アジア映画巡礼

アジア映画にのめり込んでン十年、まだまだ熱くアジア映画を語ります

国際交流基金の50年~<南アジア映画祭>以後のアジアセンターの貢献を中心に

2022-12-28 | アジア映画全般

外務省の特殊法人として1972年に設立された国際交流基金(以下「基金」)は、本年で誕生50年になります(50周年特設ウェブサイト)。2003年からは独立行政法人となっていますが、アジア映画好きの人なら、1982年に基金10周年を記念して開催された<国際交流基金映画祭――南アジアの名作をもとめて>(以下<南アジア映画祭>)と、その後に1990年1月発足の渋谷のアセアン文化センター、ならびに1994年10月発足の赤坂の基金フォーラムを会場にして開催された、いくつもの映画上映プログラムを憶えておられることでしょう。先日、基金の方から、50周年の記念カタログ「世界との絆を紡いで50年 そして未来へ」をいただいたのをきっかけに、どんな映画上映があったかだけでもメモしておきたいと思い、こんなリストを作ってみました。最初は家にあるカタログを見ながらいちいちメモっていたのですが、幸い「インド映画祭2003」のカタログに「国際交流基金アジアセンター主催 映像事業の記録1990-2003」という1ページにまとめた資料があり、それを元に整備することができました。以下がそのリストです。ただ、上映期間等はカタログだけではわからないものが多く、ちょっと正確さを欠いていますがお許しを。

国際交流基金関連映画上映
【東南アジア映画シリーズ(①~④)&アジア映画シリーズ】
1990.3.9-   ①「タイ映画祭」16作品
1990.9.27-10.  ②「マレイシア映画週間」9作品
1991.7.23-8.4  ③「フィリピン映画祭」12作品
1993.11.21-    ④「インドネシア映画祭」24作品+短編15作品
(以上、主催は「国際交流基金アセアン文化センター」。以下、主催は「国際交流基金アジアセンター」)
1994.10.6-10.9  ⑤「スリランカ映画祭」10作品
1998.2.27-3.   ⑥「モンゴル映画祭」24作品
1998.7.29-8.14  ⑦「インド映画祭1998」12作品
1999.12.2-         ⑧「中国映画展」12作品
2002.9.25-10.2  ⑨「スリランカ映画祭2002」10作品
2003.3.19-3.27  ⑩「インド映画祭2003」6作品
2003.9.22-9.30  ⑪「タイ映画祭2003」20作品

 

【アジア映画監督シリーズ】
1994.7-        ①「キドラット・タヒミック特集」
1995.5-        ②「スラメット・ラハルジョ・ジャロット特集」
1995.7.1-     ③「リノ・ブロッカ映画祭(前期)」 6作品
1996.6-        ④「G.アラヴィンダン特集」
1996.10-       ⑤「金綺泳(キム・ギヨン)&金■容(キム・スヨン)」 7作品
1997.3.4-      ⑥「リノ・ブロッカ映画祭(後期)」5作品
1998.6-        ⑦「金綺泳(キム・ギヨン)監督追悼上映」
1999.6-        ⑧「ガリン・ヌグロホ特集」
2001.3.3-3.11 ⑨「グル・ダットの全貌」10作品

 

【アジア映画史発掘シリーズ】
1995.8.-        ①「ヘラルド・デ・レオン監督をめぐって」
1996.7.11-7.14 ②「韓国のサイレント映画と活動弁士の世界」3作品

【中国映画撮影所シリーズ】
1999.3.-          ①「1930年代上海映画特集」
2002.11.28-12.1 ②「香港映画の黄金時代Ⅰ」6作品

【2002年日韓国民交流年プレイベント】
2001.3.15-3.20  ①「2001韓国映画プロジェクトⅠ」6作品
2001.12.6-12.16   ②「2001韓国映画プロジェクトⅡ」17作品

【アジア映画講座】(上映とレクチャーの組み合わせ)
1991.5.-6.    ①「土曜映画講座」
1991.11.            ②「4人の映画監督との対話」
1992.2.-3.            ③「南からの衝撃」
1993.3.-4.            ④「東南アジア映画祭アンコール+α」
1995.2.                  ⑤「中央アジア映画特集」
1996.12.                ⑥「『アジア発ドキュメンタリー』特集」
1997.3.                  ⑦「フィリピン映画の新しい波」
2000.7.-9.              ⑧「字幕翻訳者は語る」
2001.6.-9.              ⑨「字幕翻訳者は語るⅡ」
2002.3.                  ⑩「イスラムの映画、映画のイスラム」

