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COCCOLITH EARTH WATCH REPORT

限りある地球に住む一地球市民として、微力ながら持続可能な世界実現に向けて情報や意見の発信を試みています。

深刻化する旧ソ連セミパラチンスク核実験場の放射能汚染

2009-06-21 17:46:18 | Weblog
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目 次
 はじめに
 1.アメリカの核兵器開発
 2.米ソの核開発競争
 3.核実験による放射線被爆
 4.セミパラチンスクの現実
 5.カザフスタンで核実験停止20年の式典
 おわりに
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はじめに
 恫喝により譲歩引き出しを狙う北朝鮮の核兵器開発が憂慮される一方、オバマ大統領の対話外交や核兵器廃絶を目指すというプラハ演説で、核兵器への関心が高まりを見せています。折しもNHK衛星第一で、BS世界のドキュメンタリー<シリーズ 20世紀負の遺産を越えて>「セミパラチンスク~18年後の現実 カザフスタン核実験場跡~」が放送されるので、アメリカと旧ソヴィエト連邦(ソ連)の核開発の歴史と、核実験による放射線被爆について簡単にまとめてみました。

1.アメリカの核兵器開発
 第二次大戦末期、原子爆弾開発に成功したアメリカは1945年7月16日、ニューメキシコ州の砂漠で、Trinity Testと呼ばれた世界最初の核実験を実施しました。実験の名前にちなんで、後にTrinity Siteと呼ばれたこの地に築かれた、高さ30メートルの鉄塔上で、直径1.5メートルでTNT火薬20000トン(20キロトン)の威力を持つプルトニウム型原子爆弾が炸裂し、核時代の幕開けとなりました。周知のように同年8月6日には広島にウラニウム型原爆が、9日には長崎にプルトニウム型原爆が投下されました。アメリカはソ連の脅威に備えて核開発を続け、太平洋のビキニ環礁で1946年7月に戦後初めての核実験を行い、以後60回以上、中部太平洋で核実験を繰り返しました。



2.米ソの核開発競争
 ソ連は1949年8月、連邦内のカザフ・ソヴィエト社会主義共和国(現在のカザフスタン共和国)のセミパラチンスク核実験場(図参照)で、アメリカに遅れること4年で初めての原爆実験に成功しました。1950年代は米ソ両陣営の核開発競争が加速した冷戦の激化した時代でした。アメリカは1952年11月1日、中部太平洋のエニウェトク環礁で初の水爆実験を実施しましたが、ソ連はこれに遅れること僅か9ヶ月余りの1953年8月12日、セミパラチンスク実験場で初めての水爆実験を成功させました。増大する核の脅威と東西両陣営の対立をめぐって、1955年7月に第二次大戦後初めての米ソ首脳会談がジュネーブで開かれましたが、この年ソ連が実施した水爆実験の規模はTNT火薬200万トン(200メガトン)にも及ぶ巨大なものでした。

3.核実験による放射線被爆
 アメリカは1951年以降、西部のネバダ砂漠で兵士が目視距離で参加する原爆実験を繰り返し、参加した25~50万人の多くが、放射線被爆が原因と思われる健康被害を患っています。また、今年2月の記事に掲載のように、1954年3月1日にアメリカが行った最大の水爆実験で、アメリカが指定した危険水域外で操業中の焼津市のマグロ漁船・第五福竜丸が、強い放射性を帯びた降下物を数時間にわたり受け続け、同年9月に無線長だった久保山愛吉さんが死亡、他の乗組員達も放射線被爆による後遺症を患いました。当然、方々の核実験場周辺の住民や生態系にも被害が及びました。

