〜かたることばが歌になる風になる〜

文ジュールっていいねぇ

関西のある地域の小学校で、文章を書くことに慣れさせるために、今日は「あいうえお」あるいは「かきくけこ」のそれぞれの字で始まることばで短い文章を書こう。とか、教室の前にあるテレビの映像を見て、思いつくことを短い文章にして書こう。とか、書くことに慣れさせるための取り組みをしているのをニュースで見た。映像を見て思いつくことを何十秒の間にどれだけ書けるか。子供たちはものすごい速さで短文をいっぱい書いていた。こうやって文章を構えることなく書くことができるようになり、すらすら思うことを表現できるようになる。
先生方の創意工夫で、生徒たちは楽しくてそして『できる』という自信になっているようだった。
『ボンジュール』ならぬ『文ジュール!』だそうだ。

私はというと、今はこうやって文章を気軽に書いているが、初めての作文はさんざんなものだった。
小学校1年生の遠足のこと。近くの慰霊塔に見学に行ったことを書くことになった。
「私は寝ていました」「そして私は起きました」「そして私はおあかさんと呼びました」「そしてお母さんははいと言いました」ここからは忘れたが、多分服を着て歯を磨いてご飯を食べて・・・と続いていて、最後に「学校に着いたらみんなが来ていました」チャンチャン。
この作文を母に見せたら「遠足のことが何にも書いてない」とあきれられた。
その後作文は文章の得意な母がよく添削してくれた。

私の通う地域の何校かの生徒の作品を集めた『石ころ』という文集があった。
それぞれの学校の国語の先生が、生徒の中の優秀だと思う作文や詩を選んで載せたものだ。
1年生の私の初めての作文は「え~っ」というようなものだったが、その後低学年のころ『石ころ』に思いがけず詩が載った。生まれて初めての詩。

「にちようびにたかしまやに行った。エレベーターにのっておなかがすきとおるようになったのでキャッといった」
今のエレベーターは乗っていることを殆ど感じさせないが、昔は、体が急速に上に引っ張られる状態と、体がそこにとどまっている重力とのギャップか?その違和感でちょっと気持ち悪かった。
私はあまり好きではなく乗る前には何となく構えたものだ。
ジェットコースターが急速に下降した時にふわっと浮くような体の感覚のようなものだったと思う。
それが『おなかがすきとおるようになったので』の表現になったのだ。

それから後にも『いもうと』『ままごと』などの作文が『石ころ』に載った。
「わたしの妹は意地悪です。あつこのアホとか言います。二番目の妹は意地悪ではありません・・・」
冒頭の書き出しは子供らしいというか、ありのままに単刀直入で素直に書いていたと思う。

以前のブログに登場した同級生のこと。小学校の先生で、自分のクラスの国語の授業で、私の短歌を教材にして披露したという同級生と中学で隣同士のクラスになった。中学校は4つの区域の小学校から生徒が集まっていた。
彼女は私の名前を聞いて『石ころ』に自分の作文の横に私の作文が載っていたと言い、内容まで覚えていた。そのころから記憶力に優れていた彼女とはいまだに仲良くしていて、うちの三男と彼女の長男とが同級生という縁でもある。
彼女の作文は、お母さんが体のために飲みなさいという『パンビタン』というビタミン剤がいやでいやで、飲んだふりをして下駄箱のうしろに捨てたがみつかってしまったという内容だった。

私が文章を書こうとする時は、対象や出来事を思い出すことから始まりとにかく書き並べる。
あとは無駄なことばを消したり、文章をすっきり整理する作業をする。
自分の生き方を模索したり、反芻したり、自問自答したり、大いにボケ防止になる。

活動を終了した「女声合唱団風」のこと、「コーラス花座」のこと、韓国ドラマ、中国ドラマなど色々。

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