主観そのものを他人の主観に置き換えることは洗脳であり、歴史教育という名においてそれをおこなってはいけないと警告する。
そしてその主観の関係性を論ずるにおいて統計等の信用に足る科学データをもって、おのおのが主観の信頼性を立証し確認しあう。これがネット右翼の多くが考える歴史観であると思われる。

関係性において議論となった問題にたいして、科学的データから根拠をしめし議論相手の誤りを指摘する、これをネット右翼たちは『論破』と呼ぶ。
ネット右翼は議論において根拠の情報源(ソース)を必ず提示し、議論相手にもそれを必ず求める。これが歴史考証においてもっとも公平で合理的であるとネット右翼は考える。圧力をもって主張を思想を強制されることはあってはならないと多く人は考えているのである。

なお韓国の政治家はアジア地域で固有の歴史観を求めている。過去の歴史というものは今でも研究しないとわからないことが多いのであるが、それを一つのものに固定化し限られた価値観で統制することの危険性が理解されていないのではないか。

追伸:そもそも歴史的議論とは学会の場でおこなうものであり、政治の場でおこなうものではないのではないか?

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セカチューの『喪失感』

2007年05月07日 | 筆者雑感
かなり古いが知り合いから『世界の中心で愛をさけぶ』という本をもらった。
ひどい本だから読むと別の意味で楽しいということでGWに読書した。

内容は一昨年くらいにテレビ等で筆者はだいたい聞いた。
恋人を白血病で失うという話だ。文章はすらすら読みやすく昔、中学生の頃に読んだ超訳を思い出した。こんなに読みやすい小説は久しぶりだった。
筆者は社会人になってからは、海外の短編小説が中心でこの年で中篇くらいの小説を軽く読むのは心地よかった。
ただ読み終わって内容の薄さで読みやすかったのだと気づいた。
あとどこかで読んだようなプロット・・・

これは村上の『ノルウェイの森』の2番煎じだったのだ。
ただ完全にテーマが同じというわけではない。
テーマは『ノルウェイ』を誤読したとしか考えられないくらい稚拙だった。
セカチューの著者は純文学をわかっているのだろうか?

セカチューにはたびたび喪失感という言葉が出てくる。
しかし、これは村上春樹の喪失感とはちがう。
セカチューでは主人公の朔太郎は喪失していないのだ愛を(笑)。

村上文学のいう恋愛での喪失感とは、恋人を失うと恋人が同棲していた部屋から私物を持ち去ってしまうかのように心の中の恋人への愛情も持ち去ってしまう。その持ち去られ心に空いた隙間ができることの苦痛が表現されている。この隙間を癒していく過程が再生なのだ。『ノルウェイ』では恋人が主人公の思春期と一緒に愛情を持ち去っていくという認識を主人公は感じていた。

しかし、セカチューでは死んでも愛は残り隙間はできない。喪失とはどこにできる喪失なのだろうか?いまいちわかりづらい。筆者がもしあまり本を読んでいなければなんとなく喪失感という単語で理解できたかもしれない。

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