4.セミパラチンスクの現実
 セミパラチンスク実験場では1949年の初回実験以来、1989年までに111回の大気中での実験を含む400~500回の核実験が行われました。1991年の実験場閉鎖からすでに18年が経過した現在も、放射能汚染の影響は続いています。BS20周年選を放送中のNHK衛星第一では、6月23日(火)00:10‐01:00に、BS世界のドキュメンタリー<シリーズ 20世紀負の遺産を越えて>「セミパラチンスク~18年後の現実 カザフスタン核実験場跡~」が放送されます。NHKとカナダの制作会社、4 Square Productionsとの国際共同制作によるドキュメンタリーです。番組では、実験場周辺で最も被害が大きかったとされるサルジャール村を中心に、放射能汚染の実態を丹念に取材。被爆による重い健康被害を抱える人々の怒りと叫びに向き合い、核の恐怖と残酷さを描いてゆきます。さらに旧ソ連の原爆研究者や医師の証言をもとに、セミパラチンスクにおける核実験の歴史を辿り、住民たちは核実験の事実を知らされず、健康被害が明らかになったあとも旧ソ連によって沈黙を余儀なくされたことが明らかにされます。実験場周辺では、今なお正常値の10倍の放射線が検出され、放射能汚染の脅威が、直接被ばくした経験を持たない第3~4世代の人々にまで忍び寄っている様子が描かれます。

5.カザフスタンで核実験停止20年の式典
 6月18日の共同通信によると、セミパラチンスク核実験場の実験停止20年を記念して、近郊のセメイ(旧セミパラチンスク)で18日、住民ら2万人以上が参加して式典が開かれ、ナザルバエフ大統領は核実験を「生命に対する犯罪」と糾弾、核廃絶を呼び掛けました。大統領は北朝鮮やイランの核問題を挙げた上で、ソ連崩壊後に世界4位の量の核兵器を引き継ぎながら、核兵器の放棄を決断したカザフスタンは「別の選択肢」を自ら示し「反核運動の世界的指導国の一つ」になったと演説。5カ国が条約を結び非核地帯になった中央アジアなどの先例を他の地域にも広げるべきだと強調しました(注:ナザルバエフ氏はカザフ・ソヴィエト社会主義共和国大統領だった91年8月、同実験場の閉鎖を命じました)。

おわりに
 現在の世界では、米、ロ、英、仏、中の核拡散防止条約(NPT)で核兵器保有を認められている締約国のほか、非締約ながら核保有が明らかなインドとパキスタン、保有が公然の秘密になっているイスラエル、保有を誇示する北朝鮮があります。南アフリカは一旦保有した核兵器を放棄し、ソ連圏で核兵器が設置されていたカザフスタン、ウクライナ、ベルラーシもソ連崩壊後に全ての核兵器をロシアに移管しました。NPTで保有を認められていない何れかの国の冒険主義や、過激派の入手が大きな脅威です。国民の多くが満足に食べられない国が、核兵器保有に走るのは実に愚かしいことです。ヒロシマ、ナガサキで被爆の恐ろしさを知っている方も、セミパラチンスクの実態を見て、将来の世代のために、核のない世界への思いを新たにしていただきたいと思います。
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2 コメント

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Unknown (あずーる)
2009-08-15 21:28:27
セミパラチンスクの放射能汚染、BSドキュメンタリーではじめて知りました。情報を公開しない政府というのは怖いですね。住民は健康被害がわかりながら、そこに住むしかないという選択肢しかないというのも悲惨です。政府を動かす人も同じ人間なのに、どうして人の命をこんなに軽く扱えるのでしょうね;;
日本としては放射能汚染を緩和するような医療支援をODAにどんどん使って欲しいとおもいます。
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ODAで核開発を支援 (保守タロウ)
2013-08-11 09:00:40
中国は自国民の飢餓を無視して核開発を優先させました。日本からのODAは核開発を始めとする軍備拡張に利用されてきました。その結果核ミサイルの照準はその援助元である日本に向けられています。ロシアや米国に核ミサイルを向けても核による報復があるので意味がありません。
その意味でも日本は核による抑止力を持たなければいずれ中国に恫喝され攻撃を受けることになります。なおいざとなれば米国の核の傘は機能しないのはわかりきっています。
その理由は上記の通りです。
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