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現代日本語の「うぇぷろぐ」 古文の「ゑぶろぐ」の姉妹版
過去ログ

暴虐支那のチベット侵略

2008年04月15日 12時24分12秒 | インポート

中国はいかにチベットを侵略したか

「初めは友好的に振る舞い、そのうち暴力的になる」支那の侵略の実態、既成事実を周到に積み重ね、不条理を条理とする…。多くの民衆が死んでゆく中、不気味な力に果敢に立ち向かったチベットの戦士たちが伝える警告の書。

〔最も参考になったカスタマーレビュー〕
 支那政府により120万人以上のチベット人が殺戮され、女性は強姦され、6000もの仏教寺院のほとんどすべてが破壊され、僧と尼僧が衆目の中で交わることを強制され、幼児も赤児も容赦なく殺され、エトセトラ、エトセトラ、悪行をすべて語りつくすことはとてもできない。これがチベット「自治区」誕生の真相であることがわかる。
 支那は大量の支那人をチベットに送り込み、チベット人の土地をとりあげ、チベット語を禁じ、チベット民族の抹殺と文化の消滅を図っている。広大なチベットの領土は、資源の奪取と核兵器の実験場と化している。これは現在も進行中のホロコーストである。
 開国まもないインド首相ネールも、米国のインド大使で経済学者のガルブレイスも悪業を見てみぬふりした。日本のマスコミも含めて、世界はこのような侵略にいまもほとんど沈黙している。


 「英語女」以降、少しではあるが、毎日アクセスがあるので、続編「フランス語女」を予定していたのだが、支那五輪から正式種目の「チベット侵略抗議デモ障害隠し玉松明リレー」が始まってしまい、フランス語女の正当な批判が支那擁護と受け取られかねない事態となってしまった。そこで、とりあえずお蔵入りになっている。「暫定」税率復活までには、本来の軌道に戻る予定である。
 チベットは、古代から独立国家であったが、清の支配を受け、清の滅亡後、再び独立国家に戻った。1950年、支那人民解放軍による侵略を受け、チベットは軍事制圧された。その際、人民解放軍は、夥しい規模の破壊とともに、チベット族の大量虐殺を行った。支那では、「解放」と呼んでいる。【超入門 チベット問題】が、極めて端的に状況を説明しているようだ。
 実は、チペットについては以前より知ってはいたが、チベットに行きたいと思ったことがない。それは、チベットが現在支那領だからだ。朝鮮・支那・露西亜は、禁忌の地として踏み入れないようにしている。ただ、香港はストップオーバーで2度、パキスタン国境のクンジュラーブ峠から、支那が主張する国境を数mほど超えた事はある。インドでネパール国境近くまでは行ったが、ネパールにすら入ってはいない。
 儲かれば、チベットなどどうでも良いと、支那に媚びるJOC協賛企業北京五輪協賛企業の共産企業にご挨拶しておこう。個人的には、ここにある企業のうち、NTTが固定電話、VISAカードの会員という以外は潰れてしまってもらっても一向に構わない。