<その他>
【NHK=国際交流基金 アジア・フィルム・フェスティバル】
1995.12    ①「第1回アジア・フィルム・フェスティバル‘95」
1997.12    ②「第2回アジア・フィルム・フェスティバル‘97」
1999.12    ③「第3回アジア・フィルム・フェスティバル‘99」

・「東南アジア映画祭」や「合同アジア映画祭」など単発的な共同事業は省略
・国際交流基金メディア事業部視聴覚課や同企画室主催事業の映画祭は省略

もちろん、基金のお仕事は多岐にわたっており、日本での映画上映はその中のほんの一部、しかもここに挙げたのは、基金アセアン文化センター及びその後身基金アジアセンターの映像事業だけのリストで、それも2003年3月までのものです。映画祭としてはほかにも、基金メディア事業部視聴覚課や同企画室が主催した事業の「アフリカ映画祭」(1984.10)等が開催されています。ですが上記のリストを見ていただければ、1990年から2003年にかけての約13年間に、基金アジアセンターが大変精力的にアジアの映画を紹介する事業を行ってくれたことはおわかりになると思います。これは、①アセアン文化センターならびにアジアセンター共に種々の活動ができる拠点を有していたこと。特にアジアセンターは国際交流基金フォーラムという場所を赤坂ツインタワーに有しており、映画上映のみならずパフォーミング・アーツの公演や美術等のエキジビションも可能で、多様な活動ができた。②アジアセンターの事業には、それぞれ専門のキュレーター的職員がおり、映画の場合は石坂健治氏(現東京国際映画祭シニア・プログラマー、日本映画大学教授)が知識と人脈を駆使して優れたプログラムを組んでくれた。③<南アジア映画祭>によって喚起されたアジア映画への関心が1990年代急速に高まり、香港映画ブームや2000年の韓国映画『シュリ』(1999)のヒットによる韓国映画ブームなどにも後押しされて、映画上映に足を運ぶ観客が大勢いた、ということに支えられていたと言えると思います。

「インド映画祭2003」のゲストで来日したインド人女優スハーシニー・ムレーと石坂さん

(赤坂ツインタワーの国際交流フォーラムロビーで)

そのアジアセンターが一度なくなったのは2004年の4月。1990年1月のアセアン文化センターのオープンから14年、一定の役割を果たした、という評価になったからのようです。次はアラブ諸国に重点が移される、という話を当時耳にしましたが、これは不正確な情報だったようで、結局、2014年4月にアジアセンターが復活します。この再生アジアセンターが東京国際映画祭と協力し、「クロスカット・アジア」というプロジェクトを実施して、作品の上映に協力したり、小冊子を無料配布したりしてくれていたのはご存じの方も多いでしょう。ところがこのアジアセンターも本年、2022年3月31日で再び活動終了となるなど、国際交流の事業の中で文化の紹介はなかなか重点事業とはならないようです。

今回、基金が50周年を迎えるに当たり、文化紹介と言うか文化交流事業はもっと丁寧に跡づけされてもよかったのでは、と思います。かつて池袋西武百貨店にあった「スタジオ200」では、映画の上映やパフォーミング・アーツの公演などをやっていたのですが、スタジオが閉鎖となったあと、詳細な記録を分厚い本として残してくれました。基金のこの50年の活動も素晴らしいものだと思うので、1冊の本にまとめてぜひ残してほしいと思います。石坂さん担当の映画部門だけでなく、峰岸由紀さんが担当してらした公演部門も、珠玉のプログラム揃いでした。杉浦康平さんデザインのチラシやカタログもほれぼれするものばかりで、上に付けた写真のように美術品としても見るに堪えます。そうそう、映画関係のパンフのデザインは友成修さんで、当時基金の事業に協力していたぴあの映画部門御用達のデザイナーさんでした(今もそうかしら?)。友成さんの落ち着いたデザインも好きで、今でもパンフを見るたびに穏やかなお人柄を思い出します。基金の皆さん、もっとご自分たちの先輩のお仕事を誇って下さい。そして次の50年も、がんばって下さいね。岸田首相、兵器なんか買ってないで、こちらに予算を回して下さい! 隣国との友好関係を築くのは文化です!!

