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続続・犯罪者と売国奴養成大学 東京大学法学部・経済学部・工学部

2011年04月13日 19時04分22秒 | インポート
 平成23(2011)年03月11日14時46分18秒、日本の太平洋三陸沖を震源として発生したM9.0の東北関東大震災が発生。津波や東京電力福島第一原発、福島第二原発からの放射性物質による被曝が続いている。菅直人や東京大学卒業生の無知・無責任・無能・無恥・嘘吐き、隠蔽による人災であり、死者3万人、被爆者数百万人。日本国民の生命、健康、財産、未来、国益が損なわれつつある。

「民は之に由らしむべし。之を知らしむべからず。」 論語泰伯第八196章

東京大学法学部出身者
東京大学法学部卒 石田徹(58) 
 昭和50(1975)年04月通商産業省入省、平成元(1989)年06月資源エネルギー庁長官官房国際原子力企画官、10月資源エネルギー庁長官官房原子力広報推進企画官と原子力関連に関わり、平成20(2008)年07月資源エネルギー庁長官に上り詰めた。平成22(2010)年08月22日、経済産業省資源エネルギー庁長官を退官し、わずか4ケ月の平成23(2011)年01月01日、東京電力の顧問に就任。枝野幸男官房長官は02日の記者会見で「(国家公務員の)退職管理基本方針に沿ったものであると経産省を通じて報告があった。再就職の斡旋はなかった。」と問題はないと強弁。平成21(2009)年10月21日、小沢一郎民主党幹事長の意向で日本郵政の社長に斎藤次郎(当時73、現在75)を天下りさせたのと同じ構図だ。
 資源エネルギー庁長官経験者の東電への天下りは石田徹で2人目。で雲隠れした原発官僚がいる。天下りの不文律として、退官直前と同額程度(年収約1860万円)。
 ところが、震災以降、東京電力の対策本部にも属さず雲隠れ状態で、石田の役割は、経産省の上層部に電話し、東電の首脳に経産省の意向を伝える連絡役に徹し、東京電力の賠償額を出来るだけ減らすため策動している。ほとぼりが冷めた頃に副社長に昇格する予定。国民の生命と財産を脅かし、省益と民間企業の利益だけを追求している。
枝野幸男官房長官は04月18日の会見で、「経済産業省幹部の電力会社への天下りを自粛させる。」と発表し、辞任を促し、東京電力に「一身上の都合で退任したい。」と連絡し、辞意を伝えた。04月いっぱいで顧問を退任する見通し。

 石田氏は資源エネルギー庁の長官を去年8月に退任した後、わずか4か月で東京電力の顧問に再就職=いわゆる天下りをしていましたが、

東京大学法学部卒 ハーバード大学法科大学院修了 西山英彦(54)
 経済産業省大臣官房審議官(通商政策局担当)。事故直後の03月12日午後の時点では、本来の担当者である、原子力安全・保安院の中村幸一郎審議官(原子力安全基盤担当)が記者会見を行っていたが、「(1号機の)炉心の中の燃料が溶けているとみてよい。」という当たり前の発言を隠蔽を目論む枝野幸男や菅直人が封殺するために更迭。翌13日午前05時から、原子力安全・保安院の会見に同席しているが、平成19(2007)年、資源エネルギー庁時代も電力・ガス事業部長であり、原子力に関して専門知識も科学知識もないカツラを被ったド素人。こんなのがスポークスマンとして記者会見に臨んいでいるのは、余程、民主党の隠蔽体質が身に備わっているのだろう。それともカツラは在日朝鮮企業からの賄賂なのかも知れない。
 片山さつき(51)(東京大学法学部卒)は03月19日、「私が政務官時代、寺坂保安院長は、次長、『ズラ疑惑』がネットで流れている西山次長は、通商の米州課長から企画調整課長に代わったところでした!」と西山英彦のカツラ装着を暴露した。ただ、当時の西山の肩書は「審議官」で「西山次長」は誤り。批判を浴びた片山さつきはブログを改変している。東京大学法学部出身者通しの中傷合戦は醜悪極まりないが、「禿げ」を隠蔽するカツラの西山英彦は、インチキ解説を続けるなど、余程自らや家族の生命を危に晒す愚民が多いと思っているようだ。
 原子力安全・保安院の検査官が事故発生後に約1週間、福島第一原発を離れていたことが分かった。今回の事故では検査官7人が原発で業務に当たっていたが、03月15日に現地本部が福島県庁に移った際に県庁へ移動。22日に、検査官2人が原発内の施設に戻った。西山英彦は22日の記者会見で、「安全性に問題があり、人間が暮らすには不便が多かった。」と述べた。アメリカのウォールストリート・ジャーナル紙の取材で、「原発の多大な抑制は停電の蔓延を意味する。」と、国民を恫喝している。
 妻との間に1男1女がいるが、平成21(2009)年04月に西山英彦の娘が東京電力に入社している事が判明。ちょうど就職活動時期に西山英彦は資源エネルギー庁電力・ガス事業部長である。今年04月に自民党の政調会長の石破茂の娘が東京電力に入社している。NHKや公共企業に政官ともに縁故採用で馬鹿娘や馬鹿息子を入社させるのを習性としている。
 西山英彦は20代の経産省職員と不倫関係にあり、原発事故の新工程表を発表した06月17日の会見後、2人は都内ホテルのバーで会い、その後、深夜の路上で数度キスをした。1年ほど前、職場の人間関係で悩む女の相談に乗ったことがきっかけ。霞が関周辺で、バーからカラオケ店に行くのが定番コースで、カラオケ店のVIPルームをラブホテル代わりに使っていた。この不倫報道が原因で、06月29日に官房審議官のまま、原子力安全・保安院付を解かれて、更迭。07月15日付で官房付になった。

