COCCOLITH EARTH WATCH REPORT

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仙台平和七夕の今昔と未来

2014-08-28 18:03:59 | Weblog


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目 次

1.はじめに
2.過 去
3.現 在
4.平和国家を揺さぶる不穏な動き
5.もっとブログの活用を
6.参考情報:今年の広島、長崎の平和記念式典について



1.はじめに
 仙台七夕祭に合わせて、平和と核兵器廃絶を祈願する市民運動(仙台平和七夕)が行われている。筆者がこの運動を応援するようになって5年になるが、その間に福島第一原発の事故が起こり、平和国家の有り方を揺るがすような動きが進みつつある。過去、現在を眺めながら、仙台平和七夕の将来について思いを綴ってみた。

2.過 去
 仙台では8月6~8日の七夕祭りに合わせて、1976年からノーモア・ヒロシマ、ノーモア・ナガサキ」を訴える「平和七夕」が催されている。この年はアメリカ独立200周年に当たり、仙台七夕にアメリカ陸軍軍楽隊が参加した。広島原爆投下の記念日に米軍楽隊のパレードとはと違和感を覚えた20数名の市民達が、仙台七夕を核兵器廃絶と平和を訴える祭りにしたいと折り鶴2千羽を飾ったことから、仙台平和七夕がスタートした。立ち上げたのは『平和を祈る七夕市民のつどい』(以下で市民のつどいと略記)である。この動きは次第に共感を呼び、近年では毎年100万羽を超える折り鶴が内外から寄せられる程になった。筆者は2009年に仙台在住の友人からこの動きを知ることとなった。この年は、4月のプラハで核廃絶を目指すと明言したオバマ大統領の演説をきっかけに、核廃絶を目指す気運が例年にない高まりを見せていた。前記の友人を訪ねかたがた初めて見た仙台七夕祭の中で、一本に約4万羽の折り鶴を搭載した5本の吹流しがゆらゆら揺れている様子は、まさに壮観であった。
 当時は多くの国民が原発の安全神話を信じていた時代で、テロ対策特別措置法によるインド洋上での海上自衛艦から米軍艦船への給油が行われていたが、現在のように内閣が憲法解釈を変えて集団的自衛権行使を認めようという動きはなかった。しかし2011年に状況は一変した。3月11日に勃発した東日本大震災と続いて来襲した大津波で岩手、宮城、福島の3県は甚大な被害を蒙り、原子炉制御不能に陥った東京電力福島第一原子力発電所では、3基の原子炉で核燃料がメルトダウンを起こすという史上空前の過酷事故が起こった。未だに多数の住民が故郷を追われて避難を余儀なくされている。原子炉破損事故収束の見通しも不明で、地下水流入で大量に発生し続ける汚染水対策にぎりぎりの対応を迫られている。福島の事故はこれまでの原子力安全神話の虚構を暴き、国民の間に原子力依存から脱却を求める意見が湧きあがった。しかし世の中には原発城下町のように財政や住民の雇用が原発関連事業に依存している自治体もあり、ノーモア・ヒロシマ、ナガサキで一致しても、ノーモア・フクシマまでは唱えにくい状況もある。仙台平和七夕も震災からの復興を訴えるところまでで留まっているようである。

3.現 在
 2013年5月、仙台平和七夕開設当時からの大きな支柱であった川端純四郎さんが逝去された。『市民のつどい』にとって大きな損失であったが、その年も、そして今年2014も代表の油谷さんを中心に仙台平和七夕が盛大に挙行された。折り鶴100万羽とは大変な数である。個人で毎年多数を提供する方もあるようだ。東北地方の青少年赤十字活動が行われている学校や方々の仮設住宅在住の方々からも多数が寄せられている。東北地方以外にも熱心な協力校があるようだ。吹流しには三百数十羽の折り鶴を繋いだ、約100本の折り鶴鎖が吊るしてある。折り鶴つなぎは次の動画に示すように繊細な作業である。


 北海道の岩内ユネスコという団体からは実に26万羽もの糸を通した鶴が届いたという。バラで届いた鶴には、仙台在住のボランティアの方々が中心になって糸通しを行っている。吹流しに付け切れなかった折り鶴の鎖は、ボランティアの方々の手でレイにしつらえられ、平和な世界へのメッセージタグを付けて会場を訪れた観光客達に配られる。次の動画は今年2014年に撮影したものである。明治学院大学村山分校の女子高校生達もレイ配りに参加していた。


 『市民のつどい』代表の油谷さんは、折り鶴作製依頼を兼ねて材料を携えて協力先訪問、折り上がった鶴の受取、吹流し作製と会場での設営の陣頭指揮、祭の後の報告を兼ねたお礼参りと大車輪の活躍である。油谷さんの驚異的尽力があるからこそ、仙台平和七夕がこのように盛大に挙行されているのである。

