chor^o^の独り言

ドライブとか、料理とか、コンサドーレとか、ダジャレとか・・

墓参り

2008-09-21 21:18:18 | 日々つれづれ
今年83才になる母親からのメール
「墓参りに行きますか?」


ちなみにうちのバアサンはハイテクばばあ
7年前のオヤジの入院をきっかけにして、携帯メールの使い方を覚えた
ハイテクバアサンはケーブルテレビにも自分で加入するし、パソコンにも興味を示す

ただ絵文字は使わない



それはさておき・・・



そういえば彼岸だな

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墓参りとか、仏事というのは嫌いじゃない
どちらかといえば好きなほうだ

実家に寄れば忘れずに仏壇に線香をあげることをカミさんに褒められる
カミさんの親の墓参りを毎年欠かしたこともない

子供の頃は長いお経を聞いていると、眠たくなるし、足は痺れるし、ただひたすら嫌いだったんだけど、ある時を境に急にお経が好きになった

それは24年前
カミさんの父親がなくなった時

富良野のお寺でお経を聞いた時だ

お経の意味はわからなかった
でも耳触りの良い声が身に沁みてきた
開け放した寺の窓から聞こえる虫の声とお経がアンサンブルを奏でていた
お経が終わったとき、もう少し聞いていたい気分になっていた
そして気付いた

お経のリズムは最期の時の脈を刻むリズムに似ていることを


人の死と近いところでの仕事をしている
心拍のモニターを見ながら、あと何日、あと何時間というのがわかってくる

大抵の場合、人は死を迎える時、心拍数が上がり始める
最期のがんばりを脈拍を上げることで表現する

それはラストスパートという言葉がピッタリと当てはまる
1分間に130から140という脈拍をしばらく続ける
それこそ最期のがんばりをみせる

クライマックスを過ぎると、次第に脈拍数は下がり始める
そして最期のとき、心電図の波形が急に変化する
まるで「がんばったよな」「ここまでがんばったらいいよな」
という感じで急に変わる

そして脈を刻みながら、その回数を落としていく
最期の時は生きた証を確かめるように、トン・・・・トン・・・・トン・・・・

そして静寂



お経が気持ちよく聞こえる前までは、慌しさの中で人の死を考えることはできなかった
でもお経が気持ちよく聞こえた後は、どうやって安らかにその時を迎える事ができるかを考えるようになった
死までの数時間前、意識的に家族と会話をするようになった



自分の父親の時、同じようにすることができた

慌てることもなく、騒ぐこともなく、心を落ち着けながら心拍モニターの波形を黙って追っていた

「がんばったな」
「もう十分だ」
「静かに送ってあげよう」

ベッドを囲む家族にそう言うことができた



別れはつらい

それこそ生まれてからずっと一緒に居た家族との別れは・・

いつまでもお経をあげ続けて欲しいと思うのは、お経とともに命が本当に終わってしまうことを実感したくないと思うからなのかもしれない



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そんなことを考えながらオフクロに返信

「午後からだったら時間があるから墓参りに行こうか
 好きだったサッポロビール忘れんなよ」

たまには親孝行しておかなきゃバチが当たる

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