2013年1月19日(土) 心は 自分を信じて♪ 嬉しい 楽しい ありがとう♪
近所の方のお葬式に、父と隣の奥さんと一緒に行ってきました。私もかなり葬式には出ていますが、珍しく感動的な葬儀でした。
亡くなった方は元学校の先生で、88歳で亡くなりました。私はお会いしたことはありますが、お話ししたことはありません。読経の前に数分間、何枚かの写真を編集した映像が流れましたが、とても人望があった方のようです。
読経が始まり、その途中で4名の方が弔辞を読みました。最近はあまり弔辞を読むのを見ませんので、4名と聞いてちょっとビックリしました。最初が同級生の男性で、次に小学校で1年間、亡くなった先生が担任だったという教え子の男性が弔辞を述べました。
その方はずいぶん昔に1年間担任だっただけなのに、泣きながら残念ですと言われました。どうやら最近まで交流があったようです。そして、亡くなった時教え子から惜しまれるというのは、教員冥利に尽きるでしょうね。
小学校の先生というのは、人の人生に大きな影響を与えるんだなと思いました。そういえば、私の息子の小学校の担任の先生も、とてもいい先生だったなと思い出しました。何というか、教員の枠を超えた良さみたいなものを感じたのです。亡くなった先生もそうだったのではないかと思います。
弔辞の最後は、お孫さんである若い姉妹でした。その1人が、「おじいちゃんは、私に入れ歯をはずしてみせました。幼い私が怖くて泣いているのに、わざと入れ歯を外していじめたんです。でも、そんなおじいちゃんが大好きでした」と泣きながら言いました。
いじめた訳ではなくからかっただけなのでしょうが、ほほえましいエピソードでした。そして、私の斜め前に座っていた茶髪の男子高校生?と隣のセーラー服の女の子が、葬儀の間泣いていました。特に男子学生はハンカチで何度も涙を拭いていました。
葬儀が終わって、隣の奥さんにその男子学生のことを言ったところ、「私も見て、この子たち泣いてるって思ったのよ。感動した」とおっしゃっていました。その奥さんももらい泣きをしていましたし、私もちょっとウルウルしました。
亡くなった時若い人から惜しまれるというのは、その方が素晴らしい人だったということなので、とても感動したお葬式でした。
今日も読んでいただいて感謝します。