ネット右翼は国家においても個人においても歴史観というものは完全なる共有化が不可能であると考えている。ある有名な嫌韓ブロガーは"歴史観の完全なる共有化こそがファシズム"だとそれを非難しているくらいである。
歴史観というものは主観的なものが多く含んでおり、他者の主観との関係性おいて議論することは可能であるが、その主観そのものを他人の主観に置き換えることは洗脳であり、歴史教育という名においてそれをおこなってはいけないと警告する。
そしてその主観の関係性を論ずるにおいて統計等の信用に足る科学データをもって、おのおのが主観の信頼性を立証し確認しあう。これがネット右翼の多くが考える歴史観であると思われる。
関係性において議論となった問題にたいして、科学的データから根拠をしめし議論相手の誤りを指摘する、これをネット右翼たちは『論破』と呼ぶ。
ネット右翼は議論において根拠の情報源(ソース)を必ず提示し、議論相手にもそれを必ず求める。これが歴史考証においてもっとも公平で合理的であるとネット右翼は考える。圧力をもって主張を思想を強制されることはあってはならないと多く人は考えているのである。
なお韓国の政治家はアジア地域で固有の歴史観を求めている。過去の歴史というものは今でも研究しないとわからないことが多いのであるが、それを一つのものに固定化し限られた価値観で統制することの危険性が理解されていないのではないか。
追伸:そもそも歴史的議論とは学会の場でおこなうものであり、政治の場でおこなうものではないのではないか?
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歴史観というものは主観的なものが多く含んでおり、他者の主観との関係性おいて議論することは可能であるが、その主観そのものを他人の主観に置き換えることは洗脳であり、歴史教育という名においてそれをおこなってはいけないと警告する。
そしてその主観の関係性を論ずるにおいて統計等の信用に足る科学データをもって、おのおのが主観の信頼性を立証し確認しあう。これがネット右翼の多くが考える歴史観であると思われる。
関係性において議論となった問題にたいして、科学的データから根拠をしめし議論相手の誤りを指摘する、これをネット右翼たちは『論破』と呼ぶ。
ネット右翼は議論において根拠の情報源(ソース)を必ず提示し、議論相手にもそれを必ず求める。これが歴史考証においてもっとも公平で合理的であるとネット右翼は考える。圧力をもって主張を思想を強制されることはあってはならないと多く人は考えているのである。
なお韓国の政治家はアジア地域で固有の歴史観を求めている。過去の歴史というものは今でも研究しないとわからないことが多いのであるが、それを一つのものに固定化し限られた価値観で統制することの危険性が理解されていないのではないか。
追伸:そもそも歴史的議論とは学会の場でおこなうものであり、政治の場でおこなうものではないのではないか?
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