東京大学法学部卒 ジョンズ・ホプキンス大学国際研究高等大学院修了 達増(たっそ)拓也(46)
 昭和63(1988)年04月外務省入省。在米大使館書記官、在シンガポール大使館二等書記官、官房総務課課長補佐などを経て、平成8(1996)年の第41回第41回衆議院議員総選挙に岩手県第1区で新進党から出馬して初当選。「小沢チルドレン」のなかでも小沢一郎の最側近の一人として活動。中選挙区時代に小沢の地盤ではなかった県北部の岩手1区で自由党、民主党と甘えは替わったが4回連続当選した小沢学校の優等生。小沢と距離を置いていた岩手県知事・増田寛也の4選を阻止するため、立候補。平成19(2007)年04月08日の岩手県知事選挙で当選。
 岩手県産の農産物の支那向け輸出拡大を図るための調査費用などが盛り込まれた。石原慎太郎東京都知事を会長とする「北朝鮮による拉致被害者を救出する知事の会」に、47都道府県のうち、唯一不参加を表明、上田清司埼玉県知事に批判されると、一転して参加。東北6県中他の5県の知事は「国民の間で議論がなされていない」など慎重論を語っている中、達増は外国人地方参政権の付与に積極的。朝鮮人小沢一郎の犬コロだけあって、特定亜細亜の利権ばかり追求している。
 平成22(2010)年の小沢の政治資金規正法違反で、「(小沢は)田中角栄さんや金丸信さんの政治とは決別し、クリーンな政治を貫いている。」と無罪を主張し、「ゼネコン談合疑惑狙いの見込み捜査。」と検察を批判。小沢一郎に対する個人的な擁護発言が極端に多い。この小沢一郎への個人的な感情について達増は「応援支援という次元ではない。」、「驚きと感動を発信している。」と述べている。外務省といい、小沢一郎といい、この達増拓也といい、日本の国益や岩手県の県民の利益を損なう、とことん腐った売国犬畜生しかいないのが岩手県なのか。
 因みに今回の東北関東大震災で、震災・津波・被曝の被害にあった東北3県は異常に民主党が強い。衆議院小選挙区と県知事を合わせて、18人中16人が民主党。天が怒りを遣わしたとしか思えない。

http://cnxss.seesaa.net/article/195487256.html
衆議院

【小沢一郎(68)県】
岩手県知事  民主党系達増拓也(46) 東京大学法学部卒、ジョンズ・ホプキンス大学国際研究高等大学院修了 外国人地方参政権の付与に積極的。小沢一郎に対する個人的な応援、擁護発言が極端に多い。

岩手県第1区 民主党階(しな)猛(44) 東京大学法学部卒 平成22(2010)年01月,小沢一郎の書生だった石川知裕(37)(早稲田大商学部卒)比例区北海道復活衆議院議員の逮捕を考える会に参加。会に参加した小川淳也(39)(東京大学法学部卒)総務政務官は、「政府の人間として誤解を招く行動であり自粛すべきだった。」として陳謝したが、階は、「政府の人間としてではなく一国会議員としての行動であり、国会議員には憲法50条で不逮捕特権が認められている。」 
岩手県第2区 民主党畑浩治(48) 早稲田大法学部卒 「(自民党が占めていた)岩手2区をとって小沢王国が完成した。しっかりと国会で仕事をして小沢帝国を目指します。」
岩手県第3区 民主党黄川田(きかわだ)徹(57) 早稲田大法学部卒 陸前高田の自宅および事務所が津波に流され、父親と妻が行方不明。母親、長男、公設第2秘書が死亡。被災地にいた娘は無事。
岩手県第4区 民主党小沢一郎(68) 慶應大経済学部卒、日大院中退 刑事被告人の売国奴。

【岡崎トミ子(67)県】
宮城県知事  自民党系村井嘉浩(60) 防衛大学校卒 平成23(2011)年07月03日、復興担当相就任後に初めて被災地入りした民主党福岡県第1区松本龍(60)復興担当大臣に罵倒恫喝された。
 松本龍(60) 中央大学法学部卒。解放同盟副委員長、人権擁護法案支持で、日韓議員連盟常任幹事。平成12(2000)年10月17日、実家の松本組を継いだ実弟松本優三の自宅玄関ドアに約5発の銃弾を撃ち込まれた。平成20(2008)年度の国会議員の所得公開で1位の8億4366万円の所得。おどろおどろしいバリバリのスジモンの非国民。