英語女

2008年04月04日 12時13分53秒 | インポート

女は愛でバカになる

 国際化、グローバル化とやらで、英語、特に英会話が突出して最重要視され、TOEIC(トーイック)やTOEFL(トーフル)の点数が、就職や昇進の足切りに使われている。これはこれで、全く意味がない訳ではないが、TOEFL(トーフル)は、北米が受け入れる留学生の英語力の試験に過ぎない。
 そもそも、他の専門科目の道具として英語があるだけで、英語力、それも会話が目的ではない。あの夏目漱石でさえ、イギリス文学を極めようとロンドンの地を踏んで、一生懸命に勉励して精神に異常を来してしまった。漱石でさえこういう状態なのだから、並みの英文科卒程度が、アングロ・サクソンの国で学部はともかく学位を取るというのは並大抵のことではない。日本語を学んだ外国人が源氏物語で学位を取るという状況に置き換えて考えてみればよくわかる。結局、語学の留学生は、語学学校に行ったり、外国人のための英語教育だとか、笑い噺のようだが、外国で日本文学や日本史だとかを専攻して日本に帰国する。あるいは、田嶋陽子のように、「女性学」とかに感染(それも生半可に)して帰国するのである。田嶋陽子は、イギリスを鼻にかけているが、大学の中でも低カーストの語学教員に過ぎない。その域にも達せず、語学学校にも行かず、ブラブラ滞在して形だけ「留学」の不良日本人が数多く米英に巣くっているのだが。
 逆に、毛唐(コーカソイド)が日本で語学教員になるのは、極めて簡単で、大卒程度で(あるいはそれ以下でも)、どっかの田舎英語(訛りだらけのオーストコリア語でも)を大学~英会話学校~中学高校のティーチング・アシスタント(TA)など簡単に職を得ることができる。
 留学して愛国心に目覚める語学教員もかなりいるのだが、こういった英語を鼻にかける英語被れは女に多い。売国奴・松井やよりも、外語大の英文科卒である。本稿では、こういった人種を「英語女」と呼んでいる。
英語が得意な日本人
その女性は別に変な人ではなかった。それほど親しいわけではない知り合いといった日本人男性と二人で入ってきたが、その瞬間から私はイヤーな感じがした。カウンターの私のすぐ隣にドシンと腰を下ろす。隣の人間との間で「自分の空間」を加減する気配が感じられない。そしてきわめて流暢な英語でカウンターの前にいる料理人に話し始めた。まず注文だが、それも一言や二言では終わらない。「ペラペラしゃべれる」というのはこういうことなのだろう。しかし私なら、仮に外国語がよくできても注文を出すだけにこれだけの単語は費やさない。日本語でならなおさら。
 しかしすでにその段階で料理人には通じていなかった。ここの料理人たちの多くは英語はそれほど話せないと思う。第一彼女の英語はこの辺で普通に使われる英語とは違う。アメリカの英語のようだった。次に、さらに流暢かつ高速の英語で料理人に向かって「ミスターササキ」(ロータスレストランのサウジ)について質問をし始めた。もちろん通じるわけがない。
 この女性は一緒に来た日本人男性とは普通の日本語で会話していた。英語はとてもよくできていたので、NOVAで仕込んだとかでなくて、アメリカに長く住んでいたかアメリカの学校に行った人なのだろう。しかし、自分の言葉がいくらすばらしく模範的であるとしても、現に通じていないということはすぐにわかるはずではないだろうか。どうして彼女はもう少し「別の英語」で話してみようとはしないのだろうか。
 もしも彼女が、(私が話すような)日本で普通に教わる学校英語でしゃべっていたら、彼らにも通じたかもしれない。本当を言うと、日本語と同じ順に単語を並べるだけでもここではよく通じるのだが・・・・。それに、通じていないとわかったなら、なぜシャベリの速度だけでも少し落とそうとしないのだろうか。立派な語法と発音を維持したままでも速度を落とすことはできるはずだろう。
 しばらくしてからこの女性は、ミルクティーを飲みながら本を読んでいた私の横で、私のすぐ脇のカウンターに叩きつけるように自分の荷物を「ドン」と置いた。怒っているわけでも嫌がらせをしているわけでもなく、それが彼女の「文化」でありごく自然な普通の振る舞いのようであった。
 私はその瞬間に店を出ることにした。「こうなっちゃうともう日本人とはいえないね」と思いながら。英語文化というのはわれわれにとって危険な文化だと思う。日本人を「得体の知れない東洋人」(=世界では三流四流の存在、もちろんネパール人以下)に変えてしまう力を持っているように見える。
 ネパール人やインド人は英語がいくらよくできてもネパール人たることまたはインド人たることをやめない。日本人は特にこの種の感化に弱いようである。

 文部科学省の失策は、初等中等教育の「ゆとりの教育」だけではない。大学の独法化と並び、1983年(昭和58年)、高等教育において、中曽根内閣の「留学生受入れ10万人計画」や外人教員、女性教員優先がある。留学生10万人は10年後の1993年(平成15年)に達成してしまった。その結果どうなったのか、8割が特定亜細亜(支那・北下朝鮮)で、犯罪が増加、治安が悪化、若年労働者の就職先がなくニートと呼ばれるカーストが出現、不法就労、不法滞在、伝統文化の衰退、日本の美学の破壊、そしてスパイや反日工作員の侵入などを惹き起こした。例えば、上海の俳優で、支那語の語学教員の葉千栄や上海の語学大学卒の莫邦富などを思い浮かべれば良い。田嶋陽子も葉千栄もNHKテレビの語学講師をしていたのは偶然ではない。
 支那はえげつないが、アメリカも負けてはいない。フルブライトで、左翼を留学させて慰撫し、逆にスパイや工作員として、日本に次々送り込んだ。留学生というのは、どの国も国益のために受け入れているのだが、文部科学省は違うようで、日本を破壊するために行っている。ゆとりの教育の責任者(戦犯)であり、最後の文部事務次官で、初代文部科学事務次官の小野元之は、毎日新聞に下の記事を載せている。
 大学では過激な学生運動をしていて、「権力を倒すには暴力が必要である」と本気で考え、デモもした。しかし、本当に世の中を変えるには「内部に入ってやらねば」と公務員になりました。