4.平和国家を揺さぶる不穏な動き
 民主党政権は国民世論を勘案して、30年以内の脱原発政策を提示した。しかし民主党政権自壊の後に誕生した安倍政権は、原発をベースロード電源として依存し続ける姿勢を露わにしている。安倍政権は昨年、国民の知る権利と報道の自由に抵触する秘密保護法案を成立させ、今年7月1日には、代々の政権が認めていなかった集団的自衛権行使を、憲法解釈を変更して容認する閣議決定を強行した。平和憲法のもとでは、日本の自衛隊は自国が攻撃された場合に限り、その武力行使が認められていた。しかるに集団的自衛権行使の容認は、アメリカなどの友好国が攻撃を受けた場合に、それらの国の防御のために武力行使を行うこと、つまり戦争に参加することを認めることである。アメリカはベトナム戦争で味わった苦い教訓にも拘らず、アフガニスタンやイラクに軍を派遣している。しかし強力なアメリカの軍事力をもってしても、抵抗勢力を一掃できないばかりか、自国の安全を脅かすテロリストを生み出す悪循環に陥っている。戦争は戦争を呼び、多数の犠牲者を生むが、それによって平和を構築できないことを歴史が証明している。国の交戦権を放棄した平和憲法は、時代を先取りしたものである。安倍政権は秘密保護法と集団的自衛権行使容認の関連法案の成立を目論んでいることに加えて、武器禁輸3原則を撤廃し、トップセールスで武器や廃棄物処分の目途が立たない原発の輸出に奔走している。
 今年の仙台平和七夕では数年前と変わらずに『平和七夕』、『ノーモア・ヒロシマ』、『ノーモア・ナガサキ』のメッセージを付けた吹流しが揺れ動き、平和を祈る折り鶴レイが配られた。観光客は喜んで折り鶴レイを受け取っている。しかし戦後69年間平和国家として歩んできた日本の有り方が今、大きく揺らぎかけていることに意を配ることを疎かにしてはならない。末尾の参考欄で述べるように、恒例の広島、長崎での平和記念式典でも、このような国の政治の趨勢への懸念が表明された。将来も幅広い市民運動として平和国家としての日本の持続を目指すのであれば、仙台平和七夕にも何かできることがあるのではなかろうか。

5.もっとブログの活用を
 ブログは情報を発信したり、それを見た読者との間で意見交換したりできるソーシャル・ネットワーキング・サービスの一種である。2010年4月8日に仙台平和七夕のブログが開設された。2014年8月28日までの延べ訪問者数は約7550人、1日あたりにすると5人である。これは如何にも少ない。100万羽の折り鶴を折るのに一人平均100羽なら1万人、1000羽なら1000人が関わった計算になるが、鶴を折った人々のほとんどがブログの存在を知らないか、ほとんど関心がないようである。問題は如何に注目を集めるような記事を書き込むかである。内容が勿論大切であるが、標題に注目を集めそうなキーワードを入れるのも一策である。コメント欄ももっと活用できる。コメント欄は訪問者とブログ開設者が意見交換できる場である。8月7日掲載の記事に、「首飾りもらいました。一つ一つ丁寧に折られていてすごいと思いました。大事にします」と小学6年生からのコメントが寄せられている。ブログ開設者から返礼のコメントがあったら、コメントを寄せた小学生の大きな励みになったであろう。ブログに誰かが寄せたコメントに別の訪問者がコメントを送るのもよいし、送られたコメントやトラックバックを引用しながら新たな記事を掲載することで、ブログのレパートリーを広げることも期待できる。鶴を折ってくれている多数の潜在的訪問者がいるのは大変有利なことである。それらの人々の中から一人でも多くブログを盛り上げるような情報が寄せられることを願っている。
 仙台平和七夕のブログが油谷さん個人で開設したものであれば、筆者が上記のような論評をするのは全くのお門違いである。『市民のつどい』のブログとして開設されているからこそ、敢えて苦言を呈するのである。油谷さんは『市民のつどい』以外にも様々な活動に参画されておられるので、筆者が述べたようなことに携わる余裕がないかも知れない。それなら誰かに任せてみてはどうであろう。折り鶴集めから会場の設営に至るまでの作業も、一部を他の人々に任せてみたらどうであろう。任せることは人を育てることにもつながり、仙台平和七夕を息の長い市民運動として発展的に継続させて行くことにつながるのではなかろうか。

6.参考情報:今年の広島、長崎の平和記念式典について
 今年の広島、長崎の平和記念式典では、例年通りの犠牲者の鎮魂と日本政府が世界の核軍縮に積極的に取り組むことの要請に加えて、前に述べたような平和国家日本の有り方の揺らぎへの危惧の念が盛り込まれた。松井広島市長は「集団的自衛権」という用語を使わずに婉曲な形で危惧の念を表明した。田上長崎市長の平和宣言は、以下のようにもっと明解であった。「いまわが国では、集団的自衛権の議論を機に、「平和国家」としての安全保障のあり方についてさまざまな意見が交わされています。(中略)日本国憲法に込められた「戦争をしない」という誓いは、被爆国日本の原点であるとともに、被爆地長崎の原点でもあります。(中略)その平和の原点がいま揺らいでいるのではないか、という不安と懸念が、急ぐ議論の中で生まれています。日本政府にはこの不安と懸念の声に、真摯に向き合い、耳を傾けることを強く求めます。長崎平和宣言全文は、こちらで閲覧できる。
 長崎被爆者代表の城台美弥子さんの平和への誓いは以下のようにもっと鮮烈であった。「今、進められている集団的自衛権の行使容認は、『日本国憲法を踏みにじる暴挙です』日本が戦争できるようになり、武力で守ろうというのですか。武器製造、武器輸出は戦争への道です。一旦戦争が始まると、戦争は戦争を呼びます。歴史が証明しているではないですか。日本の未来を担う若者や子どもたちを脅かさないでください。被爆者の苦しみを忘れ、なかったことにしないでください』。城台さんの平和への誓い全文は、下記の動画で視聴できる。



 両式典での安倍首相のスピーチは通り一遍なものであった。終わり近くで非核3原則(核兵器を持たない、作らない、持ち込ませない)を堅持し、と述べていたが、3点目に関しては怪しいものである。8月23日付の東京新聞投書覧には、以下のような94歳の老婦人の発言が掲載された。少なからぬ方に共感いただけるのではないかと思う。なお、誌面には実名と在住町名も入っていたが、念のため消去したコピーを挿入した。


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