民主党岡崎トミ子(67) 高卒 菅改造内閣で国家公安委員会委員長(内閣府特命担当大臣(消費者及び食品安全・少子化対策・男女共同参画)を兼務)。平成15(2003)年に大韓民国の日本大使館前で行われた反日デモに参加した売国奴。菅再改造内閣では再任されず。参議院議員宮城県選挙区平成25(2013)年改選。

宮城県第1区 民主党郡和子(54) 東北学院大経済学部卒 「自分の子供が罰せられるときもそのように厳罰に処すことを肯定できるか。」という趣旨の質問を行い、山本モナが「当然ですよ。」と答えを示すと「ああ、そうですか。それは違いますよ。」と笑いながら答え、遺族の前での加害少年擁護する発言が批判を浴びた。在日韓国人をはじめとする永住外国人住民の法的地位向上を推進する議員連盟。慰安婦側の主張を全面的に支持。
宮城県第2区 民主党斎藤恭紀(42) 日大文理学部卒 テレビのお天気キャスター上がり。地球温暖化(笑)。
宮城県第3区 民主党橋本清仁(39) 早稲田大法学部卒 秘書を務めた鹿野道彦のことを「親父」、小沢一郎のことを「親方」と慕っていた。
宮城県第4区 民主党石山敬貴(41) 東北大学農学部卒、東北大学大学院博士課程修了 平成21(2009)年10月、私設秘書が消費者金融からキャッシュカードを騙し取り現金を引き出した詐欺と窃盗の容疑で逮捕。
宮城県第5区 民主党安住淳(49) 早稲田大社会科学部卒 民主党国会対策委員長。
宮城県第6区 自由民主党小野寺五典(50) 東京水産大学水産学部海洋環境工学科、東京大学大学院法学政治学研究科修士課程修了 選挙区内の有権者に線香セットを配り、公職選挙法違反、略式命令で罰金40万円の判決を受け、公民権が3年間停止の前科者。 

【渡部恒三(78)県】
福島県知事 民主党系佐藤雄平(63) 神奈川大経済学部卒 叔父にあたる渡部恒三の秘書。プルサーマル受け入れ決定により、「核燃料リサイクル交付金」計60億円が福島県に交付。

福島県第1区 民主党石原洋三郎(38) 慶應大経済学部卒 世襲3世議員。
福島県第2区 民主党太田和美(31) 高卒 「ガソリン値下げ隊として活動されてましたが。」という問いに「そうでしたっけ?フフフ。」と過去の活動を物忘れするような発言。
福島県第3区 民主党玄葉光一郎(46) 上智大法学部卒 佐藤栄佐久前福島県知事は岳父。
福島県第4区 民主党渡部恒三(78) 早稲田大第一文学部卒 民主党の中で最高齢の議員。
福島県第5区 民主党吉田泉(62)♂ 東京大学経済学部卒。