 文部科学省は、留学生30万人計画を先ほど打ち上げた。30万人の根拠は現在の高等教育機関の学生総数の10分の1。つまり、大学生の10人に1人は留学生にするというのだ。10分の1もなぜ引き受けるのかというと、ヨーロッパの水準に合わせたのだそうだ。特急列車で3時間で別の国のヨーロッパに数値だけを合わせる愚。天下り機関や省益のために、国を売る行為に他ならない。

小和田雅子 醜悪なるもの

2008年04月03日 16時32分27秒 | インポート

おめでとう皇太子さま・雅子さま―愛子さまお誕生記念写真集

 宮内庁の皇太子と雅子の日程を見てみると、雅子は、コーカソイド(ただし、アラブ系を除く)の大使や来賓とは会っているのに、他人種の大使や来賓とは会っていない。香淳皇后(昭和天皇妃)の葬儀は欠席し、自分の母方の祖父の江頭豊の葬儀には、皇太子に愛子ともども3日も参列した。事実だけを連ねるだけで、その醜悪さに反吐が出る。
 母方の祖父、江頭豊(えがしらゆたか)は、江頭安太郎海軍中将の3男で、長男は隆、その長男が、江藤淳こと江頭淳夫(えがしらあつお)で甥にあたる。その甥は、江頭家を佐賀藩主鍋島家の手明鑓(てあきやり)という身分の下級藩士と推測しているが、史料や系図が一切なく、賤しい出自であると考えられる。
 佐賀鍋島藩と言えば、藩校での成績で、家禄を減らすという歪な教育偏重を行った藩として知られる。「佐賀んもんの通った後はペンペン草も生えん。」と謂われ、平野しかないため、資源がなく、雑草1本でも拾って行って肥料にするほど吝嗇で、現在でも、車を合流させないなど、オランダ(インドネシアを徹底的に搾取し、それまで低かったオランダ人の身長が高くなった。独立にあたって金を取った。)に酷似している。この風土は、江藤新平(佐賀の乱)、牟田口廉也(盧溝橋事件独断専行、インパール作戦)など、試験の成績は良いかもしれないが、周囲や国家に百害をもたらした悪鬼を輩出している。詳細は調べていただければ良いが、独りよがりで意地汚く、とにかく、潔くない。出身者には「鬼畜」と呼ばれる人材が多い。
 母方の祖父、江頭豊は、日本興業銀行から、水俣病を引き起こしたチッソに専務として入った。社長時代、水俣病の原因が工場にあると知りながら稼働し続け、患者や家族に謝罪はしても補償に応じず、悪質なデマを流し、患者や家族を冒瀆し続けた。会長時代の1972年1月7日、千葉県市原市のチッソ石油化学五井工場で、警備員(を装った暴力団員)ら約200人に、自主交渉派の被害者ら15人を集団で襲わせた。「ライフ」誌などに水俣病の現実を発表し続け、「MINAMATA」を世界に知らしめた写真家、ユージン・スミス(53)と妻のアイリーン・美緒子・スミス(21)が同行していたが、この江頭豊の意を汲む暴力団にカメラを壊され脊椎を折られ、片目失明の重症を負い、アイリーン・美緒子・スミスは強姦された。ユージン・スミスは、時間とエネルギーを写真に向けるため告訴せず、アイリーン・美緒子・スミスと離婚後の1978年10月、アメリカで貧困生活の中、後遺症が元でスーパーマーケットで発作を起こし死亡。1999年、ユージン・スミスの娘も14歳で強姦されている。江頭豊は、その後も、相談役としてチッソに君臨した正しく鬼畜である。
 こんな鬼畜・江頭豊の孫娘達の幸せそうな写真「小和田姉妹」と、ユージン・スミスが撮影した、15歳の胎児性水俣病の悲惨な「入浴する智子と母」(21歳で死亡)を見比べて見るが良い。これだけでも、鬼畜の孫娘、雅子は幸せにはなってはならないと思う。
 江頭豊の地所(東京都目黒区南一丁目)に、雅子の実家はある。父小和田恆(ひさし)は、実質入り婿である。この小和田家の血筋もかなり怪しい。なりすまし説(朝鮮人疑惑)の根拠に、父方の祖父、毅夫と父、恆は、村上から新潟に墓を移した際、曽々祖父、曽々々祖父の墓も移さず、村上来訪の際も墓参もしなかったと言われる出来事がある。小和田恆は、優美子ともども創価学会(大鳳会)との繋がりがある売国奴で、雅子も同様であるそうだ。小和田恆は、収賄疑惑が多く、雅子を差し出さなければ、監獄に収監されていたのは間違いないそうだ。
 売国奴とすれば当然かも知れないが、下劣醜悪極まりない。
さらば外務省!―私は小泉首相と売国官僚を許さないでは、
出張先で夜中「缶切りをもってこい。」と要求があり、持っていくと「その缶切りを試したかい。」と質問があり「試してない。」と答えると、そのままドアを閉めてしまった。

