昨日は京急2000、今朝は小田急の準急新宿行を乗り納めてきた。
京急2000自体は先週の登戸の帰りに目撃、この時はスルーしたのだけど、翌日になって今月引退するという情報が入ってきたので、改めて乗り納めすることにした。
旧600形の置き換えとして、1982年から1987年まで投入された2000形、1995年には私鉄の料金不要列車としては初の120キロ運転を行なったが、3年後には2100がデビュー、2000形は3扉改造され急行や通勤快特に追いやられるようになった。4連は、8連快特に連結され、羽田と逗子を結ぶ快特に充当されていたが、蒲田の高架化に伴い、それらはエアポート急行化、2012年に3編成が引退し、2016年には残り3編成も引退した。8連の方も2014年に1編成が引退した後は、エアポート急行運用で残ったが、去年2編成が廃車となり、今年2月には2編成が残るだけとなった。
1978年デビューの800形より早い引退、加速性能は800より低く普通列車向きでないし、地下鉄への乗り入れもできないからな。1000形が追加投入されているのは把握していたけど、2000形も置き換え対象だったとはね。
北千住で16000系運用の急行唐木田行を撮影した後、東武70000で秋葉原へ。書泉で、近鉄時刻表、西武時刻表を購入した後、岩本町から都営新宿線で馬喰横山へ。東日本橋から乗った快特は、リラックマコラボのきいろいとり電車だった。京急蒲田からはリバイバル塗色の2000形が充当されたエアポート急行で京急鶴見へ。110キロまで出さないとはいえ、快特の頃のような走りだ。京急鶴見では20分ほど待って、通常の2000形も撮影した。
そして、今朝は小田急の準急新宿行に乗ることに。まず、千代田線で代々木上原へ。西日暮里で下車客があることを狙って中間付近に乗ったが、それが仇となって日比谷まで座れなかった。それもそのはず、この後は綾瀬始発霞ヶ関行で、赤坂から先の列車は9分も開くのだ。そのため、表参道まで席はほとんど埋まっていた。常磐線から世田谷方面への遠距離通勤客も思ったより多く、代々木上原に着くと対面の小田急のりばへ向かっていた。現行ダイヤでは北千住発638:松戸→上原、642:綾瀬→霞ヶ関となっているが、改正後のダイヤでは638:松戸→霞ヶ関、642:綾瀬→遊園に変わる。これで、混雑は平準化されるが、常磐線から世田谷方面へ向かう客は霞ヶ関で乗り換える必要が出てくる。
代々木上原で降りて、上りホームへあがると、千代田線待ちの列が新宿方面ホームギリギリに伸びていた。それもそのはず、メトロモーニングウェイが間に入ったため709から716までダイヤホームができ、713着の急行と715着の普通の客が待っているのだ。改正では、ダイヤホールは713から720までに、それに対し小田急は715着普通だけだから今よりは列が長くならないと思うけど。代々木上原発718の1000形準急で新宿へ。女性専用車もない時間帯なので、そんなにギュウギュウではなかった。準急は新宿に着くと、折り返し急行片瀬江の島行に、代わりに後続の4000形が折り返し準急唐木田行となった。4000形準急は改正後も珍しくないが、準急唐木田行はもう見れなくなる。
ここで、平成以降の新宿発着準急の歴史を振り返ってみる。1990年代の時刻表を見ると、朝晩だけでなく平日も土休日もデータイム毎時2本設定されている。でも、それらは改正のたびに間引かれていく。2000年改正では、データイムの毎時2本準急は千代田線直通の相模大野発着となり、新宿発着準急はデータイムから姿を消した。この直通準急も2年後には多摩急行に変更、そこから千代田線~多摩線の(多摩)急行が16年に渡って走ることになる。夕ラッシュ時に残った準急も2015年改正のパターンダイヤ化で消滅、これで新宿発着は朝と深夜などに少し残るだけとなった。そのため、沿線外の人間にとっては、データイムの設定がない新宿発着準急の記録がほとんどないわけで。でも、混んでいる平日ラッシュ時でなく、土休日の新宿着1107とか撮っておけば良かったなと思ってみる。
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