東京大学経済学部出身者
東京大学経済学部卒 勝俣恒久(71)
 父は代々木ゼミナール共同創立者の勝俣久作。久作の長男の孝雄(81)(東京大学法学部卒)は、新日本製鐵副社長、九州石油社長・会長を務め、恒久は四男で、東京電力社長・会長を務め、五男宣夫(68)(慶応大経済学部卒)は丸紅の社長を務めた。3人は産業界の「勝俣三兄弟」として有名。二男邦道は日本道路公団理事を務め、三男鎮夫(76)(東京大学文学部国史学科卒業 東京大学大学院博士課程中退)は日本中世史の東京大学名誉教授。何ともご立派だが、兄弟で顕職を占め高禄を食みながら、世のため人のためになったか?所詮が代ゼミの小伜5匹、恒久を見るだけで、我執だけの屑の固まりのような五兄弟だと断言できる。支那であれば、九族誅殺、ことごとく処刑し尽くすべき一族だ。
 昭和38(1963)年04月東京電力株式会社入社、3年ほど支店に勤め、その後資材部に所属。当時の上司は塙章次副社長。企画部・営業部などを経て、平成08(1996)年06月、取締役企画部長、平成10(1998)年06月、常務取締役、平成11(1999)年06月、取締役副社長。12(2002)年09月、南直哉(のぶや)(66、現在75、東京電力顧問、財団法人省エネルギーセンター会長、社団法人企業情報化協会会長、フジテレビジョン監査役)(東京大学法学部卒)社長<←写真中央>は、原発データ改竄事件で、29件の点検記録のうち「ひび割れを報告しないなど不適切な点があった。」と、16件の改竄を認めた社内調査結果を公表。平成10月、引責辞任した南直哉の後任として東京電力取締役社長。
 第7代経団連会長を務めた平岩外四元会長以来の財界トップの座は東電にとっては悲願だったが、経団連会長を狙っていた南直哉が引責辞任し、1年半あまり財界活動を自粛し、経団連の重鎮という自負があった東電には屈辱的だった。企画部中枢というエリートコースを歩み、歯に衣着せぬ物言いで「カミソリ勝俣」の異名をとったが、これは取りもなおさず、公益事業である電力会社が営利企業であることを最優先したということである。
 平成16(2006)年夏、東京地検が着手した水谷建設事件では東電幹部が事情聴取を受け、11月には原発のトラブル隠しやデータ改竄が発覚。勝俣恒久社長は「信頼回復に努めたい。」と謝罪したが、株主総会では「データ改竄に対する責任はどうするのか。」という声も上がり、引き続き多くの不祥事が露呈した。
 平成19(2007)年07月16日10時13分23秒、新潟県中越沖地震が起こり、15人が死亡。柏崎刈羽原発1号機の原子炉圧力容器から、放射能を帯びた水が周辺の作業用フロアに零れた事実を東電は知りながら隠蔽。三井の犬コロ、寺島実郎(当時60)は支那の原発建設の有益な資料となると喜んだ。平成16(2004)年には勝俣恒久は経団連副会長に就任し財界への復帰も果していたが、これで完全に経団連会長の目はなくなった。
 新潟県庁で泉田裕彦知事との面会の中で、「今度のことを、いい体験に生かしていきたい。」と平然と言ってのけた。「申し訳なかった。」、「済まなかった。」という風情は一片もない。その後に相次いで放射能漏れが発覚。正確な情報が伝わらず住民の不安が増大し、安倍晋三(当時52)首相の面子は丸潰れ。甘利明(当時57)経済産業相が当日深夜に勝俣恒久社長を呼びつけ、厳しい言葉を浴びせた。泉田・新潟県知事も、「東電が大丈夫といっても、とても信用できない。」と繰り返し不信感を募らせた。平成20(2008)年02月に柏崎刈羽原子力発電所のトラブルの責任を取り、代表取締役会長。
 座右の銘は「ケ・セラ・セラ」、好きな言葉は「明日があるさ」と無責任極まりない。 「これまで発電所建設では効率化より信頼度に比重が多少寄っていたことは確かだ。信頼度が多少危うくなっても値下げを追求するよう発想を変えた。今つくる発電所はコストPで負けませんよ。」、 「発電所の長に全責任があり、本社はアドバイザー的な機能を持っているだけだ。」(原発データ改竄事件で)と述べている。無責任を絵に描いたような爺だ。
 勝俣恒久会長と皷(つづみ)紀男副社長は震災当日の03月11日、支那に媚びる勝俣恒久が団長の「愛華訪中団」として支那の北京にいたが帰国せず、 12日まで上海や南京などを回り、支那政財界幹部と会合を開いた。11日は成田空港が使えず、勝俣恒久らは12日に帰国。「愛華訪中団」とは、勝俣恒久ら東電幹部とマスコミOBらで組織されているもので、支那に媚び、新聞やTVの経済部、政治部などの記者を犬コロとして餌を与えて飼うためのものである。マスゴミと東電との癒着が暴露される事態になった。
 福島第一原発の建屋の爆発、放射性物質が外部へ放出し被曝が進んでいたが、支那外遊から10日間ほど名古屋に逃げていたと言われる。03月29日夜、社長の清水正孝(66)は、本社内で執務中に極度の目眩などを訴え、高血圧の症状もあったため、突如入院にした。代わりに勝俣恒久が陣頭指揮を取ることになった。勝俣恒久は記者会見で「東電による人災」という見方を「私自身はまずさというのを感じられませんでした。」と否定し、「(意思決定の)遅さは私自身は感じていません。」と答えた。04月07日に清水正孝は復帰したが、政府と東電で作ったった「福島原子力発電所事故対策統合本部」の副本部長には戻らず、勝俣恒久がそのまま務めている。

 自宅は、東京都新宿区左門町6番地1号。6番地5号には四谷警察署、すぐ南には、創価学会戸田記念国際会館、創価世界女性会館、民音文化センター、聖教新聞社、創価学会本部と忌まわしいものが立ち並んでいる。

 東京電力の計画停電で、会長・社長・副社長の自宅のある地域は対象外だった。東京電力は12都県に、東友クラブ、東友熱海荘、鎌倉荘、きぬ庵21の社宅や保養施設、461の独身寮・厚生施設などを所有。東友という看板は出ていない社員専用の高級飲食店が、聖路加タワー、渋谷、大宮等にあり。料理、アルコール類すべて原価提供している。聖路加タワーには、役員専用の政官接待用50畳敷き迎賓館、「明石会館」を持っている。
 東京電力の寮や保養施設が狙われるのを防ぐためとかで、表札や門札まで黒いテープで隠蔽している。