同じく、さらば外務省!―私は小泉首相と売国官僚を許さないでは、
中途退職した二人の外務省OBの生きざま
 外務省を見限って課長を最後に退職したOBに、浅井基文と岡本行夫がいる。しかしこの二人の生きざまはあまりのも好対照である。
 私の六年先輩にあたる浅井基文は、日米安保条約を聖域視する対米従属外交に失望し、中国課長を最後に退職した。その後まもなく『日本外交』を出版し、安保条約に全面的に依存する日本外交の危うさを訴えた。その浅井を、外務省は組織をあげて潰しにかかった。直接、浅井から聞いた話だが、退職した当時の次官であった小和田恒は、「今後もし外務省に弓を引くような真似をすれば、省をあげて潰しにかかる。」と、面と向かって引導を渡したという。若い外務官僚たちもこれに迎合するように、「霞ヶ関に近づけば押し返してやる。」と悪態をついたという。ろくに勉強もせず経験もない駆け出しの若い官僚が、先輩に対しここまで品のない言動をとってしまうところに、外務省の質の低下を感じる。

防衛省OB太田述正ブログでは、
私は雅子さまとは面識がないのですが、防衛庁勤務時代の1981年に米国出張した折、外務省に本籍を置いたまま一時ハーバード大学の国際法の客員教授をされていた小和田恆氏に同大学の同氏の研究室でお目にかかったことがあります。
 当時防衛庁に出向していた私の部下の外務省キャリアを通じて、東京からアポイントをとったのです。
 その頃私は、日本の安全保障政策がいかに歪んだものであるかを訴える評論活動を匿名で行っており、「諸君」等に発表した拙稿のコピーを渡し、同趣旨の話をしました。
 しかし、小和田氏は、学者としてではなく、防衛庁キャリアを小バカにしている典型的な外務省キャリアとして、そして対米従属を当然視している典型的な外務省キャリアとして私にお接しになられた。
 それはとんだ誤解だと小和田氏はおっしゃるかもしれません。
 しかし、氏が日本の安全保障政策の現状と将来に深刻な危機意識を持っていた私とほんの少しでも共鳴しうるものを持っておられたとすれば、私がそんな印象を抱いたはずがありません。
 最初から露骨に私を小バカにしたような退屈そうな顔つきをされていた小和田氏は、20分ほど経ったか経たないうちに私に退去するよう促されたのですが、ニューヨークに国連から委嘱された仕事で赴く途中、(ボストンではもう一箇所某研究所を訪問しましたが、)わざわざ遠回りしてボストンに寄った私は、その程度で追い出されてたまるか、と氏に食い下がり、更に10分ほどねばってから部屋を退去した記憶があります。

