グー版・迷子の古事記

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ミ(水・天)の神霊

2013年09月26日 | 古事記
雨は空から降ってくる。
当たり前の事ですが、古代の人々は本当にそう思っていたのだろうか?
何も無い空(カラ)からではなく、神霊の住む天(アメ)から落ちてくると思っていたのでは?
降ってくると言うより、落ちてくるなのかな?
そんな疑問から、古代の人々の神様に対する考え方と原風景について思いを巡らせて見ました

  《アメ》

天(アメ)は神霊の住む所です。
と言うことは神霊の住居である天(アメ)もまた、神聖な場所であると同時に神霊と考えていたのではないだろうか。
また天(アメ)から落ちてくる雨(アメ)は、天(アメ)の零れ落ちたカケラであり、天(アメ)の一部であったのでしょう。

地上に落ちた天(アメ)のカケラである雨(アメ)は、川へ集まり海へと向かいます。
天(アメ)・雨(アメ)・川・海の構成分子である水(ミ)もまた、天(アメ)の神霊と考えられたのではないか?と想像できます。

古代の神霊を表す言葉に「ミ」があります。
今までの事から考えると、「ミ」は水(ミ)と関係ある神霊と考えられそうです。

・神霊を表す「ミ」の名前をもつ神様

ワタツミ(海津見)…海神。水(ミ)の世界の神様です。

ヤマツミ(山津見)…山神。山は雨(アメ)を集め川を成します。

オオカムヅミ(意富加牟豆美)…桃の神。大神の実。桃の実は水々しく水(ミ)にあふれています。

また水に住む動物も神様と考えられたであろう事も、想像に難くありません。
古代神の顕現した姿の多くは水生生物です。

巳(ミ)…蛇

貝…キサカイヒメ・ウムギヒメ

ワニ(鮫)…トヨタマヒメ(鮫或いは竜と言われている)

ここでふと疑問を感じました。身近な水生生物であるカエルはどうなんだろう?
雨季には大合唱するカエルです。
古代人の心に響か無い訳が無いと思ったのです。
しかし古事記にはカエルの神様は出てきません。
ところが少し調べてみるとそれらしい神様がいたのです。

縄文土器にはカエルを模した模様が沢山あるようです。
カエルそのものを図案化したものや、カエルと人間を合わせたカエル人間とでも言うようなデザインもあるようです
そうすると、カエルも古代神だったようですが、神話の世界が始まる前に引退したのかもしれません。

今までの事から考えてみると、神霊を表す「ミ」という言葉は天(アメ)のカケラである水(ミ)の神霊を表すと言えるかもしれません
そうなると「ミ」はもともと天(アメ)の属性を持つと考える事が出来そうです。

  《因幡の白兎》

ここまでの事を想像した所で、私は因幡の白兎の神話は水(ミ)の神霊の神話では無いのか?と言う事を考えていました

大穴牟遲神(おおむなぢのかみ=大国主神のこと)の兄弟(八十神)たちは、稲羽の八神上売(やがみひめ)に求婚したいと思ったため、国を大国主に譲ってしまった。稲羽(いなば)に出掛けた時、八十神は大穴牟遲神(おおむなぢのかみ)に袋を持たせ、従者のように引き連れた。

「気多(けた)の前」に来たとき、裸の兎(あかはだのうさぎ)が伏せっていた。兎は、八十神に「海塩を浴び、山の頂で、強い風と日光にあたって、横になっていることだ」と教えられた通りに伏せていたが、海塩が乾くにつれ、体中の皮がことごとく裂けてきて、痛みに苦しんで泣いていると、最後に現れた大穴牟遲神が「なぜ泣いているの」と聞いた。

菟は「私は隠岐の島からこの地に渡ろうと思ったが、渡る手段がありませんでした。そこで、ワニザメ(和邇)を欺いて、『私とあなたたち一族とを比べて、どちらが同族が多いか数えよう。できるだけ同族を集めてきて、この島から気多の前まで並んでおくれ。私がその上を踏んで走りながら数えて渡ろう』と誘いました。すると、欺かれてワニザメは列をなし、私はその上を踏んで数えるふりをしながら渡ってきて、今にも地に下りようとしたときに、私は『お前たちは欺されたのさ』と言いました。すると最後のワニザメは、たちまち私を捕えてすっかり毛を剥いでしまいました。それを泣き憂いていたところ、先に行った八十神たちが『海で塩水を浴びて、風に当たって伏していなさい』と教えたので、そうしたところ、この身はたちまち傷ついてしまったのです」といった。そこで、大穴牟遲神が兎に「今すぐ水門へ行き、真水で体を洗い、その水門の蒲(がま)の穂をとって敷き散らして、その上を転がって花粉をつければ、膚はもとのように戻り、必ず癒えるだろう」と教えたので、そうすると、その体は回復した。これが、稲羽の素兎(しろうさぎ)である。
(ウィキペディア)

大穴牟遲神は大己貴とも書き、また神社の中には大巳貴と書いてある所もある神様です。大穴牟遲神は大蛇神とも言える神様です。
またウサギを隠岐の島から運んできたのは沢山のワニ(鮫)、そして傷ついたウサギに声をかけたのは沢山の神様(八十神)です。
八十神はワニ(鮫)なのでは?と言う疑問が生じてきます。

オオナムチ(大巳貴)と八十神は、蛇とワニ(鮫)を表しているのでは無いだろうか?
この事を証明する術はありません。

オオナムチ(大穴牟遲神)はこの後、兄弟の八十神に二度も殺されますが最後には兄弟神達を、山の坂という坂、川の瀬という瀬で追い払い、国を治めます。
兄弟神達を陸地から追い出すのです。
兄弟神をワニ(鮫)と考えると、陸地にワニ(鮫)がいない理由を説明している様にもみえます。

私には、蛇神とワニ神(鮫神)の戦いのように見えたのです