「中人以上は以て上を語るべきなり。中人以下には、以て上を語るべからざるなり。」 論語雍也第六141章


東京大学工部出身者
東京大学工学部原子力工学科卒 武藤栄(60)
 昭和49(1974)年04月、東京電力株式会社入社、平成4(1992)年09月、原子力発電部原子力技術課長、平成6(1994)年07月、福島第一原子力発電所技術部長、平成9(1997)年07月、原子力計画部(原子力企画担当)副部長、平成12(2000)年06月、原子力計画部(原子力企画担当)部長、平成13(2001)年06月、原子力計画部電気事業連合会事務局派遣、平成16(2004)年06月、原子燃料サイクル部長、平成17(2005)年06月、執行役員、原子力・立地本部副部長、平成20(2008)年06月 常務取締役、平成22(2010)年06月 取締役副社長原子力・立地本部長と、一貫して、「原子力村」の住人。しかも福島第一原発の技術部長まで務め、現場を知っている。武藤は原子力・立地本部長として東電の「原子力閥」の頂点に立つ。名実ともに「原子力村」の村長となった。
 東京電力には社長や会長でさえ御しきれない聖域があり、特異な目でみられる原子力部門であり、「原子力村」と呼ばれる。勝俣恒久は武藤栄と一蓮托生だが、「原子力村」は、専門性が高く、他の部署の人間には理解しにくい。安全に稼働するなら火力や水力よりも低コストのため、収益力が高く、文句もつけにくい。他部門との交流は乏しく、閉ざされた部門だった。かつて「村長」として君臨した池亀亮という豪快な副社長は、日本の原子力界全体のドンだった。平成10(1998)年、池亀亮は日立製作所と東芝、米ゼネラル・エレクトリック(GE)3社の原発部門の経営統合を東電が促していることを打ち明けた。平成11(1999)年池亀亮の後を継いだ友野勝也も同様に、「日本の原発はオーバースペック。目立と東芝が共同設計し、コストを下げるべきだ。」と述べた。その後を継いだのが榎本聡明だが、平成14(2002)年の原発トラブル隠しの責任をとって在任わずか3ケ月で副社長を追われた。このとき、東京電力の荒木浩会長と南直哉社長、平岩外四、那須期の両相談役が引責辞任し大がかりな人事刷新となり、原子力部門は35人も辞任のほか降格や減給、厳重注意などの処分を受けた。この粛正人事で原子力部門の実力者たちが相次いで失脚し、相対的に浮かび上がったのが、当時電気事業連合会に出向中だった武藤栄だった。武藤栄は東京電力に復帰すると、原子燃料サイクル部長、執行役員(原子力・立地本部副本部長)と順調に出世し、平成19(2007)年にも福島原発のトラブル隠しや柏崎刈羽原発でデ-タ改竄が発覚したが、それを乗り切り、副社長にまで上りつめた。「2度の不祥事で上がみんな飛んでしまって、それで繰り上がった方です。率直に言って印象がない人。」と東電の中堅が語っている。
 しかし、村の権益には敏感で、使用済み核燃料を再処理してプルトニウムを取り出す核燃料サイクルは、巨費を投じる割には効果が乏しいため、経産省の改革派官僚たちが例年、核燃サイクルの撤退を模索したことがある。このとき社長だった勝俣恒久は「政府が腹を決めるなら再処理を止めてもいい。」と理解を示したが、「ヒトと資金が張り付いている核燃を止められない。」、と抵抗したのが当時電事連にいた武藤栄だった。「彼が親玉です。社長さえ御しきれない関東軍の司令官です。ふだんは紳士なのですが、核燃撤退を進言したら獣のような目で僕を見ましたよ。」と当時の若手官僚がそう回顧した。3千億円強ある経産省のエネルギー対策特別会計・電源開発促進勘定の配分もトップは武藤栄である。
 武藤栄は大震災直後の03月11日午後03時30分、東京の内幸町の東電本店を発ち、ヘリコプターで福島第二原発に向かった。東北関東大震災が午後02時46分。大きな揺れで東電は「第3非常態勢」。本店2階に対策本部を設置し、福島第一原発の1、2、3号炉の原子炉は自動停止し、福島第二原発の職員から午後03時23分、「津波を目視した。」との報告が入った。武藤栄はその7分後には本店を後にした。津波で非常用ディーゼル発電機が故障したことが判明したのは、武藤栄が現地に向かった後の午後03時41分。それまで原子炉の自動停止にホッとしていた対策本部に一気に緊張が走った。「電源が失われると、このままではメルトダウンが進む。」と、全幹部が危機感を共有した。対策本部のメンバーでない者さえ、週末の予定をキャンセルしている。
 武藤栄は午後06時半に現地に到着。その日のうちに福島第一原発から5㎞離れた緊急時対応拠点「オフサイトセンター」で指揮をとり始めた。午後10時過ぎに電源車が到着し、本店の対策本部に安堵の声が広がったのも束の間、事態は暗転。ところが、武藤栄は会見で、「繋ぐところが冠水したため。」と釈明した。事実は「ケーブルが短くて使えなかった。プラグも合わなかった。」(東電中堅)。現地から「500mのケーブルが必要。」と連絡が入ったが、そんな長いものは社内を探しても見つからない。電源が失われ、格納容器の圧力が高まった。GE製の1号炉はマークⅠ型で、旧式の沸騰水型の上、安全弁のない代物で、開発者自身が欠陥炉と指摘している。これを民主党政府は今年02月07日、運転開始から03月で40年を迎える福島第一原発1号機に対し、40年経過後さらに10年間運転を続けるための保安規定の変更認可を経済産業省原子力安全・保安院が出している。