渡辺亮次郎のエッセイ(リンク切れ) では、
国際司法裁判所の判事とやらに選出されたからである。皇太子妃の実父だから昔なら批判ご法度なのだが、最近の世相はだからと言って口さがない。数年前、現職の小田判事を「任期途中で辞めさせてでも、」と、就任工作(小田にとっては辞任工作である)をやらせたのはひどかった。」とか「あんな顔していて、実にカネに汚い。」とか「公私混同がひどい。」とか「嫁入りに持たすタンスをえらく値切られた。」という友人もいた。「そりゃお前、めでたいんだから、お前んちのほうで値切って差し上げたんだろうからいいことをしたな。」とはなったが、ケチで鳴る小和田さんも他人の国際紛争ではけちはしないだろう、で落ち着きかけた。皇室の親戚がケチで何が悪い。ところが「まだわからんぜ。」と付け加える仲間が言った。」何しろ誰も鈴を付けに来ないことをいいことに国連大使に5年も居座って、まだ降りようとはしなかった。後任の佐藤行雄が3年10ヶ月できちっと辞めて、もう東京にいるよ。そんなだから、小和田さん、判事の任期(7年)に果たして何期しがみつくか、興味津々だね。」と、これは後輩外交官だった。結構、口が悪い。

 その娘、雅子、父恆、母優美子の第1子として、昭和38年12月9日誕生。 11歳下に礼子(父恆のコネで国連難民高等弁務官事務所職員)、節子という2人の双子の妹がいる。父恆の赴任先モスクワとニューヨークで過ごし、7歳で帰国。小学校4年からは東京・世田谷区の私立田園調布雙葉学園小学校に編入。高校1年の1学期まで在籍。父恆がアメリカ公使の肩書で、ハーバード大学客員教授を兼任。ボストン郊外のベルモント高校、ハーバード大学(私立)に入った。アメリカの大学は、教員や有力者の子弟は無試験に近い状態で入学できる。パパブッシュの出たエール大学に押し込んだ馬鹿ブッシュを思い出せば良い。まして外国人。卒論も、糠沢和夫経団連理財部長と東京銀行の真野調査部長、国際金融情報センターの榊原総務部長(いずれも当時)への謝辞が綴られ、父恆のコネで錚々たる面々に代筆させた。
前年の夏休みに小生がご父君(小和田恒・現外務事務次官)からの紹介でお目にかかり。経団連の食堂で昼食を共にさせて頂きながら、石油ショックに対するマクロ・ミクロの対応などについてお話をした。

よほど学歴にコンプレックスがあってのだろう、易しい帰国子女枠で東京大学法学部(経済学部は不合格)に再入学している。在学中に外交官試験で外務省に入省。これは小和田恆のコネの縁故採用だろう。国費(税金)でオックスフォード大学大学院に留学し、修士号も取れずに帰国(税金の無駄使い)しているので、脳味噌の程度がわかる。大鳳会(創価学会)、世界遺産ともいえる皇室の伝統を破壊しているのも理解できてしまうのである。


4月2日の怪

2008年04月02日 16時52分51秒 | インポート
← メコンデルタ最大の都市、カントーで、白いアオザイの制服で通う女子学生(ベトナム)
 暫定税率がなくなり、ガソリンは安くなったが、25円/? まで達していない。間違いなく、1月後の値上げのときは、即刻25円/? 以上便乗値上げになる。値下げは少なく、値上げはバン、食料油、牛乳、紙、電気、ガスに車と10数%から35%の異常な値上げが続く。給与は上がらないのに、食料品が高騰して、生きにくい時世になった。
 4月2日、新学期は4月1日なのに、4月1日生まれは、1学年上で、4月2日生まれから、1学年下という4月2日の怪の日である。理由はここにだらだらと書いている。法曹というのは愚民に知らしむべからず、由らしむべしのようで、1度読んでも分からない。
自分なりに理解して、簡単に言うと、小学1年を例に取ると、

「新学期が始まる4月1日に6歳の子供だけを1年にした方が気持ち良い。」

というのが理由のようだ。4月1日生まれは7歳だから、爪弾きにした方が、役人か法曹家が、気持ち良いのだろう。4月2日からなので気持ち悪いとか、春休みなので、1日だろうが2日だろうが関係ないとか、そもそも、同年齢を集めるのが良いとか一切考えていない。
 道路特定財源でマッサージチェアを買うと、役人が気持ち良いし、愚民の年金を使い込む社保庁の役人が気持ち良い、退職後に天下りで税金を使い込むと、元役人が気持ち良いのである。

学校教育法(昭和22年法律第26号)
第二十二条 保護者〈中略〉は、子女の満六歳に達した日の翌日以後における最初の学年の初めから、満十二歳に達した日の属する学年の終わりまで、これを小学校〈中略〉に就学させる義務を負う。〈後略〉


