環境色彩デザインを考える人へ

長年の経験と実践の中から、色彩デザインに役立つ情報やアイデアを紹介して行きます。

素材と向き合うということ - 『海老塚の段差』より

2011-10-31 18:17:18 | 日々のこと
10月30日(日)、浜松へ行ってきました。
目的は二つあって、一つは浜松市美術館で開催中の鈴木康広展『BORDER-地球、まばたき、りんご、僕』を見ること、もう一つは403 architecture dajibaが解体・設計・施工を行ったマンションの改修(内覧会)を見学することでした。

『海老塚の段差』というタイトルがつけられた一室は、古いマンションの1階にありました。目の前に川が流れ、とても静かな住宅環境です。外観は少しくすんだ、でも暗過ぎない小豆色でした。

建築的なことはもちろん私には語れませんし、読み解くことはできません。
ですが私は彼らの扱う素材、というものにとても興味を持っています。彼らが自身の手ではつったり運んだりした素材は一見どれが既存のもので、どれが新しく購入したものなのか、区別がつきにくい部分がありました。例えば洗面所周りに使われている合板は完成された建材ですが、木ということを考えると、小さな若木が成長し木材になるまでの時間があり、そうしたそれぞれの素材が辿ってきた時間というものに不思議と意識が向きます。



目の前にある素材の成り立ちやこれから、ということがとてもバランスよく混在していて、それぞれの素材に対しての向き合い方がどこまでも素直だな、と感じました。素材そのものの持つ力強さを損なわずに、多様なマテリアルが互いを引き立て合っている…そんな印象を持ちました。



インテリアの改修と言うと、一般的には白い塗装面を多用しそれまでの痕跡を消してしまうものや、全て新しい設備にし、間取りなども大きく変更することにより同じくそれまでの痕跡を隠してしまうものが多いように感じます。もちろんそれらは新しく住む人にとっての快適性や利便性のためであると推測されますが、今回『海老塚の段差』を見て、それまでの痕跡を残しつつという方法でも新しい空間を生成することは可能なのだなと思いました。

建築家のつくる住宅は住みにくい、否そうしたものばかりではない…。自身の中ではまだあまりにも体験が少なく、判断がつかない部分が多くあります。建築家の言う『豊かさ』とは一体何なのか…。色々な建築・場を体感することにより、それは決して我慢を強いたりするものばかりではない、ということが(徐々にですが)感じられるようになって来ました。

いずれにしてもまず自分がどう感じるか、ということを様々な場面で体感しなければ、安易に善し悪しの判断をするわけにはいきません。一方、やはり何を見る・感じる時も、私にとっては色(・素材)ということが第一の切り口になることは間違いありません。それが空間の生成にどのような影響をもたらすのか、自身の専門との係わりを考えて続けて行きたいと思います。

10月の終わりというのは私が彼らときちんと会話を交わすきっかけとなった昨年のイベントから丁度一年という節目であり、この少し肌寒い時期に、この一年をゆっくり振り返ってみるのも良いなと思っていました。昨日その話をすると、彼らは口を揃えて『もう3年くらい前のような気がする…』と言っていましたが、それだけ彼らのこの一年が充実していた、という(なんか上から目線に聞こえてしまうかもしれませんが…)ことに他ならないのだと感じました。

一方私はこの一年、彼らのおかげで建築の・建築家の見方が随分と変わったように思います。驚いたりわくわくしたり、ちょっとどうなのと思ったり。どこまでもフレンドリーな彼ら・そして彼らを応援する浜松の建築家の方々に、多くのことを教わり、時に励まされていることを本当にありがたく思っています。

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