 翌日午前02時半、1号炉の格納容器内の圧力が最高使用圧力の2倍に達した。ところが、その3時間後に圧力は突如低下傾向を示した。つまり外部に放射性物質が、漏れた。東電は午前05時14分、「外部に放射性物質が漏洩した。」と判断した。
 菅直人が福島第一原発を訪れたのは、そんな緊迫した状況の最中で、武藤は20分間応対。馬鹿菅のパフォーマンスに付き合わされた格好だが、武藤がここで深刻な状況を打ち明けた形跡はない。菅直人は帰京後、官邸であった緊急災害対策本部の会合で「現地の責任者や業者の皆さんと話をしてきました。」と能天気に述べた。
 武藤栄が菅直人と面談する約1時間前から、1号炉では消防車を使って漉過水タンクから消火系ラインを用いた注水が始まっていた。しかし原子炉の水位は下がっていき、午前07時半には水面から燃料棒が最大10㎝露出した。午後03時前までに漉過水タンクから8万リットルを注水したが足りず、午後03時36分、ついに1号機で爆発が起きた。もっと早い段階で海水を注入して冷ますという手があったはずだが、東京電力は及び腰だった。現地の最高司令官だった武藤直人は、海水注入をいつ決断したか記者会見で再三再四問われでも、「手元に資料がございませんので、」、「時系列を確認しないと。」と、言を左右にして決して明らかにしない。東京電力が1号炉で海水を注入するのは、12日午後08時20分だった。その2時間以上も前に菅首相が東京電力に海水注入を指示していた。
 初日の会見で、勝俣恒久会長が初めて「廃炉」について言及したが、当初は菅直人が11日のうちに海水注入を指示したが、東京電力が「炉が使えなくなる。」と激しく抵抗した。経済産業省の幹部の一人はこの報道と同様の見方を示し、「東電が海水注入に躊躇した。」と指摘。ある自治体首脳は16日頃東電の企画部門の元幹部に、「廃炉を前提に海水注入すべきだった。」と言ったところ、「株主代表訴訟を起こされるリスクがあるので、民間企業としては決断できない。政府の命令という形にしてくれないと動けない。」と言った。12日に菅直人や海江田万里が東京電力に海水在入を命じ、まるでお墨付きを得たかのように東京電力は海水を注入し始めた。
 1号炉で海水注入を始めた際に、2、3号炉でも同様の措置を講じていれば、相次ぐ爆発を防げたが、武藤栄はそう決断しなかった。海水注入を忌避したのは、おそらく原発の廃炉による経済的損失を回避するためである。武藤栄は記者会見で「海水を注入すると腐食などさまざまな問題を引き起こします。」と述べている。海水を入れると、腐食の恐れやたまった塩分で再稼働は困難になる。原発1基あたり新設に3千億円、廃炉に1千億円超の合計4千億円超もかかる。迷惑施設の原発の新設を受け入れてくれそうな自治体を見つけるのも、不可能に近い。
 原発爆発と放射性物質の放出と、2つも未曾有の災害をもたらしたにも拘らず、東京電力は国民への説明はほとんどが課長任せだった。代表権のある役員が8人もいるにもかかわらず、説明は武藤栄の部下たち、原子力設備管理部の課長や広報部付の部長に委ねている。そんな状態を憂えた元経営幹部は「うちの指揮系統が見えない。」と経営陣に苦言を呈した。そんなことも手伝ったのか、03月14日夜の緊急記者会見に一度だけ顔を見せた武藤が21日以降、連日マスゴミの前に現れて説明するようになった。記者会見で、手はずっと小刻みに震え、武藤栄は長身だが、声は小さい。返答に窮するような質問には、予め用意していた「発電所を一刻も早く安定的な状態に戻すことが大事と思っております。」という同じ台詞を繰り返した。どんな質問にも使える便利な言葉を、21日の会見で少なくとも4回使った。自身の責任が問われそうな質問には、決して言質を与えない。そういう点は小賢しい。この日の会見終了後、足早に引き上げる武藤栄に、どこの時点で判断を間違えたか尋ねた記者に、立ち止まって、「えーと、うーん」と何か言いたそうだったが、すぐ思い返したようだった。「まあ、そこを含めて、また、‥」
 連日の記者会見をこなしていくうち、武藤栄は次第に自信をつけた。マスゴミの追及は大したことがない。部下を従えてどっしりと座り、泰然としている。浅い知識の質問には露骨に見下す態度を取り、責任を追及されそうな質問には決して言質を与えない。もう、手は震えていなかった。 記者の突っ込んだ質問に対しては、「手元に資料がないのでわかりません。」と繰り返した。自分が命令してやったことなのに, 記者に質問されると、「事実関係は確認させていただきます。」と自分の責任を決して認めようとはしない。「あなたが現地で指揮をとっていたときのことですよ。なぜ記憶にないのですか。」と問い詰めると、「記憶につきましては、記録をもう一度しっかり整理して確認したいと思います。」と典型的な役人答弁である。