この学校教育法の文言の「翌日」を削れば良いのだが、昭和22年から、61年間このまま、腐って風化して崩れ落ちている憲法ももうすぐ62年間使い続けている。悪いものは直すとか、削るとかということも思いつかないし、実行もして来なかった至上の怠惰こそ、4月2日の怪であろう。

4月馬鹿とマスゴミ

2008年04月01日 16時38分34秒 | インポート

「反日マスコミ」の真実 (OAK MOOK―撃論ムック (126)) (ムック)

 4月馬鹿というのは、下のように午前中だけだそうだから、もう今年のエイプリル・フールは少なくとも日本では終わったはずなのだが、日本には1年365日(今年は366日)、1日24時間嘘を垂れ流し、愚民を啓蒙するマスゴミが控えているので、こんな風習は要らない。まして、日本の場合、新年度の初日であり、第1日目に、人の言葉を信用できないというこんな悪習は止めるべきである。
 今年の場合、暫定税率が下がり、マスゴミや福田康夫らによると、混乱が生じるそうだが、消費税の場合を見ればわかるように、低税率で仕入れておいても、値上げの場合は有無を言わせず値上げ、値下げだと混乱が生じるそうだ。値下げを行っているGSも値下げ幅の中に便乗値上げをしている。政府もマスゴミも生産者しか見えないようで、おとなしい消費者は見えないようだ。焼き討ちでもしないとわからないのであろう。

4月馬鹿(April Fool's Day、万愚節、Poisson d'avril(4月の魚))

 4月1日自体を指すこともあるが本来は当日の午前中がその対象。江戸時代に日本に伝わり、「不条理の日」といい、日ごろの不義理を詫びる日だった。イスラム教においてはこの習慣はコーランに著しく反しているため、禁止されている。

 エイプリルフールはヨーロッパが発祥とされるが、その起源は不明。有力とされる起源説には、

1)ヨーロッパでは3月25日を新年とし、4月1日まで春の祭りを開催していたが、1564年にフランスのシャルル9世が1月1日を新年とする暦を採用した。これに反発した人々が、4月1日を「嘘の新年」とし、馬鹿騒ぎをはじめた。フランスで、「4月の魚(Poisson d'Avril)」というのは、一説によると、子どもたちは1月1日にお年玉をもらい、4月1日にはごまかしの贈り物をやりとりしたことから始まったとされる。また、4月生まれは魚座ではないことから、「4月の魚=嘘」となったとも、4月になって暖かくなると、魚がいともたやすくたくさん釣れることから由来している、ともいわれている。
 シャルル9世はこの事態に対して非常に憤慨し、町で「嘘の新年」を祝っていた人々を逮捕し、片っ端から処刑し、処刑された中には、まだ13歳だった少女までもが含まれていた。この事件に非常に衝撃を受け、フランス王への抗議と、この事件を忘れないため、その後も毎年4月1日になると盛大に「嘘の新年」を祝うようになっていった。そして13歳という若さで処刑された少女への哀悼の意を表して、1564年から13年ごとに「嘘の嘘の新年」を祝い、その日を一日中全く嘘をついてはいけない日とするという風習も生まれた。その後、エイプリルフールは世界中に広まり、ポピュラーとなったが、「嘘の嘘の新年」は次第に人々の記憶から消えていった。
2)インドで悟りの修行は、春分から3月25日から31日までの1週間、行われたが、つらい修行が終わった4月1日には、悟りの境地から再び迷いの世界に戻ってしまうため、からかいの行事を行うようになったというもの。迷いが生じることから、「揶揄節」と呼んでからかったとする説。
3)ノアの箱船を起源とするもの。ノアは洪水が治まった頃に陸地を探すために鳩を飛ばしたが、鳩は陸を見つけられずノアのもとへ戻ってきた。伝説ではこれが4月1日とされており、無駄なことをさせられる日というもの。
4)キリストがユダに裏切られたのを忘れないように設けられたというもの。
5)一日だけ主人と使用人が入れ替わるという古代ローマの逆さまのお祭りがルーツというもの。ローマではこの日だけは主人が奴隷に仕え、道化師が聖職者になり、といった逆さまのどんちゃん騒ぎが行われたといいます。いつもなら身分の一番高い人が座る席に道化(Fool)を座らせて無礼講の君主(The lord of Misrule)としたことから、という異説もある。

 軽い悪戯でうそをついたり人を担いだりしても咎められないという風習が18世紀頃から欧米で起こり、日本にも大正時代に伝わった。