デグーのこむぎと暮らす博士学生の日常

博士課程の備忘録として、日常の出来事を気ままに記録していきます。

破壊と創造

2019-03-19 21:44:28 | 日記
羽生善治さんの「決断力」を読み進める。


その中で次の一節が気になった。この一節は、名人戦に6度挑むも、ことごとく敗れてしまった米長邦雄永世棋聖が、それまで築き上げたご自分の将棋の一切を捨て去り、若手の棋士に最新の将棋についての教えを請い、その後7度目の正直で名人戦に勝利し、史上最年長の名人となったことを受けたものだ。

"誰でも、どんな場面でも、できれば手堅くいきたいし、リスクは少ないほうがいい。できれば安全にやりたいという部分がある。しかし、将棋でも同じ形を何度もくり返していくと、結局、スタイルを狭い世界に押し込めてしまい、息苦しさを感じてしまう。新しい手を試すことで、可能性がどんどん広がるほうが楽しい。  スクラップ・アンド・ビルド(破壊と創造)という言葉がある。米長先生のように、破壊することから新しいものは生まれるのだ。盤上で将棋を指すときは創造的な世界に進む、一回全部をガチャンと壊し、新しく違うものを最初からつくるぐらいの感覚、勇気、そして気魄でいたほうが、深いものができるのではないだろうか。"(『決断力 (角川新書)』(羽生 善治 著)より)

破壊と創造。組織や会社においては、適切な新陳代謝なくしては腐敗を待つばかりであるし、博士課程で取り組んだテーマを捨てて新たな武器となるテーマを見つけなければ一流の研究者になれないというのは、K先生が良くおっしゃることだ。しかるに、破壊と創造は、将棋にとどまらない、成長のための真理の一角のように思われる。

このような大きな視点を持って、本日の研究室での出来事を振り返ってみよう。
朝、僕は、粘土でできた手作りのコーヒースプーンを右手に持ち、それで左手をぺちぺちと叩いていた。このスプーンは、先日Yさんが、研究する間も惜しみ心血を注いで作ったもの。ぺちぺちと叩いていると、スプーンの腹が手のツボを程よく刺激してくれるので気持ちよかったのだ。

すると、何の前触れもなく、折れた。Yさんが研究する間も惜しみ心血を注いで作ったスプーンの柄が。


ちょっとした出来事である。今朝までの僕はこれを謝罪案件として処理していただろう。しかし、今の僕は、これを破壊と創造とは捉えられないだろうか、と考えている。(言い訳ではない)。あるいは、新たな価値創造の可能性を秘めたプロセスとしての破壊とも言えるかもしれない、と。(言い訳ではない)。スプーンが破断するという極めて力学的な現象を、一人の人間の過失と捉えるか、破壊と創造と捉えるか、人間としての器が試されているような気がする。もっとも、本記事によってYさんとの信頼関係までもが破壊されていなければよいのだが。

最新の画像もっと見る

コメントを投稿