 自宅は、東京都東村山市諏訪町3-3-2。「グレースハイツ」というアパートの北の2階建ての一戸建てのようだ。


クソ雑魚ども

KO大卒 清水正孝(66)

バカき地に燃ゆる者 狂気見せる奴ら
銀座の女に うつつを抜かし
共に歩むその姿 見るも浅まし
見よ低能の集うところ
卑猥の意気高らかに 遮る物なきを
低能 低能
三田の色魔 低脳


 世界最大の民間電力会社、日本最初の電力会社の東京電力は、世界最大の民間電力会社で、日本最初の電力会社の東京電灯が前身。社長の職務経歴を調べると、恐ろしいことに、東大閥が非常に大きな力を持っており、しかも、社長の椅子は法学部、経済学部と文系出身者が独占してきた。東京電力の歴代の社長は、安蔵弥輔、高井亮太郎(東京帝國大学卒)、青木均一(東京商科大学(現一橋大学)高等商業科卒)、木川田一隆(東京帝國大学経済学部卒)、水野久男(第八高等学校卒)、平岩外四(がいし)(東京帝國大学法学部卒)、那須翔(しょう)(東京大学法学部卒)、荒木浩(東京大学法学部政治学科卒)、南直哉(のぶや)(東京大学法学部卒)、勝俣恒久(東京大学経済学部卒)。

 工学部の社長が1人も見当たらないのは電力10社のなかでも東京電力だけである。工学部出身の武藤栄副社長など副社長止まりがお決まりで、あの不遜な態度はその鬱憤の現れのようだ。原子力部門は聖域で、「君がどんなに優秀でも社長にはなれないよ。」と、原子力技術者として東京電力に入社した新入社員はまず、こうすり込まれる。半面、原発部門は電力会社の稼ぎ頭でもある。償却が進んだ古い原発ほど利益を生む。会社への貢献度が高いのに人事で厚遇されない原子力部門は、同じ会社の他部門よりも他社の原発部門などと交流を密にし、業界横断的な「原子力村」をつくりあげ、他部門は口出しできない。ところが、平成14(2002)年の東京電力原発データー改竄事件によってその結界が破られ、原子力と他部門との間で頻繁な配置転換を実施した。原子力技術者が真っ赤なジャンパーを着て「オール電化」の営業に走らされた。

 東京電力は東大、文系、間接部門出身が力を持つ、硬直的な人事となっている。
 
 荒木浩(現東京電力顧問)は会長時代に、山本勝副社長を社長に昇格させる積もりであった。山本勝は、京都大学卒で東京電力内部では異端児であった。広報ではなく総務畑だったが、取締役総務部長という肩書だった山本勝が、原発問題対応のマスコミ対策業務の先頭に立っていた。若者を可愛がる山本に、マスゴミにもファンが多い。「東電らしからぬ性質で、豪放磊落で笑ったときの笑顔が素晴らしい。」と評されるほど受けが良く広報に最適だった。原発問題でも、人命最優先という考えで、「組織に属しているが、組織以前にまず人命であることは当然。」と述べ、計画停電等の可能性も言及し、「万が一首都が被災した場合や原発地区が被災した場合、政府機関、インフラならびに銀行等、国民生活に直結するマザーコンピューターが設置されている地区が停電地区に入らないよう、東電の方で配慮することが必要である。」、という言葉を残している。
 ところが、ミスター東電の山本勝は、平成13(2000)年03月に支那に朝貢し帰ってきてから腰の具合が悪いと入院。10月に62歳でいきなり死んでしまった。そのため、原発の点検記録改竄事件の南直哉の後には、荒木浩の派閥外の「想定外」の勝俣恒久、清水正孝という最悪の社長が続いている。山本勝が生きていれば、今回の原発事故はここまで取り返しのつかぬことにならずに済んだ。また、現在の社長閥は、荒木浩元会長の力が及ばないように画策している。

 KOしか出ていない、低能でうすら馬鹿の清水正孝は、2020ビジョンというマレーシアのマハディールのWawasa2020(ワワサン・ドゥアプルドゥアプル)のバッタモンのような中期目標を立ち上げ、海外事業展開と財務業務を展開すると平成22(2010)年09月に発表した。資材部門の経験しかない清水正孝は、野村證券の口車に乗せられ、大型増資を行い、東京電力の株価が25年ぶりの安値を更新し、その後も低迷した。もっとも、今回の被曝事故で株価が急落したのに比べれば大したことないが(笑)。
http://www.tepco.co.jp/cc/press/betu10_j/images/100913a.pdf
 自宅は、東京都港区赤坂4-14-14-2009
三井不動産 パークコート赤坂ザタワー(東京メトロ丸ノ内線・銀座線「赤坂見附」駅より徒歩9分/東京メトロ千代田線「赤坂」駅より徒歩8分/東京メトロ銀座線・半蔵門線・都営大江戸線「青山一丁目」駅より徒歩9分)
 平成21(2009)年06月完成で2009号室。何かの作為がなければこうなる確率が極めて小さいことは幼児でもわかる。
http://suumo.jp/mansion/__JJ_JJ010FJ100_arz1030z2bsz1010z2ncz110002134.html
2LDK・3LDK
1億5300万円~3億5500万円