[追記/2023.1.6]この記事をアップしたことを年明けに国際交流基金の方に知らせたところ、ライブラリーに所蔵されたプログラムをチェックしたり、部内で他の職員の方とも共有して下さったりして、いくつか訂正&加筆箇所を送ってきて下さいました。Kさん、お忙しいのにありがとうございました。本日訂正を入れました。

なお、本文中で言及したスタジオ200の記録本「スタジオ200活動誌 1979ー1991」(発行:西武百貨店)は非売品でした。今回、取り出して見てみたら、日本の1980年代文化を体現したスタジオ200の活動を評価し、それを書物で残そうという意図をもって編纂された本だということがわかり、四半世紀を経て再び感服しました。オープン当時からの月間スケジュール表、チラシ、ポスターがすべて保管してあったようで(最初のスタジオ200の責任者は詩人でもあった八木忠栄さんで、おそらく八木さんの先見の明によるものと思われます)、それを使い、かつ編集に当たっては新たに解説を関係者に書いてもらったりして、実に優れた作りの記録本となっています。下に、我々インド映画祭実行委員会が持ち込んで、1985年4月に実現した<インド映画スーパーバザール 第2回インド映画・春>のページを付けておきますが、佐藤忠男先生が解説を書いて下さっています。

基金の映画祭も、チラシがあれば終了日がわかったりしたのですが、そこまで徹底できず、情報の正確さを欠いたものになっていてすみません。チラシは探せばある程度出てくると思うので、もし基金で記録をおまとめになる場合は探してみますね。


コメント (4)    この記事についてブログを書く
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする
« インドでパキスタン映画『The... | トップ | 年末年始のアジア映画は激混... »
最新の画像もっと見る

4 コメント

コメント日が  古い順  |   新しい順
よしだ まさし様 (cinetama)
2023-01-07 02:30:37
再度のコメント、ありがとうございました。
当初は製作側にOKをもらって、アジアセンター内での視聴に限って見せて下さっていたのかも知れませんね。その期限が切れたとかして、もう廃棄処分されたのかも知れません。
「いつまでも、あると思うな親と金」に加えて、「アジア映画資料」も入れておかないといけませんね。そう思って、海外に行くたびに資料をあさりすぎ、収拾がつかなかくなっているのが我が家の書庫です...。
返信する
視聴覚資料 (よしだ まさし)
2023-01-05 16:44:39
ずいぶん前に国際交流基金の図書館にある視聴覚資料をチェックしたのですが、当時のビデオはなさそうです。いまも、ざっとチェックしたかぎりではないみたいですね。観たかった作品があったので、ちゃんと観ておけばよかったです。
返信する
よしだ まさし様 (cinetama)
2023-01-02 02:10:14
コメント、ありがとうございました。
そう言えば、図書館の中にありましたね。
あのアジアセンターは図書館も充実していて、私は数年間、東南アジアの新聞チェックに毎月通っていたりしました。
インターネットが普及する前で、新聞の文化欄、芸能欄をチェックしては、必要な記事をコピーしていたのです。
新聞は始末されたのでは、と思いますが、ビデオや書籍は、国際交流基金の図書館にあるのでは?
一度こちらをチェックしてみて下さいね。
https://lib-opac.jpf.go.jp/drupal/
返信する
国際交流基金アジアセンター (よしだ まさし)
2023-01-01 21:31:14
赤坂にあった国際交流基金アジアセンターにはビデオライブラリーがあって、誰でも無料で観ることができました。並んでいる作品の数はそれほど多くはなかったのですが、かつて国際交流基金アジアセンターが上映した作品の一部がVHSで並んでいました。なんで観られるうちにもっと観ておかなかったのかと今になって悔やまれます。あそこに並んでいた貴重なビデオは、いったいどこに行ってしまったのでしょうね。
返信する

コメントを投稿

ブログ作成者から承認されるまでコメントは反映されません。

アジア映画全般」カテゴリの最新記事