COCCOLITH EARTH WATCH REPORT

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ビルマの竪琴にまつわる思い出

2008-03-07 23:33:24 | Weblog
 ビルマは若い方々には耳慣れない言葉でしょうが、現在のミヤンマーに相当します。原作は第二次大戦後の竹山道雄著の反戦小説で、敗戦を知らずにビルマの山河をさまよった旧日本軍一個中隊を描いたものです。音楽を学んだ隊長は兵士達に歌を教え、その一人の水島上等兵は手作りの竪琴を演奏して隊員達を和ませていました。ある村でくつろいでいた夜、敵兵に包囲されていることに気付きます。少し離れて止めてあった弾薬を積んだ荷車を歌って騒いでいる振りをしながら物陰に移動させ、隊長が突撃命令を出そうとした時、周囲の森から「埴生の宿」の合唱が聞こえてきます。凶悪な筈の日本兵達が母国の歌を歌っているのを聴いて、イギリス兵達が歌い出したのです。敵味方の兵士が手を取り合って、水島が掻き鳴らす竪琴を伴奏に歌う、音楽の素晴らしさを感じさせるこの映画の最も感動的な場面です。
 水島は隊長の意を受けて、頑強に抵抗を続ける砦の守備隊の説得に向かいますが聞き入れられず、戦闘が始まって負傷してしまいますが、ビルマ僧に助けられます(原作では現地人達に助けられたことになっています)。傷のいえた水島はビルマ僧に変装して仲間達のいる捕虜収容所に向かう途上、目にした山河に横たわる日本兵の屍の埋葬に当たりますが、あまりの多さにあきらめて収容所のある町についた朝、戦病死した日本兵を弔う英軍看護士達の姿を目にして、何年かけても山河に横たわる日本兵を埋葬しようと決意します。
 帰国が迫り、水島が戻って来るのを待ち望んで収容所の柵内で歌っている戦友達の前にビルマ僧姿の水島が現れ、竪琴で「埴生の宿」を弾きます。早く入って来いと戦友達が急かしますが、水島は黙って「仰げば尊し」を弾き、最後の「今こそ別れ目 いざさらば」を繰り返して歩み去って行きます。戦友達は、水島が収容所に出入りしていた物売りのお婆さんに託した手紙によって、水島の決意を知ることになります。

 この話を初めて知ったのは、戦後数年の小学校高学年の頃にあった夕方の子ども向けの放送劇からでした。当時は旧式のラジオ放送の時代で、放送劇といってもスタジオで俳優が情感をこめて台詞を読み、擬音と音楽で臨場感を演出しようとしていた時代です。今のように映像の有り余る時代と違って、耳を研ぎ澄まして一生懸命に場面を思い浮かべようとする、今にして思えば大変貴重な体験でした。
 映画化されたのは高校1年の時でした。釣り馬鹿日誌の「すうさん」こと鈴木建設社長役の三国連太郎が凛々しい隊長、頭を丸剃りした安井昌二が水島役を熱演し、北林谷栄の演ずる物売りのお婆さんも存在感がありました。素晴しい映画でしたが、その伏線は放送劇で聴いた、敵味方の兵隊が「埴生の宿」を歌いながら歩み寄る、ぞくぞくするような感激がありました。

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2 コメント

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Unknown (Unknown (マウス))
2008-03-10 09:40:00
2008-03-09 23:55:53

私が「ビルマの竪琴」を知ったのは、国語の教科書でした。先日TVで中井貴一が水島上等兵役、隊長は石坂浩二の「ビルマの竪琴」を放映しているのを偶然観ました。悲惨な戦争はあってはならないと改めて思いました。身近な自分の出来る事から不戦を訴えていかなければならないのだと映画は考えさせてくれました。

(この記事は、テレビ番組情報の記事に届いたコメントを移設したあものです。 管理者)
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マウスさんへのコメント御礼 (coccolith)
2008-03-10 10:02:34
コメントを有難うございます。私も中井貴一・石坂浩二の演じたビルマの竪琴を見ました。私も子供の時に耳にした放送劇以来、戦争があってはならないという思いは変わりません。若い時に見たモノクロ映画ならでは味わいと、放送劇で感じた印象が強く残っているのです。
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