 清水正孝は資材調達部門が長く、経営企画・広報部門担当を舐めたくらいで副知れ超で勝俣恒久と同系。


清水正孝の平成20(2008)年の社長就任は東京電力の歴史から見て二つの点で異例だった。ひとつは出身大学。同氏は慶応大卒で、47年ぶりの東大以外の大学出身者だった。ふたつ目は東京電力の主流である企画、総務ではなく、資材部門の出身だったこと。明朗で人当たりの良い清水正孝の業界内での評判は決して悪くなかった。原発などオールジャパンのインフラ輸出を側面支援するため、東電として海外の電力事業に積極的に進出する新機軸を打ち出そうとしていた。

しかし、非主流部門の出身であるがゆえ、清水正孝社長を支える社内基盤の弱さや政官界との人脈不足を指摘する声はついてまわった。今回の原発事故の初期段階で東電と官邸、経済産業省との連携が十分に機能しなかった一因は、ここにあった可能性がある。

東京電力の歴代社長は1971年就任の水野久男から荒木浩まで4代にわたって東大卒、総務部門出身。電力自由化にともない、霞が関(経済産業省)との関係を重視するため、2000年以降は南直哉、勝俣恒久と企画部門が続けて社長を輩出した。

東京電力の総務部門は代々、政界人脈を引き継ぎ、企画部門は霞が関とのパイプ役を担うことで政官財のトライアングルを築き上げ、時には「財界の共有財産」として活用された。

平成21(2009)年秋、政権を奪取した民主党は自民党寄りだった経団連との対話を拒絶し、財界は政界との意思疎通の手段を失う非常事態に陥った。

打開に乗り出したのは小沢一郎幹事長とのパイプの太い荒木氏だった。平岩外四・元会長以降、脈々と引き継いできた東京電力の貴重な政界人脈への財界の期待は大きかった。10年秋、原発輸出を推進する官民一体組織「国際原子力開発」を設立する際には、慎重姿勢を崩さない他電力を勝俣会長が説得して回り、「原発日の丸連合」にこぎつけたとされている。

総務・企画部門は政治家や官僚との関係構築の具体的な方法や距離感の取り方など暗黙知を直伝する過程を通じ、忠誠心の強い部下を育成。その集団は部門トップの意思を忠実に具現化する装置として機能する。だが資材畑の清水にはこうした目に見えない後ろ盾がなかった。

東京電力が発信する原発関連情報の大半は経営トップによるものではなく、原発部門を率いる武藤栄副社長によるものだ。情報のわかりにくさや発信するタイミングの違和感は、電力会社の原子力部門が持つ特有のカルチャーに起因するとの指摘がある。

だが、「専門家集団という自負心が簡単に消えるものではない」(電力大手幹部)。何度かの制度改革を経て、形としては他部門と同じように統制されているかに見えるが、電力トップが原子力部門を完全掌握できているのどうかは業界内でも懐疑的な声が多い。

東京電力が長年かけて築いてきた政官財のトライアングルもこの局面ではさすがに役立たないようだ。政権内部からは、東京電力を発電部門と送電部門に分割する「発送電分離案」が浮上してきた。東京電力にとって会社分割論議は初めてではない。電力完全自由化論議が正念場を迎えた平成14(2002)年にも直面したことがある。

当時、「反電力」といわれた村田成二・経産省事務次官は電力会社の権力の源泉をそぐために、発送電分離を軸とした完全自由化を主導した。一方、東電の南直哉社長(当時)は電力自由化された米カリフォルニア州で平成13(2001)年に発生した大規模停電を引き合いに出し、「安定供給には発送電一体が不可欠」と強硬に抵抗。そのさなかに発生した原発データ改ざん事件なども絡んだ暗闘の結果、東京電力は南社長ら4人の歴代トップの辞任と引き換えにするかたちで、発送電分離をかろうじて食い止めた。

福島第1原発事故を収拾した後も膨大な賠償を背負う東京電力には、当時のように正面から抵抗する余力はないだろう。仮に発送電分離を免れたとしても、事実上地域独占状態の電力10社体制がそのまま存続するかどうかは疑問だ。

リスクが顕在化した原子力事業の分離案が浮上する可能性もある。総務、企画、原子力の3部門が微妙な濃度で混じり合った電力会社特有の権力構造は、すでに過去の遺物となるつつあるのかもしれない。


副社長 皷(つづみ)紀男 東京都板橋区志村2-16-33-122

 皷紀男は総務出身で国会なども担当してきた。平成14(2002)年からは立地を担当、原子力不祥事以降、立地地域を自らの足で歩き、地元の信頼回復の足場を固めてきた。その安定した揺るぎない判断力には定評がある。

副社長 藤本孝 神奈川県川崎市多摩区南生田6-5-19
副社長 山崎雅男 東京都世田谷区等々力6-11-15-503
副社長 武井優 東京都府中市入間町1-28-45
副社長 藤原万喜夫 東京都中野区白鷺2-13-4-503

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