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おフランス(aux France) その3

2008年05月23日 18時27分20秒 | インポート
← セーヌ川(La Seine)
 1961年10月17日にアルジェリア人の非武装で平和的なデモ隊を警官隊が襲撃し、パリ市内の至るところでアルジェリア人に対する虐殺が行われた。
 虐殺を免れたアルジェリア人も逃げ場を失い、次々とセーヌ川に身を投じた。また死体もセーヌ川に捨てられ、セーヌ川は血の色で染まった。


フランスの野蛮性の検証
~西欧の朝鮮・東北アジアのフランス~


 1961年10月17日、パリのど真ん中でアルジェリア戦争(1954~62年)に反対する3万人のアルジェリア人の非武装で平和的なデモ隊を警官隊が襲い、70~200人を虐殺し数百人が負傷、死体をゴミ箱やセーヌ川に投げ入れるという虐殺(Paris massacre of 1961)が発生した。
 10月06日に警官がアルジェリア民族解放戦線(FLN)に襲撃されると言う事件が起こり、パリ市警視総監のモーリス・パポンは「一発やられたら10倍にして返す。」と警官の葬儀の際に発言し、パリのアルジェリア人に対し、夜間外出禁止令を命じた。騒然とした緊張感が高まった17日の夕方、「アルジェリア人のアルジェリア」をスローガンに夜間外出禁止令への抗議デモを行ったところ、彼らに対する鎮圧は地獄絵となった。
 パリ市内の至るところでアルジェリア人に対する虐殺が行われた。虐殺を免れたアルジェリア人も逃げ場を失い、次々とセーヌ川に身を投じた。また死体もセーヌ川に捨てられ、セーヌ川は血の色で染まった。翌日パリ警察からの死者の発表はわずか2人。日を追うごとにセーヌ川の岸におびただしい数の死体が打ち上げられていったが、警察はこの死者の数を訂正しなかった。さらに酷いことには、この事件が起こったことは、1998年まで秘密にされてきた。
 アルジェリアが地中海を挟んだフランスに支配されたのは1834年。それ以来、フランスは130年近くに渡ってこの地を支配し、100万人以上のフランス人が入植し、アルジェリアを海外直轄県(オラン県・アルジェ県・コンスタンチン県)と称していた。日本の大東亜戦争によって、世界秩序が変わり、白人の圧政に対し、独立の機運が高まり、1954年にアルジェリア独立戦争が始まる。1962年まで続いたこの戦争はアルジェリアに約100万人、フランスに約10万人の犠牲者を出した。
 フランスは、アルジェリアを海外県として、「フランスの秩序を乱す内乱」と捉えていた。フランスがこの戦争を「内乱ではなく独立戦争である。」と認めたのは、戦争が終結して40年近く経った1999年のことである。
 多くのアルジェリア人がフランス人として戦争(普仏戦争、第一次世界大戦、第二次世界大戦、インドシナ戦争など)に駈り出された。第一次大戦の激戦地ベルダンでは1万5000人のフランス軍兵士が命を落としたが、そのうちの600人はアルジェリア人であり、イスラム教徒である彼らの墓には十字架は存在しない。アルジェリア戦争でも多くのアルジェリア人がフランスのために祖国と戦い、アルジェリアで命を落とした。
 アルジェリア独立戦争にフランスは敗れ、現在でも、アルジェリア出身と聞いただけで、フランス人は、敵意をその移民に抱くようだ。インドシナ戦争やアルジェリア戦争でのフランスの残虐行為は、言うまでもない。

 2005年10月27日にフランス・パリの東にある郊外から全国に飛び火したパリ郊外暴動事件が発生した。北アフリカからの移民は、警官隊に向かって銃を撃ち、全く罪のない非移民を1人殺し、店舗を壊し、無数の車を燃やした。もっとも、フランスでは大晦日に毎年400台程度の車が燃やされるそうだから、それほど大したことではないらしい。
 ユダヤ系のサルコジ内相(当時)は、北アフリカからの移民を「社会のくず(Racaille)」、「ゴロツキ(Voyou)」などと品性のかけらもない暴言で罵倒し、フランス人の共感を呼んだ。この暴言により、大統領に選出されたとも言える。また、北アフリカからの移民の暴動の原因に、ラップをあげる新聞などが複数あり、「なんでもアメリカのせい」(アンチ・アメリカ主義 anti-americaine)という、フランス人の属性を曝け出し、とりわけ周辺諸国のメディアをはじめ、傍観者の失笑を買った。

 欧州諸国中イスラム教徒の人口が一番多く、「自由・平等・博愛」の共和国原理をもつはずのフランスだが、フランスにおける移民の分離・失業・社会的疎外状況は、西欧諸国の中で最悪な状況である。ところが、暴動が起こるまで、社会党のシラク大統領(当時)は、「フランスに移民問題は存在しない。」と、アメリカの移民問題を批判していた。ドイツやイギリスなどには移民の面倒をみたり、移民に非暴力を教えるクラブや組織のネットワークが存在するが、フランスにはなく、他の国では、2世以降の移民がスラムや分離された下層階層から抜け出て就職するのが可能だが、フランスでは極めて困難である。また、フランスだけには、抗議を暴力に訴える長い伝統がある。その意味では、移民はフランスの農民や組合員がやってきたことに倣ったに過ぎない。

