COCCOLITH EARTH WATCH REPORT

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オリバー・ストーンが語るもう一つのアメリカ史 5~7回目の再放送

2013-05-05 17:33:41 | Weblog

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 ストーン監督はシリーズ1回目の冒頭で、従来の通説とは違うやり方でアメリカが辿ってきた歴史を見直し、第二次大戦以降に犯してきた深刻な過ちゆえに失ってしまった何かを取り戻したいと語っています。歴史は起きてしまったことで、変えることはできませんが、それを様々なやり方で検証することから、多くを学ぶことができます。シリーズ1~4回目には、幾つもの歴史上の転換点となったことが描かれていました。安倍首相がこだわった主権回復をもたらしたサンフランシスコ講和条約締結に功あったトルーマン大統領は日本への原爆投下を許可し、米ソ核開発競争の時代を開きました。第四次ルーズベルト政権の副大統領にトルーマンでなく、ウォレスが選ばれていたら、その後の歴史は違ったものになっていたかも知れません。6月第一週に、第5~7回目の再放送があります。1950年代の冷戦構造確定から、ベトナム戦争の泥沼化によるアメリカの混迷までが描かれます。アメリカはこの時代にも、ストーン監督がいう深刻な過ちを犯した幾つかの転換点がありました。

 安倍政権は、国内での原発維持路線を巧みにカモフラージュしながら、福島の事故を経験して安全技術が向上したからと詭弁を弄して、原発技術の海外輸出路線の推進を開始しました。日本の技術が絡んだ海外で過酷事故が起きたとしたら、責任を感じてくれるでしょうか。原発問題に加えて、憲法96条改訂、TPP問題は国の大きな転換点となりうるものです。ストーン監督の語るアメリカ史ばかりでなく、第二次大戦以降に日本が辿ってきた歴史も検証すべきです。それは戦後のレジームと片付けてしまうものではなく、今後の進路の選択の貴重な検討材料になるでしょう。

何れも00:00-00:50(24時間表記)にBS1のBS世界のドキュメンタリーで放送されます。以下は番組HPで得た情報をもとにまとめた各番組の概要です。

6月4日(火)「第5回 アイゼンハワーと核兵器」
 冷戦構造が確定し、核開発競争が激化するアイゼンハワー大統領の1950年代を見る。アメリカは「力の外交」を展開し、自由主義陣営の構築を目指す。その屋台骨をダレス国務長官やポール・ニッツェなどの反共産主義者が担い、CIA長官のアレン・ダレス、FBIに君臨したエドガー・フーバーが権謀術数を張り巡らす。外交面では、パーレビ国王を復位させたアメリカはイランを中東最強の同盟国に仕立て上げるなど、政権転覆も含め、アメリカの陣営に入れようと様々な“工作”が行われた。こうした“外交”は、第三世界でのアメリカの評判を落としていったと、ストーン監督は指摘する。米ソによる対立が激しくなる中、エジプト、インド、インドネシア、ユーゴなどの国々は、「非同盟中立路線」を掲げて、アメリカと距離を取っていく。一方、対共産圏では、中国、北ベトナム、ラオスなど、アメリカは核兵器使用を検討する事態があったことに光をあてている。国内的には、軍需産業が隆盛となり、経済的繁栄を謳歌したが、海外に目を向けると朝鮮戦争やハンガリー動乱、スエズ動乱、インドシナ戦争など、ベトナムへの軍事介入の伏線が張られていく時代でもあった。

6月5日(水)「第6回 J. F. ケネディ ~全面核戦争の瀬戸際~」。
 1961年1月に大統領に就任した若きケネディは、冷戦と反共主義で弱体化した民主党にあっては希望の星だった。しかし、前年の大統領選でニクソンとの一騎打ちを僅差で勝利したケネディは、アイゼンハワー共和党政権時代の問題対処に迫られる。その一つが、CIAが立案し、亡命キューバ人を使ったカストロ転覆計画(ピッグス湾事件、1961年4月)。米軍の出動を懇願した亡命キューバ人と制服組の声をケネディは拒否。これがきっかけとなって、第三世界や共産主義圏への工作を続けるCIAやペンタゴンとの内なる闘いが生まれていく。そして、1962年キューバ危機。米ソの全面核戦争一歩手前までいく事態となった。結果的に危機を回避したケネディ。しかし、強硬策を取らなかったケネディは、フルシチョフ・ソ連首相と同じで、国内の強硬派、ミリタリー、インテリジェンスのコミュニティーから強い怒りを買うことになったとストーン監督は指摘する。それでも全面戦争の深淵を見た米ソ首脳は、部分的核実験禁止条約をまとめ、米上院で批准をみる。そして、1963年6月のアメリカン大学(AU)の卒業式。ストーン監督が「20世紀の歴史的な演説」と呼んだケネディ演説が行われた。ペンタゴン、国務省、CIAからの見解を受けず、20世紀を生きるアメリカの採るべき姿勢を青年たちに訴えた。その後に暗殺されるケネディ。冷戦の路線修正を狙った試みは潰えていく。

6月6日(木)「第7回 ベトナム戦争 運命の暗転」。
 ケネディの後を継いだジョンソンは、ベトナム戦争への関与を深めていく。そして、第二次世界大戦で投下された爆弾の三倍以上という夥しい量を、北ベトナムを中心に投下する。多くの戦場でモラルが低下し、現場指揮官が大規模な空爆でも状況が好転しないと進言する中、ジョンソンは強硬路線を取り続けた。やがて、国防長官のマクナマラとの対立が顕在化し、マクナマラは世界銀行総裁に転出させられた。国内ではベトナム反戦運動が高まり、FBIはこの背後に共産主義者が扇動しているとみて、大がかりな電話盗聴や諜報活動を展開。対象には黒人公民権運動のリーダー、キング牧師もいた。
 戦争が泥沼化する中、何度が核兵器使用について検討された。やがて、ジョンソンは再選を求めず、共和党のニクソンが大統領になった。それでもキッシンジャーたちは、徹底爆撃を指令した。ベトナム世代のストーン監督は、この時代に起きたことを様々な言葉で総括している。「ワシントンにあるベトナム戦争記念碑には58000人余の米兵に捧げられている。そのメッセージは、米国兵の損失が悲劇の中核であって、その背後に380万人以上のベトナム、カンボジアやラオスの人々がいることではない」。ベトナム戦争でアメリカは負け、アメリカ社会は大きく分断された。しかし、こうした過去の教訓は、保守層のみならず、多くのアメリカの政治家が“組織的に美化し”、大義のある戦争だったと喧伝したとする。

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