 この伝統に則り、「南京虐殺」、「従軍慰安婦」、「靖国神社」など事実歪曲の反日批判を繰り返している。

 平気で嘘をつく、自分が優位に立てる行為には、落ち度のない相手でも怒鳴る、故意に物事を複雑にする、他人が熱意をもって説得しても、そっけないほどつっけんどんなくせに、自分が関心のあることだと厚かましいほど熱心。何かにつけて、Viva la France!(フランス万歳!) Viva la République française!(フランス共和国万歳!)。 これがフランス人である。 

 まとめると、無愛想で嘘つきで自分勝手で自己中心主義、世界中から嫌われている。どこかで目にしたような、・・・。と思ったら、朝鮮人だった。共和国万歳!(Viva la République!)。
 ユーラシアの西と東の端の半島と考えれば瓜二つだ。そういえば、ヴィエトナムもフランスなんかの植民地になったため宗主国に倣って、特に、ヴィエトナム戦争以降、品性劣悪な国に堕ちてしまった。以前は、性格の良い民族だったらしい。ラオ(これもフランス語の綴りが複数形のLaosでラオと読むが、英語では語尾の「s」を読むのでラオスになってしまった。)でも、久しぶりに最近訪れてみたら、ボッたくっられて、無性に腹が立った。また、行ったことはないし、内戦や伝染病が蔓延していて、大金を積まれても行きたくもない、西アフリカなんかも旅行記を読むと同じようだ。

フランス人の反日語録

シャルル・アンドレ・ジョゼフ・ピエール=マリ・ド・ゴール (Charles André Joseph Pierre-Marie de Gaulle)大統領
池田勇人首相を「トランジスタ商人」呼ばわり。

ニコラ・ポール・ステファヌ・サルコジ・ド・ナジ=ボクサ(Nicolas Paul Stéphane Sarközy de Nagy-Bocsa)大統領
「率直に言うと、日本よりも支那の方が好きだ。香港は魅惑的な都市だが、東京は息が詰まる。京都御所も有名な庭園も陰気だった。」、「ポマードを付けた太った男同士が戦うことが魅力的なのか。相撲は知的スポーツではない。」

エディット・クレッソン(Édith Cresson)首相(社会党)
「日本人はウサギ小屋に住み、2時間もかけて通勤するワーカホリック。」
人種差別発言に対し、抗議した日本政府に対し、「市場において我々に何の利益ももたらさない国からの抗議は受けられない。」
在仏日本国大使に対し、「日本人は蟻。何度殺しても出てくる蟻。」
「日本は規則も守らず世界征服を企む。」、「欧米を出し抜くことに懸命な黄色いチビ。」

ローラン・デュマ(Roland Dumas)外相(社会党)
1994年にカンボジアのポル・ポト派とフン・セン派の和平交渉が成立した際、「カンボジアは日本が侵略して以来混沌の極致にあったが、いまやっと平和の火が灯された。」

 フランスは、全世界に武器を輸出し、戦争を拡大させて血をすすっている死の商人の国なので、お得意様の支那には頭が上らないのだろう。三色旗にハーケンクロイツを書いてもらってはどうだろうか。ついでに、猿居士は変態、呉損は売春婦と書いてもらうのはどうだろうか。ナボレオンやジャンヌダルクと同等の扱いなら鼻が高いだろう。カールフールは毒餃子というのも忘れないように。
 他の言も酷いが、呉損という社会党の馬鹿女は気違いそのものだ。ロシアのプーチンなら刺客を送っている。大東亜戦争で、フランスの植民地支配を終焉に導いた日本に殺意を抱いているのである。デュマは、フランスの過酷な植民地支配からヴィエトナム、カンボジア、ラオを解放した日本を逆にフランスに置き換え、歴史の捏造、フランスがどの面してと、まさに「西欧の朝鮮」。当時の映像で、フランスの女がウィエトナムの子供にお菓子を地べたに投げ与えているのが残っている。人間扱いをしていないのがよくわかり、腸が煮えたぎった。
 そもそも、ディエンビエンフーの戦いとか、弱いくせに無益な戦闘を行い、ボロ負けを喫し、アメリカの介入を招いた。カンボジアでも、ポルポトの共産党をクメール・ルージュ(赤いクメール、フランス語)というように、フランスの左翼が援助し、フランスのお家芸の虐殺を叩き込み、120万人と呼ばれる大虐殺を行わせた。

 この人類に対する大罪を犯したフランスの責任回避と日本へのなすり付けは絶対に許してはいけない。

 補足すれば、フランスはこの時、シラク大統領だったか、カンボジアにコックを連れて入り、「本格的なフランス料理に飢えていただろう。」と、カンボジア政府要人をもてなしたが、自己中心の中華思想の馬鹿丸出しが周囲の失笑を買った。

つい最近できたばかりのフランス(その1)
 フランスは、欧州諸国中イスラム教徒の人口が一番多いというのに、現在の大統領が2005年11月に、暴動を起こしたイスラム教徒たる市民を「クズ」と呼ぶような国なのだ。
 このフランスの凋落ぶりは目を覆うばかりだ。
 英語圏で知られているフランスの作家は、今や余りばっとしない小説家のウェルベック(Michel Houellebecq、1958(1956?)~)くらいなものだし、フランスの哲学者に至っては皆無で、デリダ(Jacques Derrida、1930~2004)が嘲笑的に思い出されるくらいのものだ。
 フランス料理の人気は下がるばかりだし、パリが流行の中心をニューヨークとロンドンに譲ってから久しい。


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